侵入者──8
と、昼の狩りが終わったのだろう、そこでルークの姿が見えた。その逞しい足には鹿のような獲物が肉塊となって握られていた。
「お。時間ももったいないし、狩りに行っておったんじゃよ」
俺を見つけるなり、ルークはそう言った。翼の風圧は、いつものように凄まじかった。
まぁ、時間も時間だ。わずかな時間を見つけて昼飯を見つけるのは、合理的だった。
「で、あの小娘は? あれからどうなったんじゃ?」
「ああ。あんな感じだよ」
「ん?」
言われ、目線でマニを示す。そこには、ユメルと一緒に野菜を仕分けするマニの姿があった。
「……なんじゃ、ユメルの知っておる人間じゃったのか? 兵じゃないって予想は合ってそうじゃが」
「合ってるよ。兵なんかじゃなくて、ユメルの友達」
「友達……」
ルークはまじまじと二人を見る。二人のその様子から、何かを感じ取ろうとしているのだろう。
そうしているうちに、その目が少しずつ優しいものになった。
まるで孫を見るかのような、優しい目。
「ふむ。なるほどのぉ……細かい説明は本人にしてもらうとしても、ユメルのあんな顔」
初めて見たの、とルークは笑った。翼を震わし、心の奥底から笑う。側から見ても嬉しそうなのが分かるような、そんな笑い方だった。
ルークにとっては、ユメルもマニもおそらく俺も、同じようなものなんだろう──我が子同然とすら、思っていそうだった。
ユメルとマニに対しては、俺もその節があるけれど。
「あれ?」
と、そこでユメルがこちらに気づいたようだった。後ろを振り向き、俺の側にいるルークを捉える。
「いつの間に。ルークさん、狩りは……」
「魔物⁉」
と。
けれどそんなユメルの声は、後ろにいるマニの声で掻き消された。
マニにとってはルークも初対面。魔物に見えるのは分からなくもない。
ルークが前に出る。
「魔物じゃないわい。儂はルーク、鷲じゃよ」
「ルーク……鷲?」
目を見開いて、ルークを観察するマニ。近くに行こうにも行けず、それでも目を離さずジッと見るその様子は、怖がっているというよりは好奇心が勝っているように見えた。ルークのような大きさの鷲は、今まで見たことがないのだろう。
子供心に刺さる姿を、確かにルークはしている。
「儂はソラ達の……保護者みたいなもんかの?」
こちらを見、ルークは首を傾げた。相変わらず、人間臭い言動に磨きがかかっていた。
保護者……まぁ、大外れではないか。どこかの師匠よりかは何倍も、ルークは保護者のような働きをしている気がする。
とはいえ、立ち向かう問題が、通常の尺度で考えられない問題という話はあるけれど。
「保護者かぁ。ソラが言ってた、アンレスタに詳しい人、ってこの人?」
俺が言った「知り合い」を、マニはルークのことと思ったようだった。人ではないけれど、ニュアンスは確かにそんな印象ではある。
ただ、もう一人いるのだ。
化け物みたいな人間が。
「違う違う。ルークのことじゃないよ」
「そうなの? 今はいないの?」
「……今はね」
「ふぅん」マニは分かってるのか分かってないのか、微妙そうな声で頷いた。
まぁ。と、思う。
いつの日か──マニと師匠は、対面するのだろう。ここに来た以上は、マニのことは師匠に話さなければいけない。マニがここの場所を他の人に密告するとは思わないけれど、師匠が帰ったら、すぐにでもだ。
この家の主は満場一致で師匠なのだから。
「……そんな感じじゃ。よろしくの」
「よろしくね」
そうこうしているうちに、マニとルークは自己紹介を済ませたようだった。
そこでマニがルークの翼を掴み、ぶら下がる。
あれは……遊んでいるのか?
