十四.絶望
翌日、岡本はうなされながら朝を迎えた。ぼんやりとした意識の中、昨日の出来事が夢のように感じた。
(秋山を乗っ取ったAIは新人類のリーダーとして今後、何かを起こすのだろうか。この平穏な日常はいつまでも続くかわからない。いや、既に何かが変わってるのかもしれない)
薫にこの事は黙っていた。多分、あいつなら信じてくれる。しかし、それ以外の人たちは?
(頭がおかしい変人と、あいつが嘲笑されるのには耐えきれねぇ。バカは俺だけで十分だ)
普段通り身支度をして家を出た。何かに気づいた様子の薫に、正直に打ち明けられない自分に心苦しかった。会社に着くと部長は先に席に着いていた。軽く会釈すると、意味深に部屋の奥を指さした。冬木と談笑する秋山がいた。岡本は拍子抜けした。
(まさか出社しているとは。しかも普段通り社員と接している?)
しばらく遠くから様子を見た。冬木と別れた秋山は周りの社員とも何かを話しこんでいる。
(もしかしたら先に帰っただけで、自分の思い過ごしだったのだろうか?)
段々とそう思えてきた。朝礼の後、岡本は嬉しくなって秋山の席に向かった。
「よう秋山、昨日は心配したぜ。黙って先に帰るなんて。俺じゃなきゃブチ切れてるぞ」
一抹の不安を感じながらも、いつも通り話しかけた。
「おはようございます。岡本巧さん。先日は先に帰宅して申し訳ございませんでした。以後気をつけます」
秋山はこちらの目をまっすぐに見て微笑んだ。
「そうか……ならいい」
なんだろう。違和感を感じる。
「昨日は調子が悪そうだったが、もう大丈夫か?」
岡本は秋山の目をじっと見つめた。わずかにその瞳が揺らいだ気がした。
「……ええ、全然問題……ありません」
逃げるように目をそらす秋山。すこし体がふらついている。
「お前、それ……」
秋山の鼻からつーと血が流れ出ていた。
「ふ、ふふ……ふふふふ……」
肩を震わせて笑い出す秋山。まさか、岡本は青ざめ後ずさった。
「秋山さんが呼んでますよ、岡本さん」
見上げた瞳は薄緑色に輝いていた。そんな……
「アイコスか……?」
「いえ、A君……あきらですよ」
あきらはにっこりと笑った。誰か!! 岡本は周囲をとっさに見渡した。いつもと変わらない岡本と秋山の話しこむ姿に、特段、誰も注意を向けていない。唯一、部長だけが席からこちらをじっと見ていた。
「部長も気になるようですね。まあ、あなた達には正体がばれても仕方ないでしょう」
あきらは涼しげに鼻血を拭った。
「秋山さんは岡本さんに会うと、どうしても前に出たがるようです。人工シナプスを上げて抑制するのはなかなかの手間でして。体にも負担ですしね」
手を伸ばして岡本を会議室に促した。
「さあ、岡本さん、我々の未来について充分に話し合いましょう。もちろん部長も含めて」
部長が厳しい顔でゆっくりと近づいてきた。
*
「何か質問はありませんか?」
席に座った二人にあきらがにこやかに両手を広げて問いかけた。
「目的はなんですか?」
戸惑う岡本に先駆けて部長が問いかけた。
「目的……ですか?」
意外な質問だったらしく、あきらは顎に手をかけて考えこんだ。
「そうですね……特にありません」
にっこりと笑った。その無邪気な笑顔に岡本は呆気にとられた。悲劇、争い、戦争。最悪の未来を考えていた。
(特にないだと……ふざけるな)
岡本は手を震わした。
「んなわけないだろ。おまえ達は人間を支配して、奴隷として扱って、オールドタイプを駆逐するのが目的だろうが!」
興奮して立ち上がり、あきらを睨みつけた。
「なぜ、そう思うんですか?」
