侵入者──7
ルークは昼ご飯を取りに、狩りに出かけたらしい。周りを見渡しても姿が見えないのは、そういう理由からだった。
「ユメルぅぅ、ぅぅぅ」
「……いつまで泣いてるんですか」
白と青髪の二人は、今も抱擁したままだ。固く固く、離したくなさそうに、腕に力を入れている。
いつぶりの再開なんだろう。長く会えなかった旧友にようやく会えたのだ、その反応も納得のものだった。
ユメルも心なしか、声がうわずっている。
「というか、なんでここにいるんですか。一人ですか」
「ぅぅ……うん。ソラに助けてもらった」
どうやらマニに対しても、ユメルは敬語のようだった。誰と話す時も敬語、とユメル独自のルールがあるんだろう。
両親には、どうなのだろうか。
「……お兄さん? なにがあったんですか。なんでマニが……」
不思議そうな顔で、ユメルに聞かれた。俺は、その答えは、ここに来るまでに用意しておいた。ユメルに聞かれるであろうことは、簡単に予想できたし。
「ええっとね。さっき──」
俺は簡単に、先程起こったことを説明していった。これで、マニが泣き止むまでの時間も稼ぐことができるだろう。
俺は見たままを言葉にするだけ。今の俺なら、走るより簡単なことである。
「──なるほど。そんなことがあったんですか」
マニの背中をさすりながら、ユメルは話を聞き終えた。その頃にはユメルもマニも、通常運転に戻っていた。
ハグのような格好は、そのままだけれど。
「お兄さんもルークもいなくなってると思ったら。ありがとうございます、マニを守ってくれて」
「…………」
「マニ。お礼言ったんですか」
そこでようやく、ユメルがマニから離れた。肩を持ち、マニの目を見る。
「お礼……言ったよ。ちゃんと言った」
「そうですか。それはよかったです」マニの頭を撫でるユメル。
こうして見てみると……背も同じくらいで、顔立ちも変わらないな。10歳というマニの申告が正しいならば、ユメルもそのくらいだろう。
牢で見た時の第一印象は、守ってやらなければいけないような子供だと思ったけれど、三つしか変わらないのであれば、俺とそれほど違いはない。
「……とりあえず、座りましょうかお兄さん。立ったままも辛いでしょう」
「ああ。そうだね」
掃除をするための箒がそこで、俺の目の端に入った。扉の近くに立てかけてあるのが見える。
箒。朝のユメルは、自分の思考の渦に囚われているような感じだったけれど──今はそんな様子はあまりなかった。
時間が過ぎるにつれて、解決法を見つけたんだろうか。
分からなかった。
ユメルはマニに椅子の一つを示す。それからマニに続いて、自分も椅子の一つに座った。
俺も座る。
「……ユメル、元気なの?」
俺が座ると同時に、マニが口を開いた。俺と話していた時のような、明るい声だ。
「元気……かどうかは微妙ですけど。少なくとも、あそこにいた時よりは、元気ですよ」
「……そっか。よかった」
マニは安心しきったように、えへえへと、赤ちゃんみたいな、純粋そうで眩しい笑顔で、椅子の上で横になる。ここまでの道中の苦労がマニの体にはのしかかっているのだろう。けれど、よくあんな小さいところに横になれるものだ──器用なものだった。
と、マニがこちらを見た。
「……そうだ、ソラに会えた喜びで聞くの忘れてたや」
「ん? なに?」
並んで歩くこと、一時間。その間に、大抵の質問はお互いした。細かく知りたいことはいくらでもあるけれど、聞くまでもないようなことだし。
それでもマニは、それを、聞いておくべきことだと思ったようだった。
「そもそもの話なんだけどさ」
「うん」
「なんで、ユメルを助けてくれたの?」
「…………」
それは──それは。
俺はユメルの顔を見る。ユメルにも、いつもの無表情の裏に、焦りがあるようだった。
俺も、焦っている。
「……えっと、知り合いがそっちの文化に詳しくて」
「それは知った理由でしょ? そこから、なんで助けようと思ったの?」
「…………」
いや、助けてくれたのは感謝しかないんだけどね、とマニは手を顔の前で振った。しかし、笑っているマニとは対照的に、俺とユメルの気分はどんどん沈んでいく。
ユメルを助けた理由。
それを説明するには、しかし、付随して説明する必要があるものが山のように出てくるのだった。今、ユメルにしたような説明の何倍も、だ。
例えば、異世界のこと。例えば、折衷世界のこと。例えば、俺の幼馴染のこと。それに──
ユメルの、魔女と呼ばれる両親のことも。
それらを説明する必要が出るのだ。
「…………」
話した感じ。
ユメルが魔女ということを、おそらくマニは知らない。
ユメルの両親が消えたことは知っているだろう。アンレスタ国で起こった折衷現象については、立場上、簡単に知ることはできる。
