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宮城野(三)

 ところで、読者の皆さんはご存じだろうか? 「松尾芭蕉は忍者だったのではないか?」という説があることを。


 松尾芭蕉の出身地は、伊賀国であった。

 『おくのほそ道』の旅から六年前に亡くなった芭蕉の母の正体がはっきりと記録に残っていないこともあり、伊賀流忍術の祖・百地丹波ももちたんばの子孫だったのではないか、という憶測が生まれたのも致し方ないことだろう。


 また、芭蕉の健脚も忍者説を裏付ける根拠とされた。


 『おくのほそ道』の旅の総移動距離は六百里(約二千四百キロメートル)と言われているが、旅の総日数のうち、雨天などで移動できなかった日を除けば、移動できたのは多く見積もって八十日。

 一日あたりの平均移動距離を計算すると、なんと三十キロメートル以上である。

 芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た時の年齢は四十五歳。

 当時としては老齢にも関わらず、これほどの長距離移動が可能な健脚を持つ芭蕉は、常人とは思えないというわけだ。


 『おくのほそ道』の旅の真の目的が仙台藩を初めとする各地の内情を調べるための隠密にあったとすれば、俳諧師という立場はうってつけの隠れ蓑であろう。

 何者であっても、俳諧師が旅をして句を詠むことを不思議には思われない。


 後に、尾張(おわり)名古屋藩士であった近松茂矩ちかまつしげのりは、著書『用間加条ようかんかじょう伝目でんもく口義くぎ』の中で、隠密になる方法として「芸を身に付けること。俳諧や茶の湯の師匠になること」と記しているほどだ。


 そういった根拠を背景に、芭蕉忍者説は根強い人気がある。



 しかしながら、もしも本当に芭蕉が忍者だったとしたら、伊賀出身であると明らかにするだろうか?

 『おくのほそ道』の旅を紀行文にして出版しようなどと考えるだろうか?

 隠密が目的であったのであれば、もっと目立たない方法があったはずだ。


 また、健脚についても誤解がある。

 実際には、芭蕉も曾良も常に徒歩で移動していたわけではない。


 芭蕉が疲れた時は馬を借りて移動をしたし、芭蕉が狐娘になってからは曾良に背負ってもらうことも多かった。

 芭蕉は決して運動が得意だったわけでも、健脚だったわけでもないのである。


 さらに言えば、忍者にとって大切であるとされる情報収集能力、誰とでも親しくなり交流できる能力が、芭蕉にあったとは思えない。

 殺生石を訪れ、不覚にも狐娘になったことで、芭蕉は男性を惹きつける力を獲得した。

 しかし、曾良や気の合う人としか親しくできないその内向的な性格は、忍者とは正反対なのである。 


 誰とでも仲良くでき、情報収集能力に優れ、旅の資金調達も担っていたのは、むしろ曾良の方であった。



「お前さんが隠していることも、儂には全部お見通しじゃ。ただで帰すわけにはいかないのう」


正座している曾良の前には、白髪の老爺が座っており、その間には、大きな茶碗が一つ置かれていた。茶碗には、少量の抹茶らしきものが入っている。


 どうしてこうなってしまったのか。曾良は振り返る。

 たしかに、旅の資金調達をする上で、曾良は幕府の役人から秘密裡に仕事を請け負っていた。

 仙台藩に関する情報を集めることや、頼まれた手紙を指定の屋敷に届けることが主な仕事である。

 そして、今日は、この時間この場所で、対価として追加の路銀を受けとる手はずになっていた。


「何を仰っているのか、分かりませんね……何か誤解されているのでは」曾良は立ち上がろうとするが、なぜか足が痺れたようになって動けない。


「ふぇっふぇっ、誤解と申すか。それはすまなかったのう」微塵も疑いを解いていない表情で、老爺は言った。「では、この茶室から外に出る前に、儂の入れた茶を飲んでからいきなされ」


ずいっと目の前に差し出された抹茶らしきもの。見た目は抹茶に相違ないが、曾良の直観がそれを口にしてはいけないと告げている。


「儂の茶を口にできないということは、やはり何かやましいことを隠しているということじゃろう。さあ、申してみよ」


 恐らく、何かの手違いで、幕府側の資金受け渡し役が仙台藩に捕まったのだろうと曾良は考えた。

 そうだとすれば、目の前にいる老爺は仙台藩側についている侍、あるいは忍術使いだろうか。


 外様大名の伊達政宗だてまさむねが樹立した仙台藩は、別名・伊達藩とも呼ばれた。

 仙台藩は、二万人を超える兵力を有したため、政宗の代より常に幕府の警戒対象であった。


 さらに、当時は伊達騒動だてそうどうと呼ばれるお家騒動の渦中であり、幕府は仙台藩についての幅広い観点からの情報を必要としていた。


 そんな折、松尾芭蕉が信頼を置く弟子であり、ちょうど仙台藩に向かう旅に出る資金を必要としていた曾良に白羽の矢が立ったのである。


「お前さんが喋らないつもりなら、仕方がないのう。宿で眠っている連れの狐娘に問いただせば済むというもの」

「なぜそれを……!?」


自分のせいで、芭蕉先生の身が危ない。そう思った曾良は、覚悟を決めて目の前の茶碗を手に取った。


「わかりました。茶を飲めばよいのですね」

その言葉を聞いた老爺の口の端が、小さく上がる。


「良い心掛けじゃ」

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