「よっと……なにこの翼! 筋肉すごいね?」
「そうかの? まあ飛ぶ度に鍛えているようなもんじゃからの」
「へぇ〜、私がぶら下がっても微動だにしないね」
「鍛え方が違うからの」
「ほえ〜」
今出会ったばかりの二人は、まるで親友のように遊んでいた。
……俺が初めて見た時は驚いて、言葉を出すのに精一杯だったよな?
殺されるとも思ったのに。
どうやらマニは、信頼した相手にはすぐに心を開くようだった。それがたとえ出会って五分もたたない相手だったとしても、マニが信じるに値すると判断すればそれでいいのだろう。
へぇ、と俺はルークの翼にぶら下がるマニを見る。
アンレスタの王族として、養われた目なのだろうか。人を見る目なんて、大人だろうが精度は怪しいだろうに……師匠は例外だとしても。
「……お兄さん。手伝っていただけますか? マニが遊んでしまったので」
「あぁ。そうだね、分かった」
いつの間にか後ろに立っていたユメルが、呆れたような顔でぼやいていた。今から昼を用意しようかというところで遊びだす友に、何を言っても無駄だと判断したのだろう。昔からの習慣も、それには入っている気がした。
「……ん、そうだ」
そこで発想した。
マニはいつまでここにいるつもりなのだろう。
話を聞く限り、他の者には無断でここに来たらしいのだ。
昼を四人で食べるというのは賛成なのだけど、ならば先にこれも聞いておくべきことだった。
「マニ。そういえば、いつまでここにいるの?」
まさかずっとここにいるわけにもいかないだろう。アンレスタの王族に、どんな規則やしきたりがあるかは知らないけれど、一人娘を野放しにしていいとは思わないだろうし。
マニにとって、辛い選択なのは承知の上だ。
「うーん」ルークの翼に掴まりながら、マニは天を仰ぎ考える。
どう見てもバランスがいいようには見えなかったけれど、そこは若さだろう──不安定な場所にしがみついて遊ぶなんてのは、子供にとっては日常茶飯事だから、あんな体勢でも大丈夫なはず。俺も昔は、飽きもせずにやった記憶が残っている。あいつと一緒なのは言うまでもない。
「それなんだけど……ここにいるのダメなのかな」
マニは笑った。
「私、ユメルと一緒がいいから。ここにいたいんだけど、ダメ?」
「ここにって……」
それは、予想できた答えだった。
ユメルとこれだけ仲がいいのだ、念願叶って牢から出たユメルと、一緒のままでいたいなんていうのは、マニにとっては当然の願いだろう。ユメルがここから離れるわけにもいかないのが、それに拍車をかけている。
けれど、それが限りなく不可能に近いであろうことも──勿論予想済みだった。
「アンレスタ国の人達が、黙ってないんじゃない?」
「…………」マニの無言。
「ここにいるのは今は、知られてないとしても……いつかは見つかるんじゃないかな。国の王族が消えたとなったら、誰でも心配するだろうし」
「……そうなんだけど」
どうやら、自分が王族であること、その事実の重さを、マニは自覚しているようだった。10歳、俺の三つ下とはいえ、生まれた時からそんな環境に身を置けば、誰でもそうなるのだろう。
王族故の責任。
王族故の重圧。
思えばユメルを救えなかったのも、その身分が邪魔をしていそうだった。
「でも、あんなところに戻りたくなんて……ないの」
「……戻りたく」
「ないの。あんな頭のおかしい人ばかりの国には」
「…………」
ユメル関連の対応で、マニのアンレスタ国への印象が、考え得る限り、最低のものになっていそうだった。
ユメルを魔女と断定し、監禁。そこから死罪へ。
魔女の捕獲を喜ぶ国民からしてみれば、それは一種のお祭りのようなものだったんだろう──悪しき魔女が居なくなる、その日は国の記念日にすらなりそうな雰囲気だったはず。
その中の、まさに中枢。そこにマニは一人、ぽつんといたのだ。
それは、どんな気分だったのだろうか。
実の親にすら、そんな気持ちを持ってしまうほどの、その環境下にいるのは。
