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壺の碑

 歌枕の「つぼいしぶみ」が市川村多賀城で発掘されたのは、十年以上前のことである。


「これが伝説の碑ですか。想像していた以上に苔むしていて……読みづらいですね」狐娘芭蕉は、野ざらしになっている石碑の表面をまじまじと観察した。


 それは、多賀城が神亀じんき元年(七二四年)に築城されたことや、その後の改修時期などが記録された石碑せきひであった。


聖武皇帝しょうむこうていの時代に建てられたそうです」曾良が地図を詠みながら解説してくれた。


 この石碑は、平安時代の後期には既に行方知れずとなっていたらしいが、歌枕としてのみ言い伝えられていたという。

 それが近年になって偶然見つかり、発掘作業と解読が進められたのである。


「今から千年近く前に建てられた石碑が、こうして眼前にあると思うと、言葉では言い表せない感慨深さがありますね」

気が付けば、芭蕉は涙を流していた。


「芭蕉先生……」曾良はそれ以上、何も言えなかった。


「曾良君。これまで拙者たちは、歌枕として語り伝えられてきた場所をたくさん見てきました」芭蕉の金色の尻尾は、この情景を前に優しく揺れていた。「しかし、山は崩れ、川は流れを変え、道は改まり、石はうずもれ土に隠れ、木は老いて若木に代わっていました。時が移ろい、代替わりをして、その跡がはっきりしないものばかりです」


 後世に生きる者として、いにしえの人々が見ていた風景に思いを馳せることはできても、全く同じ物を目にすることは叶わない。

 けれど、いま目の前にあるこの石碑は、間違いなく千年前の人々が見た石碑の形そのままに、ここに鎮座している。


「伝説に語られる壺の碑は、確かにここにある。この碑を前に歌を詠んだ人々の気持ちを我々はいまこうして感じ取れる。これぞ行脚あんぎゃ一徳いっとくというものです」生きていて良かったと言いたげな様子で大喜びの芭蕉は、ついに気絶した。


「芭蕉先生!?」慌てて駆け寄る曾良。


「芭蕉め、こんな石碑一つで興奮しすぎじゃろ」呆れた様子で表に出てきた九尾の狐が、億劫そうに立ち上がる。「本当に千年前の碑かどうかなど、今となっては調べようがないじゃろうに」


「すみません、お九さん。なんだかお久しぶりな感じがしますね」曾良もすっかり九尾の狐と話すのに慣れてきていた。


「そりゃそうじゃろ。城下町では、四六時中あの狸娘がこちらを探っておったからの。儂が大人しくしているのは当然のこと。本来であれば、おぬしのことも見捨ててやろうと思っておったのじゃが、芭蕉のやつ、おぬしがいないと旅を止めるとか言い出してな。しぶしぶ九尾の力だけ貸してやったのじゃ」


「そうだったのですか。色々ありがとうございました」


「初めてにしては、芭蕉も上手く力を使いこなしたようじゃの。相手の土俵に踏み込んで圧倒するとは、実に良い見世物であったぞ」


狐娘は満足そうに五本の尾で曾良を撫でまわした。この時のことを、曾良は日記に「天女に羽衣で撫でられているかのようであった」と書き残している。


「なんじゃおぬし、石碑のように硬くなりおって。女慣れしておらぬようじゃの?」九尾は呆れた。


「いえ、そういうわけでは……」女慣れしているかどうかはさておき、曾良は独身であった。



 この時に芭蕉と曾良が見た石碑に、水戸光圀の派遣した歴史学者が訪れたのは、二年後のことであった。「野ざらしになったままなのは保存上良くない」として仙台藩に石碑を覆う建物を作るように依頼したことが、記録として残されている。


 その後、長い年月をかけて多賀城跡の発掘作業が進められ、石碑の記載内容と一致することが認められた。


 芭蕉も涙した石碑が、本物の多賀城築城時のものであると認定され、国の重要文化財に指定されることとなるのは、平成十年(一九九八年)のことである。


 ただし、この石碑が「壺の碑ではない」ということも明らかになっており、現在では「多賀城碑」と呼ばれていることもここでお伝えしておきたい。


 無論そんな遠い未来のことは、芭蕉も曾良も知る由はないのであった。

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