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平泉(十八)

「あれは……」


 曾良を探しながら境内を駆けている途中、光堂が建っていたはずの場所に建つ、全く別の大きな建物が見えた気がした。


 芭蕉はそれを見なかったことにして、顔を背ける。


(気のせいということにしておきましょう。今は、曾良君を探すのが先です)


『目に頼るから見つからんのじゃ。狐の鼻を使ってみよ』九尾に言われて、ようやく芭蕉は嗅覚が鋭くなっていることを思い出した。


 しゃがみ込み、地面に顔を近づけると、様々なにおいの情報が目で見る以上に鮮やかに飛び込んでくる。


「ありがとうございます。確かに、曾良君は境内にいるようですね」


慌てずに曾良のにおいを辿っていくと、ようやく本堂の付近で寺の者と話している曾良の姿を見つけることができた。


 芭蕉は尻尾を絞って一本に変化させると、服の下にしまう。それから慌てて曾良の元へと駆け寄った。


「曾良君。また、会えて、よかったです」駆け回った後の犬のように息を切らせながら、芭蕉は辛うじてそう言った。


 その場に寺の者さえいなければ、曾良に飛びついて抱きしめたいくらいだった。芭蕉の背後で、尻尾が千切れそうなくらい強く振られている。


「芭蕉先生。どこに行っていたんですか。探しましたよ」曾良はそう言うと、背後にいる寺の者を振り返って「お騒がせしてすみません」などと謝っている。


「ええと……その、すみませんでした」改変の力についてをこの場で説明するのは難しいと判断した芭蕉は、とっさに謝った。「一人で先の方へ行ってしまっていたようです」


 曾良は苦笑しつつ「今度は私を置いていかないでくださいね、芭蕉先生」と優しく諭すように言う。


「もちろんです」芭蕉は自信を持ってそう言うことができた。


 もはや光堂を見ることが叶わなくとも、もう七の尾・改変は使わない。そう強く思う芭蕉であった。


『賢明な判断じゃのう。この力は自身にだけは効果が及ばないと言ったじゃろう。それゆえに、使えば使うほどに自身と世界の隔たりは大きくなってゆく。やがて、取り返しのつかない喪失を経験することも十分にありうるじゃろう。強力であるがゆえに、危険と隣り合わせの力でもあるのじゃ。覚えておくがよいぞ』


 七の尾・改変による『喪失』については、あまりじっくりと想像したくないものだなと芭蕉は思った。


「どうしたんですか、芭蕉先生。こちらの方が案内してくださるそうですので、行きましょう」曾良の先を歩く寺の僧は、狐娘芭蕉の姿をちらと見たが、特に動揺することもなく、歩き始めた。


「ご案内をいただけるとのこと、ありがとうございます」芭蕉は僧に背後から礼を言った。「あまり驚かれないのですね。拙者の姿を見て……」


「これまでも、時折、憑かれている方をご案内したことがありますので……。さすがに貴方ほどの憑かれかたをしているのは初めて見ますが」僧は穏やかに微笑む。


 これには、芭蕉と曾良も笑みを返さずには居られなかった。


「さて、そろそろ左手に見えてきますよ」しばらく歩いた後、案内の僧は芭蕉たちを振り返って言った。「あれが金色堂。通称・光堂とも呼ばれております」


 僧は、芭蕉が先ほど見て見ぬふりをした建物を指していた。


 光堂があったはずの場所に建つその建物は、光堂よりも一回りは大きく、見慣れない建物である。


「あれが、光堂……?」芭蕉は思わず聞き返してしまっていた。


「えぇ。全然、光っていないと思うでしょう。それもそのはず、いま見えているのは、鞘堂さやどうと呼ばれる建物で、金色堂はあの建物の内側で風雨から守られているのです」


「なるほど。貴重な建物を保存するための建物ということですか」曾良もこれには驚いていた。


 光堂が残っている。その事実は、芭蕉の心を感動で打ち震えさせるに十分であった。


 鞘堂は、差し込んだ初夏の日差しを浴びて、芭蕉と曾良の来訪を歓迎してくれていた。

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