第3話
「今日から新しく働いてもらうことになった川崎アイラさん。田丸さんの後にラノベと新文芸の担当をしてもらうことになると思うから、今日は簡単に売場の説明をお願いしたいんだけど、いいかな?」
うやうやしく頭を下げるアイラさんを、夜のアルバイトスタッフである田丸菜奈さんはポカンとした様子で見上げていた。
「あ……よ、よろしくお願いします」
思い出したようにペコリと頭を下げた後、田丸さんは僕のエプロンの袖を思い切り引っ張ってレジの脇まで連れていった。
「なんでこんな田舎の本屋に、あんな美人が入ってくるんですか⁉︎」
「あー……まぁ、そうだよね」
僕と田丸さんは同時にアイラさんの様子を盗み見た。
パリッと糊がきいたワイシャツに、シンプルな黒のロングスカート。ピンと伸びた背筋に「柏木書店」とプリントされた茶色のエプロンだけが不釣り合いで、それさえなければ、ニューヨークかロンドンあたりで働くキャリアウーマンと言われても通用しそうな雰囲気を身に纏っていた。
「むむむ無理ですよ! あんなバリキャリロンスカ美人にラノベの担当引き継ぐなんて! コミ障だから本屋でアルバイトしてるのにッ!」
目をぐるぐる回しながら、田丸さんは叫んだ。背が低い彼女が慌てふためく様子は、妖精のコロボックルのようだった。
まぁ、田丸さんの言いたいこともよくわかる。
柏木書店は僕の父が創業した個人経営の本屋である。今時本だけで店が成り立っているのは、土地が父の名義で賃借料がかからないことと、ここが周りを山で囲まれた田舎町で、競合他社が存在しないことが大きい。
それでも経営状態は火の車。二年前に父が体を壊してから僕が店長を引き継いでいるけど、昨年ふたつ隣の町に出来た大型のショッピングモールに週末のお客さんも流れてしまって、いよいよ観光客用のコインパーキングにでもした方が儲かるんじゃないのかというところまできていた。
従業員は、僕以外にパート・アルバイトがわずか六名の小さな書店である。そんな吹けば飛ぶような弱小書店に超絶美人のハーフ美女がやってきたのだから、黒船来航レベルの衝撃を受けても無理はない。
「だいたい、なんでラノベ担当なんですか⁉︎ あの雰囲気はどう考えても一般文芸か資格語学あたりでしょう!」
「ラノベは本当は僕が引き継いだ方がいいんだけど、僕は辻君のコミックをやらなきゃいけないし、事務仕事で手が回らないから」
文芸書や一般文庫など、他のジャンルは朝のスタッフが担当していて空きがない。かといって、品出しとレジだけをしてもらうには、うちは人手も売上も足りないのである。
「よろしくお願いします、田丸様」
「たたまるさまぁ⁉︎」
田丸さんの両目がさらにぐるぐる回り始める。
「さまはやめてくださいっ。大した仕事してませんのでぇ〜! あ、そうだ、菜奈! 菜奈でお願いします!」
「わかりました。では、菜奈さん」
「はいぃ⁉︎」
「これから読んでおいた方がいい書物があれば、教えていただきたいのですが?」
「書物? って、ライトノベルですか?」
「はい。圭様から担当を引き継いでいくように申しつけられておりますので、勉強ができればと考えております」
「うおぉーい! 僕もさまづけはやめて!」
いきなり被弾して、僕も思わず叫んだ。なんで僕の下の名前を把握してるんだ!
「……では、店長で」
明らかに恨めしそうにアイラさんは僕の方を見た。
「やはり、覚えていらっしゃらないのですね……」
「?」
アイラさんがボソボソと何事か呟いたが、聞き逃してしまった。
「あの、いきなり担当やってもらおうだなんて思ってないですから、初日からそんなに張り切らなくても……」
売場へ移動しながら一言加えようとしたところでレジにお客さんがやってきて、僕は慌ててカウンターの方へ引き返した。
「ごめん、田丸さん。売場の案内だけお願いします!」
「わかりました」
ここからは、後から田丸さんに聞いた話になる。
「……売場はこんな感じなんですけど。入門書として読みたい本ですよね?」
「はい。できれば、愛について学べるものがいいのですが」
「愛?」
恋愛ものがいいのかしら? と田丸さんは判断した。
「あ、じゃあ、これとかどうですか? 展開がステレオタイプですけど、ストレートでわかりやすいですし、読みやすいですよ」
割とえっちぃ描写が多い——ということを、田丸さんはアイラさんに伝えなかった。ライトノベルとは多分にそういうところがあるものだと、彼女は理解していたからである。
田丸さんは、ラノベの既刊棚からそのシリーズの一巻を抜き出した。
『星降る夜と君の詩』——それがその文庫本のタイトルだった。
平凡な高校生男子の主人公と、人外の悪霊が視えるようになった幼なじみのヒロインの物語。悪霊から主人公を守るため、ヒロインは一人暮らしをしている主人公のアパートにメイドと称して同居するようになる。
タイトルだけ見るとジュブナイルっぽいが、よくあるご都合主義な設定のラブコメ小説だった。恋のライバルが出てくるわけでもなく、主人公とヒロインのじれったくもイチャラブな恋愛がメインに物語は進む。タイトルと内容のえっちぃ感じが全然一致していないことで、刊行時に物議を醸した作品でもある。ただ、要所要所でバトルが起こる以外は大きな起伏もなく、三巻目以降はそこそこの人気でダラダラと巻数だけを重ねているシリーズなのだが、二人の心理描写が繊細で美しく、「純愛」という概念の素晴らしさを教えてくれたこの作品が、僕は学生時代から大好きだった。
僕は、スタッフの間ではミステリと哲学を中心とした人文書を愛読する理知的な店長として通っている。田丸さんがこの作品をアイラさんに薦めたのは、全くの偶然だった。
「……………」
「アイラさん?」
アイラさんは、著者の名前をじっと凝視していたらしい。
「勤務が終わったら、読ませていただきます」




