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第14話

 六年前の冬。

 星が瞬く夜空から降ってきたのは、隕石ではなく、天使だった。


   ◯


 高校最後の冬休みだった。

 あの日、店の前にある溜め池のベンチで項垂れていた僕の前に、突然巨大な水柱が上がった。

 尋常ではない量の水飛沫が舞って、僕自身もずぶ濡れになった。何かが落ちてきたことはすぐにわかった。

「な、んで……?」

 池の真ん中に女の子が浮かんでいる。僕は慌てて池の中へ飛び込んだ。


 彼女が僕の家にいたのはたったの二週間だった。

 目の焦点が合っていない。表情がない。喋らない。動かない。脇腹から血が出ているのに微動だにしない。機械みたいな女の子だった。

 ただ、ギリシャ神話の名画でよく見る天女みたいな白い装束と、背中から生えた純白の翼が、彼女が普通の人間ではないことを物語っていた。

 その翼も、左側が折れかかっていた。

「いいじゃないか、お前が面倒見てあげれば」

 彼女に包帯を巻き終えた姉が、また無責任なことを言った。

「こういうのって、普通警察じゃないの?」

「この翼はどう説明する? 国が管理している研究施設にでも送られて、人体実験されるのがオチだぞ。そこにやってくる秘密結社のスパイたち。謎の地球外生命体を巡って、血で血を洗う抗争の始まりだ。やめといた方がいいと思うなぁ、あたしゃあ」

 それに、と姉は付け加えた。

「大竹山の方にも流れ星のようなものが落ちたのが見えた。ゾクゾクするねぇ、謎と不思議と浪漫があたしを呼んでいる」

 なぜか父と母もしばらく彼女を保護することに反対しなかった。家出かもしれないし、捜索願いが出されていないか確認するというのである。感情がないのはDVなどで精神的に衰弱しているからという可能性もあるから、少し様子を見た方がいいと。

 ——翼を持った女の子の捜索願いってなんだ?

 姉が好きな「未確認生物」とか「地球外生命体」という言葉が頭をよぎる。

 両親の物言いには何か引っかかったが、僕らは彼女をしばらく保護することにした。

 今ならわかる。

 僕は、彼女の無感動な瞳に自分を重ねていたのだ。


 彼女は食事を摂らなかった。

 ベッドへ横になることもせず、眠る代わりに翼で体を卵のように覆い隠して何時間もじっとしている。そうじゃない時は、ただベッドから体を起こして、窓の外をじっと見ていた。

 体を修復しながら何かを探している——そんな風に見えた。

 姉は大竹山を調べるからと連日出かけたっきり。僕はといえば、手持ち無沙汰に部屋の隅っこで本を読んでいるだけだ。

 長く店の手伝いをしなかったのもこの時くらいだっただろう、下手に外へ出て高校のクラスメイトや……あの子に会いたくなかった。

「……………?」

「え……?」

 数日経った時、彼女が僕の読んでいる文庫本をじっと見ていることに気づいた。

「これですか?」

 持ち上げて、近づける。

 イエス岸本という新人作家のデビュー作『流星群』。

 異世界に飛ばされた主人公が、魔族の女の子と恋に落ちる。けれど主人公が飛ばされた世界の物語は、勇者一行がラストダンジョンに挑戦する終盤近く。勇者が魔王を倒せば、魔族は消え、自分も元の世界へ還されてしまう。

 勇者と魔王の一騎打ち。魔法が流星群のように世界中に降り注ぐ中、主人公とヒロインの魔族の女の子はデートをする。そして勇者が魔王を討ち倒し、世界の闇が明けるのを見ながら、二人は抱き合い、キスをして……。

「……さよならの言葉と同時に、二人は消えてしまうんです。だけど、元の世界に還った主人公のクラスに、そのヒロインが転生していて、主人公がそれに気づくところで終わるっていう、愛の物語なんです」

 話し終えてから、急に恥ずかしくなって僕は顔を伏せた。

 またやってしまった。調子に乗ってベラベラと喋りすぎた。バカみたいだ。

「え?」

 気配を感じて顔を上げると、彼女が小首を傾げながら僕の顔を覗き込んでいた。

 無表情のまま、口をパクパクと開いている。何かを話しているようだったけど、周波数でも違うのだろうか、僕には聞こえなかった。

「ア……」

「……?」

「ア、イ……?」

「そう……そうです。愛……ええと、じゃあ……」

 英語ならどうだろう?

