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五.暴力事件

「ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」


 数日後の部内の朝礼。秋山はぺこりと力なく頭を下げた。


(休んじゃって、皆に迷惑かけちゃったな……)

 

 こわごわと秋山は周りを伺った。心配の表情を浮かべて見守っていた社員達も、以前と変わらない秋山の様子に、徐々に安堵の表情に変わっていった。


「やっとあの苦情から解放されるわ!」


 コールセンターの女性担当者たちは手を叩いて喜んだ。


「待ってたよ、秋山きゅ~ん♪ これで今月の受注はまちがいない!」


 ガッツポーズをする山下。


「山積みの不具合報告書。なんとか今日中にすべて掃けそうだ」


 開発部のメンバーがほっとして胸をなでおろした。


 皆が嬉しそうに声を上げた。あのトラブル以降、皆の注目を一気に浴びた秋山。すでに、その存在無しでは社内は回らなくなっていた。岡本はその異様な光景に目を疑った。


(誰もが自分の事ばかり。これじゃあ、また、同じ事が繰り返される)


〝絶対に流されるなよ。お前は、今まで通り、自分の信じる信念に基づいて行動しろ!„


 刹那、先輩の言葉が脳裏を横切った。


(ここは外から来た俺が何とかしないと……)


 岡本は決心して、立ち上がった。


「皆さん、少しおちつきましょう。彼はまだ病み上がりです。しばらくは、今まで通り、自分達でなんとかしましょうよ!」


 その言葉に、はっとした全員は気まずそうに黙り込んだ。


「はぁ? つかえないやつが何偉そうに言ってんだ? お前が一番秋山の世話になってんだろーがよ」


 ガタンと椅子の音を響かせ、部屋の一番奥の男が立ちあがった。杉本次長……岡本は鋭い視線に唾を飲み込んだ。だらんと伸ばした長髪、眼鏡の奥の細い目が鋭くこちらを睨んでいる。今回の件、おそらくこの人が裏で手を引いている……岡本は手に汗を握りながらも黙って杉本を睨み返した。


 会議室は不穏な雰囲気に包まれた。にらみ合う二人にあたふたする秋山。部長が慌てて立ち上がった。


「ま、まあまあ、お二人とも。本人が大丈夫といっている事ですし。皆さんもまずは落ち着きましょう」


 冷や汗をかきながらも、杉本と岡本をなだめた部長は、助けを求めるように秋山を見た。


「秋山君。大変でしょうが、皆が君に期待をしてるんです。今は、つらいかもしれません。でも、この経験は、きっと今後の君の成長に役立つはずですよ。そうですよね、ね?」


 秋山の肩を鷲掴み大きく揺らした。


「え、ええ。そう……ですね。その通りです」 


 突然振られた秋山は、戸惑いながらもうなずいた。その光景を岡本は唖然と眺めていた。システム会社の黒い噂。今まさに、無垢な若い青年が、会社の都合で蝕まれ、食い殺されようとしている……


(こんなことが許されていいのか……)


 すべてが丸く収まった……全員が胸をなでおろし、会議室が安堵の雰囲気に変わった。


「ちょ……」 声を出した岡本は、一斉に注がれた視線に慌てて口をつぐんだ。お前はこれ以上何も話すな、その無言の圧力に岡本は唖然とした。これがこの業界の現実。俺も従うしかないのか……。


『兄ちゃん……助けて』


 不意に悲痛な表情を浮かべる少年の顔が浮かんだ。栗色の髪をした、ほっそりとした面影。


(つむぐ)……?)


 突然に蘇った幼いころの弟。その姿に岡本は戸惑った。助けて……泣きながら悲鳴をを上げた(つむぐ)をどす黒い煙が襲った。やめろ……うっすらと浮かび上がった弟の変わり果てた姿に岡本は唖然とした。白く染まった髪。黒く落ち込んだ瞳。顔全体を覆う深い皺と痣。そして、輝く薄緑色の瞳……。


(そうだ……すべてを思い出した……だとすれば、秋山……こいつも……)


 気づけば岡本は叫んでいた。


「自分自身の成長のため? そりゃ、秋山を都合よく利用する為のいいわけでしょ! こいつだって人間です。無理をすれば体も壊す。それを管理するのがあなた達マネージャーの仕事じゃないんですか。いくら〝運び屋〟だからって」


 しまった。慌てて岡本は口を手で押さえた。周りの社員はきょとんと目を丸めている。


「今、運び屋って言った?」


「うそ……ってことはやばいんじゃ」


「いや、国のお墨付きってことだろ。逆にもっと仕事を押し付けてもいいじゃねーの?」


(俺の馬鹿野郎!!)

 

 慌てて秋山を見た。青白い顔で呆然とこちらを見ている。岡本は思わず頭を抱え込んだ。


(言わなくてもいい事を。俺はいつだってそうだ。カッとなって後先考えず失敗ばかり……)


 情けなくなって、目をつむりその場にうつむいた。


〝次の職場では自分を制する事も覚えたほうがいい〟

 

 ふと頭に声が響いた。五年前のあの事件。Jリーグを引退する切っ掛けとなった出来事。苦々しくこちらを見る監督の顔が浮かんだ。


         *


 飲み屋で突然、見知らぬ男に絡まれた。


「お前、ヴァルディの岡本だな?」


 若い男、相当酔っている。


(まずいな、こういうのは何をしでかすかわからねぇ)


「人違いです」


 目を合わせず、席をたったが、腕を掴まれてよろめいた。


「あの時、なぜ蹴らなかった? お前のせいでJ二降格が決定しちまったじゃねーか。ったく、ど下手のチキン野郎が」


 くそっ、言いたい放題言いやがって……必死に怒りを鎮め、腕を振り払って、足早に出口に向かった。危なかった。何かあれば一大事になる。


 どん


 店からでた直後、誰かにぶつかられて、慌てて顔を上げた。


「あれ~お前、岡本だろ、ヴァルディの。お前のせいで俺の人生は無茶苦茶だ。どーしてくれんだ? このカス野郎が!」


 目がトロンとした中年の男。もたれかかられ、鷲掴み(わしづか)にされた。


(なんなんだ、一体?)


