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七.反論

 あの朝礼以降、岡本は秋山を擁護する発言を繰り返した。ついに部長も根負けし、秋山の管理権限(マネージメント)を岡本に認めた。


「よろしくな!」


「あ……はい」


 戸惑う秋山を前に岡本はあのトラブルを思い出した。まぶしく輝く薄緑色の瞳。驚きと同時にある記憶が蘇った。同じ目で力なく笑う(つむぐ)。こいつと弟には何か関係がある……そして、秋山が倒れ、いてもたってもいられなかった。


(これは運命。俺は弟を守れなかった。だが、こいつは絶対に守ってやる)


 すぐに、岡本は秋山の業務を確認して、あきれ返った。高難度、短納期、低予算、トラブル対応、不具合対応……皆が嫌がる仕事を一身に背負い、毎日夜遅くまで残業を強いられていた。


「お前、これ、滅茶苦茶じゃないか」


「あ、いえ。別にこれぐらい、全然普通ですよ!」


 いくら問い詰めても、何かと弁明する秋山。


(こいつは根が深いな……)


 異常な環境に慣れきって、自らをどんどんと追い詰めていく。Jリーグでもこういうタイプのやつはいた。周りの期待を一身に背負い、プレッシャーに潰されて、身を破滅した者たち。


(しかも、悪い事にこいつには……)


 岡本は〝あの目〟を思い出した。薄緑色に輝く謎の力。時々響く、会議室での騒々しい機械音。ふらつきながら出てくる姿に大事なものが削られていると感じた。


 秋山に頼めば何とかしてくれる


 いつの間にか広まった、社員全員の共通認識。このままじゃまずい。


「あんま、無理すんな。んなもん、多少はほっとけばいいんだよ。お前が頑張ったところで、得するのは所詮、営業だぜ?」


「それでいいんです。困っている人を助ける。それで十分なんです」


 岡本の声にも秋山はいつもの通り、笑顔を向けるだけだった。


(何か変だ。国家プロジェクトだからって、こんな献身的になるなんて……過去の運び屋の事故、その噂を払拭するために指示を受けているのか。だとすれば、まるで洗脳じゃないか)


 秋山の笑顔に、弟が重なった。ボロボロの姿になって帰ってきたあの日。岡本は思わず首を振った。二度とあんな悲劇を繰り返させてたまるか。


         *


 数日後。朝礼で岡本は秋山への業務依頼ルールについて皆に説明した。まずは自分で対応する努力をする事。トラブルは重要案件だけにする事。優先順をつけ、余裕をもった納期を設定させてもらう事。


「ったく聞いてらんねーなぁー。あのな、岡もっちゃん。んな生ぬるい理屈が通るほどこの業界は甘くねぇんだよ。これだから素人は」


 突然の大声に皆が驚いて後ろを振り向いた。


(やはりきたか)


 杉本が鋭い目つきで立ち上がった。岡本は手に汗握った。


「余裕をもった納期を設定させてもらうだって? 冗談じゃない。客に待ってくださいっていえるか? そんなんじゃすぐに別のベンダーに仕事を取られんぞ。短納期・低価格・高品質。もっとわかりやすく言ってやろうか。早い・安い・うまい、これがこの業界の常識だっつーの。なあ、お前ら」


 へらへらと笑って周りに同意を求めた。杉本次長のおっしゃるとおり。取り巻きのような連中がうんうんとうなずいた。


「でも、そんなんじゃ、秋山君がまた体調を崩しちゃいませんか?」


 冬木が険しい表情で反論し、そうだそうだ! と女性社員達も同調した。杉本が面倒そうに冬木をにらんだ。


「はぁ? お前わかってんのか? 秋山はあれだぜ。運び……まあ、国のお金を、いいなれば俺達の貴重なお給料を盛大に使って、長い間訓練してたんだよねぇ。ちったあ、それを我々に還元してもらわないと、腹の虫が治まらないんだよなぁ~」


 唖然とする冬木を横目に、杉本は取り巻きと一緒にゲラゲラと笑った。岡本はぐっと拳を握りしめた。


(秋山が倒れた時に背後から聞こえた声。やっぱ、こいつらか)


 杉本をぐっと睨みつけたが、鋭く返された眼力にうろたえた。


(悔しいが杉本次長の言う事は正論だ。納期は早いに越した事はない。だが、品質が伴わなければ、コストがかさめば意味がない)


 しかし、その矛盾を秋山が突破した。運び屋。国家予算という無尽蔵なドル箱を原資として生み出された驚異的な人材。一分一秒までコスト計算される中小企業からすれば、(うらや)ましく逆に腹ただしい存在。


