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平泉(十五)

 文治五年(一一八九年)うるう四月三十日


(玉藻前――九尾の狐は、那須の地で石となった後にこのような感覚だったのであろうか)


 芭蕉は釈尊院五輪塔に刻まれた『記憶』を遡り、再び義経最期の日へとたどり着いた。しかしながら、前回とは異なり、石に憑依しているためか、動くことも見ることも聞くことすらも叶わない状況であった。


 ……。


 ……。


 ……。


(これではどうすることもできないではないか)


 無音の暗闇の中に閉じ込められた形となった芭蕉は、慌てることなく禅の心を呼び起こす。


 一秒、二秒、三秒。


 姿勢を整え、呼吸を整え、心を研ぎ澄ます。


 雑念を振り払ったことで、思考が冴えわたる。


(しのぶ文字摺りの石よ。その力、お借りいたします)


 四の尾・遠見!


 暗闇の中に、光堂の周辺の風景が浮かび上がった。


 光堂への想いを詠むだけでよい、と言うのは簡単であるが、想いをそのままに読むことは非常に難しいものだ。


『五月雨の 年々降りて 五百度』


 奥州藤原氏の滅亡から五百年、そして西行法師の五百回忌。


 芭蕉にとって、五百という数字には思い入れがあった。


 五月雨よ。どうか、毎年降って光堂を火事から守ってくれ。


(『五月雨の 年々降るも 五百度』の方が良いでしょうかね……。いや、そもそも五百年だけで本当に良いのでしょうか)


 芭蕉は、自問自答する。


 光堂を守りたい。その気持ちを込めなければ、心のままに詠んだとは言えないだろう。


 九尾が言うように、自分に言霊を操るような力があるのだとすれば、光堂をずっと遠い未来まで残せるようにしたい。芭蕉はそう思った。


 後悔しないよう、できることは全部やり尽くす。


(五百への拘りと、光堂への拘りは別のものです。ここで敢えて五百という具体的な年数を入れなくとも、『残して』と詠むだけで通じるはず。逆に、『光堂』という言葉を入れることで、守りたい対象を明確にして、歌の効果を高めることができるかもしれません)


 何もない暗闇は、時間の流れが分かりづらかった。


 ひとまず納得のいく句が出来たと感じた時、顔を上げた芭蕉の眼に写る光堂周辺の光景は、すっかり夜となっていた。


『五月雨の 降り残してや 光堂』


 そう念じた途端、静かに雨が降り始める。


 それは天気雨のごとく、月夜に降る雨であった。

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