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第19話

 事務用品が入ったダンボール二箱をトランクに詰め込んだ後、僕とアイラさんは車に乗り込んで一息ついた。

「つきあわせてしまって、すいません。おかげで助かりました」

 平日の昼下がり。

 休みを利用して、僕とアイラさんは買い出しついでにドライブへ出かけていた。

 隣町に事務用品の問屋があり、レジやバックヤード周辺の消耗備品を定期的に買いつけて補充しているのである。チェーン店がやっているように、文具事務の業者と契約して備品を届けてもらうことも可能なんだけど、今のうちの売上では一ヶ月に一度、こうして直接問屋で仕入れる方が安く維持できてしまう。悲しいかな、うちの商圏は狭いのである。

 ──ただ、アイラさん目当てで最近学生とか工場勤務のお客さんの数が増えてるんだよな……。

「大丈夫ですか? 気難しい顔をされていますが」

 左を向くと、助手席から身を乗り出したアイラさんが僕の顔を覗き込んでいた。

 今日も距離が近い。息がかかりそうだ。

「あ……」

 鼻先が触れ合いそうになって、しかし恥ずかしそうに身を引いたのはアイラさんの方だった。

 頬を赤らめながら、窓の方を向いてしまう。

 昨夜、僕の秘蔵していたえっちぃコミックに目を通してから、アイラさんの僕への態度は明らかにおかしかった。

 結局布団は別々に寝たし、朝食時に目が合った時も恥ずかしそうに目を逸らされてしまった。

 つまり、アイラさんは成長途上なんだろう。

 今まで小学生レベルだった知識や倫理観が、昨夜を経て中学高校生くらいにまでアップデートされたと考えればしっくりくる。

 それは要するに、ちゃんと僕が一人の男として認識されたってことなんだろうけど……。

「車、出しますね」

「はい……」

 大丈夫。別に嫌われたわけじゃないんだ。

 僕は気を取り直してアクセルを踏み込んだ。


「ふおぉぉ〜」

 ショッピングモールに入った時、アイラさんは長く前方へ続く吹き抜け三階層の店内を見て口を三角形にした。

 隣町にこの大型モールが出店してから一年になるけど、平日にもかかわらず駐車場は平面どころか立体駐車場まで八割方埋まっていて、店内にも子供連れの親子や大学生らしいカップルが溢れている。相変わらずの繁盛ぶりだった。

 キョロキョロして落ち着きがないアイラさんの手を引いて、エスカレーター脇のインフォメーションまで移動する。

 昨日オムライスを食べながら一緒にスマホで下調べをしておいてよかった。

「アイラさんが行きたいところは、ほとんど二階と三階にありますね」

 コクコク、とアイラさん。

 姉の部屋のインテリアに影響を受けたのか、雑貨屋を中心に見たいらしい。

 アパレルショップが候補に入っていなくて、僕は少しほっとしていた。自慢じゃないが、ファッションというものにまったく自信がない。似合っているかどうかもわからないジャッケットに安物のデニムを合わせるのがせいぜいだ。

 アイラさんは、ハイネックのセーターにゆったりしたエスニック風のロングスカートを着こなしていた。全てファッションセンターかわむらで調達したもののはずだが、アイラさんが着ているととてもファストファッションには見えない。

 ハッと目を引くような鮮やかさが彼女にはある。入口からここまで歩いてくるだけでも、何人もの男性が彼女を振り返っているのを僕は見ていた。

 みっともないと、自分でも思う。

「あと……」

 液晶掲示板の地図の端を、アイラさんは遠慮がちに指差した。

「本屋ですね。僕も見たいので、まずそこから行きましょうか」

 ここのモールに入っている書店はインショップ中心に出店しているナショナルチェーンで、特にファミリー向けに児童書の品揃えを強化しているのが特徴的だった。

「広いのですね」

「そうですね。うちの三倍はあります」

 解説をしながら、書店の店内を一緒に見て回る。同業者とバレるのが憚られて、自然と小声になった。

 出版不況の昨今では、どこも棚の品揃えが変わり映えしなくなってしまったが、それでもうちのような弱小書店では維持できない商品をお客さんに提供できているのは羨ましかった。

