平泉(十九)
「芭蕉先生。具合でも悪いのですか」曾良が俯いている芭蕉を心配して声をかけてくれるが、芭蕉は首を横に振るばかりであった
「大丈夫です。……行きましょう」芭蕉は少しだけ涙声になっていたが、先を行く案内の僧とともに、確かな足取りで光堂へ続く石段を登っていく。
案内の僧が教えてくれる。
建武四年(一三三七年)、南北朝時代の争乱の中で発生した山火事により、あたり一面は禿山となった。中尊寺の伽藍もほとんどが焼失したという。
しかしながら、金色堂とその近くに建っている経堂だけは辛うじて被害を免れたらしい。
(拙者の歌だけではない。多くの人々が繋いできた想いが光堂を守ったのでしょう。この鞘堂自体がその揺るぎない証拠です)
この五百年、山火事などから二堂を守るために尽力した人々のことを想像すると、自然と涙が込み上げてくる芭蕉であった。
「さあ、こちらから中へお入りください。お入りいただけるのは、ここまでとなりますので、それより先には進まないようにご注意ください」
僧の案内で鞘堂に入った芭蕉と曾良は、光堂を目にして息を呑む。
入口から差し込む薄明かりを反射して、鞘堂の中の暗がりにあってもなお金色に輝く光堂が、そこにはあった。
金に輝く様々な仏像とともに、柱や内装も絢爛豪華であった。
「中央壇には初代・清衡公、向かって左手には二代・基衡公、右手には三代・秀衡公の御遺体が安置されております」僧は言う。
五百年という途方もない時間が過ぎたことを感じさせぬ荘厳さが確かに残されていた。
江戸を出る頃には「光堂を前に一句を詠みたいものだ」などと考えていた気がするが、実際こうして目の当たりにしてみると、とてもそんなことはできそうにない。
無言のまま、芭蕉と曾良は手を合わせていた。この光景を目の当たりにしたら、誰もがそうせざるをえないだろう。
目を閉じると、金色の中に、清衡公、基衡公、秀衡公の姿を幻視してしまうような、そんな幻想的な空間であった。
「また、三代・秀衡公の棺には、和泉三郎として有名な忠衡の首桶も納められております」僧が教えてくれる。
「なるほど……」曾良が頷く。「泰衡によって討たれたという秀衡公の三男・忠衡ですね。秀衡公の遺言を守り、義経側に立って戦った武士の鑑であると芭蕉先生も以前おっしゃっていましたね」
確かに、勇気、義理、忠義、孝行を重んじた武士の鑑であると、芭蕉は和泉三郎忠衡をここに来るまでの道中でたびたび褒めていた気がする。
忠衡の寄進した宝灯を拝むため、塩釜の明神にも立ち寄ったほどである。
「それを聞いたら、忠衡殿もたいそう喜ぶでしょうね」僧はそんなことを言って微笑んだ。
「どうでしょうねぇ……」しかし、芭蕉は、塩釜の明神で一度、忠衡らしき者の霊と会った時、それを伝えて困ったような顔をさせてしまった覚えがある。
あれは一体、どういう表情だったのだろうか。