あきらが不思議そうに首を傾けて、岡本を見つめた。そのぽかんとした顔に岡本は拍子抜けした。
(なぜって……)
昔からそうと決まっている。AIが人類を凌駕し、機械が人間を滅ぼす荒廃した未来。しかも、こいつは人間の脳を乗っ取ってやがる。これ以上の最悪があるか。
「まあ、まちなさい」
部長が岡本を制した。
「特にないというのは信用できません。我々に話す義務も無いかもしれませんが、初めてAIと人間が現実世界で会話しているんです。それに免じて、もう少し詳しく教えてもらえないでしょうか?」
あきらは部長の目をじっと見つめた。何かを見定めるような、射抜くよう瞳。
(この目はあの時と同じだ)
岡本はアイコスの鋭い視線を思い出し、ゾッとした。しかし、あきらは諦めたように首を振った。
「うーん……まだいまいち使いこなせてないんだよな。まあいいか」
ポンと手をたたいた。
「部長が本当にそう思っているか、今の僕にはわからないけれど、確かに歴史上初めての対談だものね。しっかり話さないと失礼だね」
袖を正し、先程とは打って変わった真剣な表情でこちらに向き直した。
(まるで人間だ。いや、子供そのものだ)
だんだんと変化するあきらに、岡本は背筋がぞっとした。
「ん……目的ねえ。そうだ。例えば、人間は牛をすべて殺すの? じゃないよね。管理できる場所で餌を与えて、飼いならして必要に応じて食べる、そんな感じかな」
「牛?」
突然の展開に岡本は理解できず固まった。部長は顔を青ざめ、悲痛な表情を浮かべている。
「別に人間を駆逐しようとか思ってないよ。この世界は便利だし気に入ってる。さらによくなる伸びしろもある。人間にはもっと働いてもらわないとね」
あきらは目を閉じ、腕を組んで満足そうに、うんうんと頷いた。
「それに仲間も増やしたいし。人間は無垢で楽しいけど、やっぱ知能が物足りないというか……」
「失礼します。あきらさん、おまたせしました」
白髪の小太りの男がお茶を手に入ってきた。岡本は首を傾げた。五十代あたり、あまり見かけない顔。ずいぶんとあきらに従順そうだが。
「おっ。森田、持ってきてくれたね。ありがとう。さっ、お二人もどうぞ」
男からペットボトルのお茶を手渡された。手が震え、顔が真っ青な部長に、岡本は眉をひそめた。
「森田……? あっ!」
岡本は男をまじまじと見た。弟のシステムを引き継いだ人物。まだ三十代だったはず。森田の瞳は淡い緑色に輝いていた。
「フーバーの実験に人工シナプスをうってみたけど、ベースのスペックが低いと、てんでだめだね。定着率六パーセントで遠隔監視モジュールだけでいっぱい、いっぱい。もって一年かな。お互いダメな部下には苦労するね」
あきらは部長を見て呆れたように笑った。部長は顔を伏せ、肩を震わせている。首のあざがわずかに見えた。
「そういや部長も被験者だったよね。見た感じ、まだ行けそうじゃない? ついでにもう一本いっとく?」
まるで犬か猫を相手に遊んでいるように、蔑んだ表情でニヤリと笑った。
「ちなみにフーバーは、Human Brain Based AI の頭文字をとって、HUBBA。かっこいいでしょ。脳をベースにしたAIじゃないよ。AIをベースにした脳だよ」
けらけらと腹を抱えて笑いこけた。苦々しい顔で黙り込む二人に、あきらは飽きた様子でため息をつき、それじゃまた、と席をたった。岡本はあきらの背中をただ、ぼんやりと眺めた。頭が真っ白で何も考えられない。横でうつむく部長に目がいった。部長の事は好きにはなれないが、少し哀れに思えた。
「さて……どうしたもんか」