「だから、ね? ここにいさせてくれないかな」
「……うぅん」
「ダメ?」
「……とはいっても」
「いいんじゃないかの?」
と。
そこで、ルークが口を挟んできた。
バサリと、翼を震わせる。
「せめて、リュークが帰ってくるまで。そこらまでは、ここにいてもいいじゃろう。あやつがどう考えるかを聞くまでは、無闇に返す方が危険な気がするぞい」
「……なるほどね」
師匠。この家の主にして、折衷現象に立ち向かう仲間の一人。
その帰りを待ち、考えを聞く──か。
それは、確かに一つの正解に思えた。
あの人の案無くして、俺が大事なことを決めるべきではないだろう。マニは折衷現象に直に関係しているわけではないが、今後の行動に影響が出かねないことだから──また、あの人を頼りにしてもいいはず。
師匠にまた頼ろう。
これが結論だった。
成長していないと言えば、それはその通りだが。
が、こんなもの、一人が決めることでもない。
「……そうだね。師匠の帰りを待つまでは、いいか」
「……師匠? リューク? 誰かな?」
「ああ」
マニが不思議そうな顔をしていた。記憶を探り、今までの話に出てきたかどうかを思い出している。
俺は師匠のことを説明した。といっても、さんざん「知り合い」として、特徴を言ったような気がするが──それ以外にも言うべきことは、異世界関係以外でも、山のようにあった。
「──へぇ。じゃあ、その人がここのリーダーみたいなものなんだ」
「……そうだね。今はいないから、帰りを待つまでは、ここにいてもいいと思う」
「本当? やった。いつ? いつ帰るの?」
「ええと」
きらきらと眩しい、今にも輝き出しそうに笑うマニを尻目に、俺は考える。
師匠の帰りがいつであるか、だ。
ルークも知らない、ユメルも知らない。俺も知らないとなれば、ここで俺はマニに知らないと言うしかないのだけれど、そう言うのも躊躇われるだろう。マニの子の顔を見れば。
マニがここに、それこそずっとここにいるというのは、おそらく有り得ない。いつかどこかで、アンレスタ国、アンレスタ城に帰らなければいけない──マニがここにいればいるほど、ユメルの危険度が跳ね上がり、ついでに俺の危険も迫りやすくなる。それはマニの望むところではないはずだ。
とはいえ、師匠がいつ帰ってくるかは、俺達はやっぱり──
「五日後ですよ」
ユメルが口を開いた。
「昨日聞いたので、正しくは四日後ですか」
「! ユメル、知ってるの?」
「はい。昨日聞きました」
なんということもなさそうに、ユメルはそう言った。
あれ。
ユメルも、師匠の帰りがいつだったか知らないんじゃなかったか? たしか師匠は、誰にも伝えずに行ったと……
今日の朝を思い出してみる。朝起きて、箒を持ったユメルに会い、外に出て、ルークに師匠の帰りを──
「ありゃ。儂の勘違いかの?」
そうだ。ルークが言っていたのだ。
おそらくユメルも知らないだろう、と。
どうやら、その予想は外れていたようだった。
ユメルは朝、俺が起きる前に、師匠と話をしていたらしいのだ。つまりこれは、その時に聞いた──のか。
「かかか。聞くはなんとかっていうが……こんなこともあるんじゃの」ルークは悪びれる風もなく、そう言った。
いや、ルークは悪くないか。確認を怠ったのは、他の誰でもない自分である。師匠の帰りなんて、いつかは帰る、ぐらいにしか考えてなかった、そのツケが回ってきたのだろう──まさかこんなところで必要になるなんて、考えなかった。
「四日かぁ。短いような──短いような……そっか」
少し残念そうに、マニは言った。
四日というのは、微妙なラインだろう。長いとも思わないし、短いと言い切ることもできない。すぐに過ぎそうで、そうでもないというような間隔。
マニにとっては、言葉通り、短いのだろうけれど。
「まぁ、ここにいれるだけで、私にとってはいいからね……それじゃ、改めて」
俺にとっては、二度目の改まりである。
「この四日間、よろしくお願いします」