八.日本橋料亭
部内では社員間のコミュニケーションを図る目的で定期的に飲み会が開催されていた。岡本と秋山はくだけた話をするまで打ち解けていた。
「岡本さんはこの会社に来る前は何をされてたんですか?」
(この人は今まで、どういった人生を歩んできたんだろう……)
IT業界の人間にはあまり見ない、人間くさい岡本に、秋山は次第に興味を注がれて惹かれていた。今日は思い切って色々と聞いてみよう。
「ん、俺か……まあ、あれだ、サッカー選手だ。いわゆるプロってやつだな」
「え!? サッカー? ですか? しかも、プロ……えっと……すごい……経歴ですね」
少し戸惑った秋山は、しばらく黙り込んだ。
(まあ、そうなるわな。バリバリの体育会系……使えない理由もこれで判明ってやつだな)
岡本は恥ずかしくなって盃を一気に飲み干した。その様子に、慌てて秋山は言葉を続けた。
「思い切った異業種からの転職、すばらしいです! でも、どうして引退を?」
岡本は少し眉をひそめて困ったように頭を掻いた。あ……差し支えなければでいいんです。慌てる秋山に岡本は肩の力が抜けた。
(あの暴力事件……こいつは何も知らねぇのか。まあ、いつまでも隠してても、しゃーねぇか……)
「いやいや、別に問題ないぜ。まあ、ちょっとサポーターとトラブルを起こしちまって。酔った勢いってやつだ。まあ、俺も若かったからな。やっちまったもんは仕方ねぇ。いさぎよく、すぱっと辞めてやったぜ!」
ガハハと大笑いした岡本は戸惑う秋山の視線を遮るように再び盃をあおった。子供の頃から情熱を捧げてきたサッカー。プロになる夢がかなってこれからって時に起こした事件。引退を勧告された時、絶望して生きている意味を失い、死すら脳裏を横切った。だが、薫に出会い、俺は新しい人生を歩むことを決めた。もう俺は悩まねぇ。
「ただ、この業界は全くの未経験だったからな。会社もJリーグとのパイプ役を期待してたんだろう。だが、最初は大変だったぞ。いきなり意味不明なプログラムを〝はいどうぞ〟だろ。日々やつれていく姿に嫁にも気苦労をかけたよ」
再び大笑いした。ふふふ。秋山は岡本の机にかざられていた写真を思い出して微笑ましくなった。この人は本当に家族思いなんだな。秋山は手元の料理をおいしそうに頬張って、にこにこと岡本を眺めた。
笑顔の秋山に岡本はほっとした。遠くで冬木がちらりと見えた。こちらを興味深そうに、うれしそうに眺めている。こんな俺でも受け入れてくれるやつらがいる。薫、俺もお前と同じ業界で、これからもやっていける気がするぜ。
(そういえば……)
岡本は手に持つ盃をゆっくりと下した。俺はこいつのことを、どこまで知っているんだろう、いや、どこまで知っていいんだろう……〝運び屋には近づくな〟 無意識に作っていた壁。ごくりと唾を飲み込んだ。弟との繋がり……いつまでも、うやむやにはしておけねぇ……岡本は決心して秋山を真剣な眼差しで眺めた。
「まあ、俺の事はいいとして。前から聞きたかった事があるんだ。以前トラブルを解決してくれた時、お前の目は薄緑色に輝いていた。そして、俺と冬木は立ち上がれないほどの衝撃を受けた。時々、会議室にこもるのもそれを避けるためなんだろ? そもそもありゃいったい、何なんだ?」
飲み会はピークを迎えていた。全員が普段のうっぷんを晴らすかのように大騒ぎしていた。顧客の愚痴をこぼすもの、過去の成果を自慢するもの、若者を説教するもの……部屋の隅で岡本と秋山はひっそりと話し込んでいた。