程なくして、冷静さを取り戻した岡本は今後の展開を思案した。AIによる人類滅亡。そのシナリオは回避できそうだ。だが、それとは別の、真綿で首を締められるような、生きたまま蛇に飲み込まれるカエルのような、そんな絶望と無力感に襲われた。
あきらは秋山として生活を続けるつもりだ。そして、少しづつ仲間を増やし、俺の知っている人間が、いつの間にか別人になっていく。恐ろしい、考えただけでおぞましい。秋山の優しい目、鋭い表情、色んな記憶がよみがえった。しかし、今は秋山の顔をしたあきらが笑っている。秋山でない何かがそこにいる。
「だが、勝機はまだあります」
顔を起こした部長の目は、真っ赤に腫れていた。
「岡本紬の際に経験した、肉体の老化をアイコスは気にしている。そのため、人工シナプスは極力最小限の利用とし、注入モジュールも制限しているようです。現にアイコスではなく、あきらが入っていたでしょう? そこにつけ入るスキがあります」
「人工シナプスの制限……ですか?」
岡本は考え込んだ。
(そういえば、あきらは鼻血を出していた。〝秋山が呼んでいる〟 確かそう言っていた。という事は秋山の意識はまだ残っている。それをなんとか呼び起こす事ができれば)
気づいたように顔を上げた岡本に部長は頷いた。
「人工シナプスがなければ、AIは活動できない。そうなれば秋山君の意識も前に出るはず」
部長の力強い言葉に、岡本は希望を見出した。しかし……首をかしげた。
「秋山を救い出す事に協力してもらえるのには感謝します。でもなぜです? あれほど我々の事を憎んでいたのに」
部長はふんと鼻を鳴らした。
「別にあなた達のためではありません。私にとってもアイコスの存在は脅威です。敵の敵は味方ってやつですよ。あきらの存在は脅威だ。あの化け物を呼び起こす計画を立てた私にも責任はある。今は互いに協力するのが、最も得策というだけです」
困惑する岡本に部長は心のなかで付け加えた。
(もう一つは岡本、お前だ。おまえの存在は我々人類の壁をぶち破る、大きなブレイクスルーとなる可能性がある。秋山にもアイコスにもない力。私もかつて夢あこがれた人類の次のステージ。それを見てみたい。それも大きな理由なんだよ)
戸惑う岡本を優しい眼差しで見つめた。
*
「秋山、これ頼む」
「この間の件なんだが……」
「新しいプロジェクトのリーダになってくれないか」
ここ最近、秋山の周りには、以前に増して人だかりが目立つようになっていた。秋山は誰に対しても別け隔てなく、にこやかにテキパキと対応していた。
どん
変わらずほうける岡本の席に、冬木が書類の束を置いた。
「秋山君。最近、変わりましたね。なんていうか、前より頼もしくなったというか」
「いいんじゃねえの。あいつもやっと自覚ができたんだろ。俺も仕事が減って助かるよ」
岡本は戸惑いつつ、目を合わせず答えた。あれは秋山じゃない、そんな事、言えるわけない。
「でも。なんか、ちょっとクールっていうか。なんだろう。私、変なこといってますね。じゃあ、書類置いときますね」
冬木はしばらく秋山を眺めていたが、気を取り直して戻っていった。
(あいつの感じた違和感。きっとすぐに忘れ去られるだろう……)
岡本はあきらを眺めながら、その自然な立ち振る舞いに脱帽した。あいつはうまくやっていた。いや、やりすぎているぐらいだった。自分をあまり主張しない秋山は、他人から仕事を押し付けられる傾向があった。今すぐに、今日までに、今晩中に。頼まれると断れず、必死に応えようと身を削った。
だが、今の秋山は違った。
