誘拐犯──1
マニがいなくなったという報告を聞いたのは、その翌日だった。
マニがここにきてから、一夜明けた、今日。昼までルークと一緒に狩りに出ていた俺は、ユメルの口からそんな言葉を聞いたのだった。
ルークの背中に乗る機会など、なかった。
「マニが、マニが連れて行かれたんです!」
そういうユメルの顔は焦燥と苛立ちで歪んでいて、いやが応にも、緊急事態であることを俺に知らせたのだった。
連れて行かれた?
「マニが?」
なにに?なんてのはこの場合、聞く必要がないのだろう。
マニがこの場にいないということは、それは、マニがここにいないということでしかない。それだけでもたしかに、焦る気持ちは分からなくもないけれど──俺たちにとって人が消えるというのは、その事実以上の衝撃を与えるのだ。
人が消え、跡形もなくなる。それを誰より身近で体験した俺達である。必然、それに対する気持ちの悪さと言ったら、なにに例えるのも出来ないほどのものになる。
まさかマニも、あの忌々しい現象に巻き込まれたというのか。
超常──そう表すしかないほどの、抗う方法なんて一つも思いつかないような、そんな現象に。
それに加えて。
ユメルに関係する人間が消えるのは、これで二回目なのだ。
一度目はユメルの両親。それから、この二度目。その二回目という回数は、俺の脳内に、ある最悪の想定を生み出すには十分なものだった。
二回目。
それはつまり、俺の周辺でも──再度、人間が消えるということではないだろうか。
今まであまり意識したことはなかったけれど、一人に関わる人間が消えるのは、今まで一度ずつだった。
師匠が無くした人の詳細はあまり分からないけれど、口振りから、おそらく折衷現象に遭ったのは一度のはずだし──俺が無くしたのもあいつ一人。他の例はユメルしかなく、ユメルの両親も一度に消えたという。ユメルだけ、人数では二人消えていることになるけれど、それが起こったのは同時である。二度に分かれて消えたわけではない。
だから俺は、心の奥底で自惚れていたのだろう。
まさか、既に折衷現象が起こった人間に、もう一度その災いが降りかかることはないだろうと。これ以上、大事な人が消えることはないだろうと。
そうなる証拠なんて、どこにもないというのに。
それは自分の、感想に過ぎないと言うのに。
「お兄さん!聞いてますか!お兄さん!」
言われ、俺は意識を戻す。
ユメルからそれを聞いてから、時間にすれば一秒も過ぎていないのは自分でも分かるけれど──それでも気を失うほどに大きな情報が、頭の中に注ぎ込まれた感じだった。
立っていることすら出来なくなるような、気持ちの悪さ。
「……ちょっと、落ち着こう」
ユメルに対してじゃなく、どちらかというと俺に対して、言う。言葉に出して無理矢理にでも落ち着かせないと、今にも頭が破裂してしまいそうだった。
こんな時に限って、師匠がいない。
「……話を聞かせてくれ──なにがあった?」
「──そんな時間!……いえ、そうですね」
ユメルは納得したようだった。
今やるべきことは、情報の整理だろう。考えるべきこと、そうでないこと。
その結果、どう動くべきか、それ以外も分かってくるはずだ。
ユメルは、息を整え口を開く。
「……お兄さんが出てから。私とマニは、お話をしていたんです。いつもなら、資料を見る時間だったんですけれど……マニがいますから」
そこまでは、俺が出る前にもやっていたことだった。
ユメルとマニは、まるで姉妹のように、いつも一緒に行動するのだ。牢でのことを思い返せば、そうしたくなるのも分からなくもないけれど。
それに、マニを巻き込まないというのは、ユメル自身の判断だ。昨日、そう判断したユメル本人が、マニの前であれを見ることはできないだろう。おそらく、目のつかないところに隠しているんだと思う。
そこまでは、いい。
ユメルの話を聞きながら、俺も自分を落ち着かせる。考えることすら出来なくなったら、対策すら練られないのだ。そうなっては、真の敗北である。
けれど──そんな俺の推測は、華麗に裏切られるのだった。
「……それから。少し時間が経った頃に……マニの悲鳴が聞こえたんです」
「…………」
「その時だけ、目を離してしまっていて。急いで、そこに向かったんです」
ユメルは、足元を見るように目を伏せている。話し始めて徐々に、平静を取り戻しているのだろう。
それでも──それだけではない気がした。なんだろう、言葉では言い表せないけれど、なにか、そんな気がする。
「……それから?」
「……そこに走って。マニの声のする場所に向かったら」
マニが消えていたということだろうか。
「……知らない人間がいたんです」
「…………は?」
ユメルの言葉は、俺の予想の全てにおいて、擦りもしないものだった。
知らない人間?
