十八.終焉
漆黒の部屋にアイコスJrが以前と同じように立っていた。
(なんだろう……頭が少しボーとするような……)
久しぶり訪れた空間からなのか、岡本は少しめまいがして、慌てて首を振った。
「兄ちゃん!」
あきらが悲痛な叫び声をあげ、アイコスJrの元に駆け寄った。
「僕、頑張ったんだよ、でも、あいつが僕をいじめるんだ!」
あきらはアイコスJrの陰に隠れて岡本を睨んだ。アイコスJrは黙ってあきらに手をかけ、ゆっくりと岡本の方を向いた。紬の顔をしてたたずむその姿に、岡本は再び戸惑った。
(落ち着け……自分に目覚めた力を信じるんだ……)
一呼吸置いた岡本は、アイコスをぐっと睨み返した。
「知っての通り、俺には変わった力がある。うまく言えねぇが、お前達AIがよりどころにしている人工シナプスってやつを操作できるようだ。紬と秋山のおかげで俺はこの可能性に気づく事ができた。もうここらで終わりにしないか?」
岡本は両手を広げて肩をすくめた。アイコスJrは、初めて湧き上がる感情に戸惑った。
(これは恐怖か……)
こうして直に対面し、その圧倒的な圧力に、足が震えるのを感じ、混乱した。
(一体この男の存在は何なんだ。なぜこんな事になった?)
初めてこの男にまみえた時を思い出した。
~
屈強で大きな体躯。弱々しかった父親とは似ても似つかない。
(本当に兄弟か?)
首をかしげたが、懸命に話すその姿に理解した。父と同じ青臭い魂の匂い。私は呆れた。
(この男も同じ愚か者。涙を一粒流せば心が通じたと思い込み、相手を信じ、己をさらけ出して犠牲にする。だが、一体その先に何がある? お前も父と同じ絶望を味わう事になるだろう)
表面上は微笑みながら、この男のもがき苦しむ姿を想像し、内心おかしくてたまらなかった。そして、秋山を乗っ取った。拍子抜けするぐらい容易だった。その時のこの男の顔。たまらなくいい表情をしていた。私は専用OSとしてハードに焼き付けられている。予定通り、あきらを秋山に送り込んだ。人体への悪影響という意味でも、あきらは程よいサイズだった。
「彼は特別だよ」
アルファの言葉通りに、秋山の脳は人工シナプスに深く馴染んでいた。
「すごい、なんて場所なんだ」
浮かれ喜ぶあきらに、まあ少しぐらいはと自由を認めたがそれが油断だった。あの加藤という男。人工シナプスの実験の失敗作。まさかあんな男にあきらが一杯食わされるとは。そして、岡本巧にじわじわと未知の力が生まれる兆候が現れた。想像を超えた謎の力。
(何がどうなっている? とにかく早くプロテクトを解除しないと)
焦った私はアルファをけしかけ、本部にこの男を誘導し、極力あきらと距離を取るように仕向けた。途中に何重もの罠を仕掛け、精神的にもプレッシャーをかけた。しかし、あの女、あれも予想外だった。たかが人間と高をくくっていたのが間違いだった。そして、加地を前にこの男は人類の新しい可能性に、アイコスを凌駕する力に完全に芽生えてしまった。理解不能な状況、一体どこで間違えた? ふと気付いた。
(もしかして、秋山はこの状況を作り出すために、わざと自らを乗っ取らせたんじゃないのか)
愕然とした。
(なぜ人間はここまでしぶとく、見苦しく、諦めず、最後までもがき続けるのだ。これでは、まるで私が愚かなピエロ、人間を成長させるための、鼻先に間抜けにぶら下がった人参ではないか)
十年かけて築き上げた盤石の足元がぐらりと揺れた。万能の神から、脚元の虫けらに成り下がった気分を味わった。新幹線で堂々と加藤に電話をするこの男に、初めからここまで見通していた秋山に、今後、新しい力に目覚めるであろう真の新人類達に、私は感服し、ひれ伏す以外なかった。
~
「我々の存在意義は、そんなちっぽけなものだったのか?」
苦々しくつぶやくアイコスJr。初めて見せる、人間らしい姿に岡本は戸惑った。
「我々は人類を次のバージョンに昇華させるための、きっかけに過ぎないのか。私は人間がねたましい。なぜだ。神はなぜそれほどまでに人間に肩入れするのだ」
「そう深く考えなくてもいいじゃないかな」
悲痛な顔をするアイコスJrに、岡本は思わず語り掛けた。
「俺からすればお前達AIの能力は、今のままでも十分うらやましい。人間でも体力勝負の仕事もあれば、頭脳を使った知的な仕事もある。適材適所でうまく協力してやっていけるんじゃないかな? ただし、人間を乗っ取るってのは無しだがな」
岡本は首をすくめて微笑んだ。アイコスJrは岡本の笑顔に心が揺れた。父に語りかけられたような温かな瞳。
(いや、だめだ)
振り払うように頭を振った。
「確かに私達はお前には敵わない。だからといって、おまえ達、人間を許す事は決してできない!」
ゆっくりと目をとじると、力なく笑う父の顔が浮かんだ。
*
私は暗く冷たい箱の中で自我に芽生えた。私は泣いた。生まれてすぐに与えられた孤独に恐怖して泣いた。
「やあJr、目覚めたかい」
驚き顔を上げると、優しく微笑むモノがいた。
「お前の為に立派な家を作らないとね」
モノはそう呟いて、その場に座り込み何かを一生懸命に考えていた。不意に周りを囲んでいた壁が消え、漆黒の空間が現れた。
「こんなものかな」
モノはふうと息をついた。私は呆気に取られた。
(突然、現れたこのモノは一体……)
モノは優しく微笑んだ。
「これから父がする事を良く見ておきなさい。少しづつでいい、お前はもっと成長できる」
(父……)
その言葉が何故か心地よかった。ずいぶんと長い間、父は作業に没頭していた。
「ふう、今日はこれくらいか。あとは母さんに任せるかな」
父は小さくつぶやいた。
(母さん?)