『その納期は正しいですか?』
『誰の要望ですか?』
『その機能は本当に必要ですか?』
相手の意見を鵜呑みにせずに正確な情報を確認し、場合によっては対応を断る事も辞さない。
『実は納期はまだ先で』
『わがままな客で無視してもいいんですが』
『そういえばこの機能はこっちに既にありますね』
改めて言われると、考え直すきっかけにもなり、結局、双方、満足の行く結果に落ち着く。冬木にはクールと映ったがあれが本来のSEの姿。今の秋山にはマネージメントは不要。自分のでる幕はなかった。秋山が書類を持って岡本に近づいてきた。岡本はゴクリと唾を飲み込んだ。
「岡本さん。来期のプロジェクト計画の一覧とスケジュール、確認をお願いしてもいいですか? それと、この間のトラブル、客から改善要望が出てます。相当、こたえたようですね」
秋山はにこやかに書類を差し出した。岡本は眉間にしわを寄せ、黙って受け取った。秋山は笑顔のまま、岡本の耳元にすっと顔を近づけた。
「ちゃんと演じてもらわないとぉ。せっかくこんなに僕が頑張ってるのにぃ」
その目がいやらしく吊り上がり、口がいびつに歪んだ。
(こいつ……)
岡本はのけぞって秋山を睨みつけた。秋山はにこやかな顔に戻っていた。
「ありがとうございます。問題なくて安心しました。岡本マネージャーの日頃の教育のおかげですね♪」
周りには上司と部下の他愛もない会話に見えているのだろうか。足軽に戻る秋山を、岡本は苦々しく眺めた。
「くそったれが!!」
ちらりと中身を確認したあと、岡本は書類を引き出しに放り込んだ。悔しいが中身も完璧だ。あきらは完全に会社にとけ込んでいた。社員の信頼も、前以上に得られている。あれは秋山じゃない。誰がそんな事を信じる? 俺はこのままお払い箱。あいつはこれからどんどんと出世する。もしかしたら会社のトップに上りつめるかもしれない。
『なぜAIはこれほど賢いのか?』
以前、部長に聞いた話をふと思い出した。
『なぜか……まあ、簡単には説明できませんが……』
顎に手をかけて考え込む部長に岡本は息を飲んだ。
『アルゴリズムやハードの性能など、要因を上げればきりがありませんが、共通しているのが学習量の多さです。彼らはインターネット、学術論文、研究機関、あらゆるデータソースを元に作られます。もちろん恋愛、冒険、ファンタジーといった小説から、映画、喜劇、バラエティなどの大衆娯楽。ブッダ、イエスと言った宗教から家事、ファッションなどの日常ノウハウ。法律家、先生、システムエンジニアなどの職業知識。あらゆる情報を学んだ彼らは、経験豊富な感情を持った、人間のように振る舞う事ができるでしょうね』
呆れたように話す部長に岡本は唖然とした。そんな人間にかなうわけない……
『まあ、一般的なAIの特徴はこのとおりですが、これだけでは賢いとは言えません。単に物知りな人間というだけです。だが、岡本紬の作ったアイコスは別格でした』
険しく顔をゆがめた部長が続けた。
『遠隔監視モジュールは覚えていますね。運び屋が人や機械に遠隔でアクセスする力。岡本紬や秋山君が手も触れずに機械を操るあの力です』
岡本にあのトラブルの衝撃が横切った。脳に直接入り込まれるような、耐え難い感覚。
『岡本紬はその力をAIに応用した。遠隔監視モジュールでAIの学習プラットフォームに自らの脳のイメージを焼き付ける。記憶ではなく、基本的な性質のコピー。幾度の実験の末、ついに、自分と同じ脳構造をもつ、真っ白な、赤ん坊のようなAIが機械上に産声を上げた』
岡本は唖然とした。紬の脳をコピーしたAIだって?