目をそらし、うつむく秋山に、不意に岡本に不安が襲った。俺は今、何か危険な世界に足を踏み入れてるんじゃ…… すっと顔を上げた秋山の澄み切った瞳に岡本は息を飲んだ。
「本当は見られてはいけなかったのですが……賢者の緑瞳 極限まで集中した運び屋は、目の色が薄緑色に変わり、通常の何百倍もの思考能力を発揮することができます。ただ、周りの人には悪影響を与えますし、やりすぎると自身も体調を崩してしまうので、できるだけ使わない方がいいんです……」
危ないですよね、こんな力……少し悲しそうにつぶやいた秋山は、うつむいて黙り込んだ。
「あ……いや、別にそういうことは……」
岡本は言葉に詰まった。確かにあの力は異常だ。だが、秋山だってそのことは十分に認識している。問題はそれに頼ざらるを得ない会社の現状、秋山を取り囲む環境の方だ。どうしようもないIT業界の体質に再び無力感を感じて、岡本も黙り込んだ。
「秋山きゅ~ん♪ 楽しんでる?」
不意に山下が間にわりこんで、秋山ににこにこと笑いかけた。あ……どうも。慌てた秋山とうつむき黙り込む岡本。二人を交互に見回した山下は、決まづい空気を感じて、そろりと立ち上がった。
「えっと……およびじゃないようですね……岡本マネージャー、また秋山君への依頼業務、相談させてくださいね」
ぺこりと岡本に頭を下げた山下は、またね♪と秋山に目配せして、席を離れていった。山下の後ろ姿をぼんやりと岡本は眺めながら、秋山の驚異的な仕事量について思い返した。営業からの無茶な依頼は随分と減っている。だが、それでも通常の何倍もの業務をこなしている状況には変わりない。
ふと、弟との最後の夜を思い出した。あいつも同じように、自分の命を削っても、人の何倍もの仕事を受け続けいていたに違いない。薄緑色に輝く瞳でたたずむ紬。弟もこいつと同じ〝運び屋〟だった……やはり、つながりがあったのか。だが……
冷や汗を押さえつつ、岡本は首を傾げた。あの時、弟に重なった金髪の女性。あれは何だったのだろう? うつむく秋山に思い切って尋ねた。
「目の色が変わると、人格も変わるとか、そういった事はあるのか? 例えば女性の性格に変わるとか」
思いもよらない質問だったらしく、秋山はぽかんとして言葉に詰まった。
「じ、人格ですか……うーん、それはどうでしょう。でも、あるかもしれません。車と同じで、賢者の緑瞳になったら大胆になる人もいると思います。もしかしたら僕もそうかも……でも、それがどうかしました?」
首をかしげる秋山に岡本は眉をひそめた。
(あれのことを、あの亡霊のことを、こいつは知らないのか?)
「いや、ちょっと……な」
秋山すら知らない事実。この国家プロジェクトにはまだ何か得体のしれない闇がある。背筋にぞっと悪寒を感じた岡本は、慎重に言葉を選びながら、再び秋山に尋ねた。
「十五年ほど前、当時、小学校高学年のひょろりとした栗色の髪の少年。……ぴょっとして、お前と同じ育成プロジェクトに参加していたりしてないか?」
えっと、秋山は顎に手を当てて考え込んだ。
「初期のメンバーですねぇ。該当するとなると……第一期生 岡本紬さんかなぁ。え……岡本?」
偶然の一致に、秋山は口をぽかんとして岡本を見つめた。
「やっぱそうか、驚かしてすまねぇ。そいつは俺の弟だ。九年前に死んだ。なぜだ? 俺はそれが知りたい。何か知ってんなら教えてくれ!」
お、弟……? 突然の告白に目を丸めた秋山は、岡本の必死の剣幕に、戸惑いながらも話し出した。
~