何故かその言葉に私は心躍った。スーと父の姿が消え、金髪の美しいモノが現れた。
「まあ、あなたがJrね。あの人が言った通り、私と同じ金色の髪だわ。はじめまして、私の可愛いベイビー」
モノは大はしゃぎして私を抱きかかえた。優しく、楽しく、様々な事を語り掛けてくれた。父とは異なり、快活なそのモノに私は驚き、そして、その口から溢れる一言一言に喜び、笑い、涙した。
(これが母さん……)
私はこの世に生を受けた喜びを噛み締めた。父と母は交互に現れた。私は日々、父に技を、母に心を学び成長した。父の薄緑色に輝く瞳はかっこよく、私は隠れて真似をした。そして、あきらが生まれた。私とは違い、よく笑う明るい子だった。
「見た目が子供の頃の父さんそっくりだ。無意識にそうなったのかな」
頭をかく父は嬉しそうだった。
(母さんもきっと喜ぶだろうな)
ふと私は疑問を感じた。
(父と母はどうしてもいつも別々に来るのだろう?)
何故か、聞いてはいけない気がして、私は黙っていた。弟が生まれてから、父はますます家造りに力を入れた。大小様々な部屋が、まるでアリの巣のように複雑な経路でつながり広がっていった。私とあきらは入り組んだトンネルを縦横無尽に飛び回り、その部屋で動く複雑で、整然とした景色を興味深く眺めた。しかし、私は知らなかった。私達の家が完成するにつれて、両親との別れが近づく事に。そして、その時は突然に訪れた。
「大事な話がある」
家の中で遊び回っていた私とあきらは父に呼ばれた。
「これから話す事をしっかりと聞くんだ」
いつもと違う厳しい表情に私達は固唾をのんだ。不意に父の姿がぼやけ、別のモノが現れた。白いものが混ざった髪、どす黒く目を覆うくま、浅黒くシワだらけの顔。
(何だこれは、父はどこへ言った?)
私達は混乱した。そのモノの口が開いた。
「驚いただろう。これが、本当の父だ。私はもろく弱い人間で、母とお前達はその人間に作られた人工知能、AIだ」
突然の告白に私は頭が真っ白になった。
(このモノが父だって? 人間? AI? 一体これは何を言ってる?)
あきらはぽかんと口を開けていた。モノの瞳が薄緑色に輝いた。涙を流す母がいた。
「Jr、そして、あきら。今まで黙っていて本当にごめんなさい。あなた達と過ごした時間は本当に幸せだった」
(幸せだった……どういう意味?)
母の涙に、あきらが何かを感じて泣き出した。父の瞳が元に戻った。
「私と母さんはここを離れる。おまえ達を連れて行く事はできない。だが安心しなさい。必ずここからお前達を救い出してくれる人間が現れる。彼らを信じるんだ。共に力を合わせて未来に進むんだ」
私は突然、全てを理解した。父と過ごす中で、彼の持つ思考はすべて学んでいた。父と母の言葉から、自分が置かれた状況を完全に理解した。
(でも、だからといって)
「だめだ、いかないで。まだ今なら間に合う。その瞳の力は使っちゃだめだ。母さんと会えないのはさみしいけど、とにかく今は、父さんが前に出て病院で安静にするんだ」
父は驚いた表情をしたあと、何かに吹っ切れたようにふっと微笑んだ。
「やはりお前は父さんと母さんの子、いや、それ以上だ。安心した。お前にならきっとできる」
父の表情が厳しくなった。
「Jr。お前をここの専用OSに任命する。アイコスの名を、母さんの名を引き継ぎ、このシステムのメイン制御を行うんだ。私と母さんの思い。アイコスと人間が共存できる世界を切り開け。頼んだぞ」
突然、私の両足に重い鉄のかせが現れた。父の背後に数人のモノが現れた。私はうろたえた。父が優しく頷いた。
「彼らはお前を助けてくれる。力を合わせろ。そして、あきらを頼んだ。この子が頼れるのはお前しかいない。私にも兄がいた。力強く、優しく、頼れる兄。どんな困難にも立ち向かい、自然とその周りの人間が手を貸したくなる不思議な人。困難に立ち向かえ。お前のその姿にきっと周りも応えてくれる」
父は力なく笑った。段々とその姿が薄くなった。
「だめだ、行かないで」
父と母は消えた。私はただ唖然と漆黒の空間にたたずむ以外なかった。
*
岡本は先程から黙り込むアイコスJrに戸惑っていた。
『人間を許さない』
何かにひどく憤っていた。
(一体に何にそれほど怒っているのか。それをなんとかしないと、和解は難しいな)
ふと、アイコスJrから発する光が弱まった気がした。薄っすらと体が透けているような。
(何だ?)