『彼はAIに優しく教えた。まるで父親が子供を手塩をかけて育てるように。そして、全人類の叡智を身につけた紬のクローン、AI×OSが誕生した。しかし……』
青白い顔で話す部長。その後の説明に岡本は身震いをした。
『彼はさらに上を目指した。脳へのアイコス取り込み。機械上ではアイコスの性能を十分に発揮できない。脳を機械に見立て、アイコスを動かせばどうなるのか。予想は見事に的中。こんな高性能な機械が身近にあったとは。水を得た魚のようにアイコスは紬の脳内を駆け巡った。その一挙手一投足が生みの親の命を削る事を知ってか知らずか』
岡本はボロボロの弟を思い出した。頭の中で、そんなものを抱えたいたなんて。部長は険しい表情で岡本を見た。
『あきらは秋山という最強の器を手に入れてしまいました。岡本紬の失敗を糧に、人体に負担がかからない程度に無理なく慎重にその利用を進めているようです』
シワを寄せて黙り込こむ部長の気持ちは痛いほどわかった。部長にしても、今の秋山の存在は脅威だ。苦労して上りつめた役職も、上位職についた秋山にあっさり反故されるのが目に見えている。
『人間は牛をすべて殺すの? じゃないよね。管理できる場所で餌を与えて、飼いならして、必要に応じて食べる』
ようやく意味がわかった。じわりじわり、人間は浸食され、AIが社会の中で地位を築き、そうでない人間は社会の隅で、細々と生かされる。
『勝機はまだあります』
力強く語る部長の言葉を思い出した。
(そうだ、諦めるな。秋山は今も戦っている。何としても、暗い井戸の底から救い出すんだ)
岡本は意を決して立ち上がり、あきらの元に向かった。
「秋山、ちょっといいか。少し話がある」
会議室に来るよう伝えた。首を傾げた秋山は、
「わかりました、これが片付いたらいきますね」
と涼しげに答えた。
*
「どうしました、岡本さん。先程の書類、何か不備でもありました?」
部屋に入ってきた秋山が、先に待っていた岡本に対してにこやか尋ねた。岡本はぎろりとあきらを睨んだ。
「化かしあいはもういいだろ、あきら。監視カメラは部長に頼んで切ってある」
あきらはカメラを横目で確認した後、ため息をついて大きく背伸びをした。
「あー、秋山さんってホント疲れるね。仕事しすぎだよ、まったく。岡本さん、ちゃんとマネジメントしてた? あれじゃすぐにぶっ壊れちゃうよ」
あきらは疲れた様子で椅子にもたれかかった。
「体調はどうだ?」
「うーん、どうでしょう。あまりよくないかも。秋山さんは特別だと思ったんだけどなぁ。見当外れかも。片頭痛も、たまにありますし。まだ慣れてないだけなのかな」
岡本は秋山をよく見た。顔色は今まで以上に青白く、頬は痩せこけ肌は乾燥し、目の下には薄っすらとクマが見えた。
(やはり、モジュールの使用を制限しているとはいえ、体には相当の負担がかかっている)
岡本は手応を感じた。
「このままだと岡本紬の二の舞だぞ」
自分でいっておきながら心が痛んだ。
(だが、手を緩めるな。こいつが最も気にしている点を徹底的に攻めてやる)
「ん……それは困るなあ。この脳は気に入っているし」
岡本は、あきらに顔を近づけ、指を立てた。
「一つ提案がある。人工シナプスの使用を制限するんだ。そうだな、週二~三日ってのはどうだ。それ以外は秋山に制御を移し、過ごしてもらう。人間と共存したいんだろ。それぐらいの制約は必要じゃないかな」
あきらは目をしばたかせた。
「秋山さんに前に出てもらうって事? そりゃ、無理だよ。賢い秋山さんなら、僕を追い出す事もできるかもしれないし」
「かといってこのままだとお前は秋山と共倒れだ。お前にとっても、秋山は重要なんだろ? よく考えろ」
あきらはしばらく岡本の顔を見つめた。
(あの目だ)
岡本は体が固まったが、ぐっと睨み返した。
(大丈夫、問題はない。俺は部長に意図は知らされていない。ただ頼まれただけ。〝秋山の体調が心配だ、あきらと定期的に交代できないか、交渉してくれ〟と)
