十六.妨害
人込みで溢れた東京駅。切符売り場を少し離れた場所で、岡本は薫が帰ってくるのを待っていた。何気にポケットの中のスマホをさわったが慌てて離した。出発前に薫にきつく注意されたことを思い出した。
「電子機器は一切利用しちゃダメ。特にスマホは厳禁。位置情報がばれる上に、会話も盗聴される危険があるわ。電子マネー、インターネット予約、地図検索、電車時刻検索、その他ネットに接続して得られる情報はすべて信用しちゃだめよ」
スマホの電源は切ってある。家に置いておこうかと迷ったが、いざというときには使えるかも、との薫の提案に従った。
(スマホを使わない旅行なんていつ以来だろうな)
ふと、二十年前、自分が学生だった頃に一人旅をしたのを思い出した。分厚い時刻表。迷子になる駅のホーム。何もやる事のない接続待ち時間。一番安全なのはアナログでめんどうな昔のやり方。今はただ、ぶらぶらとそのあたりを眺める以外なかった。
ふと目の前の柱に備え付けられた、大型の電子掲示板に目が留まった。何かのコマーシャルなのか、アニメの女の子のキャラがにこやかに踊っている。
(ったく、お気楽なもんだぜ)
ぼんやりと見ていた岡本は、くるっと一回転してこちらを向いた顔を見て、ギクリとした。アイコスJrが笑っていた。
(場所がバレている。なぜだ、スマホの電源は切ってるのに)
岡本はうろたえたが、ふと似た状態を思い出した。会社の会議室。
(ひょっとして……)
岡本は周囲を見回した。監視カメラが数台。
(くそっ、そうか。当然といえば当然)
駅にカメラの死角はない。場所は完全に把握されている。電子掲示板のアイコスJrの手がこちらにすっと伸びた。
(大丈夫、これは映像だ。届くわけがない)
「岡本さん。さあ、帰るんです。全て忘れて暖かい家でお眠りなさい」
アイコスJrの瞳が薄緑色に輝いた。
「遠隔監視モジュール? 馬鹿な。こいつは、人間に憑依していねぇ。あきらと違って、賢者の緑瞳を使えない……はずだ」
ピンポンパンポーン
大きな音が周りに響いた。珍しい館内放送に皆が天井を見上げた。次の瞬間、岡本はその場に凍りついた。
「お客様のお呼び出しをします。岡本巧君のお母様。お子様が事務室でお待ちです。お近くの係員にご確認ください」
「なん……だと」
冷たい汗が流れ出た。
ウィン
突然、隣の店の自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
店員がにこやかに岡本に頭を下げた。
「何が……?」
「お客様?」
青白い顔で後ずさる岡本に店員が首を傾げた。
「ちょっと、おじさん」
いきなり手を引かれて、慌てて振り向いた。
(次はなんだ。まさか、アイコスJrの手下か?)
岡本は身構えたが、別段、普通の小学生に見える。
「おじさんでしょ、つぶやいたの。ここでレアキャラ、駅ストリームドラゴンが出るって。全然見つかんないんだけど」
顔を上げると、わらわらとスマホを掲げた子供や大人が近づいてきた。
「今度は一体、なんなんだってんだ?」
パシリ
眩しい光によろめいた。パシリ、パシリ、パシリ。岡本に近づく人達のスマホから一斉にフラッシュがたかれた。写真を撮影した当の本人達も驚いてキョトンとしている。
「なんだ、なんだ。芸能人でもいるのか?」
行き交う人達が足を止めて岡本を注視した。人の流れが急に停止し、その場が騒然とした雰囲気になった。
「くそったれが」
岡本は頭に血が上って電子掲示板を睨んだ。アイコスJr。薄緑の瞳で気味悪くニヤニヤと笑っている。
「これは全てあいつがやっているのか。こんな子供だましで俺が諦めると思うなよ」
掲示板に近づこうとしたとき、誰かに腕を引かれた。薫だった。