『俺達が苦労して積み上げてきたなけなしの利益を使って訓練だと? ふざけるな。上等だ、骨の髄までしゃぶり尽くしてやる』


 杉本次長の怨念にも近い悪意を感じる。


(確かに理不尽。だが、だからといって)


 秋山に目を向けた。平静を装っているが、杉本の鋭い視線に、青白い顔を浮かべている。岡本は拳を握り締めた。ここは俺が何とかする時だ……昨晩、深夜まで考えた打開策を必死に思い出した。


         *


 岡本は会社近くのマンションに妻と三歳になる娘の三人で暮らしていた。妻の岡本薫(三十八歳)は一つ年上の姉さん女房で、超大手のIT企業に勤めていた。細身で色白、女性にしては長身で、いつもロングヘアーを後ろで束ね、薄化粧だがきりっとした表情で清潔感のあるビジネススーツを着こなす、いわゆる、ザ・キャリアウーマンだった。


 岡本は薫と港で初めて出会った。Jリーグを引退後、岡本は魂の抜けたように毎日を無気力に生活していた。その日も真昼間から港近くの公園のベンチでぼんやりと海を眺めていた。


「あの人、また座ってるわ。仕事はしてないのかしら?」

 

(別にどうだっていい)


 時折、感じる冷たい視線も気ならなかった。


「ねぇ、君。もしかして、岡本巧?」


 突然の声に振り返ると背の高いすらりとした女性が驚いた顔でこちらを見ていた。

挿絵(By みてみん)

 

(もしかして、サポーターか?)


 戸惑った岡本は周りも見まわした。まさかこんな所で。


「やっぱりそうだー」


 キャーっと女性は声を上げて嬉しそうにその場で飛び跳ねた。呆然とする岡本に気づいて女性は慌てたように背筋を伸ばした。


「あ……ごめんなさい。私、あなたのチームを応援してて。えっと、引退したんですよね。やっぱりあれが原因ですか?」


 困惑してこちらを見つめる視線に岡本は耐えきれず立ち上がり、すいませんと、頭を下げてその場を去った。少しして振り返ると、先ほどの女性はこちらをじっと見つめたまま立っていた。


(まだ、俺なんかのファンがいたなんてな。だが、俺にそんな資格はねぇ)


 それ以降は港には立ち寄る事はやめた。だが、そのことがきっかけだったのか、岡本は少しずつ前を向きだした。


「いつまでも、うだうだ考えていてもしょうがねぇ。いつものようにケロッと忘れて前に進むだけだ」


 あの笑顔を向けてくれた女性に感謝した。しかし、あの事件のせいなのか、再就職活動は思いのほか困難を極めた。知り合いの紹介でなんとか、MegaSource(メガソース)への内定が決まった。初めてのIT業界。足げに書店に通い、たどたどしく専門書を読み漁った。そんな時、偶然、あの女性と再会した。


「IT業界に転職されたんですね! 私もこの業界で働いていて。大きな体の人をたまに見かけるから、もしかしたらって」


 思いもよらない偶然に女性は喜びつつも、心配そうに岡本を見つめた。


(また、怒ってかえっちゃうかも)


 岡本は唖然と女性を見つめた。まさか、ここで再び会えるとは。あの時の彼女の笑顔が蘇った。俺に立ち直るきっかけをくれた人。しかも、同じ業界、もしかして、これは運命か……だとしたら。


「……あぁ、俺はITベンチャーに就職が決まった。君もそうなのか? もしよかったら、色々教えてもらえれば助かるんだが……」


 頭をかく岡本に女性はにっこりと笑った。


「ええ、もちろん。私は東京ヴァルディの永遠のサポーターよ。困っている選手は見過ごせないわ! 私は井上薫。よろしくね」


 きりっとした表情の女性をぼんやりと岡本を眺めた。


(東京ヴァルディのサポーター……か。今はそうかもな。だが……これからだぜ)

 

 熱心に薫に質問をする岡本。二人の距離が縮まるのに時間はかからなかった。岡本は会社で困った時はいつも薫に相談していた。難解なサポート資料があればこっそり持ち帰って根掘り葉掘り聞いた。そんな岡本に薫はいつも笑って教えた。


 昨夜、岡本は秋山のマネージャーになったが、具体的にどうすればいいのかわからない、と相談していた。娘を寝かしつけたあと、寝室から出てきた薫はうーんと考え込んだ。


「秋山君? ああ、例の運び屋のね。マネージメントの手法は色々あるけど、さすがに管理対象があれじゃあ、常識は通用しなさそうだし。何かサポートするにしても、技術的なところじゃほとんど役に立てなくて、逆に足手まといだし……あ、ごめんごめん、別に巧が劣ってるってわけじゃなくて、一般的にいってだよ」


