侵入者──4
「知り合いに会いに来たの」
それから十分程過ぎた後。舌ったらずな言い方で、その少女はそう語った。
涙はもう乾いてはいるけれど、くりっとした目は、少し充血している。頬にもうっすらと涙の跡があった。
「知り合い? こんな森に?」
「うん」
ちなみに、ルークには先に家に戻ってもらっている。どうやら先程のルークの声は、泣き声で掻き消されて聞こえなかったようなのだ。だからこの際、余計な情報を増やさぬようルークには姿を消してもらって、俺一人で会話を進めたほうがいいと、俺達は判断した。もともと俺一人で交渉するつもりだったのだから、好都合ではある。
不必要に怖がらせる必要はない。
「へぇ。一人で来たの?」
「そう」
歳は10で、東国に住んでいるらしい。その知り合いとやらに会いに、単身森に入ったとか。
俺と年齢が三つしか違わないことに、衝撃は受けなかった。背もあまり俺と変わらないし──一人で森に入るその無鉄砲な特徴も、年に似合っていると思う。
俺だって、あいつが森に消えたのならば追うのだろう。
そんなものだった。
「ありがとうございました。助けてくれて」
「あぁ。いや、たまたま通りかかったから」
「そうなんだ」
お礼の言える良い子のようだった。
咄嗟に嘘が出たのは、俺も成長している証なのだろう。ここで正直に話そうとする人間なんて居ない──結果として、この子を騙す結果になるのは、俺が罪悪感を感じればいい。
少しだけ罪悪感を感じながら、俺は質問を重ねた。
「そういえば名前を聞いてなかったね」
「名前? 知りたいの?」
純粋そうな目で聞かれる。一つも俺のことを疑って無さそうな目をしていた。
この子、自分の感情には素直なタイプかな……顔に出るタイプな気がする。
師匠から知能と戦闘力と身長を抜いた、みたいな。高貴さは付け足して。
「私はマニ。マニ=ドンレフって名前」
「マニ……ドンレフ」
「マニでいいよ」
ニコっと笑顔を向けられる。その顔には、今の今まで死の縁を彷徨っていた者の恐怖なんてものは無かった。
俺は、返事に詰まった。
「…………」
まいった。
どうしてもあいつが脳裏に出てくる。
太陽のような笑顔。純粋そうな言動。
あいつは金で、この子は白。
髪の色は違うのに、それでもあいつを思い出さずにはいられなかった。
「どしたの? なにか気になることでもあった?」
「ああいや」
「ふーん? というか、あなたの名前も教えてよ。私は教えたんだし」
「あぁ、そうだね……」
言われ、数瞬迷う。
本名を言うべきか。マニは東国の人間であることは、嘘をついていない限り確定として──あの東国からの脱出劇で俺は一度も名乗った覚えはないけれど、なにかの間違いで、ソラという名が広まっている可能性もあるし。そこから怖がられる可能性だってある──
「……俺はソラって名前だよ。歳は13」
「へえ、いい名前ね。ソラ。うん、呼びやすい」
そんな可能性、ないか。こんな子が、国の指名手配なんてものを熱心に見ているとは思えない。それに、そもそも俺が東国で指名手配されているかどうかも断言は出来ないのだから、話しやすい方で行った方がいいだろう。
精神的にも、かなり楽だ。
「それで、ありがとうはありがとうなんだけど……私は知り合いに会いに行かなきゃいけないんだ。だから……」マニはチラリと、上目で見てくる。
「…………」
どうやら、この後の旅路にも魔物の危険が付き纏うのを嫌っているらしい。ひしひしと、俺に護衛のような任務を頼みたいというような雰囲気が感じられた。
どうしようか。
俺が魔物に避けられているのは、俺の力ではなく師匠のおかげである──とはいえこの八日間、一度も俺は襲われていない。この実績があれば、とりあえずは襲われないと思っていいだろう。
もちろん、野放しにするよりも詳細が探り易いという側面もある。付いていくだけで一石二鳥だ。
悪い話では無い……はず。
「……うん。詳しい話を聞かせてくれるなら、俺はいいよ」
「ほんとう?」
「ほっとけないし」
「やった」
「…………」
にへへと笑うその笑顔も、あいつに重なる。
少しだけ、ほんの少しだけ、あの時のような楽しい感覚が湧いて来た。
八日、である。一週間とちょっと。
それだけなのに、俺の心はかなり疲れているようだった。
他人にあいつの影を感じる程に。
「…………」
「ん? また黙っちゃって。どうしたの?」
おっと。今はマニから情報を聞き出さなければいけないんだ。
感傷に浸っている場合では無いのである。
なにか会話を。
「ええと。いや、今の魔物怖かったね」
咄嗟に振った話題としては最悪と言われても仕方ないような、そんな話題選びだった。
「魔物? なにそれ」
「え?」
それでも、予想外もいいところの返事が返ってくる。
もしかしてこの子、魔物を知らないのか?
「……さっきのトカゲ、なんだけど」
「……魔物がいるの? この森?」
「…………」
魔物を知らないのではなく、この森に魔物がいることを知らないみたいだった。
道理で、一人で森に入るはずである。
マジでか。
「……あれが魔物……話には聞いてたけど、直に見るのは」
「初めてなんだ」
「うん」
俺が初めて見たのはいつのことだっただろう。昔のことなんて、覚えていないことの方が多いから断言は出来ないけれど──少なくとも、マニの10よりは早かったような気がする。
一方で、マニは思い出したく無いように顔を渋らせ、記憶から消そうとしていた。そういうところも、顔に感情が出るタイプと言えた。
「うわぁ……もっとカッコいいやつとか、想像してたのにな。ねぇソラ。魔物って皆あんななの?」
魔物に対して妙な幻想を持っていたらしい。顔はそのままに口だけ尖らせても、高貴さのようなものは残っていた。
思えば名前にも、性が付いていた。東国の名乗りのルールにもよるだろうけれど、リゲル国と同じルールならば、良いところのお嬢さんという予想はあたりということだ。
ドンレフ家──みたいな名家が、東国に多分、あるのだろう。
「魔物が全部あんな見た目とは限らないよ。勿論、人間に友好的な魔物もいる」
俺はルークを思い出しながら、会話を繋ぐ。
ルークは例外な気もするけれど、一番近くにいるのは間違いないだろう。それ以外にも本で読んだだけとか、ルークに聞いただけの魔物も勿論、いるにはいる。
「そうなんだ。私の運が悪かっただけ?」
「そうかもしれないね」
「そっかぁ……あっ、そうだ」
そこでマニが、肩から下げた鞄を開き手を入れた。なにやら探るように、中で手を動かす。
その重さが命取りにもなりかねなかった鞄を手で揺らしながら。
同時に口も動かす。
「そういえば、今日はなにも持ってないんだね」
「え?」
マニは変わらず、純粋な目でこちらを見た。
そして、本当に思い出しただけかのような──
そんな表情でそれを言った。
「はい、これ。多分、ソラのでしょ?」
鞄から出されたそれは、今ここにあるべき物では無かった。
それは。
「これも目的の一つだったの」
ルークの爪から作られた、あの武器だった。