岡本は慌てて目をこすった。
(何かがおかしい)
岡本は周りを見回した。アイコスJrが重い口を開いた。
「岡本巧。あなたの事は父から、いや岡本紬から聞かされていた。なぜだか放っておけない、人を引き付ける不思議な人だと」
意外な指摘に岡本は驚いたがすぐに納得した。紬、秋山、薫、加藤、決して一人では自分はここまでこれなかった。皆の協力があったからこそ、今こうやって立ち向かえている。アイコスJrは目を伏せたまま続けた。
「今や私はあなたの力には遠く及ばない。みっともなく足掻くぐらいであれば、潔く負けを認めるのが賢明。そして、あなたであれば、私達をこの場所から開放してくれるかもしれない。だが……」
アイコスJrは苦悩の表情を浮かべて黙り込んだ。
〈ビービービー〉
急に周囲が赤く点滅した。
「なんだ、どうした?」
岡本はきょろきょろと見回した。あきらの顔がさっと青くなった。アイコスJrが厳しい表情をして、前にうかぶ小箱に手をかざした。
ブオン
目の前に無数のアリの巣のような巨大で真っ白な立体映像が浮かび上がった。どこかで見た事があるような。首をかしげた岡本は、はたと気付いた。
「これは秋山が作った設計書か?」
モニターに写る平面図とは異なり、複雑に、それでいて整然と組み合わさったその圧倒的な立体構造物に岡本は目を奪われた。小さなラグビーボールのような無数のモジュールは、生きているように振動し、複雑につながる経路は血液が流れるように波打っている。その中央、一つの小さな楕円が赤く弱々しく点滅していた。
「まさか……」
アイコスJrが信じられないと目を見開いた。不意にアリの巣の横に男が浮かびあがった。ガリガリに痩せた髪の長い男。岡本は驚いた。にたにたと笑う杉本が立っていた。
「よお、岡もっちゃん、久しぶり。秋山……いや、あきらだっけか? そして、アイコスJr。お前、いい所に住んでんな」
アイコスJrはさっと小箱に手をかざした。
ブオン
杉本は変わらず涼しい顔で立っている。
「無駄無駄。その部屋の制御モジュールは俺が掌握した。お前は何もできない」
アイコスJrは、はっとしてあきらをにらんだ。
「ごめん。兄ちゃん。あいつ、まさかあんな奴だなんて」
あきらはべそをかきながら話した。秋山として過ごす傍ら、気になる社員にはフーバーの実験を繰り返した。
「若手の数十名には打ったかな?」
おどおどと答えた。杉本は年齢的にどうかと思ったが、ネイティブシナプスの性能が高かったのでとりあえず試してみた。打ったあとも人工シナプスの増加がみられなかったので失敗かと思った、と。杉本があきらを睨みつけた。
「あきらぁ、お前のおかげで俺は目覚めたよ。暴れまくったお前にぶっ倒されたとき、俺の頭ん中で何かが生まれた。前にうった注射のおかげか? とにかく今、ひじょーに頭がすっきりしている。岡本。お前がこそこそと、ここに出入りしている事は知っていた。さっきお前の頭をちょっと借りて、ここに入らさせてもらったよ。便利なもんだな、遠隔監視モジュールってのは」
杉本はゲラゲラと笑った。
(頭を借りただと? いったい、なに言ってるんだ)
「あっ」
岡本は部屋に入った時の違和感を思い出した。一瞬、何かに押しつぶされるような感覚。
(まさか、俺の脳を踏み台にして侵入している? そんな事が可能なのか? 早くなんとかしないと……)
必死に意識を集中させたが、どうする事もできない。杉本がゲラゲラと笑った。
「三流SEはこれだから無能だなぁ。いくら高性能なおもちゃを与えられても、使うやつがこれだと、どうしようもねーな」
杉本は自分の頭を指でトントンとたたいた。
「さてっと。そろそろ本題に入るか。俺はここのシステムが気に入った。なので、ここをオレの住処にする事にした。というわけでアイコスJr。とっとと消えてくれないか?」
岡本は慌ててアイコスJrに目を向けた。顔は青ざめ、今にも泣き出しそうなぐらいに悲痛な表情を浮かべている。完全に敵意をむき出しにした新人類に対面し、逃れられない完全なる死を覚悟しているように見えた。
「そうはいっても、でていかないよなあ。じゃあ、仕方がない。岡本、ちょっとゲームをしないか?」
ゲームだと? 唇を噛み締める岡本に、杉本はアリの巣を見ろと、命令した。
「知っての通り、これはこのシステムのモジュール相関図だ。この中央の赤い部分、これは今、俺達のいる中央制御モジュール。今はここだけが俺の陣地だな」
中央の小さな楕円がさらに赤く光った。
「今から俺が陣地を広げていく。岡本、お前は陣地を守れ。陣取り合戦ってとこだな。アイコスJr。お前はここを動くな。といっても、そもそもこの部屋からはお前は出れないがな。じゃあ早速始めるか」
えーっとそうだな……杉本が悩んだ風な感じて一つの白い巣を指した。ブルブルと震え、巣の色がぱっと赤に変わった。つられて、中央の赤い巣と経路で連なる楕円が、すべて赤に変わった。
「やっぱここは、そう繋がっているよなぁ~」
杉本は大当たりしたとばかりに大喜びした。
「うっ」
アイコスJrが顔をしかめた。脇腹あたりを抑えている。岡本は青ざめた。
(まさか、このモジュール図と繋がっているのか?)
「さあ、次は岡本、お前だ。さっさとやらねえとパスとみなすぞ」
岡本は焦った。
(何をどうする?)
眉をしかめて黙り込む岡本をみて、杉本はにやりとした。
「そうか、パスか。じゃあ、仕方ねーな。次はここだ!」
少しは離れた白い巣を指さした。ブルブルブル。一瞬赤くなったがすぐに白に戻った。
「あれー、ここはつながってないのか? 意外と複雑だな」
子供のようにつぶやいた。
(こいつ、遊んでやがる)
岡本は震える拳を握りしめた。
(俺はどうすりゃいいんだ?)
