侵入者──2
折衷現象。
その名前を、昨日、ユメルへの糾弾の後に、師匠とルークに言うと、納得したような顔をされた。
「へぇ、いい名前考えるな。言いやすいしよ」
「そうじゃなぁ。今まで何度か、その現象に名を付けようとしたんじゃがの。ここまでぴったりな名があるんじゃな」
「誰が考えたんだ?」と、師匠が俺の顔を見る。「ソラか?」
「ああいえ。俺じゃなくてユメルが考えてくれたんです」
「……ユメが?」
「はい。師匠達がいない時に」
「難しい言葉知ってんのな。ユメは一人で家にいたんだよな? 親の魔女の教育が良かったのか」
「……本があれば勉強ぐらい出来るでしょう。家にあったんじゃ?」
「……なにか自分に重ねてないか?」そこで、師匠は声を低くした。「ソラ。お前とはちょっと話が違うぞ?」
「…………」
「お前の場合は、幼馴染っていう最高の話相手がいただろ? そのおかげで会話も出来るようになったはずだ。でもユメは違う。両親以外とは誰とも会っていないはず」
「……それなのに、ユメルは知識も会話も人並みなのがおかしいってことですか?」
「おかしいっていうか、なんつうか。変だなって」
変。師匠はそんな風に表現したけれど、その時の俺は理解できなかった。
それでも、師匠の勘は当たるのだ。他愛もないことだとしても、後々に響きかねない。
俺はそれを一応、覚えておくことにした。
「今、どこにいるか分かる?」
ルークが足音を聞いてから、俺とルークはすぐにその足音の方向へ向かった。俺は地面を駆け、ルークは飛ぶ。いつものスタイルだ。
「ん。もうすぐじゃの。前進でいいぞい」
木が生い茂るこの森では、ルークは木の上を飛ばざるを得ない。隠密行動には、その巨体も相まって向いていないのだ。だからこそ、東国では他の鷲に飛んでもらったんだし。
「……出来れば相手にバレる前に、こちらが先に見つけたいんだけど」
このことは、ユメルには伝えていない。自分に追手が来ているなんて、そんなこと──ユメル自身、考えは及んでいるだろうけれど。
けれど、伝えた方が安全になるのは百も承知の上で、俺達はユメルに共有せずにここまで来た。
これ以上、ユメルが背負うものを増やして良いのか、俺には分からないのだ。出来れば、ユメルが知らないまま、この侵入者は解決したい。
「おっと、止まるんじゃ」
そんなルークの声で、俺は足を止める。すぐさま木の影に隠れ、周りを警戒した。
ここは──森のどの辺りだろう。
一直線に東に走って来たのは分かるけれど、ここの具体的な位置は、ちょっと見覚えがない。魔女救出の時に来た道に似てはいるが、違うような気もする。
考えていると、ルークが木の合間を縫って降りてきた。
「前の……森の東端の近くじゃよ、ここは」
師匠のような読心で、ルークが位置を教えてくれた。標的が近いのだろう、降りる動作もその声も、音を立てないような配慮を感じる──なるほど。魔女救出の作戦が始まるまで身を隠していた、あの東端の近くであっているらしい。ということは、周りが木だらけの、お世辞にも視界がいいとは言えないこの近くに、
いるらしい。
侵入者が。
「姿を見られんようにすぐ隠れたからの。あまり見えんかったが……軽装の女子のようじゃったぞ」
「…………女の子?」
ますます訳が分からなくなってきた。ユメルを奪還しに来た東国の戦力が、女の子一人というのだろうか。そんな馬鹿な。
俺は、前を観察する。
そもそも、ユメルとは何の関係もない人間の可能性もあるにはあった。森に観光に来たとか、入ったは良いものの出られなくなったとか。俺達の早とちりの可能性だ。
しかしそれは確かに、あり得なくもないけれど、それでも、森の魔物のことを知っていれば、普通、用もなく近づくことはないだろう。それなのに、こちらに確かに近付いているというのだ。
何の関係もないとは思えない。
女の子──か。
「……ルーク。その子、歳はいくつぐらいだった?」
「ん? 歳かの? 歳は……どう見ても大人には見えんかったかの。ソラと同じぐらいか、下か」
「…………」
ならばとりあえずは、会敵、即戦闘のような展開にはならなそうか。
急に戦いを挑んでくるような女の子なんてそうはいないはずだ。もしそんな子だったとしても、それぐらいの背丈の女の子ならば俺一人でなんとかできる。ルークが戦いに参加しにくいこの森の中でも。
