第24話
「けー、くん……?」
アイラさんの声でハッとなり、僕は早瀬昴を無理矢理引き離した。
「離せ……離せよ!」
かなり乱暴だったと思う。
よろめく早瀬さんと僕に、店内の注目が一斉に集まった。
「あ……ご、ごめん」
多分、僕が敬語ではなかったからだろう。
アイラさんは明らかにショックを受けたような表情で僕の方を見ていた。
「いいよ、大丈夫。こっちこそ、お仕事中なのにいきなり抱きついたりしてごめんね。けーくんの顔見たら、なんだかうれしくなっちゃって」
僕は全身が総毛立つのを感じた。
いまさら、なんのつもりで僕の前に現れたんだ。
「この前モールで買い物してたらさ、いきなり放送でけーくんの声が聞こえてくるんだもん、びっくりしちゃった」
やめてくれ。
それ以上、僕の生活の中に入ってこないでくれ。
「でもね、おかげで気づいたんだぁ。わたしにはやっぱり、けーくんが必要なんだって」
「何を……言ってるんだ?」
「どうしてそんなに怖い顔するの? わたしたち……」
早瀬さんは、明らかにアイラさんを意識しながら、わざわざ大きい声で言い放った。
「恋人同士だったのに」
アイラさんの両目が大きく見開かれる。
右手をギリギリと握り締めながら、けれど僕は早瀬さんの言葉を否定できなかった。
「私……先に失礼いたします」
「アイラさん!」
僕が伸ばした手をすり抜け、アイラさんはバックヤードの中へ歩いていった。俯いていて、彼女の表情はわからなかった。
追いかけたかったが、今日は閉店まで店を抜けることができない。
「美人な人だねぇ」
「……帰ってよ」
「えぇ〜わたしお客さんだよぉ〜?」
高校の頃は、もっと素直な女の子だと思っていた。だが、男に依存する性格なのだ、彼女がこの数年間どういう人生を歩んできたのかは容易に想像できた。
「まぁいいや。けーくんには会えたんだし」
愛らしい顔で、早瀬昴が笑う。
男なら、みんなこんな笑い方をする女性に心惹かれるだろう。
「コミック一冊買ったら、今日は帰るね」
今日は——という言葉が、何度も頭の中でリフレインした。
玄関のドアを開けた時、家の中の空気が酷く重たく感じられた。
別に浮気をしたわけではない。早瀬さんとのことは過去のことだ。だけど早瀬さんの出現でアイラさんが今どんな気持ちでいるのか、想像するだけで胸が張り裂けそうだった。
いつか話せばいいと思っていた自分が甘かった。
「ただいま……」
顔を上げた時、玄関にアイラさんが立っていて、僕は靴を脱ぐ手を止めた。
「おかえりなさい、圭様」
声が沈んでいる。
当たり前か。
「夕方店に来た女性のことなんですが」
きちんと伝えた方がいいと思った。
アイラさんが怯えたように体を強張らせる。
「高校三年生の頃に、つきあっていた子なんです。半年くらいで別れて……」
「退勤してから帰宅する前に、あの女性に声をかけられました」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃が走った。
「早瀬、さん……は、別れてからも圭様に好意があって、大学生の頃に、圭様の下宿先のアパートに泊めてもらったことがあると……」
アイラさんの声は、震えていた。
「本当なんでしょうか?」
長い沈黙があった。
説明するには、勇気が必要だった。
「誓っていいますが、早瀬さんへの未練は微塵もありません。でも……大学生の頃に彼女を僕のアパートに一晩泊めたことがあるのは、本当です」
「そう、ですか……」
「聞いてください、アイラさん」
彼女は僕を無視して踵を返した。
「あの……今晩は気分が優れないので、これで失礼いたします」
全部話すつもりだった。
だけど、今の状態のアイラさんに話しても、きちんと消化してくれるとは思えなかった。
僕の手は虚空をつかみ、彼女の姿は階段を上がって見えなくなった。
その晩、アイラさんは姉の部屋で眠り、翌日昼からのシフトだった彼女は、初めて早朝に起きてこなかった。




