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第32話

「おめでとう……か・し・わ・ぎ君……!」

 顔中に血管を浮かび上がらせ、般若のような表情で僕を睨みつけながら、仁志は言った。レジでアイラさんから格闘技のマンガを受け取りながらそんな顔をするんだから、器用なことをする。

「なんの話だよ?」

「とぼけんな、ネタはあがってんだよ。お前ショッピングモールでアイラさんは俺の嫁だって叫んでたらしいじゃねぇーか。田舎の情報網なめんなよ」

「だから、それは違う……」

 反射的に答えそうになって、僕は言い直した。

「いや……。アイラさんとは、結婚を前提におつきあいしてるんだ」

「お?」

 まぁ、とアイラさんが頬に手を添えた。

「アイラさん」

 仁志はニッと笑ってアイラさんを見た。

「いい男だろ、こいつ。大事にしてやってよ」

「はいっ。もちろんです」

「仁志……」

「今晩、仕事終わったら二人でうちの店来いよ。うまいもん食わせてやっから」

 ところで……と、仁志は後ろを振り返った。

「こっちの姉ちゃんはなんなんだ?」

 レジカウンターの真正面、少し離れた位置に陣取ったリアが胸の前で両手を合わせ、目をキラキラさせながらアイラさんに熱い視線を送っていた。

 朝食の後、ファッションセンターかわむらへ三人で買い出しに行き、今はゆったりしたロングのパーカーにデニムというカジュアルな出で立ちだけど、やはり二時間もレジの前に立たれているのは営業妨害に等しい。

