第35話
「ふおおぉぉ〜」
会場に着いた瞬間、アイラさんは目をキラキラさせながら口を三角にした。
いや、今回に関しては僕と田丸さんも同時に歓喜の奇声を上げたのである。田舎で細々とオタクをしている人間にとって、デカい商業ビルのワンフロアが丸ごとイベント会場になっているだけでも垂涎ものなのだ。
「すごいです、圭様!」
「失われた楽園……」
「いや、ここはヴァルハラじゃないですかね!」
「……三人とも何言ってんスか」
辻君が一歩引いた位置から保護者のように呟いた。
「菜奈さん! 何から行くのが正解ですか⁉︎」
「落ち着いてください、アイラさん。限定グッズを漁りに行きたいところですが、ここは本屋の店員らしく堂々と原画展から! あぁ、でも、その間にアクスタ売り切れたらどうしよう!」
「店長、両手と両足が同時に前に出てます!」
「……とりあえず、展示からでいいっスか?」
辻君に引率され、僕らはミリオンセラーを達成した歴代ライトノベルの表紙や挿絵の原画と作家の生原稿が展示されている企画ブースを練り歩いた。
会場には、アニメ化で一世を風靡した懐かしい作品や、今でも現役で活躍している作家の最新作まで様々なものが展示されていた。
「あぁ、くそ。いいよなぁ、窓ガラスのラッピングとか大型スタンデイとか。うちは絶対もらえないもんなぁ」
「ホントですね、店長」
田丸さんも目を潤ませる。
「がんばってんだけどね。田舎の本屋で文庫が五十冊も六十冊も売れるかっつーんだよ、ちくしょー」
僕と田丸さんは、血の涙を流しながらひしと抱き合った。
「コミックはズルい! 売上大きいからって出版社から拡材もらいすぎ!」
「えぇ……」辻君がぽりぽりと頬をかく。
「ふおおぉぉ〜っ」
僕らの横で、アイラさんは子供のように純朴な眼差しで展示物を余す所なく見ていた。
女性の来場者も散見されたが、やはり彼女の容姿で原画や原稿を食い入るように見つめている様子は、側から見てもよく目立つ。
「ふおおぉぉぉ〜っ!」
会場奥の物販ブースで、僕らは限定グッズを買い漁った。アイラさんは、特に『ほしきみ』の文房具や缶バッチ、アクリルスタンドにぬいぐるみまで、主人公とヒロインの分をセットで購入しているようだった。それだけで、持参したリュックがパンパンに膨れ上がってしまう。
ちなみに、アルバイトのお給料もまだ少ないはずなのに、なぜアイラさんに本やグッズを買う資金があるのか謎だったのだが、どうも下天する際、天界での功績を人間世界の通貨に還元できる制度があるらしい。以前、貯蓄の額を聞いたことがあるのだが、思わず変な笑い声がもれてしまった。アイラさんもリアも、実は無理に僕の店で働く必要はないのである。
「似合いますか?」
つば付きキャップを被ったアイラさんが上目遣いに僕を見つめる。『ほしきみ』の二人が見つめ合っているイラストが入ったすごいデザインの帽子だったが、そこさえ目をつぶれば、緩いニットとロングスカートのアイラさんの服装とは妙なアンバランスさがあって、可愛かった。
「かわいいです」
周りには聞こえないよう、僕は彼女の耳元でささやいた。
「あ、ありがとうございます……」
俯くアイラさんの頬に触れたい衝動を、僕は必死に我慢した。
「ふおおおぉぉぉぉぉ〜ッ!」
隣のコラボカフェでは、オムライスとハンバーグプレートの横にさっき購入したアクリルスタンドを並べて、田丸さんとアイラさんがスマホのカメラでバシャバシャと写真を撮りまくっていた。
「アイラさんのも撮っていいですか⁉︎」
「では、席を交代しましょう」
アイラさんには僕のスマホを貸してあるんだけど。
——写真で容量いっぱいになりそうだな。
「あ……」
コラボメニューについてくるノベルティの封を開けた辻君が、小さく声を上げた。
展示作品のヒロインのイラストが入ったコルクコースターだった。中身はランダムだけど、このノベルティには『ほしきみ』は含まれていない。
辻君が引き当てたのは、田丸さんが好きな百合作品の主人公のデザインだったようだ。
田丸さんをチラチラと見ていた辻君が、僕の視線に気づいてこちらを向いた。
ふてくされたように俯く辻君の肩を、僕は肘で小さく小突いた。
「田丸さん」
「ん? どうしたの、辻君?」
「これ、限定グッズ、出たんで……」
辻君がコースターを手渡すと、田丸さんの表情がパッと明るくなった。
「すごーい、辻君当たったんだ! え? うそ、くれるの?」
「俺、マンガだけで他は興味ないんで」
「え? えっ! ありがとう、辻君!」
辻君が田丸さんのどこに惹かれたのか、なんとなくわかる。
容姿や年齢に関係なく、相手を明るい気持ちにできる人がいる。田丸さんは「いい顔」で笑う女の子だった。
「後でブロードウェイ行った時に何かプレゼントするね!」
「いや……そんな大したことしてないっスから」
「絶対、プレゼントさせてねっ!」
はい……と辻君の頬がわずかに綻んだ。
僕は田丸さんと楽しそうに談笑しながらオムライスを頬張るアイラさんを見た。彼女の口の端には、小さなケチャップの跡がついていた。
——見たいよな。好きな人が喜ぶ顔はさ。
「がんばってね」
多分、辻君にとっては今日がラストチャンスのはずだ。
僕がそっと耳打ちすると、辻君は困ったような怒ったような顔で口元を強張らせた。