 やや頬を赤く染めた薫は、少し言い過ぎたと慌てて上目遣いで岡本を見つめた。


「……まあいいよ。実際そうだしな。しかし、明らかに今の状態はおかしい。このままじゃ、またあの二の舞になる。だが、具体的にどうすりゃいいのか。仕事をやめろってわけにもいかねぇしな」


 特に気にしていない様子の岡本に薫はホッとしつつ、真剣に悩む姿にふっと笑った。


「マネージャーか……でも、もしかして天職かも」


「転職? そりゃ、一体どういう意味だ?」


「だって巧は元サッカー選手でしょ、しかもプロの。普段のトレーニングを思い出してみて」


「トレーニング? そりゃ、まあ。色々あるわな……」


 岡本はJリーグ時代を思い出した。プロのトレーニングは徹底的に管理されている。体の部位別に決まった方法があり、負荷、時間、回数は記録され、選手は常に電子機器を体にまとって、状態を監視しながら実施する。そして、特に重要なのが食事、睡眠、いわゆるリカバリー。負荷のかかるトレーニングばかり続けていては逆に体を壊す。適度の負荷と適度な休息。現在のスポーツ科学では常識だ。黙り込む岡本に薫がこくりと頷いた。


「科学的な根拠をベースにトレーニングスケジュールを立てる。プロなら努めて当たり前の事。一方、IT業界って先進的なイメージがあるけど、実態はまだまだスポコンレベルなの。頑張ればなんとかなるってやつ。特に四十代半ば~五十代前半の人達は、バブルがはじけて超氷河時代を生き抜いてきた世代。激しい競争の中、使いすてのように働きつぶされてきた人達が多いから。一晩中、目を真っ赤にしてエナジードリンク片手に二十四時間働けますか? ってのが染み付いてる」


 天井をぼんやりと見上げて諦めたように両手を上げた。


「……俺も同僚から聞いたことがある。ブラックってやつか。昔は相当ひどかったらしいな」


「ホントに……当時は法もコンプライアンスも未整備な時代。今の会社はたぶん、そんな風土を変えたいと思って、異業種の巧を採用したんだと思う。下手に染まるんじゃなくて、自信もって自分の信じる事をする、必要なのはそれだけだよ」


 薫はそう話した後に少し不安になった。今、自分がいった事は確かに正論だ。科学的な根拠に基づいてシステムを開発する、理想的ではあるが現実は、そううまくいかない。予測不能な出来事が日々発生し、スケジュールは形骸化、開発者は疲弊し、予算は膨れ上がり、プロジェクトは頓挫するのはざら。だが薫はあえてその事には触れなかった。自分とは全く違う人生を歩んできたこの人がIT業界に起こす化学反応、それを見てみたい、信じてみたい、そう思っていた。


「自分の信じる事……か」


 岡本はしばらく考え込んだ。この会社に入ってから三年。ひたすら売上だけを目指して突っ走る営業。客のクレームに頭を下げ続けるカスタマーサポート。徹夜続きでふらふらの開発部の社員。何かがおかしいと感じても、生活のために我慢して受け入れる自分がいた。だが、本当にそれでいいのか? 以前、先輩に言われた言葉。異業種から来た自分だからこそできることは無いのか? 科学的な根拠をベースにトレーニング。俺が今まで取り組んできた経験を、何とか生かすことができないのか? 岡本は決死したように顔を上げた。 


「わかった。ゴチャゴチャ考えても仕方ねぇ。とにかく、やってみる。実はこのプロジェクトの事なんだが前から気になってたんだ。俺はいいと思うが、お前はどう思う?」


 力強く問いかける巧に薫は嬉しくなった。やっぱりこの人なら。


「うん、私もいいと思ってた、それ」


 薫は笑って資料を受け取った。その日は夜遅くまで二人で議論した。


         *


「余裕がある納期がない、ですか?」


 顔を上げた岡本は杉本を睨みつけた。


「おやっ?」


 杉本が驚いてニヤニヤとバカにした目つきで岡本を見下した。


「起きてたんだ、岡本君。黙り込んでるからてっきり意識がぶっ飛んでんのかと思ったぜ。そうだよ。余裕がある納期なんてのは幻なんだよ」


「じゃあ聞きますが、これどう思います?」


 岡本はA四の紙の束を杉本の前に放り投げた。はぁ? やや苛ついた様子で中身を確認した杉本が、ぶっと吹き出して大笑いした。


「なんだよ。田中のプロジェクトかよ。まったくしょーもない資料出してくんなって。見ろよこれ。このしょぼい仕様で納期が三か月だぜ。ったく、田中は仕事がおせーんだよ。追加開発の要望が来てるのに忙しいからできないって客を馬鹿にしてんのか。こんなやつに付き合う相手もかわいそうだよなぁ~」