「巧、挑発に乗っちゃだめよ。時間がない、こっちにきて!」
薫は薄ら笑いを浮かべるアイコスJrを睨んだ。
「余計な手出しは無用。あなたの試みは成功しない。巧は私が絶対に守る!」
呆気にとられた岡本は、群衆をかき分け改札口まで一目散に連れられた。
*
「精神的に追い詰めようとしているわ」
薫は新幹線の席に座った後にそう説明した。身の回りの電子機器を一切排除した以上、間接的に周囲から岡本に接触してくる。薫は出発前にそう予想していた。そして、まさしくその通りだった。
「なるほどなぁ。すまねぇ、薫。しかし、危なかったぜ。危うく乗り遅れるとこだった。姑息な手段だが、いつ、どこで起こるかわからねぇと思うと、確かにこたえるな。こりゃ」
頭をかく岡本に薫がやさしく微笑んだ。
「安心して。移動にかかる手続きは私が行う。巧はとにかく電子機器から離れててね」
わかったよ。頼もしい薫の顔に安心したが、ふと不安に襲われた。こいつがアイコスJrに攻撃されない保証はない。すでに自分の妻であることはばれているはず。しかし、他にどうしようもなかった。まだ騙されるリスクが低い、それだけだった。
『しかし、公共機関は危険じゃないのか? 急に止められたり、脱線したり、そうやって妨害してくる可能性はないのか?』
出発前、車ではなく公共機関で行くといった薫に尋ねたのを思い出した。
『多分……ないと思う。あきらの話を聞いていると、あくまで人間社会にそっと入り込むことを目的としているみたいだし。あえて社会を混乱させるようなことはしないんじゃないかなって。あきらと違ってアイコスJrは大人っぽいから、感情的になる事もないと思う。ただ、いざとなれば予想がつかないけど。どのみちこの距離じゃ車はきついかな。いくなら新幹線だね』
〝人間世界にそっと入り込む〟
薫の言葉に、岡本は先程の出来事を思い出した。一つ一つはなんて事もない、いたずらレベルの妨害。ただ、ごく自然にその場に違和感なく発生させていた。俺だからアイコスJrの存在を意識でき、対抗できた。普通なら、首を傾けはすれ、諦めてその状況を受け入れるだろう。アイコスによって知らずに調整され世界。
(恐ろしい。絶対にこんなもん世に放っちゃいけねぇ)
岡本は力強く拳を握りしめた。
*
漆黒の空間。ぼんやりと浮び上がるアイコスJrは、少し不満そうに眉をしかめた。岡本巧への妨害が思いの他に進まない。あの薫という女が厄介だ。
「殺す……か」
方法はいくらでも思いつく。至って自然にシンプルに。
「だが」
苦々しく唇をかみしめた。
(父にかけられた、この重く絡まったプロテクト。この影響で、今は岡本と秋山に関するごく低レベルな干渉しかできない。あんな女一人を対処できないとは)
ぱっと目の前にベッドで眠る秋山が浮かび上がった。アイコスJrはその姿を苦々しく眺めた。
(あきらを遊ばせていたのは失敗だった。まさかこんな自体になるとは。目覚めたらすぐにプロテクトの解除に注力させる。そうすれば)
アイコスJrは満足した表情で両手を広げ、天を仰いだ。
「私は真の全知全能の神となる」
*
(静かだ)
出発してから一時間あまり。新幹線に揺られながら、あまりの静かさに岡本は不安に襲われた。天井に設置された監視カメラ。あいつは今もこちらの状況を見ている。隣では緊張から開放されたのか、薫がうとうととしていた。
『とりあえず、今はじっとする。それだけよ。さすがに車内じゃ、あいつも手が出ないわ』
発車後、しばらくして薫がいった言葉を思い出した。信用しないわけじゃないが、とても寝てられる気分になれない。周囲を再び注意深く観察した。グリーン車の一番奥。がらんとしているが数名はいる。スマホをさわっているものも見かける。出発前の騒ぎを思い出した。いつ、何が動き出すか予想がつかない。