ならばやはり、考えるべきは侵入者の目的である。
この森に何をしに来たのか。
「お。あれじゃソラ。見えるかの?」
言われ、前を今まで以上に注視する。目を凝らして見たそこには、形容通りの姿があった。
山に入るには不似合いな膝までの白いスカートに、長い白髪を守るように麦わら帽子を被っている。シミや汚れひとつない綺麗な顔からは、疲れに耐えるように力を入れているのが分かった。おそらく、森の中を歩くことなんて経験したことがないのだろう──服装や顔立ちから、師匠とはまた違うベクトルの高貴さを感じた。
そんな少女が、こちらに近付いて来ている。
「……本当にルークの言う通りだね。俺と同じくらいか、下か。歳はその辺りで間違いない」
「かか。あれ、結構いいところの娘じゃないかの? こんな森になんて縁もゆかりもないような雰囲気じゃが」
「……やっぱりそう思う? 歩くのも辛そうだし」
「そうじゃの。ソラの……昔のソラと同じで体力がないんじゃろう。フラフラした足取りはそういうことか」
その子は、口も固く閉め、明確にどこかに向かって歩き続けていた。肩には、これまた森に入るには不似合いな小さなかばんをかけている。籐で作ったかごのような──それの重みも、今のこの子には辛そうだった。
「…………」どうしようか。
ユメルを取り戻しに来た兵士にはとてもじゃないが見えない。それは好都合だ──った、けれど、ここで立ち塞がって話を聞くのは、ちょっと怖い、だろう。一人森のなかで、巨大鷲を従えた男に声を掛けられるなんて、俺なら一目散に逃げる。
かと言ってこのままの進路で進み続ければ、この子は間違いなく師匠の家に着く。この森は広いとはいえ、俺や師匠が通ることのある道は、日々、整備されている。人が通りやすそうな道を選び続ければ、この侵入者の子はいつかはあそこに辿り着くだろう。それだけは避けたい。
引き止めるか、もう少し様子を見るか。
「……ルーク、隠れよう」
「ん? 声掛けないのかの?」
「うん」
いや、声は掛ける。引き留めなくてはいけない以上、それは絶対だ。
けれど、今はまだしなくていい──というのが結論だった。
最低でも、相手の目的ぐらいは分かってから行きたい。そうでなければ、怖がられるだけで終わるかもしれない。
そうなるぐらいならば、急がば回ったほうがいい、と。
「ふむ。まぁ、それが一番安全かの。儂は……遠くから見ていようか」
頼んだぞ、とルークは音も立てずに姿を消した。近くにいた俺の耳にすら翼の音も聞こえなかった。森の木が揺れさざめく音にかき消され、この子にも何も聞こえなかっただろう。
俺は再度、この子に目線を戻す。もう少しで声が聞こえそうなほどの距離だ。
それで。
「──はぁ、はぁ」
声が聞こえるまでの距離になる。
見立て通り、息が上がるほどに疲れているようだった。吐息がどこかしこに逃げていく。
「うぅん……んんん」
それでも足は止めない。少しずつ前へ進んでいた。
やはり、歩きやすそうな道を選んで歩いているようだ。平坦に近い道を意図的に選んでいる。
だから、戦闘になることがなさそうだ。それは、好都合。
だけれど──これはまずい。本当に、このままではこの子は師匠の家に到達してしまう。家の周辺は特に道が平坦なのだ、誰でも到着は容易である。
「はぁ、はぁ」
「…………」
俺は一度、深呼吸した。
今ならまだ、この子をここで引き止めることは出来るだろう。目的の判明まで待ちたかったのだけれど、そうも言ってられない。
俺はここで、その子の前に──
「ガァァァァァ!!」
「!」
その子の前に、立ち塞がることは出来なかった。
立ち塞がるべく一歩を踏み出そうとした俺の耳が、そんな唸り声を捉えたのだった。女の子もそれが聞こえたようで、慌てたように周りを見渡している。
何だ今のは? 何の声だ?
そこで、俺は思い至る。
「…………!」
そうだ、ここは普通の森じゃないだろ!
俺の前に現れなかったのは、あくまで師匠のおかげだったはずだ。師匠の匂いのおかげだったはずだ。
ここは魔物達の森なのだ。その名の通り、魔物が住む森。
「ガァァ、ァァ、ァァァァ!!!」
侵入者が襲われない。そんな訳がないのだ。