 混乱して男を振り放した。「タクシー!」 逃げるように飛び込んだ。


「お客さん、ヴァルディの。この間の試合、全くなんて事してくれたんです」


 運転手が気だるそうに振り向いた。馬鹿な……転がるように外に逃げた。


(一体全体、何がどうなってやがる?)


 必死にひとけがない場所を探した。走りながらあの試合をぼんやり思い出した。ゲーム終盤、俺はゴール前の決定機を逃した。チームは最下位でリーグ戦は終了し、J二に自動降格。ゴールポストにはばかる流血した老人の幻影。なぜ、あのタイミングで出やがった。自分にまとわりつく運命を呪った。息も絶え絶えに狭い路地裏に飛び込んだ。


(ここなら大丈夫だろう……)


「なぜわしを殺した?」


 唐突に、通路の奥からしゃがれた声が聞こえた。頭から血を流した老人。こちらに向かってゆっくり歩いてきている。

挿絵(By みてみん)


「なぜ、ここに? こっちに……来るな……」


 後退りしたとき、あの恐怖の記憶が鮮明に蘇った。深夜の鉄橋下、ボロボロのブルーシート、転がるサッカーボール。そして、流血し、横たわる老人……薄汚れた手で腕をつかまれた。


「なぜだ? 何の関係もない、穏やかにすごしていたわしは、なぜおまえに殺された?」


 開いた口からドブの匂いが漂ってきた。震えながら老人を眺めた。


(この老人、俺はこいつの記憶にいつも苦しめられてきた。人生の深い、取り返しのつかない汚点。シュートを打つとき、あの恐怖がいつも脳裏をよぎった。逃れられない罪の十字架。確かに俺の責任。だが、一体いつまで苦しめられるんだ?)


 老人がいやらしい顔で醜くつぶやいた。


「お前の弟もいい仕事をしたな」


「何だと?」


 突然の言葉に耳を疑った。こいつは何を言っているんだ? 老人は、薄気味悪くにやりと笑った。


「何を驚く。お前もわかってるんだろ。あんな死にぞこないの弟より自分のほうが価値があると。あいつのおかげでお前は罪を逃れた。勲章ものだな」


「馬鹿な……なぜ、お前がそのことを知っている?」


 慌てて手を振り払った。老人は満足そうに(うなず)いた。


「良かったじゃないか、思いがかなって。お前は順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な人生を送れている。強靭な肉体、スポーツ選手としての才能、女を焚きつける容姿。あんな弱々しいオタク野郎の軽い命でこんな素晴らしい人間が守られたんだ。あの無能もやっと役に立てたな。ぐぁはっはっはっはーーー」


「黙……れ」


 肩の震えが止まらなかった。病弱な弟はいつも、部屋で一人パソコンに向かっていた。『見て、兄ちゃん。本物みたいでしょ!』 見知らぬ外国を楽しそうに歩く弟の動画を見せられ、度肝を抜かされたこともあった。俺にはない才能。皮肉にもそのおかげで、俺はこの老人に犯した罪を逃れ、Jリーグに入団することができた。だが、その代償が……ボロボロの姿になって突然帰ってきたあの日。病院のベッドで眠るように横たわるあの夜。


「なんだ、図星だろ。いい兄を演じるな。素直になれ」


「それ以上……喋るな」


「もしかして、弟をバカにされて怒ってるのか。気にするな。あんなカスは死んでと」


 その後は覚えていない。気付いたら血だらけの若い男が倒れていた。


 監督が苦々しく首を振った。


「どうも集団でお前に悪ふざけをしたようだ。首謀者は結局わからなかったが。だが、目撃者もいる。他人の事で怒れるお前は嫌いじゃないが、次の職場ではもう少し自分を制する事も覚えたほうがいい」 


 俺はJリーグの引退を余儀なくされた。

 

         *


 ざわつく会議室。岡本は青白い顔で黙り込んだ。まったく……肩を落とした部長は諦めたように顔を上げた。


「皆さんお静かに。岡本君の言い分も一理ある。さて、困ったもんですねぇ」


 静まりかえる会議室。秋山は戸惑いながらも周りを見回した。皆、うつむき、黙り込んでいる。


(僕のせいで皆が困っている……なんとかしないと……心を決めろ! 〝運び屋〟 としての使命を全うするんだ!)


 秋山は決心したように前を向いた。


「皆さん、すいません。私のせいでこんなことになってしまって。体調管理も自分の責任です。心配なさらず、今まで通りでお願いします!」


 深々と頭を下げる秋山に、部長はほっとして、満足気に微笑んだ。


「では朝礼はこれで終わりましょう! 皆さん、本日もよろしくお願いしますね」


 がやがやと席を立つ社員達。ふらつく秋山の後ろ姿に岡本は拳を震わせた。運び屋。超極秘事項とされ、内容に触れる事はタブー視されている。だが、岡本の考えは違った。


(国が関わる以上、大量の予算、つまり税金がつぎ込まれている。ぼろぼろになるまで使え、そんな指示が出ててもおかしくねぇ。極秘なのは、その扱いがあまりにも非人道的だかじゃねぇのか)


 そして、思い出した。俺が起こした殺人事件をかばって死んだ弟。衰弱した、ボロボロの姿で突然返ってきたあの日。淡緑色の瞳で微笑む、あの最後の夜の事を。

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