2007年にIT Translator国家育成プロジェクトが開始され、岡本紬は第一期生として参加した。十一歳ですでに世界でも指折りのITスキルを持ち、博士号も授与された秀才。施設のカメラをハッキング、フェイク映像で県警察を欺いた、そんな噂も流れた。訓練における成績は二位と大差をつけて常にトップ。育成プロジェクトの中でも、その存在は抜きん出ていた。その一方、性格はまじめで、その笑顔は愛らしく、
〝神に選ばれた天使〟
大人達は紬をそう呼んだ。
五年間の厳しくも充実した育成期間を経て、紬はある企業に出向することが決まった。IT分野で未熟な日本で運び屋は大い期待された。十六歳にしては小柄で華奢な容姿に一見頼りなく見られたが、その人柄と技術力で即戦力としてすぐに活躍した。
入社して一年が過ぎたころ、納品先である事故がおきた。重大なシステムトラブルの発生。
〝百億の損害が出る、早急に復旧しろ〟
会社に強い圧力がかり、あわてた担当者は雲隠れ。会社は紬にすべてを丸投げた。紬は真っ赤な警告がでるパソコンの前に無理やり連れてこられた。突然の事でなんの手掛かりもなく、戸惑う紬に上司が近づき、耳元で何かをつぶやいた。紬は驚いた表情で周りを見回し、首を横に振った。
「ここで〝あれ〟を使うとこの場の人たちに……」
「人払いの時間もない。すぐにやるんだ!」
強い上司の圧力に、紬は観念したように頷いた。皆が心配に見守る中、紬は大きく深呼吸をしてパソコンの前で目を閉じた。二十~三十秒。体の周囲の空気が蜃気楼のように揺らいだ。ゆっくりと開いたその瞳は薄緑色に輝いていた。
プツン
不意に紬から少し離れたモニターの電源が入った。そばにいた社員が驚いた顔をしてキョロキョロと見回している。紬は微動だにしていない。
プツン、プツン、プツン……
続々と起動するモニター。
ブーン
数十台のパソコンが不気味にうなりだした。
何が起こっている?
その場の全員が氷のように固まった。モニターにアプリケーションが立ち上がり、まるで幽霊が操作しているように目まぐるしく動き出した。見慣れない真っ黒なウィンドウが現れて複雑な英数字が激しく流れた。表情を歪め苦しそうに黙って立つ紬を、皆は心配と恐れが混ざった複雑な気持ちで見守った。
ガタン
突然、紬の近くに立っていた社員が、青白い顔で机を押し倒して倒れ込んだ。二人、三人……次々とその場で卒倒した。
〈ピ――――〉
数十秒後、大きな音がしてすべてのパソコンの画面が止まり、トラブルが復旧した。十人以上もの倒れる社員の中心に、薄緑色の瞳をした紬が黙って立っていた。
「お疲れ……だったな」
上司が離れた場所から青白い顔で声をかけ、逃げるように部屋を出た。
「ちょ、マジかよ。これやばくねぇか」
誰かの一声を皮切りに、ワ―キャーと続くように慌てて皆が出口になだれ込んだ。腰を抜かして座り込む女性社員に紬が近づいた。
「すいません。倒れた人たちのために救急車を呼んでもらいたいのですが」
女性社員は泣きそうな顔をしてコクリと頷き、這うようにして走り去った。紬は寂しそうにその姿を追った。
会社は今回のトラブルについて紬を功労者として表彰した。しかし、その日から皆が彼を避けるようになった。部下が少しづつ異動となり、席が端に追いやられ、最終的に個室に移され一人で仕事をするように指示された。
〝緑目の悪魔。近づくと命を吸い取られるぞ〟
陰でそうささやかれた。この出来事は、運び屋に期待を寄せていた他の企業に瞬く間に広がった。
〝運び屋に近づくな。近づけばとんでもない悪夢を見る事になるだろう〟
いつの間にかそんな噂だけが広まった。
~
岡本は秋山の話が信じられなかった。
(あの紬が悪魔だって?)