 よく考えると天使相手に英語だろうが日本語だろうが大差ない気がするが、外国の人に翻訳するようなつもりで、僕は言った。

「アイ・ラブ・ユーです」

「アイ、ラ……」

 アイラ——と繰り返した後、初めて彼女は。

 かすかに微笑んだ。

 それは、天使の笑顔だった。


 それから、僕は彼女に自分が好きな本やアニメや映画のことを話して聞かせた。

 反応は少ししかなかったけど、時折興味深そうに頷いてくれるのがうれしくて、僕は飽きることなく話し続けた。

 やがて彼女の翼の傷が癒えた頃——。

「大竹山の植物が大量に枯れている」

 チョモランマでも登頂するつもりなのかとツッコミたくなるほどの登山用装備で帰宅した姉が言った。

「しかも、枯れる範囲が拡大しているようだ。本当に、何かいるのかもな、あの山」

 姉の言葉に彼女が反応していたのを、僕は見逃した。

 彼女が僕の部屋から姿を消したのは、その日の夜のことだった。


 なんで走ってるんだろう?

 ぜぇぜぇと息を乱しながら、僕は自問する。

「大竹山の方に飛んでいくのを見た」

 と姉は言った。

 追いかける必要も義務もなかった。別の場所に行ったのかもしれない。

「まだ……お、礼……言ってない……!」

 僕はただ、話を聞いてくれて、うれしかったのだ。

 自転車のペダルを漕ぐ足はすでにパンパンになっている。リュックがズシリと肩に食い込む。なんで本なんか詰めてきたんだ。

 登山道の中腹に差し掛かった時、頂上付近で白い爆炎が発生したのが見えた。山全体が揺れている。

 全力で立ち漕ぎする。展望台まで辿り着いた時、居無井町の寂しい夜景を背景に、翼を広げた彼女がこちらを振り返った。

 展望台は放射状に陥没し、その中心に彼女がいた。

「あの……!」

 息が苦しい。言葉が出てこない。

 僕が喋るよりも先に、夜空を切り裂いた白い円柱が彼女に向かって降り注いだ。あまりの眩しさに目を背けそうになる。

「アイ、ラ……」

 僕に向かって、彼女が微笑む。その表情が儚く寂しげに見えたのは、ただの僕の願望かもしれない。

 光の円柱が彼女を包み込んでいく。僕は咄嗟に自転車を飛び降り、リュックの中から『流星群』の文庫を取り出して彼女に駆け寄った。

「これッ!」

 彼女の体が浮かび上がる。

 僕が伸ばした手から、彼女は『流星群』を受け取った。

「ありがとう!」

 また、会えるかな?

 聞こえたかどうかはわからない。

 でも、彼女はもう一度だけ、微笑んだ。

「アイラ……ケ・イ……」

 直後、彼女は光の中へと溶け込み、やがて白い円柱ごと空へと昇っていった。


 これは忘れられた物語。

 その後、僕や姉だけでなく、町全体から彼女に関する記憶はなくなり、彼女が作った破壊痕は全て隕石の仕業に書き換えられていた。


   ◯


 そうか。

 僕は彼女を忘れたくなくて。

 あんなに必死になって、原稿用紙に書き殴っていたのか——。


「圭様」

 彼女が呼んでいる。

 伝えなきゃいけないことがある。

 僕はとてもやさしい気持ちで、ゆっくりと目を開いた。

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