第13話
夜風が頬に気持ちいい。かなり酔っているのかもしれない。
アイラさんをおんぶしながら、僕は家路についていた。
他のみんなは二次会と称して居酒屋「幸子」の隣にあるスナックへ雪崩れ込んでカラオケに興じることに決めたようだったが、アイラさんがへべれけになっていたので、僕は彼女を連れて帰宅することにしたのである。
「むひゅひゅひゅひゅ」
変な声を出しながら、アイラさんが上機嫌で僕の頬を人差し指でクリクリとなでている。顔が赤くならないだけで、彼女がとんでもない下戸であることはわかった。
しばらくのんびり歩いた。おんぶがそこまで苦ではないことに驚く。日頃から本がたっぷり詰まったダンボールを持ち上げる仕事をしていてよかった。
「仕事はどうですか?」
前を向いたまま、僕は訊いた。
「……たのひいでふ。みなさん、よくひていただけふので……」
以前はヴァルキリーをしていた——とアイラさんは言った。業務という言い方は変かもしれないけど、どういった仕事内容だったんだろう?
国道沿いを進み、観光客向けに作られた道の駅の前まで来た時、僕は思わず歩く速度を落とした。
道の駅自体は営業を終了していて、公衆トイレと自販機のあたりにだけ寂しく電灯が点いている。広い駐車場の手前に大型のバンが停まっており、そこにいかにも柄が悪そうな男が三人たむろしていた。
よそ者だろうけど、この手合いの連中が集まっていることがたまにある。
嫌なタイミングだった。
「うぉ、かわいー」
引き返そうと思ったが、間に合わなかった。男の一人がアイラさんに目をつけて声を上げた。
心臓が少し速くなる。
どうするか。もう少し先に交番がある。駐在員の人とは懇意にしているから、連中がもう少し近づいてきたら、大声を上げながら走り抜けて、アイラさんだけでも保護してもらえるように立ち回るか。
「おねぇーさん、酔ってんの?」
「やめろよ」
「おほ、こわーい」
おちゃらけた調子で言いながら、しかし男は凄みを利かせて僕を睨みつけた。
僕は男から目を逸さなかった。喧嘩っ早い仁志のおかげで、昔からこういう事態には慣れている。
ち……と男が舌打ちをもらす。多分、次は殴りに来るだろう。いつでも叫べるように身構える。
「ねぇ、おねぇーさん、オレらといーことしよーよ?」
「それはわたしとおつきあいをしたいということでしょうか?」
僕の背中でアイラさんが顔を上げた。
すっげぇ美人……と後ろの男たちが嬉しそうに下品な笑みを浮かべている。
「そーそー。おつきあいしたいんだよねぇ」
「申し訳ありませんが、わたしは圭様に操を立てておりますので、お断りさせていただきます」
「そー言わないでさぁ。まぁ、嫌がっても連れてくんだけどさぁー、合意があった方が楽しいじゃない?」
こいつら。
悔しいけど、腕力では勝てない。僕が大きく息を吸い込んだ時、アイラさんがぼそりと呟いた。
「アンドレ」
ドウッ! と唸りを上げて、アイラさんを中心に突風が巻き起こった。
直後。
アイラさんの背後から巨大な何かが出現した。
「へ……?」
男たちが僕の頭の後ろを見上げている。つられて僕も振り返った。
鋼のような体つきをした、屈強な上半身だけの巨人が男たちを見下ろしている。純白のボディがその異質さを際立たせていた。
顔は彫像のように中性的で、男性なのか女性なのか判断がつかない。そもそも性別がないのかもしれない。顔の両サイドには、耳の代わりに小さな天使の翼が生えていた。
守護霊? それとも召喚獣?
「ウィィィィーザァァァァーッ!」
謎の奇声を発しながら、巨人は引き絞った右腕を振り下ろした。
風が唸り、剛腕が加速する。アイラさんを口説こうとした先頭の男の真横の地面に拳が叩きつけられ、「ズズン!」と地震のように辺り一帯が大きく震えた。
男の脇のアスファルトは、マンホール大の大きさに激しく陥没していた。
「は……?」
なんの反応もできなかった先頭の男のジャケットが、数秒遅れて爆発したように千切れ飛んだ。巨人の拳が掠めたらしい。
「NTR。ダメ。ゼッタイ」
アイラさんがぼそっと呟き、男たちは悲鳴を上げながら後方のバンへ飛び乗った。
「ばばバケモンだ!」
「出せ、早く!」
「押すなよ、バカ!」
急発進したバンが走り去っていく。
両肘を脇につけた巨人の上半身がムキムキと膨らんだ。
「オウェイシィィィースッ!」
カッ!
と見開いた巨人の両目が光る。
次の瞬間。
巨人の双眸から眩い閃光が迸った。
「ビ……」
ビーム出たああァァァーッ!
一瞬だった。
巨人が放った光線はバンのルーフを掠めて溶かし、遥か遠方にそびえる山の中腹部分に炸裂した。
白い爆炎が夜空を真昼のように照らして爆裂音を撒き散らした後、鮮やかに消失する。
「ぎゃあぁぁぁーッ!」
走り去るバンから絶叫が響く。
「戻りなさい、アンドレ」
「イエス、シスター」
ニルヴァァァーナッ! と叫びながら、巨人は瞬きの間に姿を消した。
「なんだ!」
「飛行機事故か⁉︎」
道路脇の民家から、異常を完治した近隣住民が外へ飛び出してくるのが見えた。
「むにゃむにゃ……うふゅふゅ、圭様……」
酔いが覚めたわけではなかったらしい、アイラさんは僕の背中で寝息を立て始めた。
僕はあんぐりと口を開けながら、巨人が作った山の中腹の破壊痕を見ていた。
クレーターのような円形。
それは大竹山の隕石の跡に酷似していた。
——思い出した……。
六年前の冬。
星がきれいな夜だった。
「お疲れ様です、店長」
レジの点検を終え、店内整理をしているところでアイラさんが出勤してきた。
僕の前までパタパタ駆けてくると、今日も律儀に背筋を伸ばして頭を下げる。
「おはようございます。家の鍵、ちゃんと掛けられましたか?」
町は数日前に突如出現したふたつ目のクレーターの件で大騒ぎだったが、予定通り今朝から両親は父方の実家へ手術のために里帰りした。僕とアイラさんのシフトの時間を別々にしたのは、別に両親の帰省があったからではなく、彼女の研修期間が終わったからである。
これからはアイラさんにも一戦力として勤務してもらわなきゃならない。店の責任者として、そこに私情を挟んではいけないのである。
——そうだ、プライベートな感情を挟んでは……。
「? どうかされましたか?」
アイラさんが僕を上目遣いに見つめてきて、僕は耐え切れずに目を逸らした。
アイラさんがなぜ僕に固執するのか? 僕のことを以前から知っているような素振りを見せるのはなぜなのか?
その答えを思い出したことを、僕はまだ彼女に言い出せないままでいた。
「アイラさん」
「はい」
「今日の勤務が終わって家に帰ったら、お話ししたいことがあるんです」
今夜だ。
ちゃんと伝えなければ。
「店長?」
その時、なぜかアイラさんの顔が斜めになった。
あれ……?
ふいに体から力が抜けていく。
違う。アイラさんが首を傾げたわけではなく、僕の体が傾いているのだ。
「圭様!」
側頭部を激しく床に打ちつけた気がしたけど、痛みは感じなかった。
〝泣かすなよ。体だけは大事にしろ〟
父に言われた言葉が脳裏をよぎる。
そこで僕は完全に意識を失った。