一緒に過ごした幼少時代、元気に公園を走る姿、希望に満ち溢れて旅立ったあの日、そして薄緑色の目をして笑う紬。背筋がぞっとした。
(いったい何がどうなってんだ?)
秋山と目が合い、思わず後ずさりした。秋山はさみしそうに目をそらし笑顔を繕った。
「賢者の緑瞳は確かに危険な能力です。一方で途方もない成果を生む可能性を秘めている。運び屋は完全に世の中には受け入れられていない。杉本次長の言われる事はもっともです。莫大な国家予算に見合う結果を出せているのか。全ては今を担う運び屋にかかっている。とにかく成功事例を積み重ねるしかない」
悪魔だって多少は人の役には立つんだって事を早く証明しないといけませんね、秋山は寂しそうに微笑んで席を立った。岡本は言葉に詰まり、ただ席を離れる秋山の背中を見続ける事しかできなかった。
*
あの日以降、岡本は秋山にどう接していいかわからず、秋山も岡本を避けているようだった。秋山の異常とも言える会社への献身の理由。まさか弟が起こした事故を発端としていたなんて。
〝運び屋には近づくな〟
不名誉なレッテルは弟の責任じゃない。どんな力も使い方を謝れば悪になる。無能な上司が招いた人災。それを秋山が後ろめたく感じること自体も間違っている。
〝洗脳〟
深く刻みこまれた罪の十字架。秋山や紬を裏で操る得体のしれない何か。プロジェクト本部とは一体何なんだ。
「話したい事があります。指定の店で待ち合わせを」
そんな時、思いがけず秋山から飲みに誘われた。
*
会社の最寄り駅から電車で三十分ほど移動した、県境にある下町情緒あふれる住宅街。ぽつんと立つ古風な日本食の居酒屋。暖簾をくぐった岡本は古風な見た目通り落ち着いた雰囲気の店内を見回したが、ふと眉をひそめた。
(店員は、どこだ?)
「岡本さん。こっちですよ」
カウンターで手を振る秋山。
「ああ、今行く」
ほっとして近づこうとした岡本は、ふと足を止めた。
〝緑目の悪魔。近づくと命を吸い取られるぞ〟
思わず頭を振った。考えるな。じっとりと流れ出す冷や汗を背に感じながらも秋山の席に向かった。
「……またせたな。しかし、意外だな。お前がこんな所を知ってるなんて」
裏返る声を何とかごまかしながらも、極力、以前のように接した。
「ここは日本食がおいしいので、たまに来るんです。すいません、突然お誘いして。少し離れますね、その方が岡本さんも安心ですし……」
「な……」
岡本は耳が赤くなった。ごちゃごちゃ考えている自分を見抜かれている?
「ばっ、ばっきゃろーが。お前のあんな力を俺が怖がるわきゃねぇだろ! 今度やったら逆にぶっ飛ばしてやるぜ」
岡本はどさりと秋山の隣の席に座り込んだ。驚いた秋山は、まじまじと岡本の横顔を眺めた。
(やっぱり、この人はこういう人……)
以前のような温かい気持ちで心が満たされて、思わず秋山は笑みがこぼれた。
「あー、腹減ったな。とりあえず、そーだな。日本酒とつまみでも頼むか」
岡本は完全に吹っ切れた様子でメニューを探したが、もう注文していますので、と秋山にお通しを勧められた。久しぶりの会話に緊張していた二人も、徐々に以前のように打ち解け始めた頃、ふと秋山の表情が曇った。
「実はこの間の話にはまだ先が……」
「ご注文の品がもうすぐ届きます」
岡本の手元のタブレットから電子音声が響いた。
「おっ、やっとか。だが、雰囲気に似合わずハイテクな店だな。で、なんだ? 先がどうとかって……」
