平泉(八)
「ヨシツネ様! サト様! 何故こんなことをッ!」
燃える木々の明かりを頼りに丘を下っていくと、風向きが変わり、源九郎狐が血の臭いを嗅ぎつけた。嫌な予感を覚えつつ、兼房と源九郎狐は藪を掻き分けて臭いの濃くなる方へと向かう。
たどり着いた場所には、折り重なるように倒れ伏した二人の姿があった。
二人を取り囲んでいた山犬の群れが、源九郎狐の殺気を感じて方々に散って逃げていく。
「悲鳴はなく、噛んだ痕もない。恐らく、山犬も血の臭いを嗅ぎつけて様子を見に来ただけでしょう」
血にまみれた義経を前にして、逆に心が冷たくなっていくのを兼房は感じていた。冷静に死因などを分析している場合ではないというのに。
二人の傍らには小太刀が一本転がっている。義経はこれで奥方様の命を奪い、自害したのか。
コォーン!
源九郎狐が再び忠信の姿に化け、初音の鼓を打つ。
近くにいるかもしれない敵兵に気付かれる危険もあったが、それでもやらずにはいられなかったのだろう。
静御前の姿が、元の義経の姿に戻る。傷も綺麗に塞がった。それでも、義経が再び目を開けることはなかった。奥方様も同様である。
「なぜ、目を開けてくださらないのですかッ! 起きてくださいッ!」
「もうやめなさい、源九郎狐」
見た目をいくら変えようとも、すでに死んだ者を蘇らせることはできないということだろう。
二人を先に行かせるべきではなかった。兼房は後悔した。
義経は自害を思いとどまってくれるかもしれない。そんな考えは甘かった。
「判官どの。約束したではないですか、必ず生きて戻ってまいれ、と……。あの言葉は、これを見届けさせるためだったのですか」
兼房の目から、とうに枯れ果てたと思っていた涙が、止めどなく溢れてくる。
義経は、兼房では源九郎狐を止められないと想定したのかもしれない。
源九郎狐に心まで塗り変えられてしまうことを、義経は酷く恐れていた。
だからこそ、姿は静御前のままなれど、自分の意思で自害ができるうちに、奥方様との心中を選んでしまった。そうは考えられないだろうか。
元禄二年(一六八九年)五月十三日
「芭蕉先生、しっかりしてください!」
義経堂の前で気を失って倒れた狐娘芭蕉を抱きかかえ、曾良は必死に呼びかけていた。芭蕉はうわ言で「判官どの……」などと呟くのみであった。
「とにかく呼びかけ続けなさい。その狐娘は今、新しく増えた尾に宿った『兼房』の記憶の中にいる。下手をすれば、記憶に呑まれてしまうかもしれない」
先ほど芭蕉の尾に触れた老人が、曾良にそう告げる。
たしかに、芭蕉の尾は七本となっていた。しかし、その理由が曾良には分からなかった。
「芭蕉先生に何をしたのですか。それに、そもそもあなたは何者なのですか!?」
老人は曾良の問いかけに答える。
「その者に宿りし九尾様は我が師。陸前高田の地で回収し、お預かりしていた力をお返ししたのだ。我こそは、義経様に名を頂戴した白狐。源九郎狐である」