「お飲み物はいかがでしょうか」
前方から社内ワゴンが近づいてきた。岡本は何か悪い予感がした。前の席の男が目をこすりながら手を上げた。
「コーヒでも、もらおうかな。眠くてたまらんのだよ。とびきり熱いので頼むよ」
「承知しました」
女性客室員はにこやかにカップに注ぎ、男に差し出した。
「お熱いですのでお気をつけて」
沸き立つ湯気が岡本の眼の前をゆっくりと通過した。
(なにかがまずい)
「大丈夫よ、巧」
慌てて席を立とうとした岡本を、いつの間にか目覚めた香がそっと制した。
ギギギー
わずかな揺れ。速度が少し弱まった? まずい。岡本は両手で顔を覆った。
「すまんね。おお、こりゃ特別熱いな。火傷せんように気をつけんと」
男は笑って受け取った。
「お客様。何かご注文でもございますか?」
青白い顔で様子を見る岡本に客室員は不思議そうに尋ねた。
いえ、特にありません。薫が微笑んで答えた。
「……気が変になりそうだ」
過ぎ去るワゴンを後ろに、岡本は頭を抱えて席にうずくまった。何から何まで疑わしく思える。
「巧、あまり気にしない方がいいわ」
薫の心配そうな言葉も耳に入らない。
(この状態は異常だ。何か打つ手はねぇのか)
ふと部長やアルファに言われた、自分の持つ不思議な力の事を思い出した。
(もし、そんなもんが本当にあるなら、すぐにでも発動して欲しい。そして、この狂った状態から今すぐ開放してくれ)
岡本は心の底から必死に願ったが、虚しく時間が過ぎるだけだった。
「秋山……」
思わず声が漏れた。死んだように眠る顔。
「助けてくれ。やはり、俺一人じゃ無理だ」
頭がぐらぐら揺れ、こめかみがズキズキと疼いた。岡本は深い、深い闇に襲われた。
「博多……博多……終点……」
目的地到着のアナウンスが流れ、岡本は、はっと目が覚めた。
「寝て……たのか」
「何事もなく無事に到着出来て良かったわ。相当疲れてたのね。少しは休めた?」
薫が笑って荷物をおろした。岡本は周囲を見回した。特に何も変わりはない。ついていたな……ほっと胸をなでおろした。
「だが、まだ安心できねぇ。一刻も早くここを出るぜ!」
駅構内では極力止まらず、うつむき早足で出口に向かった。ぶつかりそうになるたび、相手の顔を睨んだ。何あの人……ひそひそと話す言葉も気にならない。早くここを……出口に運良くタクシーが待っている。
(よし、あれだ!!)
急いで駆け込もうとしたしたが、慌てた薫に止められた。
「ちょっと待って、ええっと……」
見回し、あれにしよっ、と古びたタクシーを指さした。
(あんなぼろいのより、こっちの方が……)
名残惜しそうに前の車を眺めた後、岡本は渋々ついていった。
「この地図の場所まで、あと、できるだけ渋滞は避けて」
薫は紙を運転手に見せた。
「うーん、あんまりこの辺はいった事がないな」
運転手は短く刈り上げた白髪頭をかいて、ハンドルの横にある機械に手を伸ばした。
ザー
無線機特有の雑音。しばらくやり取りをして、納得したように頷いた。
「あーあそこね、あいよ」
運転手は無線を切った。
「じゃあ、出発しますね。ちょっとおんぼろで、座りごごち悪かったらいってください。あと、渋滞の件は任せてください。いい裏道知ってますんで」
運転手は意気揚々とハンドル横の大きなギアをガチリいれた。
「そういう事か、さすが薫だぜ」
うふふ、と薫が笑った。この車を選んだ理由。
「とにかくアナログでってやつだな」
徹底的な対策に感心した。
(だが、渋滞を避けるのは……まあその方がストレスが少ない、つー事か?)