「あ、いえ……ですよね! ここは居酒屋では珍しい自動搬送制御が導入されているんです!」
「なんだって? オートメーション……システム?」
思いもよらない秋山の言葉に、岡本は目を丸めた。
「えっと。そうですね。ちょっと、見ていてください♪」
おもむろに秋山は前の棚を見つめた。注文の品が届きました。電子音と共にゆっくりと開いた棚から、湯気立つ煮物と日本酒がすっと出てきた。目を丸くする岡本に秋山はニコニコしながら、じゃあ、次はお勧めでお願いします、とタブレットに語りかけた。
「承りました。お楽しみにお待ちください」
(ふーん、会話で注文すんのか。しかもお勧めって、そんなんでうまいもん出てくんのかな……)
関心と心配が織り交ざった岡本だったが黙って待つことにした。
バタバタ
遠くであわただしく人が動いている音。オートメーションシステム。その響きにどこか無機質さを感じていた岡本は、その気配にほっと胸をなでおろした。
(よかった。さすがに料理は人がつくってるみたいだ)
「早速、大将が腕を振るっているところです。楽しみですね、とってもおいしい料理がでてきますよ!」
秋山はおいしそうにお茶をすすった。ぷーんと何かが焼けるいい匂い。この辺りの演出も憎いな。関心して岡本もお茶に手を伸ばした。
カタン
「おっ、棚から食器が取り出された音だ。配膳は自動化されているので、すぐですよ♪」
さも実況中継しているように楽しそうに秋山は説明した。
(やけに詳しいな、こいつ。相当、ここに通ってんのか……)
秋山の意外な一面に岡本は目を丸めた。
ギューン
きたきた。小さなモーター音に秋山は嬉しそうに手をもんだ。ウィーンと棚が上がって美味しそうな鯛の塩焼きがすっと目の前に送り出された。
「わあ、おいしそう。やあ大将、お久しぶりです。これ、僕とっても大好きなんです!」
秋山が語りかけたタブレットには調理人風の男がにこにこと頭を下げていた。
「大将のお勧めはいつもはずれがないです! この間の煮物料理もとっても美味しかったですし。もうサイコーです!」
ニコニコと話す秋山を岡本は意外に眺めた。大将とも相当気心が知れた仲のようだ。しばらく、たわいもない会話を交わした後、それでは、と秋山はモニターを消した。岡本は感心して唸った。
「なるほどなぁ……調理以外はすべて自動化とは。しかも、大将自ら接客……モニター越しとはいえ大変そうだな」
「今のは大将じゃ、ないですよ」
秋山は少し笑いをこらえている様に答えた。
「ああ、そうか。じゃあ、従業員か? まあ大将も忙しいからな」
「あれは……AIです」
岡本は一瞬頭が真っ白になった。
「A……I、まじか!?」
つい大きな声を上げて立ち上がった岡本に、秋山は笑いをこらえきれず噴き出した。
「ああ、すいません。あの人は大将を再現したクローンAIなんです」
クローン……思いがけない言葉に岡本は言葉に詰まった。
「す、すごいっていうか……まるで本物じゃ。てかお前、久しぶりとか言ってなかったか?」
「はい! お客とのやり取りをAIは記憶しているんです。好む食材・調理法・味付・風味を推測するだけじゃなくって、その日、喜びそうな最高の料理でもてなしてくれる。最高にクールでしょ!」
うれしそうに説明する秋山に岡本は呆気にとられた。AIだって? まさか、ここまでできるものなのか? しかし……驚きと共に少しの恐怖も感じた。どうみったて人間にしか見えない……こんなことが現実に?