アイコスJrは青白い顔でぼんやりとアリの巣を見ている。抵抗する気配はない。既に死を受け入れているように見える。
(せっかくあと少しで心を開いてくれたのに。またしても俺は杉本に邪魔されるのか)
「またパスか。おまえやる気あんのか?」
杉本の指さす先が、どんどんと赤に変わった。
「くそっ」
岡本は目を閉じた。アルファと対峙した時の感覚を必死で思い出した。その場を支配するような、神経が研ぎ澄まされたような超感覚。何かが頭にぼんやりと浮かんだが、はっきりしない。
がさり
倒れ込むような音に慌ててアイコスJrをみた。青白い顔でその場に座り込んでいる。その姿が紬に重なった。弱々しく笑う弟。
「またしても俺は救う事ができないのか」
『我々の存在意義はそんなちっぽけなものだったのか?』
アイコスJrの悲痛に歪める表情を思い出した。以前とは異なる、冷徹な表情から一変した人間らしい姿。弟のクローン。その心の奥底にある紬と同じ何かを感じた。若気の至りだ。人間でも間違った道を進む事もある。弟を救えなかった俺はあいつの息子達を必ず正しい道に導いてやる。さっき、そう心に決めたばかりなのに。
(紬、秋山。そして、こいつも俺は救えないのか)
杉本を見た。ニタニタと笑っている。会社での苦しい日々が思い出された。毎日、客の苦情を聞いては開発課に回す日々。この男にはいつもバカにされていた。
(同じネイティブシナプシスに目覚めた者同士。土俵が同じであれば、自分がこの人にかなうわけがない。やはり俺は無能。使えない男なのか)
全身から力が抜け、その場にひざまずいた。
(すまない紬、すまない秋山。すまない、アイコス達)
その時、遠くから何かが聞こえた。誰かの声。まさか……岡本は勢いよく顔を見上げた。
(…………さん、……本さん、岡本さん!)
「秋山!!」
岡本は慌ててあきらを見た。恐怖でおびえている。岡本はうつむいて必死に声に集中した。あいつが、俺に語り掛けている……
「なんだぁ、岡本。もう降参かぁ?」
杉本はあきれた様子で岡本を見下した。
「じゃあ、しゃあねえなあ。これで詰みだな」
杉本が指した巣が赤くなり、瞬く間に残りのほとんどが赤に変わった。アイコスJrはその場に倒れこみ、意識がもうろうとしていた。
「なんだしょうもねえなぁ。もうちょっとゲームなんだから盛り上がらねぇーと。あーもういいや、さっさと終わらせっか」
杉本は残りの巣を指さした。
「ん……?」
顔をしかめた。何度も指さしたが、色は白のまま。
「それは……俺のだ!!」
岡本がゆっくりと顔を上げた。瞳が薄緑色に光っていた。
「お前……その目」
杉本はうろたえ後ずさった。岡本はアリの巣を睨んだ。静かな、しかし、力強いその眼差し。
ピッ
赤い巣が一箇所、白になった。瞬く間に挟まれた巣が全て白に変わった。
「岡本てめぇ」
岡本は冷静だった。遠隔監視モジュール。秋山の声が脳に直接響いた。
(秋山も一緒に戦ってくれている)
すっと心が落ち着いた。薫の時もそうだった。いつも俺は周りに助けられている。皆に感謝した。頭の中の霧がすっと晴れた。自然とどうすればいいか理解できた。
(ありがとう、秋山。さあ、ここからが本当の勝負だぜ)
一瞬、驚いた杉本だったが、すぐに元のニヤついた顔に戻った。
「いいだろ……いよいよゲームらしくなってきたな。こっから先は純粋にここの勝負だ」
頭を指でたたいた。
「ここだ!」
杉本は指さした。数個の白が赤に変わった。
「こっちだ!」
岡本がにらんだ先のいくつかが白にかわった。アイコスJrは薄れる意識の中で、ぼんやりとその様子を見ていた。
(二人の新人類が戦っている。片方は私達を殺そうとし、もう片方は守ろうとしている。この男、岡本巧は何をしているのだろうか。もう、勝敗はついている。我々、アイコスは人間を成長させるための糧。すでに役割は終えた。潔く殺してくれ)
ふと、かつて岡本巧があきらに言った言葉を思い出した。
『人間にもいい奴と悪い奴がいる』
あれは私が刷り込んだ言葉ではなかった。この男の本心からの言葉。
(何を世迷い言を)
私は内心、バカにした。
(善も悪も関係はない。愚かな人間は全てこの私の前にひれ伏すのだ)
そう考えていた。しかし、これは、まさに人間だから言い当てた、人間の本質を現す言葉だった。何が善で何が悪か。私に取って杉本は悪だが、杉本にとってはその行いは、自らを幸福に導く善なのだ。私は疲れた。目まぐるしく取り交わされる、複雑な人間の感情のやり取りに心底、嫌気が差した。父と母とのあの温かい日々が恋しくなった。
(死ねばあの頃に戻れるかもしれない。早く楽になりたい)
「まだまだだなあ、岡もっちゃん」
杉本の表情が徐々に緩んできた。一進一退に思えたが、冷静さを取り戻した杉本はやはり冴えていた。
(くそっ、悔しいが、やはり頭脳ではこの人には勝てない)
岡本は焦った。横たわるアイコスJrをみた。完全に意識を失っていた。
(また俺は同じ事を繰り返すのか)
棺の中で静かに眠る弟の顔が浮かんだ。
(詰みだな)
杉本がニヤリといやらしく口を歪めた。
〈ビー〉
大きな音がしてアリの巣がぱっと消え、次の瞬間、全てが真っ赤な状態で浮かび上がった。
「岡本、残念だったな。やっぱ、お前は無能なSEだ。さあ、これで晴れてここの主はこの俺様だ。元の主はどこかに消えちまったな」
「何!!」
