第30話
「お久しぶりです、お姉様!」
アイラさんが「リア」と呼んだ天使は、アクティブな笑顔をアイラさんに向けた。
「なぜあなたが下天してきたのです」
いつもとは雰囲気の異なるアイラさんの口調に、僕は驚いた。仕事をしている時よりもさらに抑揚のない、厳しい上司が部下にするような物言いだった。
それはそうと、僕はアイラさんの胸の谷間に顔を押しつけられたままなわけで、このままでは息がもたない。
上半身はアイラさんの翼に覆われ、下半身は布団で隠れてはいるけど、このままだと確実にバレてしまう。
〝「ふしだら」と判断された場合、堕落の烙印として人間界はメギドの火によって滅ぼされるらしい〟
姉の言葉が走馬灯のように頭をよぎる。
「別れも告げずに飛び出していかれたので、心配していたのです。お姉様があそこまで火急を要する愛の試練、このリアにもぜひお手伝いさせていただきたく、この度あたしも下天してまいりました!」
「ではまず、あなたが壊した屋根を直しなさい」
「はい! いでよ、アイオン!」
リアの背後から、以前アイラさんが呼び出したアンドレと同じような精霊が姿を現した。アンドレと同様、筋骨隆々だが中性的な顔立ちをしており、やはり性別はわからない。ただ、こちらはアンドレよりも髪が長いようだった。
「ビリイイィィぃぃーッ!」
アイオンは穴が開いた天井に手の平を向けると、中空を高速でコスコスとこすり始めた。
魔法のような見えない力が働いているらしい、その動作だけで、外まで貫通していた天井が元通りに修復されていく。
「よくやった。戻れ、アイオン!」
「バンバアアァァーンッ!」
アイオンがリアの背後へ姿を消す。
いやいや、そんなことに感心している場合じゃない。いよいよ息がもたなくなってきた。
「ところで、お姉さまはなぜ翼で体を覆っていらっしゃるのですか? ん? あれ? 裸、ですか?」
ギクッ! とアイラさんの体が跳ねた。
「これは……衣服がない方が回復が早いのです。悪魔との戦闘が長期に及んだものですから」
「あぁ、そういうことですか。さすがはお姉様! 人間界で愛の天使としての試練に挑みながら、ヴァルキリーとしての使命も果たすなんて、他の天使にはできないことです!」
アイラさんの胸がこんなに近くにあるのはうれしいけど。
く、苦しい……。
「ここはお姉様のお部屋ですか? 書物が多いのですね。すでにこの国の文化をここまで読破されているなんて、リアは感服いたしました! ということは、お姉様と共に試練を受けている柏木圭という人間は別の部屋でしょうか? 同居されていると聞いていますが。挨拶をしておかなければなりません」
「いいですか、リア。人間界には人間界の時間の概念があります。現在、この国は深夜で、ほとんどの人間は活動を休止しています。そんな時間に突然やってきて挨拶などと、恥を知りなさい」
キリッとした顔でリアを叱責するアイラさんの裸体に、僕は全裸のまましがみついている。
「う……申し訳ありません」
その時、酸素不足でじたばたさせた僕の手がアイラさんの下半身に深く触れてしまった。
「あ……」
「ん?」
「そこは、ダメです、圭様……」
「お姉様?」
「な、なんでもありません……ん……」
もう、だ、ダメだ……。
「さ、さぁ、リア。圭様には私からお話ししておきますから、明日の朝出直してきなさい」
「はぁ~い。わかりまし……」
「ぶはああぁぁぁーッ!」
アイラさんの翼の隙間から、僕の手がニョキッと伸びた。
「きゃ……!」
バランスを崩したアイラさんが背中から倒れ込む。
おかげで、ようやく僕は窒息の危機から逃れられた。
「ぶはぁッ! はぁ……はぁ……」
気づくと目の前にアイラさんの顔があった。
「今は……いけません、圭様……」
アイラさんが恥ずかしそうに顔を横に逸らす。
僕はアイラさんを押し倒した姿勢で、彼女の顔の横に両手をついていた。
僕もアイラさんも全裸だ。
当たり前だ。二人愛し合った後、さっきまでピロートークを楽しんでいたんだから。
「な……な……!」
殺気を感じて、僕は後ろを振り返った。
瞳に赤い炎を灯したショートカットの天使が、蔑むような視線で僕を見下ろしていた。
「お姉様に何をやっとんじゃああぁぁぁーッ!」




