宮城野(五)
草庵の入口まで出てきた狸娘に見送られ、芭蕉と曾良は歩き始めた。
「芭蕉先生。こんなことに巻き込んでしまって、本当にすみませんでした……」
「なぜ曾良君が謝るのですか。気にしなくて良いですよ、おおっと」
草庵が見えなくなった頃、気が抜けたのか、危うく転びかけた芭蕉を支える曾良。
足元を見ると、芭蕉の草履の鼻緒のところが裂けてしまっている。
すぐに直せそうにはなかった。
曾良は狐娘芭蕉を背負って、宿に向かって早足で歩き始めた。
「芭蕉先生に無理をさせてしまいました。私はお付の人として失格です」
背中にしがみつく芭蕉の力が少し強くなったのを曾良は感じた。
「大丈夫ですよ、曾良君。大丈夫です」芭蕉は少し考えてから、こう言った。「拙者は自分にできる範囲で、自分のしたいことをしただけです。大切な弟子の一人も守れなければ、拙者の方こそ先生失格になるところでした。曾良君が無事なら、それで良いのですよ」
「芭蕉先生……」曾良の頬を温かい涙が流れ落ちるのであった。
二人で宿に帰り、夕食を終えた頃、改めて加右衛門が尋ねてきた。
「明日には仙台を出発されると曾良さんから聞いておりましたので、役に立ちそうな地図と、名産品の干し飯、それに草履を持って参りました」
「なんと!?」この予期せぬ贈り物に、芭蕉は尻尾を振って喜んだ。思わず変化が解けてしまい、五本の大きな狐の尾が広がってしまう。
「おぉっ、なんという美しい金色の尾でしょう。まるで扇のようです!」加右衛門は喜んだ。
「ちょうど芭蕉先生の草履が壊れてしまったので、助かります」曾良が手に取ってみると、加右衛門の持ってきた二束の草履は新しく、紺色の染緒が素敵であった。
「おお……なんと美しい染緒でしょう」芭蕉は尻尾を扇のように動かした。
「松島や塩釜は絶景ですので、是非ご期待くださいね」加右衛門は、その風を浴びて幸せそうにしていたが、思い出した様子でこう続けた。「もしよろしければ、この機会に短冊などいただけませんでしょうか?」
「もちろんです。しばし、お時間をいただけますか」芭蕉は快諾して、少し熟考した後に一句を詠んだ。
『あやめ草足に結ばん草鞋の緒』
こうして、芭蕉は餞別品の御礼として、句を書いた短冊と横物一つずつを加右衛門に贈ったのであった。
元禄二年(一六八九年)五月八日
翌朝は昨夜遅くから降り続く雨が残っていたが、巳の刻(現在の九時~十一時頃)には雨が上がり太陽が顔を出していた。
「いよいよ出発ですか。名残惜しいですが、致し方ありませんね……」
見送りに来てくれた加右衛門は、気仙郡の名産品だという海苔を持ってきてくれた。
「加右衛門さん、本当に何から何まで、たいへんお世話になりました」
「草履も足にぴったりで、たいへん歩きやすいですよね、芭蕉先生」
「えぇ、本当によいものをいただきました。ありがとうございます」
芭蕉と曾良は、加右衛門に感謝を伝えて仙台を出発した。
加右衛門から貰った地図を頼りに行くと、七北田川に沿った畦道を進んでいくことになった。利府と呼ばれる地域である。
「この道は『奥の細道』と呼ばれているそうです。最近まで『十符の菅』がどこに生えていたのか不明だったようですが、水戸光圀公の依頼を受けて仙台藩が調査したところ、この道の山際であることを突き止めたそうです。もしかすると、加右衛門さんも、その調査に同行していたのかもしれません」地図を広げていた曾良が言う。「この先で、菅が生えているのを見ることができるそうですよ」
「ほう、十符の菅菰ですか。『みちのくの 十符の菅菰 七符には 君を寝させて 我三符に寝む』などの歌で有名ですね。光圀公も粋な依頼をしたものです」
菅菰とは、菅で作った敷物である。
十の節がある菅菰を、十符の菅菰と呼んだ。
「今でも毎年、この辺りでは十符の菅菰が編まれて仙台藩主に献上されているそうです」
到着した菅の自生地では、日光を浴びて青々と伸びる菅がそよ風に葉を揺らしていた。
「古の人々も、この奥の細道で、菅を眺めていたのでしょうか。実に心地良い風景に感じられますね」
周辺に人の気配もないので、芭蕉は尾の変化を緩め、五本の尾で菅と同じ風を感じていた。
この場で、狐娘芭蕉が句を詠むことは無かった。
しかし、やがて芭蕉は、このみちのくの旅の紀行文を『おくのほそ道』と名付けることとなる。