第20話
モール内のレストラン街が混み合っていたので、お昼は比較的空いていたカフェで済ませることにした。僕はBLTサンドイッチで、アイラさんはドリアにそれぞれホットティーとクラムチャウダーをつける。
食事が来るまでの間に、アイラさんはさっそく先ほど購入したブックカバーの袋を開け始めた。
四種類のブックカバーをテーブルに並べた後、アイラさんが対面からチラチラと僕の方を見てくる。
「? さっき買った文庫につけますか?」
「そのぉ……鳥さんのやつ、かわいいなぁ……なんて」
あぁ、なるほど。
僕はクスッと笑ってしまった。
「いいですよ。じゃあ、犬のやつと交換しましょう」
アイラさんがパッと笑顔になる。
「大好き、圭様」
ふいに言われて、ドキリとする。
なぜか口にした本人の方が顔を赤らめて、僕らは同時に下を向いた。
アイラさんは僕が買った文庫に自分のブックカバーをつけた。お互い交換するつもりで、表紙とあらすじで気に入ったものをプレゼントしたのである。
「帰ったら、すぐに読みます」
料理が運ばれてきて、アイラさんは残念そうに言った。冒頭だけでも読むつもりだったらしい。
相変わらず、すごい読書量だな。
「前にも聞きましたけど、映画やアニメには興味ないんですか?」
「興味はあります。ですが、書物は聖典です。私にとって、これを超える文化的精神的活動はありません」
「聖典……?」
「そうです。人は映画や音楽の文化的な相違で肉体的な暴力に及ぶことは稀ですが、書物のために歪み合い、殺し合うことはあります。文字にはそれだけの力があるのです」
妙な説得力があった。
アイラさんのことを思い出してからずっと気になっていたことを、僕は訊いた。
「六年前に僕がプレゼントした『流星群』の文庫って、今はどこにあるんですか?」
「あれは愛の教えを記した聖なる遺産として、天界の大聖堂に飾られています」
異世界恋愛ファンタジーが聖なる遺産になってしまった。
神の国の荘厳な大聖堂にラノベが飾られているのか……。
「紛うことなき愛の自己犠牲の精神を示したあの書物を、己の道に迷った天使たちが熟読することでその魂を清らかに浄化するのです」
考えていたよりもとんでもない祀られ方をしているらしい。
初版だし、今は古本でも手に入らないからまた読みたいなと思っていたのだが、僕は読むのを諦めた。
ゆったり食事を楽しんだ後、アイラさんが行きたがっていた雑貨屋さんでマグカップを購入した。卵型の可愛らしいデザインだったが、それもアイラさんにチラチラと懇願されてピンクとライトブルーのお揃いを買うことになった。
母に見つかったらまた茶化されそうな気がしたけど、まぁいいや。
僕とアイラさんは、こ……恋人同士なんだから。
全てが新鮮に映るらしく、その後もアイラさんは気になるお店に飛び込んでは目を輝かせていたけど、不思議と疲れはなかった。手をつないで歩くのがうれしくて、疲れなんて感じている暇がなかったのかもしれない。
事件はその後に起こった。
甘いもので一息入れようとカフェを探して戻ってきたら、アイラさんがいなくなっていたのである。
「え? まさか……」
エスカレーター脇のベンチで待っていてくださいと伝えたのだが、そういえば彼女は奥の方にあるガチャガチャのコーナーを物珍しそうに見ていた。
「アイラさん?」
アミューズメントコーナーを見に行ってみるが、彼女の姿はない。
僕はだんだん不安になってきた。
トイレだろうか?
それとも、誰かに声をかけられた?
すれ違い様、アイラさんに視線を送っている男は何人も見た。
「アイラさん」
嫌な焦燥感が喉元から迫り上がってきて、僕は早足でモール内を探し回った。
三階から二階へ、二人で回った店を順に回るが、やはり彼女の姿はない。
さすがにモールの外には出ていないはず。
早足が駆け足になる。
もう一度一階まで降り、呼び出しをしてもらうために中央のインフォメーションセンターに駆け込む。
「お連れの方のお名前は?」
受付の女性にアイラさんの特徴と名前を聞かれて、僕は一瞬答えに詰まった。
「アイラ……あの、柏木アイラです」
受付の女性が館内放送の準備をしている時、彼女の姿が視界の端を掠めた。
背中を向けていてこちらから顔は見えないが、アイラさんの隣には男がいた。
高身長でがっしりしている。そいつに向かって、アイラさんは泣き出しそうな顔で何かを訴えていた。
嫌がる彼女を無理やりナンパしているのだ。
「ふざけんなよ……!」
《居無井町よりお越しの、柏木アイラ様……》
気づくと、僕は二人に向かって駆け出していた。
「あ、圭様……」
僕に気づいたアイラさんが顔を輝かせる。
《お連れのお客様がお待ちですので、一階インフォメーションセンターまでお越しください……》
男が振り返るよりも先に、僕はそいつを押し飛ばすように割って入ると、アイラさんの肩を抱き寄せた。
「お前! 僕の奥さんに何してんだよ!」
《お前! 僕の奥さんに何してんだよ!》
とんでもなく大きい声が出た。