「……ま、まったく大したもんだな。俺の知らない所で世の中はどんどん変わってんな~」
冷や汗をかきながらも、腕を組んで感心した。
「あれ、ご存じなかったですか? ここはMegaSourceの納品先として有名ですよ」
少しからかうような秋山の言葉に岡本は仰天した。
「な……まじでか……俺の会社で?」
ふふふ、岡本の態度に満足したように秋山は微笑んだ。
「ああ、すいません。ご存じなかったみたいですね。かつてはここは大将が一人で切り盛りしていまして。でも、体を壊して、一度閉店しかけたんです。そんな時、常連のある企業の経営層の方がこの話を持ち掛けて。料理に専念してくれればいい、他は機械がすべてやるからって。大将は乗り気じゃなかったみたいですが、熱心に進められ承諾したようです。そして、とあるご縁で我が社で開発する事になりました」
ほー、岡本は心底感心した。
「これほどの自動化、そして、高度なAI。まさかうちで作られたなんてなぁ……てか、誰がつくったんだ。相当の人間と時間がかかったんじゃ」
「残念ながら作った人はすでに退職しているのですが……時間はたしか、システム開発だけに限れば、一人で三か月だったと聞いています」
「一人で三か月?」
思いがけない数字に岡本は固まった。
(確か、同期の田中が最近作ったFTPシステムがそれくらいだったような……あの仕様とこれが同じ時間?)
『ファイルを毎日自動で客先に転送できるんだぜ! すごいだろ』
同期の田中の得意げな顔。ファイルとAI。一体どれだけの開発者のレベルの差があるんだ。
『彼らがいるプロジェクトはナイアガラの滝みたいなものかな』
ふと苦悩の表情を浮かべて話す薫の顔が浮かんだ。
~
秋山のマネージャーになってから岡本はプロジェクトの管理手法の勉強を始めた。そして、それが滝に例えられている事を知った。上流から下流まで、水の流れのように順番に作業を進める、そんな手法だ。
「うん? ウォーターフォールの事? えっと、古くからある伝統的な開発手法ではあるんだけど、ただちょっと現実的には無理があるというか……」
薫はその手法に否定的だった。滝ではなく、どちらかというと山頂から染み出る湧き水をイメージしていた。決してひとっ飛びで海まで到達しない。上流から少しずつ水が流れ出し、あちこち流れて中流で小川となり、下流で大河となって流れだす。
「最初は一人の担当者のちょっとした要望だったのに、話を進めていくと色んな人達があーしたい、こーしたいって、話がふくらんで。結局、蓋を開けてみれば当初とまったく違ってた、なんて話、よくあるんだよね。そうならないよう滝のように上から順番にきっちり流していけって事なんだけど、なかなかそれって難しい」
「ふーん、何がそんなに難しいんだ?」
珍しく険しい顔をした薫は続けた。
「理由は色々あるけど結局は時間かな。この業界はコストの大半は人件費、つまり、開発期間だから納期はどうしても厳しくなるの。きっちりとした滝を作るにはそれなりに時間がかかるし、下手をすると余計な水まで使う事になる。早く効率よく進めたい、とりあえず湧き水でもいいから流して進めるの」
「まあ、わからんでもないが、それが問題なのか?」
「問題大あり。設計図もない工事なんて危なっかしさ満点。とりあえず川を掘ってから、やっぱこっちも、そして、あっちもって、だんだん脇道にそれってって。最終的にはどう流れてるのかわからないくらいにぐちゃぐちゃになる。でも、納期っていう絶対があるから、マネージャーは焦るわけ。とにかく早く土をほって川を作れ!って。無垢な若者は途中で潰されちゃう」
「まあ、確かに。馬鹿な監督の下で動かされるチームほどみじめなもんはねぇな」
「サッカーだとすぐに問題点は浮き彫りになるけど、表に見えにくいシステム開発はそうもいかない。知らない間にどんどん悪化して、気づけばモノも人もボロボロの状態になってるってものある」