「はい……それも、複数人」
「…………」
人間?
ちょっと待ってくれ。人間──マニの悲鳴が聞こえたところに、複数人の人間がいた?
それは……なにがどうなってるんだ?
「な……え、ちょっと待ってくれ。マニは折衷現象に遭ったんじゃないの?」
「……多分、違います。あれは普通の人間でした」
それは。
そこから、どういう答えが導き出せる?
まさか、俺は勘違いをしていたのだろうか。ユメルに、マニが連れて行かれたと聞いただけで、折衷現象に遭ったと判断したけれど──そうじゃないのか。ただ単に、何者かに連れて行かれただけ──とか。
それとも。
それとも、である。
師匠に言われて資料を読み、異世界の存在を信じ続けてきた俺とユメルだけれど、もしかして、ユメルのその目撃情報では、そこが否定されるのだろうか。
今までの折衷現象は全て、人間の手によるものだったという──そんなオチか?
「いえ……多分ですけど。折衷現象とはなにも関係がないと思います」
と。
あくまでユメルは、異世界との関連を否定するのだった。
顔を歪ませたままなのは変わらないけれど、語調はいつものような、静かなものになってきている。自分の目で見た光景を思い出し、自らが経験した両親の折衷現象と比べ、判断しているのだろう。
これは異世界とは関係がない、と。
「どう見ても、普通の人間でしたから。蛮族のような格好をした人達で……力付くでマニを──引っ張っていきましたし」
マニの名を出す時だけ、声に力が篭る。それは、想起なんてしたくないような、そんな光景だったのだろう。
力付く。
蛮族。
それは確かに、折衷現象の印象とはズレるものだった。俺の時もユメルの時も、話を聞く限り同じようなもので──人間では不可能なこと、である。
どんな人間が、肩を並べて歩く二人のうち、片方に気付かれないようにもう片方を攫えるというのだろう。どんな人間が、二人の大人……片方は魔女と呼ばれる大人二人を、消せるというのだろう。
あれは……まさしく、人間業ではない。ただの人間が、あんなこと出来てたまるか。
だから、師匠の言う通り、俺達が遭った折衷現象は超常なのだろう。世界の仕組みそのものと言っても過言にはならないような、資料として後世に残るような、理解不能の現象。
間違っても、人間の仕業ではないはず。
「それに……その人達は、こんなことを言っていたんです」
「……なに?」
聞きながら、その時の状況を頭の中に作ってみる。
ユメルはおそらく、マニの声のする方向へ行った後、蛮族に見つからないように隠れていたのだろう。マニが連れて行かれそうなところを、ただ見ていただけと言えなくもないけれど、それは間違いだ。ユメルが出て行ったところで、複数いる人間に対応なんて──俺ですらアンレスタで失敗したというのに、ましてやユメルにそれは望めないだろう。
それならばと、そんな状況でも動かず、俺を待った判断は、最適解と言えると思う。思えば、アンレスタ城での逃走撃の際も、木の影に隠れていた。隠れるという特技が、こんなところでも活きたわけである。
それに、隠れていたおかげで、ユメルはそれを聞くことができたのだ。
蛮族が言っていたこと。
「『こいつが魔女か』……と」
「…………」
魔女。
その単語を口にした──っていうのか。
ならば、蛮族達の目的は魔女ということになるけれど──魔女を攫ってどうするんだ?