 へらへらと周りの社員達に見せびらかした。馬鹿っすよねー。ゲラゲラと取り巻きが笑いこけた。


「岡本。お前、何を」


 離れた席に座っていた田中が泣きそうな顔をして頭を抱え込んだ。同期の田中は開発部の中でも気が弱く目立たない存在。


(こんなやつらがいるから、いつまでたってもこの会社は変わんねぇんだ)


 笑いこける杉本たちの姿に、岡本はプツンと切れた。


「ったくなんもわかってねーな。田中のスケジュールは完璧だ。客の要望には百パーセント答えている。かつプラスアルファの改善案の提案、客観的リスク、潜在的要件、保守コスト、技術的リスク、それらをすべて考慮している」


 岡本は昨晩の薫の言葉を必死に思い出した。


「残念ながら本人の性格かな。そういった見えない部分をあまり表に出さないから、一見仕様に対して納期があまりに長く見えちまってるが。ただ、わかる客にはわかる、田中の誠実で実直な能力は」


「なんだと……」


 杉本は口をあんぐりとあけ、目を丸くして呟いた。


「一方、これはあんたのプロジェクトだ。要件は田中とそれほど変わらんが、納期は二週間。たしかに早いな。だが、田中のようにすべてを洗い出せてるか? 言われた事しかできない最低限度の仕様。すぐに容量オーバーでぶっ壊れるシステムを平気で納品する。俺が、今までどれだけあんたの尻拭いをしてきたと思ってんだ!!」


 岡本は机に、どん、と両手を叩きつけて杉本を睨みつけた。なにを……杉本は何かを口にしかけたが、かまわず岡本は続けた。


「目先の受注ばかり気にして、不具合回収含めたトータルコストは田中を優に超えている。しかも、開発は部下に丸投げ。無理な納期を押し付け、できりゃ丸儲け、できなきゃ担当の責任。今まで何人の若いSEをぶっ壊してきた? 今はもう令和だぜ。ちったあ〝ここ〟を使って、科学的にプロジェクトを管理できないもんですか?」


 岡本は頭を指でトントンとたたいた。


 ぱちぱちぱち


 冬木が立ち上がって拍手をした。笑っているが目はうるんでいる。かたずを呑んで様子を伺っていた女性社員達も(せき)を切ったかのように拍手した。


「そうだよね、今は令和だもんね」


「そうだよなぁ~ 俺達も変わらなきゃなぁ」


 男性社員達も渋々認めた。


「秋山ごめんな、俺達も頑張ってみるよ」


 誰かが叫んだ。周りが一気に和やかになった。


         *


(しまった。またやっちまった……)


 ふと冷静になった岡本は冷や汗をかいて頭を抱え込んだ。相手は俺よりはるかに上席だぞ。杉本次長の怖いほどの視線をビンビンと感じた。


(だが……)


 ゆっくりと周りを見渡した。皆が生き生きと語り合い、緊張していた秋山の表情もすっかり和らいでいる。


(まあ……いっか)


 開き直る事にした。田中がこちらをみてガッツポーズをしている。元から出世や忖度に興味はねぇ。まったく、あなたって人は、呆れる妻の顔が浮かんだ。


(すまんな、薫。だがやったぜ! これで会社も多少は変わるかな)


 一気に疲労を感じて椅子に倒れ込むように座り込んだ。


「無能が生意気に偉そうに……」


 一人、席で立ち尽くす杉本が怒りの表情で岡本を睨みつけていた。


         *


 この出来事以降、岡本は日々、秋山の業務をコントロールした。遅くまで残業している時はさっさと帰るように指示した。休む事も仕事だぞ、そういい聞かせた。慌ててパソコンを抱えて会議室に飛び込もうとした時は、やんわりと肩をたたいて気持ちを落ち着かせた。隠れて秋山にこっそり話をしてくる社員を見つけた時は笑って肩をたたき、耳元でささやいた。〝二度とくるな〟


 徐々に秋山も精神的に余裕が感じられ、顔色も明るくなってきた。あの会議以降、張り詰めていた表情も徐々に和らぎ、初めて会った時のように笑顔も増えてきた。岡本はほっとした。弟の二の舞にさせてはいけない。必死で頑張った事が実りつつある。笑う秋山を今では本当の弟のように感じていた。

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