第28話
小さく息を吸い込んでから、僕は玄関のドアをそっと開いた。
アイラさんは玄関の戸口に立って僕を待っていた。
「ただいまです」
靴を脱いで廊下へ上がる。
少し、空気が重たく感じた。
お昼にシフトが入れ替わるタイミングで、アイラさんから早瀬さんが店に来たことは聞いていた。ただ、その時は時間がなくて、それ以上細かい話をすることはできなかった。
「早瀬さんには、ちゃんと言いましたから。僕とアイラさんの邪魔をしないでほしいって。ちゃんと伝えましたから」
笑顔を見せようとして、アイラさんは失敗した。
「……彼女に、謝られました」
アイラさんは双眸を苦しそうに細めた。
「酷いことを言ってごめんなさいって。近いうちに町を出るから、もう姿を見せませんって……。すごく、丁寧に頭を下げて。とても真面目で、可愛らしい女性でした」
両手をギュッと握り締める彼女の肩に、僕は両手を添えた。
「ごめ、なさい……。こんなこと、言うつもりじゃなかったんです。笑顔で、お迎えしたかったのに。ごめんなさい……」
「アイラさん……」
ふぐ、と彼女は自分の唇を噛んだ。
「け……けーくんなんて、あんな呼び方、ズルいです。私だって、呼んだことないのに」
我慢できなくなって、僕はアイラさんを強く抱きしめた。
アイラさんは僕の肩に顎を乗せたまま、ぽろぽろと涙を流し始めてしまった。
「私の方が……圭様のこと好きだもん。六年間ずっと想ってたもん……!」
「知ってます。ちゃんと、伝わってますから」
小さく嗚咽を漏らしながら、彼女は僕の胸で静かに泣き続けた。
「もし……」
涙で濡れた顔も拭かずに、アイラさんは僕を見つめながら言った。
「もし早瀬さんと別れてなかったら……私のことは、好きになりませんでしたか?」
殴られたような衝撃が胸の奥に走った。
そんなことまで彼女に考えさせてしまった後悔に、心が抉られるようだった。
——そこまで、僕のことを……。
アイラさんのことが、愛しくてたまらなかった。
「聞いてください、アイラさん」
僕は彼女を見つめ返しながら、言った。
「僕は……むっつりなんです」
「はぇ?」
「いつも店では店長ヅラしてすました顔してますけど、アイラさんとキスしたいな、とか、ハグしたいなとかばっかり考えてますし、本だっていろんなジャンルのもの読みますけど、エッチな内容の小説とかマンガは特に好きだし、見せたことないけど、そういうのは部屋の隅っこに大量に隠してあります」
喋っていて、情けなくなってきた。
「でも、アイラさんのことは大切に想ってます。疲れた時、僕が顔を見たいなと思うのは早瀬さんじゃない、アイラさんなんです。楽しいことやうれしいことがあったら、伝えたいと思うのは、アイラさんなんです。僕はあなたと、ずっと一緒にいたいなって、真剣に思ってるんです」
僕が言い終えてから、しばらく経った後、アイラさんはきょとんとした顔で小首を傾げた。
「知ってますよ?」
何をいまさら、とでも言いたそうに、アイラさんの頬がわずかに緩む。
「圭様は、とても真摯でやさしい人です。でないと、私、好きになったりしません」
「アイラさん……」
僕は改めて、彼女を深く抱きすくめた。
「圭様……」
アイラさんが僕の背中に両手を添える。
「言い忘れてました」
お帰りなさい——。
二人ゆっくりと唇を合わせて、ようやく彼女は天使の笑顔を僕に見せてくれた。
交代でお風呂に入った後、僕は昨晩彼女が作ってくれたビーフシチューを温め直して、簡単な夕食を準備した。
居間のこたつに二人で並んで座る。狭いこたつの中に、二人で寄り添うように足を入れた。
缶チューハイを一本、二人で分ける。アイラさんは一口だけで、ほとんど僕が飲んだ。
ぽぉっとした顔のアイラさんが僕の肩に頭を乗せてきて、僕もほんの少し彼女の方に体を傾けながら、こたつの中で手をつないだ。
春を待つ冬の夜はまだ冷え込んで、窓の外の夜空にはふわふわと雪が舞っていた。
僕の部屋に、布団は一組しか用意しなかった。
アイラさんがぽぷぽぷと敷布団を叩いて、僕が腰を下ろす。アイラさんは僕の両足の間に体を後ろ向きに滑り込ませ、背中を僕の胸に預けた。
ひとつに結った彼女の髪とうなじからは、甘い香りがした。
アイラさんが僕の子供の頃の写真を見たがったので、小学校から高校までの卒業アルバムを一緒に見た。
「昔はメガネをかけていなかったんですね」
アイラさんはページを巡って僕を見つける度にふふっと楽しそうに笑っていた。
「子供の頃の圭様にも、会ってみたかったです」
「僕もです」
「もっと、いろんな圭様が知りたい」
高校のアルバムを見終わり、アイラさんが顔を上げた拍子に、彼女のお尻が僕の下腹部に触れた。
「あ……」
アイラさんが頬を赤らめて振り返る。
僕はアイラさんの腰から前に両手を回して、彼女をそっと抱き寄せた。
「僕もアイラさんのこと……もっと知りたいです」
「はい……」
深く。
ゆっくりと、くちづける。
それがおやすみのキスではないことを、僕らはわかっていた。
電気を消して、お互いのパジャマを脱がし合う。
恥ずかしそうにアイラさんが両手を開いて、僕は彼女を敷布団の上に組み敷いた。