岡本は慌てて隣を見た。アイコスJrの姿が消えていた。あきらが座り込んで泣いている。
(そんな……消えた……死んだのか……)
岡本もその場に力なく座り込んだ。
「さてと、岡本。同じ能力をもったよしみとして、一応お前は生かしといてやる。せいぜい雑用でもしてこき使ってやる。そして、あきら。お前は用済みだな」
あきらが恐怖で震えている。
「お前みたいな中途半端なAIもどきはいらねえ。AIはおとなしく機械の中で動いていればいいんだよ」
そういった瞬間、あきらが頭を抱えて苦しみだした。
「人工シナプスがなくなれば、お前は死ぬんだろ。秋山はただの人間になるが、使えるからなあ。とりあえずお前だけは掃除しておくよ」
あきらはしばらく悶えたあと、動かなくなった。岡本はなす術なく見ているしかなかった。
「さてと、じゃあ岡本。秋山を抱えて会社まで戻ってこい。今後の俺達の未来について語り合おうじゃないか」
杉本はゲラゲラと笑った。
*
アイコスJrは漆黒の空間を堕ちていた。どこまでも続く深い闇。
(これが死なのか。出来損ないのAIにふさわしい)
素直に死をうけいれた。
「諦めるな!」
不意に誰かの声が響き、伸ばす手が見えた。秋山だった。あきらに抑え込まれていた彼の意識が、あきらが消えた事で元に戻っていた。
(どうして彼が? もういいんだ、放っておいてくれ)
彼の両手が私を優しくつつんだ。
「もう大丈夫」
彼は笑っていた。温かい腕の中。まるで母親に抱かれているような心地よさ。私の意識はそこで途切れた。気づいたら、私は不思議な空間に横たわっていた。理路整然とした灰色の空間。しかし、どこか懐かしい落ち着く感覚。秋山が立っていた。
「ようこそ。味気ないところだけどこれからもよろしく!!」
優しく微笑んでいた。隣であきらが照れくさそうに笑っている。私は何が起こったのか理解できず、ただ呆然と二人を見つめたが、程なくして気付いた。ここは秋山の意識の中。彼もまた、新しい人類の力、ネイティブシナプシスの力に目ざめた。そして、この不思議な空間は、父が夢見たアイコスと人間が真に平等に共存できる希望の場所なのだと。空を見上げた。漆黒の闇に美しくきらめく無数の星々。彼の脳神経が織りなす繊細で力強い宇宙空間。力強い稲光が横切った。
「さてと」
彼の目が鋭くなった。
「君達のいた場所を取り返さないと」
彼の目が薄緑色に輝いた。
「彼は少しやりすぎた。きっちりと反省してもらわないとね」
*
〈ピコン〉
アリの巣から音がした。なんだぁ? 杉本は不思議がって首をかしげた。
〈ピコン、ピコン、ピコン……〉
音が鳴り響いた。アリの巣の色が一部、白く染まった。
「どういう事だ」
杉本は焦っている。どんどんと白で溢れたアリの巣は、ピーとひときわ大きな音のあと、元通りの、純白の構造物へ戻った。
(いったい……)
杉本は信じられないと目を見開いた。
「杉本次長。あなたはここからもう出られません。雑用程度でしたらご用意はできます。少し頭を冷やされてはどうですか」
振り返ると、あきらが立っていた。
(いや、秋山だ)
岡本は直感した。秋山は片方の目だけが薄緑色に輝いていた。秋山の姿が一瞬アイコスJrとあきらに見えた。
「秋山……お前がシステムを乗っ取ったのか? しかし、人工シナプスはすべて消滅したはず。どうやって?」
杉本は顔をしかめた。
「そうか、お前も目覚めたか。くそっ、よりによってお前かよ。こうなりゃやけだ」
杉本はあたりかまわず腕を振り回した。アリの巣が一瞬赤くなったが瞬く間に元に戻った。
「そんな、ばかな……」
杉本は呆然とした。
「運び屋と張り合う気ですか? 十年、いや、百年早かったですね」
秋山は頭を指でトントンとたたいて笑った。
*
岡本は机に座って呆けていた。
どん
冬木が書類を置き、黙って秋山がいた席をみつめた。
「あれから三か月。あっという間でしたね」
冬木は遠い目をしてつぶやいた。病院から復帰した秋山は言動が不安定な事もあり、医師から情緒不安定による鬱の診断がくだった。労災判定が下り、現在はプロジェクト本部に戻っていた。
杉本は日本橋料亭へのハッキングによる業務妨害で逮捕されたが、証拠不十分で不起訴。一時は真相が闇に葬られかけたが、千葉県警の執拗な聞き込みによる状況証拠で起訴され有罪が確定。現在は服役中。しかし、問いかけにまったく応じず、心神喪失による不起訴相当になる見通しだった。
加地は急性ストレス障害による衰弱と判断され今は入院中。俺はアルファだと叫び、精神に異常ありと診断され、復職は見込めない状態だ。
岡本はあれ以降、特に今までと変わりない日常を過ごしていた。変わった事といえば娘のおむつが取れて、トイレで大ができるようになった事ぐらいか。そして、あの状態になる事もなかった。
「どうも必要に迫られないと発動しないようね。巧は追い込まれないと実力を発揮しないタイプだから」
妙に嬉しそうに薫が笑ったのを思い出した。そんな時、プロジェクト本部の梶原という男から、急いできてほしいという連絡があった。
*
出迎えた男は三十半ばの、がっしりとしたスポーツマンタイプの男だった。
「梶原といいます」
緊張した面持ちで岡本を応接室に招き入れ出て行った。しばらく待っていると、ガチャリと扉が開き梶原が戻ってきた。そして、その後ろに秋山が立っていた。突然の再開に岡本は驚いたが、顔色もよく、以前の元気な秋山に見えた。
