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平泉(十二)

「芭蕉先生、待ってください!」


後ろから追いかけてくる曾良の制止も聞かず、芭蕉は五百年前の記憶を頼りに駆け出していた。


「平泉に、光堂が残っていないはずがありません! そんなことは決して……!」


 あってはならないことだ。


 内壁も外壁も金箔で飾られ煌びやかに輝き、創建当時の面影を江戸の世まで残す建物であるという噂を聞いて、芭蕉は以前から一度は訪れたいものだと機会を狙っていたのだ。


 奥州藤原氏の初代・清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体に加えて、和泉三郎こと忠衡の首も納められている仏堂だと、確かに聞いた覚えがある。


 それが、だいぶ昔に無くなっていたなど、あってはならない。


「曾良君。確かめに行きますよ。付いてきてください!」


 衣川から歩くことしばし、山のふもとにある参道の入口に辿り着く。曾良が追いつくのを待って、芭蕉は石段を上がりはじめる。


「夢の記憶と混同しているのではないですか。芭蕉先生」


「いいえ、違います。夢ではなく、確かに拙者は江戸で光堂の噂を聞きました。曾良君だって、一関の宿で光堂を見るのを楽しみにしていたではないですか」


「私がですか……? それこそ、何かの間違いですよ!」曾良の声が震えている。「芭蕉先生、私がそんなこと言うはずないじゃないですか。平泉に来たのも、芭蕉先生が『義経堂』と『泉が城』を見に行きたいとおっしゃったからで……」


 曾良が嘘を付いているようには思えない。芭蕉はここに至って、曾良が何かしらの『改変』を受けているのではないかと考えた。


 五百年前、義経が静御前だと思い込まされたように、敵兵たちが影武者だと思い込まされたように。


 その目を覚まさせるためには、光堂の実物を確認してもらうのが一番だと芭蕉は考えた。だというのに……。


 参道を息を切らせつつ奥へ奥へと進んでいった芭蕉はついに立ち止まる。


 兼房だった頃の記憶を頼りに、芭蕉は光堂のあったはずの場所を食い入るように見つめる。


「こんな……、こんなはずがありません。どうしてこんな……」


 少なくとも、曾良が記憶を『改変』されていたわけではない。


 目の当たりにした事実に基づくのであれば、間違っていたのは明らかに芭蕉の方であった。


『国破れて山河あり、城春にして草青みたり』思わず杜甫の詩を呟きながら、芭蕉は笠を敷いて草むらの上に腰を下ろす。


 曾良が息を荒げて追いついてきた時、芭蕉の七本の尾は力なく草むらに広がっていた。


「曾良君。付き合わせてしまってすみませんでした。間違っていたのは拙者の記憶の方だったようです」芭蕉は俯いたまま曾良に謝った。


「いえいえ、気にしないでくださいよ、芭蕉先生。私はこう見えて体力には自信があるんですから」曾良が笑った。


「たわけ。笑っている場合ではない状況じゃと、まだ気付かぬか」いつの間にか立ち上がっていた狐娘が、背筋を伸ばして曾良を叱った。その口調は、松尾芭蕉のものではなく。


「お九さん!」金色の七尾を広げて草むらに立つ大妖狐の姿が、そこにはあった。

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