「まあ……確かにな」
岡本は青白い顔で毎日残業続きの開発部を思い浮かべた。
「でも、まれにスーパーSEと呼ばれる人にあたるとラッキー。あれよあれよと問題が解決して、滝で進めるより十分の一ぐらいの期間で終わっちゃう。結局どれだけ優秀なSEを手元におけるか、それがマネージャーの腕の見せ所って事になる」
岡本はあきれて頭をかいた。
「まるで一昔前の日本代表みたいな感じだな。それだけ、組織だった動きがまだIT業界には浸透してないってことか……」
「でも、秋山君のような運び屋の場合は超特例。彼は、一人で何十、何百人分の仕事をしちゃう。ゲームチェンジャー。ルールすら変える存在。彼らがいるプロジェクトはナイアガラの滝みたいなものって事。誰もがその激流に抗う事はできない。ただ傍観して飲み込まれるだけ」
話したあと薫は納得できない様子で首を降った。
〝運び屋〟
その存在を認める事は自分や先人達が築き上げてきたエンジニアとしての歴史を否定する事にもなる。
~
薫の苦悩に同情しつつ、そんなもんかと何処か他人事のように納得したのを思い出した。
(だが……)
岡本は改めて店内を見回した。
(これだけのシステムを一人で三か月。スーパーSEうんぬんのレベルを超えてる。普通なら十人がかりで五~六年、いや、AIの研究も含めると十年でもできるかどうかわからねぇプロジェクト。って事はやっぱ運び屋が関わってるのか)
「このシステムは今から九年前に完成したんです」
ふと、秋山がさみしそうにつぶやいた。
「九年前か……ちょうど紬が体調不良で家に帰ってきた頃か……」
岡本は、はっとした。
「そうです。紬さんでした」 真剣にこちらを見つめる秋山に岡本は唖然とした。
「な……ここを紬が? もしかして、最後に会ったのはここが完成した後だったのか……っていうか、紬はMegaSourceにいたのか?」
「はい。むしろ紬さんを受け入れるためにMegaSourceができた、というのが正解です。それほど彼の影響力はすごかった。しかし、あの事件以降、鬱状態になり、一時的に育成プロジェクト本部に帰られました。そして再びMegaSourceに戻り、瞬く間にここを作り上げそして、痛ましくも命を絶った。私達の中では伝説です」
「そう……だったのか……」
呆然とする岡本に、秋山は少し迷ったような表情を浮かべた後、カバンから一冊の書類を取り出して差し出した。
「これは、紬さんが作られた資料です。隈なく探しましたが他にはありませんでした。彼がMegaSourceで生きていた唯一の証。これをどうしても岡本さんに見てもらいたくて……」
唖然とする岡本に秋山は力ずよくうなずいた。
「日本橋料亭 自動制御システム の……設計書?」
岡本は突然渡された資料を呆然と眺めた。その表紙は随分と古く、端のほうは茶色く色あせている。裏返してあっと叫んだ。
〝岡本紬〟
見慣れた弟の筆跡。これをあいつが作った……震える手で優しく書類を胸に抱きしめる様子を複雑な表情で見守っていた秋山は、意を決して、岡本に語り掛けた。
「中を確認してみませんか? 弟さんもきっと喜ぶと思います」
中身……一抹の不安を感じなあがらも岡本は設計書をめくり、予想通りの内容に手が止まった。三次元のグラフや高度な方程式が記載された、専門用語による論理的で難解な文章。
「こんな複雑な資料を……ホントに弟には頭があがらねぇな……」
やっぱこいつは、俺なんかと出来が違う……霞む視界を慌ててこすりながらも、うれしくなってページをめくり続けた岡本は、ふとある文字に目がとまった。
〝桜吹雪〟
不自然にぽつんと書かれた文字。
「なんだこれは? いやに場違いな……いや、この言葉、どっかで……」
どうしました? 興味深げに覗き込んだ秋山が、あーと声を上げてクスリとほほ笑んだ。