「あぁ〜、働いているお姉様も素敵です!」

「大丈夫か、この姉ちゃん?」

「全然大丈夫じゃない……。あ、そうだ」

 僕は仁志を手招きして小声で耳打ちした。

「あん?」

「今日は休日出勤だし、アイラさんと一緒に夕方にはあがるから。な? 食べに来いっていったのは仁志の方じゃないか」

「まぁ、仕込みの邪魔しねぇならかまわねぇけどよ」

 仁志はリアに奇異の視線を送りながら首を捻った。

「お前ら来るまで、マンガ読ませときゃあいいんだな?」


 時刻は夕方の六時半。

 日中の時間はまだ短く、黄昏時を過ぎた頃に僕とアイラさんは居酒屋「幸子」を訪れた。

 お酒を飲む時間にはやや早いが、それでも店内はたくさんのお客さんで賑わっている。よく繁盛しているようだ。

「いらっしゃい!」

 カウンターの中から仁志が短く手を上げた。

「座敷、いい?」

「空けてあらぁ」

 仁志が店の奥を親指で指す。

「リアは……」と言いかけて、僕は口をつぐんだ。一番奥のカウンター席に腰掛けて、熱心にマンガを読み耽っていたからである。

「むおぉォォ……」

 カウンターの上にコミックを山積みにして、リアは食い入るようにページをめくっていた。読んでいるのは、仁志が好きな古いヤンキーマンガだ。

 カウンター席のほろ酔い気分の男性客がチラチラとリアの方を見ている。居酒屋で読書をする姿が奇妙だということももちろんあるだろうけど。

 ——まぁ、美人だからな。

 利発で健康的な美しさが、リアにはあった。性格に難があるけど、人を惹きつけるその天性は、腐ってもアイラさんと同じ天使ということだろう。

「リア」

 アイラさんが手真似して、リアはようやく僕らに気づいた。

「あぁ、お姉様」

 カウンターのコミックを小脇に抱えてこちらの座敷までやってくる。まだ読むつもりらしい。

「ここは食事を楽しむ場所です。読書は後にしなさい」

 言いながら、アイラさんは当然のように僕の隣に腰掛けた。それがあまりにも自然で、僕はうれしかった。

「でもでも、今から四天王同士の血で血を洗う抗争が始まるところなんです!」

 対面に座ったリアは、読みかけのコミックを開こうとした。

 すでにどっぷり沼にハマってるなぁ。

「……消されたいのですか?」

 一瞬、氷のように冷たい空気が座敷の周りを支配した。

 リアの背筋がピンと伸びる。

「圭様との、貴重な外食ですよ?」

 氷瀑の笑顔を浮かべながら、アイラさんの目は笑っていなかった。

「はいッ! 申し訳ありませんでしたッ!」

「いや、あの……和やかにいきましょう……ね?」

 正座したままブルブルと震えていたリアだったが、仁志が運んできてくれた刺身の盛り合わせや唐揚げ、揚げ出し豆腐に豚平焼きを目にした途端、彼女のお腹は「ぐうぅ〜」と鳴った。

「も、申し訳ありません……」

 リアの口の端からはよだれが顔を見せている。

「なんだ、腹減ってたんなら、言ってくれりゃあまかないくらい作ってやったのに」

 仁志は僕の前に生ビールのジョッキと、アイラさんの前には烏龍茶のグラスを置いた。

「アイラさんの親戚なんだろ? 飲める歳なのか?」

「人間でいう二十歳は超えてるよ」

「ん?」

「だだ大丈夫! アイラさんのふたつ年下だから!」

 僕は慌てて誤魔化した。

 リアの前に生ビールのジョッキが用意されるのを待ってから、僕らは小さく乾杯をした。

「! やだ、おいしい……」

 お箸で揚げ出し豆腐を口に運んだリアは目を見開いた。

「おいしいよね、仁志の料理」

「私もここのお料理は大好きです。あったかい味がします」

 ひょいひょいひょいと片っ端からテーブルの料理を口へ放り込みながら、リアはジョッキのビールを豪快に飲み干した。

「かあァァーッ! うまあぁーいッ!」

「すごい食べっぷり」

「申し訳ありません。こういう子なんです……」

「いや、むしろ気持ちよくて僕は好きですよ」

 む……と小さく頬を膨らませると、アイラさんはリアに負けないくらいの勢いで料理を取り皿に取り始めた。

「私だって、あれくらい食べられます」

 しまった、好きと言ったのがマズかったらしい。

「なにこれ⁉︎ 人間の食糧ってこんなにおいしいの⁉︎」

 仁志は先代の店主であるお父さんから料理のイロハを叩き込まれている。同じ料理でもその味は別格と言っていい。

「へぇ、姉ちゃんいけるクチだな、」

 仁志が生ビールのおかわりを運んできた。

「リアでいいよ」

「カウンターの方来るか? 新作作ってんだけどさ、試食してくれる奴探してたんだよ」

 仁志はチラと僕の方を見ながら言った。

「え、いいの? 食いたい食いたい!」

「せっかくだから、日本酒もサービスしてやるよ」

「やた! 日本酒ってなに?」

 ごゆっくり、と仁志は口だけを動かす。

 リアは仁志についてカウンター席の方へ移っていった。

「すごい勢いで馴染んでますね」

「……………」

 アイラさんからの返事がない。

 横を向こうとした時、テーブルの下でアイラさんの右手が僕の左手に触れた。

 座布団の上の僕の手の甲に、彼女の指先が重なる。

「やっと、触れました……」

 前を向き、俯いたアイラさんがぼそぼそと呟く。

 そうだ。

 昨夜は結局、一緒に眠れなかったのだ。

「アイラさん……」

 左手をそっと上向きにする。

 アイラさんの繊細な指を、僕は壊さないようにそっと握りしめた。

「手をつなぎながら……」

 俯くアイラさんの頬は、赤く染まっていた。

「圭と一緒に、抱き合って眠りたい」

 呼び捨てにされて、僕の鼓動もトクンと跳ねる。

「次、二人きりになったら……今度は、もっといっぱい、しよう……したい。あ、朝までだって……」

「はい……」

 酔っ払って盛り上がるリアと仁志を見ながら、アイラは僕の肩にコトン、と頭を預けた。

 夜を楽しむリアや客たちの喧騒が、今日はとても心地よかった。

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