形沼
「ところで、この辺りに不思議な石や岩の伝説はありませんか?」
曾良が旅籠の主人に尋ねてみると、しばし考えた後に教えてくれた。
「石や岩の伝説は知んねぁー。温泉の裏山には竜神様の住む沼があるども」
形沼と呼ばれるその沼では、たびたび沼底から竜神様が機織りをしている音が聞こえてくるのだという。
トントン、シャー
トントン、シャー
織機は、糸を縦横に交差させて布を作り上げていく際に独特の音が鳴るものである。
沼の近くの住人が機織りをしている音なのではないか、と思った曾良は尋ねてみるが、旅籠の主人が知る限り、沼の付近に人は住んでいないらしい。
「たしかに不思議な沼じゃのう。しかし、音が聞こえてくるだけで無害な怪異……というわけでもないのじゃろ?」
狐娘の問いかけに、旅籠の主人は言葉を詰まらせた。図星だったようである。
「その機織りの音聞いだ者は、三年のうちに亡ぐなってすまうのだ」
旅籠の主人の言葉に、曾良は背筋が冷えた。
「……聞いただけで、死んでしまう怪異ということですか?」
これまで、殺生石の欠片探しをする中で様々な伝承や、伝承に語られるような存在と出会ってきた曾良だったが、直接的に命に関わるような伝承は少なかったので油断していた。
「なるほどのぅ、何やらずっと山の向こうに妙な気配があると思っておったが……」
狐娘は意味深なことを言いつつ満足げに頷いていたが、曾良は気が気ではなかった。
「お九さん、気付いていたなら言ってくださいよ」
「なんじゃ、怖がっておるのか? 子どもじゃあるまいし……。心配せずとも、おぬしが山の方へ行こうとしたなら、きちんと止めておったわ」
子どもをあやすような仕草で、狐娘は曾良の頭を撫でる。
曾良は一瞬、ムッとした表情を浮かべたが、狐娘の撫で方は思いのほか心地よく、すぐにされるがままになってしまった。
かつて朝廷の男たちをも骨抜きにしたという傾国の力は、決して尻尾に宿る妖力のみによるものではない。長い年月をかけて身につけた、男を操る様々な技術は健在であった。
ふたりの様子を呆然と見つめていた旅籠の主人に『魅了』を使いつつ、狐娘は「知っていることを全て話してほしい」とお願いした。
旅籠の主人が快く教えてくれた内容は、以下のとおりである。
かつて、とある仙台藩主の姫が小姓と恋に落ちた。
姫には藩主が決めた許婚がおり、小姓との恋は到底認められるものではない。
そうして、姫と小姓は、ひっそりと二人で家を抜け出すことにしたのだが、この辺りまで逃げてきたところで、ついに捕まってしまう。
二人は打ち首となり、姫の首は形沼へ、小姓の首は花渕山の沼へと捨てられた。
それ以来、毎年四~五月頃になると、花渕山の沼に住まう小姓の亡霊が、形沼を訪れて一晩の逢瀬をするようになる。
機織りの音は、その晩に沼の底から響いてくるのだという。
「なぜ逢瀬が機織りの音に繋がるのかは分からぬが、どうやらふたりの逢瀬を邪魔する者に罰を与えておるようにも思えるのう。まあ、沼に近付かなければ関係のない話じゃろ」
トントン、シャー
トントン、シャー
その晩のこと。
どこか遠くから機織りの音が響いてきた気がして、狐娘は布団から飛び起きた。
「のう。曾良よ。早く起きぬか」
「どうしたんですか、お九さん?」
隣に眠る曾良を手探りで揺り起こすと、すぐに曾良の声が聞こえてホッとする。
「いや、その、我の気のせいじゃとは思うのじゃが、外から変な音が聞こえておらぬか?」
「……いえ、全然聞こえませんが」
曾良は寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。耳をすましてみるも、障子戸の外からは特に何の音も聞こえなくなっていた。
「まさか、お九さん、先ほどの話を思い出して怖くなった……なんて言いませんよね?」
「そっ、そそ、そんなわけないじゃろうが……子ども扱いするでないわ」
狐娘は深夜なので小声で反論するも、ふと思い出したように身震いして、それから曾良の袖を小さく引っ張った。
「どうしました?」
「その、少しだけ、厠に付き合ってほしいのじゃが……」