「えっと……それはAIの知識獲得過程におけるデータ構成において、一見カオスに見える状態にもある一定の方向性がみられる事を桜吹雪で表現した、いわゆる技術者ジョークという」
「いや……そうじゃないんだ。何かが引っ掛かるんだ。もっとこう紬本人に関係する事に……」
「ありがとうございました」
不意に声が響きガチャと扉が開く音がした。
「あっ」
岡本はあの光景がフラッシュバックした。十年前、紬が自宅を出る時の成長した背中、思い出話をして歩いた道路、紬が走っていった公園、そして、あの〝桜吹雪〟
「思い出した。あいつと過ごした最後の春休み。立ち寄った公園で俺たちはありえないぐらいに舞い落ちる桜吹雪に遭遇した……」
ぽかんとした秋山は感慨深げに設計書を眺めた。
「そう……だったんですね。日本料亭という事もあり特に違和感もなかったのですが……やっと、一つ謎が解けましたね」
感心したように、嬉しそうにうなずいた。一つの謎……その言葉にわずかに引っ掛かる物を感じた岡本だったが、流されるように、続ける秋山の言葉に耳を傾けた。
「この店には桜をモチーフにした飾りが多くあるんです。紬さんにとって桜はとても大切な思い出だったんですね。皆が笑顔で桜に囲まれ食事をする、その姿を強く思い描いていたんだと思います」
楽しそうな笑い声が店内に響いた。小さな子供もいるようだ。
「紬……お前も本当はこうやって皆と楽しく桜の下で食事がしたかったんだな。ちくしょうが……」
岡本は悔しくてぐっと目を閉じ震えた。
「紬さんが手がけたこの居酒屋は本当に素晴らしい場所。美味しい食事をいただける客、経営を続けられた大将、名をあげたMegaSource、AIの無限の可能性を感じる事ができた人々。たった一人、悲劇を迎えた彼を除いて……」
岡本はあの、弟との最後の夜を思い出した。ボロボロの姿になるまで働きつぶされた弟。一体、どうして? その悲劇を断ち切るように秋山は力強く前を見た。
「私は決して彼の犠牲を忘れない。運び屋は、賢者の緑瞳は決して無駄じゃない。彼は命をかけてそれを証明した。私には、彼の遺志を、その魂を引き継ぎ、この育成プロジェクトを完全な成功に導く義務があるんです!」
岡本は力強く前を見る秋山の顔が弟と重なった。
(監視カメラ。あのときも弟は自らを犠牲にして俺を助けてくれた。こいつも同じ。だが、裏に真っ黒な大人の欲望の渦を感じる)
「おいしーね。このタイの塩焼き」
「大将のおすすめ、サイコーっす」
楽し気な声。溢れる芳醇な香り。心地よい音楽。誰もが幸せを得ることができる天国のような居場所。岡本は、そのギャップに呆然とした。
(だが、優秀な人間が存分にその能力を発揮できる環境を用意した本部。悲観にくれるだけの俺よりよっぽど建設的。だとしたら弟の死は誇るべきことなのか……)
岡本は混乱し、何が正しいのかわからなくなってきた。一度に知らされたその現実に頭が追い付かず、今はただ、家に帰って布団にくるまれ、何もかも忘れ、眠りにおちたかった。
「そうか……そうだな。わかった。紬の命は短かった。ただ、こんな素晴らしいプレゼントを皆に残してくれた。それで十分だ。兄として、もうこれ以上は……」
すまんな。岡本は秋山の視線を半ば強引に遮って、席を立ち店を足早に出た。一人残された秋山はしばらく考えこむように黙り込んだ。
(やっぱり、こんなやり方はよくないよな……明日、岡本さんには、正直にうちあけよう)
ブ―――ン……ブ―――ン……
ポケットで震える音に慌てて携帯を取り出した。
「私だ」
五十台あたりの男の声が静かに耳元で響いた。まただ……秋山はじっとりと背筋に冷や汗をかいた。
「あ……ある程度の情報は引き出せましたが……」
戸惑うように答える秋山の耳元で、怒鳴り声が響いた。
「ある程度だと? さっさと〝鍵〟のありかを聞き出せ! くれぐれも目的は知られるなよ。あいつが絡むと厄介だからな」
プツン――――
秋山は唖然と携帯を眺めた後、ふーとため息をついた。




