第22話
頭と体を洗い終わった僕は、シャワーの蛇口を閉じてバスチェアに腰掛けた。
デートから帰宅した後、お風呂には僕が先に入ることになった。アイラさんは買った本を先に少し読みたいらしい。
「ふぅ……」
キスの余韻がまだ残っている。
アイラさんの吐息や、せつない表情。もしあれが車の中じゃなかったら、僕とアイラさんはどうなっていただろう。
「よ、よし……」
僕は深呼吸をひとつした。
そして、そろそろと自分の下腹部に手を伸ばす。
別に誰かに見られているわけではないが、緊張していた。
僕だって男なのだ。仕事が忙しかったこともあるけど、アイラさんがうちに居候するようになってからこっち、ろくに処理をしていない。ムラムラを抑えるのも限界が近かった。
——しておくなら今しかない……。
じっと目を閉じ、宇宙の果ての果てを想像する。
ただ機械的に処理をすればいいんだ。
そう思っているのに、勝手にアイラさんのやわっこい唇と胸の感触が脳裏に蘇ってくる。生理的な欲求に負けてこんな行為に走る自分が心底情けなかった。
でも、こうでもしておかないと僕は今夜にでもアイラさんに襲いかかってしまうだろう。同じ情けないなら、一人で処理して落ち込む方が何倍もいい。
アイラさんの大切な初デートの思い出を、僕の性欲で汚すようなことはしたくなかった。
「……………」
そろそろ……というところで、とんでもないことが起こった。
突然、脱衣所のドアがガラガラと開いたのである。
「失礼します」
アイラさんが戸口に立っていた。髪を結い上げ、浴用タオルで前の部分を隠しているだけで、他は何も身につけていない。
「うわああぁぁぁッ!」
パニックになった僕は、ジャンプをするように飛び上がった。バスチェアにつま先が引っ掛かり、さらにバスマットで足が滑って派手に転んでしまう。
「圭様⁉︎」
口頭部を壁に打ちつけた僕は、そのまま壁にもたれかかるようにバスマットの上に尻もちをついた。
「いっ……」
「大丈夫ですか⁉︎」
大丈夫だけど、大丈夫じゃない。
四つん這いになったアイラさんの顔が目の前にある。彼女の大事な部分を隠していた浴室タオルは桶の脇に落ちてしまっていた。
「な、なななナナナナなんでッ⁉︎」
たわわに垂れ下がったふたつの稜線は、凶悪な破壊力で僕の思考を停止させた。
「本読んでから入るって言ってたじゃないですか!」
「だって、一人で寂しかったから……」
「だからって……!」
「大丈夫です。夫婦はお風呂に一緒に入るものです」
色々ツッコミたかったけど、ショッピングモールで叫んだ手前、どう言い返せばいいかわからない。
「ダメです、アイラさん……ホントに今は、ダメなんです!」
「こんなに、元気なのに?」
それが問題なんです!
目線を下げながら、アイラさんは頬を赤らめた。目は薄く細めているのに、視線はしっかりとソレに注がれている。ああああぁぁァァァ。
「今のうちに、見慣れておいた方がいいと思うんです」
そ、そういうものなのか?
経験がないからまったくわからない。
そんなことを考えながら、僕もまた自然と彼女の桜色の頂きに目がいって、下半身が熱くなるのを抑えられなかった。
見るな、バカ!
見るなー!
さっきアイラさんが脱衣所の扉を開けたから、こんな時に限って湯気がない。彼女の全部が何もかもクリアに視界へ飛び込んでくる。
「あ……」
アイラさんの頬がさらに上気した。
「ぴ、ピクンって、動くんですね……」
もうダメだ。死にたい。
「圭様は、私と一緒にお風呂に入るのは、いやですか?」
違うんです、アイラさん。
僕だって本当はもっとイチャイチャしたいんです。
でももう、暴走しそうなんです。これ以上ムラムラしたら、理性的にやさしくできる自信がないんです。
僕はもう二十四ですけど、童貞ですけど、初めてはアイラさんの思い出に残るように、がんばってやさしくしたいんです。性欲を剥き出しにしてアイラさんの体を自分の好きにするような真似はしたくないんです。
でも僕はむっつりなんです。品出ししてる時だってちょっとエッチな表紙のラノベとかコミック見かけたらチェックしておいてお昼休みにネットでくまなく調べるような阿保なんです。だからちゃんと処理してムラムラが爆発しないようにしてただけなんです。そんな時に大好きな人の裸なんか見ちゃったりしたら、男はこうなっちゃうんです。
「苦しそう……」
アイラさんは上目遣いに僕の方を見た。
僕がどんな顔をしていたのか、自分にはわからない。頭の中がタイフーンなので、もしかしたら物欲しそうな顔をしていたのかもしれない。
「触ります、ね……?」
「へ……⁉︎」
顔にかかった髪をかき上げた後、アイラさんは右手を僕の下腹部に向かって伸ばした。
ヤバい……それだけは絶対にヤバい!
「だ、ダメ……!」
彼女の指先が僕に触れた瞬間、稲妻のような刺激が下半身から全身を駆け巡って、僕は思わず腰を浮かせてしまった。それがマズかった。
僕のさきっちょと、アイラさんの乳房のかわいらしい先端が触れ合い、こすれた。
ふに、と彼女の突起が陥没する。
「ん……」
と。
彼女が小さく喘いで。
僕は真っ白になった。
「あ……ッ!」
あぁー……。
「え……?」
一瞬の沈黙。
きょとんとした表情のアイラさんが、自分の胸元を指でなでる。
「ぬるぬる……?」
「うわああああぁぁぁぁぁーッ!」
電光石火だった。
僕は蛇口を全開にしてシャワーを彼女の胸から全身に向けてかけた。
「ひゃ! ん……! 冷たいです、圭様」
「ごめんなさいでも我慢してくださいすいませんッ!」
うおぉッ! とシャワーをかけまくる。さりげなく自分の下半身へもかけまくる。
水がお湯に変わった直後、僕はアイラさんにシャワーヘッドを渡して戸口の方へダッシュした。
「ごゆっくり!」
「け、圭様?」
扉を開いて脱衣所へ転がり込む。寒風摩擦をするかの如くバスタオルで体を拭き殴る。洗面所や洗濯機に何度も肘や膝をぶつけたが、それどころではなかった。
スウェットを着て廊下へ出たところで、僕はドアに背中を預けながらヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。
「勘弁してくれ……」
やってしまった……。
あんなに健気に、真面目に、僕に向き合ってくれる彼女に。
「あぁ、くそ……」
それでも元気なままの自分に嫌気がさす。
高校三年の秋。
あの日の光景が頭をよぎる。
——気取って、紳士ぶるなよ。お前はヒーローなんかじゃない。ただの腰抜けのグズのくせに。
もう一人の僕がささやいた。
「知ってるよ。それでも僕は……あいつみたいにはならない。それだけは絶対に嫌なんだ」
呼吸が浅くなる。
またこれか。最近は出なかったのに。
気づくと、僕は顔を両手で覆って嗚咽をもらしていた。