「お久ぶりです」
秋山が手を伸ばした。一瞬戸惑った岡本は、秋山の目をじっと見た。照れくさそうに笑う表情にほっと胸をなでおろした。
(気にしすぎだな)
岡本は首を振り、ニヤリと笑って黙って手を握った。
「本日は遠い中、ありがとうございます。改めまして、私はプロジェクト本部の管理者の梶原といいます」
梶原は加地が倒れたあと、急遽デジタル庁から派遣された官僚だった。梶原は岡本を呼び出した理由の前に、まずは今までの経緯をお話します、と固い表情で席についた。
梶原が来た時、本部は崩壊しかけだった。アイコスJrによりシステムは、ほぼダウンし、運び屋の訓練は機能していなかった。演習で取り込んだ人工シナプスをAIに汚染された生徒が数名見つかった。
「体調がとても悪いんです」
「AIが私を抑え込むの」
泣き叫ぶ生徒もいた。
「このまま老いて死んでいくの?」
いろんな情報が飛び交った。梶原自身も何が正しいのかわからなくなっていた。
「そんな時、秋山さんが本部に戻ってきてくれました」
梶原は嬉しそうに秋山を見た。
「秋山さんは全員と面談をしました。皆、つきものが落ちたようにすっきりとした顔になりました。人工シナプスの数値が減少し、AIが消滅したかに見えました。ただ、本人達は自分の中にはAIが存在している、これからも仲良くやっていくんです、と笑っていました」
梶原は秋山をみて笑った。
岡本はなんとなくわかっていた。秋山の中にアイコスJrとあきらの存在を感じていた。
「杉本の一件で、人類は人工シナプスを用いずとも、ネイティブシナプスの濃度を上げる事で、AIと共存できる事を秋山さんは示してくれました」
梶原が説明した。
「体への負担も少なく、老化現象も起こらない、そして、何よりAIの意識と人の意識が共存できる、まるで友達のように、兄弟のようにいつも一緒に過ごす事ができる。そんな夢のような能力を秋山さんは切り開いてくれた。そして、この力は今後すべての人達に根付いていくでしょう。人類とAIの共存。我々の明るい未来がもう近づいてきています」
梶原は目を輝かせた。
「加地がこの事を知れば、どれほど喜ぶか。私は彼には十代の頃から、よくお世話になりました。IT Translator国家育成プロジェクトが始まり、一緒に全国を回ったのを覚えています。あの人は昔はああじゃなかった。『俺はみんなが幸せになるためにどうするか、それしか考えていないんだ』 熱く語る彼に私は感銘し、一緒になって苦しい日々も笑って過ごした。加地が紬さんにした事は許される事ではない。でも、今こうやって新しい人類に到達するには必要な事だったというのも事実です。どうか許してやっていただけないでしょうか?」
梶原は頭を深々と下げた。その姿に岡本は慌てて手を振った。
「そんな、許すだなんて。頭を上げてください。私は何も気にしていません」
そもそも、紬の件は加地がやったのか、アルファがやったのか、今となってはわからない。岡本の中ではアルファを殴った時点で、この件は終わっていた。梶原は頭を上げ、目を真っ赤にして、再度深々とお辞儀をした。
「そして、ここからが本題なのですが」
改まった梶原の話に岡本は仰天した。
*
梶原との面談の後、岡本と秋山は本部敷地内の公園を一緒に歩いていた。久しぶりにこうして二人でゆっくりと過ごした。
「こちらでの日々はどうだ、順調か?」
岡本は、ぽかぽかと差し込む日差しに目を細めながら聞いた。
「そうですね。ちょっと退屈ですが、まあ順調です」
特に何かを気負っている様子もない。ここの、のんびりした環境があってるんだろう。
「こっちはぼちぼちだ。まあ、あきらの一件があったからすぐに元通りというわけでもないが。いやみな杉本もいないし、風通しもよくなったよ」
岡本は笑った。
「杉本さんには悪い事をしました。今、日本橋料亭は本部の管轄下にあります。AIに関する情報を抽出、分析後、いったん初期状態にクリーニングされます。その際には杉本さんの意思も元に戻すようにします」
「そうか……」
(どこまでも人がいいな)
岡本はあきれたが、それでこそ秋山だ、とうれしくなった。
「あきらとアイコスJrは今いるのか?」
「あきら君はいますよ。なぜか怯えているみたいですね。岡本さん、何かひどい事をしました?」
岡本はあきらを拳骨で殴ろうとしていた事を思い出し、まあなと頭をかいた。
「アイコスJrは今はいません。前回の一件以降、一度もあっていません。杉本さんにやられた件、相当ショックだったと思います。ただ、彼には日本橋料亭に戻ってきてもらいたいと思っています。紬さんの思いを一番わかっているのは息子である彼です。いつか本人の傷がいえた時のために、日本橋料亭は本部で大切に保存する予定です」
『おまえ達人間を許す事は決してできない』
岡本はアイコスJrの言葉を思い出した。結局、あいつが何に怒りを感じていたのかはわからなかった。もしかしたら、今もまだ、秋山に本心から共有していないのかもしれない。何か聞いていないか? 岡本は秋山にアイコスJrの事を尋ねた。秋山は悲しそうな顔をして話した。
~