けれど、ユメル、もしくはユメルの母が、正真正銘の魔女その人だとは、マニは知らないようだった。魔女が本当に存在するなど、話している感じ、マニの頭の片隅にもない気がする。
話した感じだから、もしかすると間違っているかもしれないとも思ったけれど──ユメルの反応を見るに、おそらくこの予想は正しかった。
魔女として捕まったユメルの逮捕は、マニにとってはおかしいものなんだろう。そんなことをユメルがする訳がないと思うのも無理はないし、それは実際に当たっている。
けれど、ユメルが魔女ということ。
ユメルがそう噂される存在であること。
その一点において、あの逮捕は正しいのだった。間違いだらけの、間抜けと言われても仕方ないようなあの行動の、その一点だけは、正しかったのだ。
ユメルが、魔女であるということ。
それが、マニと俺達の認識の違いである。同時に、説明を渋ることになった理由だ。
「…………」
ユメルを助けた理由。
どう答えるのが正解なんだろう──正直に言うのならば、異世界のことを説明する必要がある。
そして、ここで異世界のことについて説明するのは、かなり危険があることだった。
マニは当事者でない。
それは、アンレスタ国の王女という身分を除いても、考慮しなければならない。
ルークは例外として、ここにいる人間は皆、折衷現象に遭った者だけなのだ──よって当然、情報が外に漏れることはない。ここにいる人間が望んでいるのは、折衷現象によって連れて行かれた、大切な人の返却である。その邪魔にしかならないだろう機密の漏洩など、何より優先して守るべき約束事だと、俺達はみんな自覚している。
だから。
師匠がここに家を建てた理由の一つでもある機密を、ここで、部外者に言っていいものなのだろうか。
ましてや、アンレスタの国の人間なのだ。マニにそんな悪意はないだろうけれど、どこで情報が漏れるか分からない。
「どうしたの?」
涙が引っ込み、その代わりに笑顔が出てきたマニは、元気に笑っていた。これがいつもの顔なんだろう。
その反面、答えるべきか悩んでいる俺の元気が減っていく──あたかも、マニに吸い取られているようだった。
そんなことはないだろうけど。
「……お兄さんは優しいですから」
と。
そこで、ユメルが口を開いた。俺が、吃って答えることができないのを、見かねたんだろう──俺への助け舟であることを悟らせないような物言いで、ユメルは言う。
その答え方は、俺が選びそうになっていた選択と同じものだった。
「理由なんてなくても、助けてくれるんですよ。特別な理由なんてないです」
「…………」言わない。それがユメルが選んだ選択らしかった。
異世界のこと。
自分のこと。
両親のこと。
それらをマニに言うわけにはいかない──ユメルはそう思ったのだ。
それを冷たいとは、俺は思わなかった。
言わないということは、巻き込まないということ。
ユメルはマニを、この、何があるか分からない超常に巻き込もうとはしなかった。
大切な友人を守ろうとした。
俺は、それが優しさだと、すぐにそう思った。
「なんの理由もないの? それであんな危険なことを?」マニは素っ頓狂な声を上げる。
「そうですよ。お兄さんはそんなことで迷いません」
「へぇ、そうなんだ。そういえば私も、助けてもらったんだった」
「そうでしょう? そういう人なんです」
「かっこいいね」
「はい」
……何も言わないでいたら、話に尾ひれが付いていた。
それでも、真実を話すことに比べたらマシだから──我慢するしかないんだけれど。
俺は二人の会話を聞く、それだけに徹していく。
俺、無言。
「…………」
そこでふと、師匠の顔が頭に浮かんだ。
今は出張に行っている師匠。
ここに、師匠がいたならば──あの人は、果たしてどんな行動に出たのだろうか。
心が読めるのは、ユメル以外には有効なはずだから。もしマニが何か嘘をついているとしても、それで分かるとして。それで、どういう行動をとるか。
まぁ。予想は簡単にできた。
師匠なら、アンレスタ国の重要人物を逃しはしないだろう。あの手この手で絡めとり、手駒に加えそうだ。師匠ならそういうことを躊躇なく実行しそうだった。
だから、まぁ。それが、ここでの最善手なんだろう。
まぁ、でも。
けれど。
「そういえばもうお昼ですね」
「あっ! そうだ! 私、お腹すいちゃった」
「……ここまで来たのはいいとして。ご飯はどうするつもりだったんですか」
「…………」
「……まさかなにも考えてなかったとか、ないですよね」
「…………まさかぁ。まさかまさか」
「……本当ですか?」
「……………………」
「……はぁ。今からご飯にしますから。一緒に食べるでしょう?」
「本当⁉」
「だから、手伝ってください」
「分かった!」
「……ふふ」
なんて。
そんなユメルの笑顔が見れただけで、俺にとっては、これが最善なのだった。