いや、連れて行かれたのはマニだ。魔女なのは、ユメルのほうだというのに……そいつらが間違えたのか?
魔女を追うということは、パッと思いつくのは。
「アンレスタの人かな?」
「いえ、それも違うと思います」
またも、ユメルに冷静に否定される。マニを助けたい一心に、頭の中でいくつもの対策を練っているのだろう。
俺が考えつくことは、俺を待つ時間を使って既に、ユメルも考えているようだった。遅れているのは俺の方である。
「アンレスタの人なら、マニのことを見間違うことはありません。マニは王族の一人ですから──アンレスタの人なら一目で分かるはずです」
「……なるほど」
気持ち早口で、ユメルは話す。
「それにその蛮族達は、誰かの命令で動いているようでした。おそらく、かなりの権力を持っている人……アンレスタの人が命令したのなら、捕らえるべき魔女の特徴くらいは教えるでしょう。魔女の特徴──私の特徴ですね」
「……そうか」
そこまで言われ、俺の中では完全に、アンレスタの人間である可能性は否定された。
ユメルとマニは、背こそ同じぐらいだけれど、決定的に違うところがあるのだ。始めて二人に会った人間でも、見間違うことはないような、分かりやすい特徴が。
髪である。
ユメルは、雲一つない空のような青髪──マニは、穢れなど微塵もないというような白色の髪を持っている。
青と白。正反対といってもいいほどの髪色の違いを、見逃す人間などいるわけがないだろう。誰かに命令されて動いているとするならば尚更である。ミスで済むような違いではない。
「だから……アンレスタの人間以外で、考えたんです。どんな人間が、魔女を求めるのか」
「……そもそも。魔女のことを知っている人って、そんなにいたかな?アンレスタの人間以外で魔女を知っている人間なんて……誰かいた?」
魔女をなぜ求めるのかは、本人に聞くしかないだろうから、それは一旦置いておいていい。『なぜ』よりも今は、『誰』の方が大事なのだ。そこが鍵になる。
アンレスタの中では、魔女が捕らえられたことが祭になるほどの知名度だけれど、そこを出て考えると、魔女を知る人間なんてほとんどいないんじゃないだろうか。俺だって、師匠に聞くまではなにも──
「そこなんです」
そう言うユメルは、確信を持った顔をしていた。
そこ?
「魔女を求める人間と理由の心当たりはないですが。でも魔女について知っている人間は、私達、それからアンレスタの人を除いても、いるんです」
誰だろうか。今まで、魔女についてはアンレスタ関係の人しか……
「お兄さんは覚えていますか?リュークさんが魔女について、どうやって情報を集めたのか」
「!」
ユメル救出。あの時を俺は思い出す。
始まりは師匠の勘だった。
師匠がルークの話を聞いて、悪い予感を感じて。それから、次の日。次の日──
師匠は、リゲル城の人間に話を聞いてきた。
「…………!」
「私は話で聞いただけなので……本当のところは分かりませんが。でも、東国の噂を、リュークさんは聞いていますよね。それってつまり、リゲル城には……」
「……魔女を知っている人間がいる……」
少なくとも魔女の文化があるということは、確実に知っているだろう。でなければ、城中で魔女のことが噂になったりしない。
確か……東国がなにかやばいことをしようとしている、だったか。その噂の真相は、魔女の死刑だったわけだが……
「リゲル国。その中心のリゲル城。そこにいる人間は、権力を持っているでしょう。金でもなんでも、蛮族を従わせる方法はあるはずです」
「……方法は、ある」
「魔女の特徴をあまり詳しく知らないのも……というか、中途半端に知っているのも、それっぽいでしょう。この森にいるということだけはどうにかして掴んだとしても、魔女の文化のないリゲル国では、調べるのも容易ではないはずです」
「…………」
「だから。マニを魔女と勘違いして連れ去った者は」
ユメルの言葉が、重々しくなっていく。それは、結論に辿り着いた者の、答えだった。
「リゲル国の城にいます」