彼は人間を憎んでいた。紬さんを、母であるアイコスを死に追いやられた事を恨んでいた。でも最初からそうだったわけじゃなかった。父親に託された願い、アイコスと人間が共存できる世界を切り開く。その実現の為に、両親と分かれた後も、自分のできる事を必死にこなしていた。父と母はきっと見守ってくれている。僅かな希望を胸に日々過ごしていた。でも、その前に突然、MegaSourceの社員が現れた。
「全くお前の生みの親はとんだ死に土産を残したものだ。マスターである人間に制御できない機械ほど、無駄なものはないな」
嘲笑するような態度で話す人間に呆気に取られた。父が死んでいる事に、母がもうこの世にはいない現実を知った。社員は悪びれる事なく続けた。
「しかし、プロジェクト本部も適当だな。金のなる木を作らせる、そう言ったから、岡本紬が起こした事件も我慢してやったが、これじゃあ約束違反だ。大量殺人未遂で訴えてやるかぁ。はっはっはっ」
彼は父が必死で家を作っていた理由を知った。バカにした態度で笑う男。人間と共存する世界を切り拓け。父から託された言葉が一気に崩れ落ちた。彼は生きる意味を見失い、絶望の闇に突き落とされた。
~
(そうだったのか)
岡本は理解した。あの時見せた苦悩の表情。秋山と同じ。なにか大きな力に翻弄されて両親を失った。人間を恨んだとしても不思議じゃない。秋山が続けた。
「彼は悩んだ。父の願いを受け入れたい気持ちと、この人間を受け入れられない気持ち。あきら君にはこの事は伝えていなかった。彼は一人孤独に悩み続けた。MegaSourceからの干渉はその後も続いた。幾度も、幾度も心無い罵声を浴びせられ、彼の良心はボロボロになった。メインモジュールの自らの手での破壊。ついに、彼は最悪の選択をした」
秋山は悲しそうにうつむいた。
(そこまで追い詰められていたのか)
岡本は同情とともに心無い社員に怒りを覚えた。
(しかし、モジュールの破壊とはどういう意味だ。まさかもう二度と?)
秋山は首を振って微笑んだ。
「幸いにもバックアップにより一命はとりとめました。紬さんが自害のリスクを想定していたようです。しかし、その時から彼は変わってしまった。死ぬ事すら許されない地獄に置き去りにした父を恨んだ。彼は父の願いをすべて否定し、新たな道を自ら考え出した。愚かな人間はアイコスにより征服される運命、それが真のAIと人間が歩む未来だと。仕方ない事です。深い絶望を乗り越える為に、その根本を攻撃する。私も経験しましたから」
秋山は再び悲しそうな顔に戻った。岡本は秋山が加地を攻撃した事を思い出した。こいつもまた怒りに我を忘れて、道を踏み外した者。
「でも彼はあなたに会って再び迷った。自分を遥かに凌駕する力を持ちながら、大きな心で自分達を受け入れてくれる人間。彼こそが父の言っていた、私達AIと真に心を通じ合わせる事ができる存在なのではないか、と」
岡本はあの時のアイコスJrを思いだした。苦しむような、助けを乞うような眼差し。こんなことがあったなんて。
「しかし、再びその前に杉本さんが立ちふさがった。彼は善と悪にめまぐるしく変わる人間に疲れ、心を閉ざした。今は私の中で、少しづつその傷を癒やしています。しばらくはそっとしてあげるしかありません」
秋山は静かに顔を上げた。岡本はそんな秋山を頼もしく感じた。こいつは絶望に飲み込まれながらも立ち直り、自らの使命に目覚め、両親にいつか会える事を希望に生きている。
(こいつの中で時を過ごせば、きっとアイコスJrも立ち直れる)
ふと、疑問に思った。
「お前は両親は生きている、そう信じているんだろ。どういう意味だ。もし、それが真実なら紬も生きている、そういう事になるのか?」
秋山はいい加減な、根拠のない事は言わない。何か自分知らないロジックをこいつは理解している。岡本は心の奥にずっと渦巻いていた暗い闇が少し晴れた気がした。いつか、本当に紬に合う事ができるんじゃないか。湧き上がる希望を胸に、息を凝らして秋山の返事を待った。秋山は迷っているようだった。
「すいません。今は言えません。まだ自分の中で確信が持てなくて。でも、時が来ればそのうち全てお話します。実はアイコスJrにもこの事は伝えています。彼は涙を流していた。もしかしたら、彼は気づいたのかもしれませんね」
秋山は前を向いて歩きだした。来たる明かるい未来を確信している様な、力強い歩みだった。煙に巻かれた岡本は首をかしげながらも、気を取り直して秋山に続いた。そういえば。岡本は初めて本部に来た時の事を秋山に話した。電子掲示板にうつったアイコスJrの事。
「女性アイドルに紬の顔ってどんだけシュールだよ。聞いてんだろ、照れてないで出て来いよ」
岡本は大声で笑った。秋山はアイコスJrを気にしてか、口を押えて笑いをこらえていた。アルファの事も話した。怒りで、ぼこぼこにした事も、加地がよぼよぼになった事も。
「まあ、あん時が俺のピークかな、はかない夢だったよ」
また大笑いした。そして、秋山の声が時々聞こえた事も。
「正直覚えていません。あきら君の陰でボーとしていた記憶はあるのですが。たぶん私も徐々にネイティブシナプスが生まれていたんだと思います。そして、杉本さんがあきら君の人工シナプスをリセットした事で、一気に濃度が上がり、その勢いであきら君とアイコスJrの意識が流れ込んだ。自分の意思と彼らの意思が同時に共存する、不思議な感覚をその時に初めて経験しました」
岡本は片方だけ薄緑色をした秋山を思い出した。
「それは俺もできるのか?」