あまりの声量に、インフォメーションで繋がったままだったらしいマイクを通して、僕の怒声が館内中に響き渡った。
一瞬、モール全体がBGMだけを残して静まり返る。周囲の全ての目が僕に集まる。
「え? いや……あの」
「店長?」
男の声に、僕は目を剥いた。
目の前に立っていたのは、辻君だった。
「な……んで?」
彼の鋭い目つきが安堵に緩む。
「よかった。アイラさん、迷子になってたみたいで、たまたまトイレのあたりで見かけたから、一緒に店長のこと探してたんスよ」
あんぐりと僕の口が開く。
「なんかさっき店長っぽい声が響いてたけど、なにあれ?」
田丸さんが通路の奥からこちらへ走ってきて、僕はさらに顔面蒼白になった。
「あ、店長いたんだね。よかったぁ、アイラさんずっと泣きそうになって震えてたから。もぅ、ダメですよ、店長。初めて来る場所で女の子一人にしたら」
「う……いや、面目ない……」
「圭様……」
とてつもない視線を感じて横を向くと、僕の腕の中でアイラさんが神々しいほど純粋な瞳で僕を見上げていた。
顔は真っ赤を通り越して緋色がかっている。
「うわぁ! すいません!」
人前でなんてことを。
僕は慌ててアイラさんから飛び退いた。
「今、私のことを妻と……?」
奥さんと叫んだのだが、大差なかった。
「彼女」と言わなかったのは、その方がナンパ目的の相手なら引き下がるだろうと咄嗟に思ったからなのだけど。
——しまった。館内放送でモール内に響き渡ってしまった……。
「……!?」
僕と辻君と田丸さんが同時に目を丸くする。
アイラさんがハラハラと涙を流し始めたからである。
「辻君も田丸さんもありがとう。ちょっとごめんね!」
僕はインフォメーションの受付の女性に会釈だけすると、エスカレーターの奥の通路へアイラさんを引っ張っていった。
「ひっく……」
とうとう泣きじゃくり出したアイラさんの目元をハンカチでそっと拭う。
「一人にして、すいませんでした。でも……心配しました」
「ごめんなさい……」
俯いてしまう。
「何か、買いたいものでもあったんですか?」
つい詰問するような口調になってしまった。
「あぅ……」
アイラさんは少し逡巡した後、カエル柄のトートバックから小さなチューブを取り出した。
それは、ハンドクリームのようだった。
「甲斐田さんたちから、本を扱う仕事は手が荒れやすいって、ダンボールや紙で指から血が出る時もあるって、聞いてたから……」
ぐすん、とアイラさんは僕を上目遣いに見る。
「手つないだ時に、圭様も荒れてるのかなと思って……これをさっき見かけて、プレゼントしたいと思ったんです」
「アイラさん……」
こういう気持ちの時は、どうするのが正解なんだろう?
僕はアイラさんの頭をそっとなでた。
くすぐったそうに、彼女は目を伏せる。
「うれしいです。でも……心配しましたからね」
「お、おあいこです。このあいだ、圭様だって、倒れて、私は心配したんですから」
「そういえば、そうですね」
ふふっと僕らは笑い合った。
僕は指先をアイラさんの頭から頬へと滑らせた。
「アイラさん……」
「圭様……」
目を閉じたアイラさんに顔を近づけようとした時、視線を感じて僕らはバッ! と体を離した。
「ち、バレたか……」
田丸さんと辻君がうふふと口に手を当てて、柱の陰からこちらを見ていた。
「ていうか、奥さんって言ってたよね?」
「店長に殺されるかと思いましたよ、俺」
「アイだよ、アイ。やっぱ結婚してないっていうの、うそなんじゃないかなぁ」
アイラさんはピンク色のほっぺに両手を当てた。
田丸さんと辻君こそ、ショッピングモールで何をしていたんだろう? 二人でよく出かけるんだろうか?
「いや、我々のことはおかまいなく~。なんかすごく充電できました。次の薄い本に使えそうです」
「おかまいなくできるか!」
僕は叫んだ。
「まぁ、でも、二人ともありがとう。飲み物でもおごるよ」
「やた! あたしフターバックスがいいです!」
「フターバックス?」
「フラッペがおいしいんですよ~。アイラさんも一緒に飲みます?」
「それはストローで飲むものなのですか?」
「そですよ。甘くてシャリシャリの。せっかくなんで飲み比べしますか!」
女子二人が盛り上がっている横で、辻君は少し焦ったような様子で僕から目を逸らしていた。
「もしかして……田丸さんとデートだった? 邪魔しちゃって大丈夫?」
「デート……とは、違うと思います」
なんだか歯切れが悪い。
「田丸さんはこれからシフトですし、気にしないで大丈夫っス」
「圭さ……店長てんちょう」
調子を取り戻したアイラさんがこっちを振り返る。
「どうしました?」
「あのガチャガチャっていうやつ、やってみたいです!」
やっぱりやりたかったのか。
「いいですよ。田丸さんと辻君の分もお金出してあげるから、みんなで一回ずつね」
うちの従業員三名からわっと歓声が上がった。
やれやれ。
田丸さんと手を取り合ってはしゃぐアイラさんを見ながら、僕はふっと目を細めた。