 今も本を読む人の需要が完全になくなっているわけではない。僕の店だって、町の人たちにふらっと立ち寄ってもらえる場所であり続けたいと思う。

「柏木書店にはないタイトルがたくさんあります」

 アイラさんにとっては宝の山だろう。ちょっと嫉妬してしまう。

「中堅作家の初期作品の掘り起こしとか、カバー替えでのしかけですね。内容もいいので、うちでも売れそうですね」

「……パクリますか?」

「パクるだなんて人聞きが悪い。良い作品を世に広めるための布教活動ですよ」

 こういう時に仕事目線で売場を見てしまうのは職業病だと思う。

「これは?」

 文庫本のフェア売場でアイラさんは立ち止まった。

 コーナーの一角に、文庫のブックカバーと栞がセットになった雑貨が併売されている。

「本の外側につけて傷とか汚れがつかないようにするんです」

 僕も大学の頃までは無料でもらえるものをよく使っていたけど、そういえば家にはちゃんとしたブックカバーがないかもしれない。

「買いますか?」

「いいのですか?」

 キラキラした瞳でアイラさんが僕を見上げてくる。

(う、わ……)

 そのあまりの無邪気さに、僕は思わず彼女から目を逸らしてしまった。

 くそ。

 ——キスしたい……。

「せ……せっかくなので、じっくり選びましょう」

 文庫と単行本サイズの二種類を買うことにした。少し値が張るけど、こういうのは何年も使えるものがほとんどだから、気にしないようにする。

 アイラさんは「ふふ」とか「むは」とか言いながら楽しそうに吟味していた。

 そこそこ種類があり、最終的に彼女が選んだのは猫のイラストに水玉模様の刺繍が入った文庫のブックカバーだった。単行本はそれの犬バージョンである。

「ん?」

 文庫も一冊ずつ選んでレジ待ちの列に並んだ時、アイラさんの手元にブックカバーと栞のセットが四つあることに気づいて、僕は首を傾げた。

 猫と犬の他に、ハリネズミと鳥のデザインのものがアイラさんの手の中に収まっている。

「あの……お、お揃い!」

 いたずらがバレた子供のように、アイラさんが頬を赤らめながら手にしたブックカバーの束で目から下を隠す。

「昨日みたいに、一緒に読む時……お揃いにしたい、です」

 意味がわかって、僕は耳まで真っ赤になった。

「それは……い、いいですね」

 ぱあっとアイラさんの顔が輝く。

 そうか、こういうペアルックもあるのか。

「どーくしょ、どくしょ♪」

 レジでお会計を済ませる時、ウキウキした表情のアイラさんを見たカウンタースタッフの女性が、僕にふふと笑顔を向けた。

 今更意識したけど。

 これは、デートだ。

「大事にします」

 店を出て、ぽかぽかした様子のアイラさんと並んで歩く。一階のレストランに行くつもりでエスカレーターに乗った時、弾みでアイラさんの右手が僕の左手に触れた。

「あ……」

 お互い小さく震えた後、目が合う。

 エスカレーターの前後に他の客はいなかった。

「……………」

 俯くアイラさんの顔は赤く、そっと差し出された彼女の右手を、僕もまた俯きながら左手で包み込んだ。

「ふみゅ……」

 と妙な声をもらし、指先を恋人つなぎで絡めたのはアイラさんの方からだった。

 エスカレーターを降りた時、僕とアイラさんはカップルになっていた。

 左手から全身に熱が広がる。

 ——これは……。

 アイラさんは少し、ウブになった。

 だけど。

「つないじゃいました」

「は、はい。つないじゃいました、ね」

 天使の笑顔で、アイラさんは顔を上げた。

 困った。

 恥じらう今のアイラさんの方が、断然破壊力が高いのだ。

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