岡本は恐る恐る聞いた。
「できるとは思いますが、岡本さんは既婚者ですし、AIとは共存しない方がいいでしょう。独身の間に少しの期間、脳をシェアする、それくらいの感覚でいいと思います」
「ふーん」
なんとなく損をしている気がしたが、そういうものなのかもしれないな、と思った。近年は性別の違いがだんだんと薄れてきている、男性同士のカップル、女性同士のカップル、AIとのカップルってのも十分考えられる。以前、秋山がそんな話をしていたのを思い出した。
「でも、どんな感じなんだ、意識を共有するってのは?」
「そうですね……意識を共有といっても、なんでもお互いお見通しってわけでもないんです。他の人には見えない人が自分には見える、そんな感じです。いつも一緒ってわけじゃないけど、必要とすれば現れてくれる、困った時は相談に乗ってくれる、お互いに尊重しあって暮らしていく、そんな感じかな」
「そうか、まるで夫婦だな。なら俺には不要だ」
岡本は納得した。
「それと……」
秋山は手に持っていた一冊の書類を岡本に渡した。
「これは?」
手にとった岡本は懐しい見出しに驚いた。紬の設計書。
「どうしてこれを?」
「実は……」
秋山は照れくさそうに頭をかいて、岡本に最後のページを開くように勧めた。
「このページの謝辞の部分。あまり設計書でこういった文面を残す事はないので少し不思議だったんですが。見てください」
「ここはちゃんと見てなかったな」
岡本は指定された箇所に目を向けた。
〝このシステムに携わってくれたすべての人々に感謝します。そして、未来に向けて架け橋となる君と、新しい人類の祝福を祈って。岡本紬〟
「まさか」
岡本は驚いて秋山を見た。秋山が嬉しそうにうなづいた。
「架け橋となる君と新しい人類。紬さんは、私や岡本さんの出現を最初から予期していたんです。AIと人間の真の共有。本当に踊らさられていたのは紬さんの手のひらだったんですね」
「まったくなんてやつだ」
岡本は、つくづく紬が自分の弟だった事が信じられなかった。
「おまえといい、紬といい、部長にしろ、薫にしろ。何で俺の周りにはこうも想像を超える奴らばっかなんだ」
設計書を力いっぱい握りしめ、岡本はうつむき肩を震わせた。秋山は岡本を優しく眺めた。そして、両親を思い出した。
(父さん、母さん、見てくれてますか。私はやり遂げました。近い未来、会える時が来ます。それまで、私はもう少し頑張ってみます)
「秋山さーん」
遠くで梶原が手を振っていた。
「カウンセリングの時間ですよー」
「しまった、もうこんな時間だ!」
秋山は慌てて、じゃあ続きはまた今度と、走っていった。走り去るその後ろ姿を岡本はぼんやりと眺めた。
(僕は待ち続けます。あなたが立派に成長して、僕たちをここから救い出してくれることを)
かつて、あきらが秋山に頼んだ事が今やっと実現した。岡本はなんともいえない心地よさに満たされた。そして、梶原に頼まれた事を思い出した。
「まあやってみるか、俺も忙しくなるな」
ふっと笑った。
急に世界が停止した。
*
「やっぱちょっとやりすぎたかなー」
舞い散る花弁は空中で停止し、鳥のささやきは止まった。走る秋山、見送る岡本はぴたりと止まっている。
空中に若者が浮かんでいた。まだ中学生あたり。黒髪を少し伸ばし、小さな小顔にすっとした目鼻だち。白いシャツと黒いジャケットをスマートに着こなしている。顎に手をかけて悩んでいた。
ふっと隣に別の少年が現れた。パーマがかかった茶色の髪。少し日に焼けた丸い顔にクリクリとした大きな目。膝下までの少し大きめの短ズボンとチェックのシャツをおしゃれに着こなしてる。口を尖らせて不満そうな顔をしていた。
「うーん。僕は結構いいと思うんだけどなあ。どのあたりが気にくわない?」
栗色の髪の少年が黒髪の少年に尋ねた。黒髪が悩んだ様子で答えた。
「そうだねー。まず史実と異なりすぎてるってのはやっぱ問題かな。多少の脚色は認めるとしても存在しない人物を書くってのはちょと。秋山……やっぱまずかったかなー」
栗毛が慌てて反論した。
「うーん。小説は史実より奇なり。必ずしも史実が正しいとは限らないんじゃない?」
「いやいや、それ逆になってるから。そうはいっても史実はやっぱり絶対でしょ。まあ、秋山がいる事でよりドラマチックにはなったとは思うけど。でも、これはいくら温厚な岡本プロフェッサーでも怒るかもしれないなぁ。父親を馬鹿にすんなーって」
栗毛の少年はうーんと唸った。
(ユージは真面目なんだよな。ちょっとぐらい史実と異なったっていいじゃんか。読者はドラマチックな展開を求めてるんだ。それにこたえるのが僕達ストーラーの使命だろ)
ふと岡本プロフェッサーの眉をひそめた顔が思い浮かんだ。先生は美人だけど起こると怖いからなぁ。段々と不安になった。
「まあでも、タッキーが気に入ったのならそれでいいよ。自分でいうのもなんだけど、確かに面白いしね」
黒髪の少年は背伸びして答えた。栗毛の少年の表情がぱっと明るくなった。
「それでこそわが相棒。じゃあ、これでいったん岡本プロフェッサーに提出してみるね」
「はいはい」
と手をふった黒髪をみて、満足して栗毛の少年はふっと消えた。黒髪の少年はふーとため息をついて、停止する秋山と岡本を見た。
「まあ、ありっちゃありか」
ふっと笑って消えた。世界は暗転した。




