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沢子ノ御湯

 「さはこのみゆ」は、有名な歌枕であるが所在地が定かではない。


 曾良が知っているだけでも、三つほどの候補地がある。


 岩城いわきにあるという説。


 今回の旅の途中に立ち寄った、飯坂温泉にあるという説。


 そして、仙台で世話になった俳人・加右衛門かえもんにもらった地図によれば、ここ鳴子温泉こそが歌枕「沢子ノ御湯さわこのみゆ」であるという。


「沢の音は、微かに聞こえてきますが……元は『沢子』という地名だったのが、次第に『鳴子』と呼ばれるようになったのでしょうかね」


 曾良は雲間から覗く満月を眺めながら、物思いにふけっていた。


「付き合ってもらって、すまなかったの。ありがとう」


かわやから出てきた狐娘が、珍しくそんなことを言うので、曾良は少し驚いた。


「いえいえ、このくらいお安い御用ですよ。どうしたんですか、急に」


「……我も世話になった相手に礼くらいは言うが?」


少し頬を膨らませて、狐娘は答えた。


 独りで厠に行きたくないと言い出した狐娘に無理矢理起こされた曾良だったが、そんなことを言われては腹を立てる気も起きない。


「すみません。失礼なことを申し上げました。……明日も早いので、戻って寝ましょうか」


そう言って部屋へ戻ろうとする曾良の袖を、後ろから狐娘が引く。


「いや待て、誰か来る」


狐娘がそう言って、曾良とともに身構えた時である。


 旅籠の暗い廊下の曲がり角から、小さな行燈を手に影が一つ出てくる。


 影は、ゆっくりとした足取りで、こちらへと距離を詰めてくる。


「あっ……こんばんは」


こちらに気付いて小さく会釈をした影は、まだ声変わり前の男の子であった。見れば、小さく身体を震わせている。


「ごめんなさい。厠を探して迷ってしまって……」


もう我慢の限界らしい様子の男の子を、曾良と狐娘は厠へと案内してあげた。


「慌てて落ちないように気を付けるんじゃぞ」


男の子が足元を見やすいように、行燈で照らす狐娘。


「ありがとうございます。……あの、もしよろしければ、それがしが用を足し終えるまで、近くにいてくださいませんか」


「こんな真夜中に厠で一人というのは心細かろう。仕方ないのでそばにいてやろうぞ」


 先ほどまで自分が似たような立場だった狐娘だが、そんなことは微塵も感じさせない堂々たる発言であった。男の子は、そんな狐娘に何度もお礼を言っていた。


 これも何かの縁かもしれないと考えた狐娘は、厠から出てきた時に男の子に名を尋ねてみることにした。


 助三郎。男の子はそう名乗った。



 無事に厠から出てきた男の子を部屋まで送り届け、狐娘と曾良は自分たちの部屋へと戻る。


「これはいったい……」


 戻った二人はすぐに気付いた。部屋が何者かによって荒らされていたことに。

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