平泉(十)
「元々、カネフサという男は存在していなかったのだ。ヨシツネ様の最期が多くの人によって語られていく上で、その名が広く知られるようになった人物。それがカネフサだ」源九郎狐は語る。「しかし、今になって五百年前を振り返ってみると、どうもカネフサという人物がいたような気がしてくる。それは、どうも我がことのようなのだ」
「おっしゃっている意味が分かりかねます。あなたは、源九郎狐であり、十郎権頭兼房でもあると言うのですか?」曾良は困惑していた。
「結果的にはそういうことになるな。しかし、我は元よりカネフサという名で呼ばれていたわけではない。人々の噂話によって、白髪の老武士としてヨシツネ様に仕えていた存在へと『改変』されてしまっただけだ。五百年の時をかけてな。我はもはや、この姿から元の狐に戻ることすら叶わぬ。しかし、九尾狐の力を受け継いだムネフサ殿であれば、あるいは我が姿を元に戻してくれるかもしれない。そう考え、この地でお主らを待ち構えておった」
力を返した途端に、狐娘松尾芭蕉が気絶してしまったのは、源九郎狐にとっても、予期せぬ出来事であったという。
「ムネフサ殿には本当に申し訳ないことをした。『改変』の力と強く結びついた我が記憶の断片が、力とともにムネフサ殿の身体に流れ込んでしまったのだろう。五百年前の平泉で最初で最後の『改変』を行った、あの忌まわしい1日の記憶が……」
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『卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな』
曾良が傍らの卯の花を見ながら句を詠んだのと、芭蕉が目覚めたのはほとんど同時であった。
「芭蕉先生! 目が覚めたんですね。良かったです!」芭蕉に膝枕をしてあげていた曾良は、大喜びでそう言うと、優しく背中に手を添えて芭蕉を起き上がらせ、続ける。「急に倒れたりするから、心配したんですよ! ちゃんと自分の名前は言えますか?」
「えぇ、拙者は松尾宗房。いまは俳号として芭蕉を名乗っています。……そんな泣きそうな顔をしないでください、曾良君。拙者はこのとおり大丈夫です。心配をかけてしまいましたね」
「いえ。芭蕉先生が無事で、本当に良かった……」曾良の目から滴った涙が落ちる。
「拙者も、曾良君に何事もなくて良かったですよ」芭蕉は曾良の頭を優しく撫でて、続ける。「長い長い夢を見ていました。兼房となって義経の最期を見届ける、奇妙な夢でした。妙に生々しく感じられもしましたが、」
「ところで、拙者の身体、眠っている間に一回り大きくなっているような気がするのですが、どう見えますか?」芭蕉は急に身体の違和感を訴える。
「あっ、尾が七本に増えていますよ。それと合わせて、体格も少し成長しているような気がしますね」
七尾の狐娘と化した芭蕉の身体は、あまり子どもらしさを感じさせない体形に成長していた。
「いつの間に尾が増えたのでしょう。拙者が気を失う前は、六本だったはずです。尾と言えば、先ほど拙者の尻尾を握った者がいませんでしたか?」
「私は見ませんでしたね……」と答えつつ、曾良は微かに違和感を覚えていた。「いや、誰かが居たような気もするのですが……」