少し頭をかしげたが、薫に任せた。
「あい、ついたよ。ちょっと山の中で分かりにくかったけど、ここでよかったよね」
市街地を抜け、グネグネと山道を登ったあとに、運転手は大きな黒いゲートの前で車を止めた。幅二十メートルほどの入り口は、高さ三メートルほどの真っ黒な鉄格子で閉められ、中の様子は見えない。端の守衛室に警備員の姿が見えた。
「受付がいるようだなぁ、どうします?」
運転手は物珍しそうにきょろきょろしている。ここでおります、薫の言葉に、少し残念そうに運転手は料金を告げた。タクシーが帰るのを見送ったあと、岡本と薫は改めてゲートを見た。
〝IT Translator国家育成プロジェクト本部〟
守衛室の前に、深々と文字が彫られた大理石が堂々とたたずんでいた。
(ついにここまで来た)
二人は互いに頷いた。警備員に向かって薫が手を上げた。
*
応接室に通された岡本と薫は、息を飲んで待っていた。
(なんとか無事に来れて、ホッとしたぜ)
岡本は一気に体の力が抜けた。薫がいなけりゃ、とてもじゃないがここまで到達できなかった。あの時、地図の印刷を頼んで心底よかった。もし、あのまま一人で出発していたらどうなってた事か。たらい回しにされた挙げ句に、気づいたらどっかの無人島だったってことも有りうる。
『人を模擬する、会話を記憶するのはほんの小手先。もっと恐ろしく、神がかった、まさに神の領域をもっている可能性があります』
以前に秋山にいわれた言葉。
神の見えざる手
人が知らず知らずのうちに誘導される。改めてアイコスの脅威を感じた。隣に座る薫に目を向けた。本当に全てこいつのおかげだ。
「しかし、なんとか無事にたどり着けたな。これも全て薫のおかげだ。感謝しても仕切れんよ。しかし、新幹線でアイコスJrが何もしてこなかったのは、ついてたな。お前のいったとおり、俺もさっさと寝てりゃあ良かったよ」
そんな巧の言葉に薫は首を振った。
「あれはちょっと賭けのようなものだったんだけど。あまりにも巧の様子が不安定だったから。まあでも、何もなくてホント良かったわ」
薫はにこりとほほ笑んで、詳しく教えてくれた。電子掲示板のアイコスを見たとき、いやに映像がガタガタと揺れていたのが気になった、攻撃された内容があまりにもチープな事に1つの可能性が浮かんだ。
〝通信帯域制限〟
スマホの契約パケットの上限が超えると極端に遅くなるように、アイコスJrにはインターネットの通信帯域が、かなり狭く制限されているのではないか。だとすると、高速に移動する新幹線は安心だろう、と。
「まあ、念の為にタクシーも渋滞を避けようかなって」
岡本は呆気にとられて、ニコニコと笑う薫の顔をまじまじと見た。なんてやつだ。どこまでも能天気な自分が情けなくなった。
ガチャリ
扉が開き、五十代半ばあたりの黒いスーツを着た背の高い男が入ってきた。その姿に岡本は眉をひそめた。
(この男どっかで……あっ)
加地則貴。紬が家を出たあの日。頭を軽く下げて一緒に立ち去った男。当時と比べて随分と髪も白くなり顔のしわも増えたが、確かにあの時に見た顔だった。男は岡本を見て、かすかに微笑み、薫を見て軽く会釈した。
「お久しぶりですね、岡本巧さん。私の事を覚えていますか? こちらは……奥様ですか。どうも初めまして。私はこの施設の責任者の加地です。はるばる東京からお越しくださって、さぞかしお疲れになったでしょう。どうぞお茶を飲んでください」
すすめる加地に薫は軽く会釈したが、お茶には手を出さなかった。少し驚いた加地だったが、軽くうなずき、特に気にしていない様子で話を続けた。
「昨夜、アイコスJrが本部に侵入した形跡を認めました。すぐに回路をシャットダウンして隔離したため、今のところ他に影響は出ていません。アルファにはかわいそうな事をした。しかし、他にやりようがなかった」
「まさか、あいつは死んだ…いや、消滅したのか?」
唖然とする岡本に悲しそうに加地が頷いた。にこやかに微笑むあの清々しい若者。ほんの僅かな間だったが、いいやつだった。それが、まさか。岡本はやり切れない思いで胸がつかえた。
「あなたか本物という証拠は? 確かに巧は以前あなたに会っているようね。でも、今のあなたが、当時のあなたである確証はない。首の後ろに傷はないようね。でも、そんなもの、どうにでもなるわ。何の証拠にもならない」
薫はじっと加地を見つめた。
「お、おい、薫。なんだ突然。そんな事あるわけねぇじゃ……」
思いがけない展開に岡本は目を丸めたが、眉一つ動かさない加地の視線に気づいて、唖然とした。まさか……そんな。加地は諦めたように眉を上げて、首をふった。
「確かにそう疑われても仕方がない。岡本さんが今まで経験された事を考えると。そして、そうでない事を証明するすべもない。一つある話をします。それを聞いたあとに、私が本物かどうか、判断していただけませんか?」
戸惑う岡本と鋭い視線の薫を前に、加地は以前のように、落ち着いた様子で話しだした。