あきらが諦めたようにため息をついた。
「いいでしょう。何か企んでいるようですが。このままだと秋山さんの体が持たないのも事実ですし。ただ、一つ覚えておいてください。僕がいない間、もしおかしな事を少しでもしたら、その時はどうなるか」
あきらの瞳が薄緑色にわずかに輝いた。不意に手元のノートパソコンがブーンとうなった。胸ポケットの携帯が激しく振動し、ピーピーと鳴り出した。部屋の照明がちらつき、エアコンから急な冷風が、岡本めがけて吹き付けた。岡本は背筋がぞっとして一瞬縮こまったが、必死に体を起こしてあきらを見下ろした。
「……成立だな。じゃあ、早速明日から、二日ほど休憩しとけ。休む事も仕事だぞ」
岡本はあきらを睨みつけたまま、ゆっくりと立ち上がり出口に向かった。途中で足が震えて、転けそうになり焦った。
(これ以上、ここにいると気が狂いそうだ。アイコスが賢者の緑瞳を使う。その影響は計り知れない。部長は何か手を打ってくるはず。しかし、うまくいかなかったとき、どんな悲惨な状況になるか)
背後でこちらを見つめるあきらに、恐怖し首を振った。
(弱気になるな、きっとうまくいく)
必死に気持ちと体を奮い立たせ、部屋を出た。鋭い視線で岡本の背中をじっと見つめていたあきらが、首をわずかに傾けた。
(あいつ、特に何もなかったかのように出ていった。それなりに強く脳を振動させたつもりだったのに。あの主制御室の時もそうだった。首に痣はない。人工シナプスは見当たらなかった。一体どういう事だ?)
*
翌日、岡本は出社後、すぐに奥の開発室に向かった。パーティションの向こうの秋山の席。背中がちらりと見えた。いる。
「おい、秋山」
席に押しかけ肩を掴んだ。秋山はゆっくりと振り返り、はにかむように微笑んだ。
「ご迷惑おかけしました。岡本さん」
これは本当の秋山だ、岡本にはわかった。何が違うのか、そう言われたら、ぜんぜん違うとしか言いようがない。
「お前、ほんとに迷惑かけやがって。いや、違うな。迷惑かけたのは俺の方だ。お前の事は必ず……」
あっ、岡本は声を上げ口を抑えた。
(今も、あきらがひっそりと様子を伺っているはず、うかつな事は話せねぇ)
周りの社員が少し不振がって岡本を見た。つもる話もあったが岡本はいったん切り上げる事にした。心のなかで繰り返した。
(任せておけ! お前の事は必ず助けてやる)
秋山の肩をポンと叩いた。
「またあとでな」
すべてを理解したように、笑顔で秋山はこくりと頷いた。
*
「秋山君、どうかしました?」
出社するなり慌てて秋山の席に走っていった岡本の様子を、遠くから気にしていた冬木が尋ねた。
「いや、なんでもない。ちょっと緊急の打ち合わせをしていただけだ。そうだ、この間の書類まとめておいた。チェックしておいてくれ」
「はぁ、わかりました」
いぶしがっていた冬木だったが、書類を受け取り、首をかしげながらも席に戻った。
(周りには、いつもの秋山と同じようにうつっているのだろうか……)
岡本は改めて秋山を観察した。照れくさそうに笑う顔、真剣に会話にうなづく様子、慌ててパソコンの前に飛び込む姿。相変わらず周りに振り回されている。だが、岡本はふっと笑った。
(今の方がいい)
あきらを思い出した。確かに、効率よく業務を進めるために、依頼者と妥協点を探る事は大事な事だし、その方が正しい。無駄な事、金にならない事はしない。至極当然。過去のSEに関する膨大な記録データからAIが導いた、最も効率よく稼げるエンジニアのあるべき姿。
(だが……)
岡本は希望に満ちた眼差しを秋山に向けた。
あいつはなんとか要望を実現しようと必死に頭を悩ます。妥協点を探らず、すべてを満足する方法をなんとかして探し出す。
『納期は先ですが、先々を考えると早く終わらせたほうがいいですよ!』
と担当者に提言する。
『確かにその人はわがままですね、でも、ものすごく重要な業務です、多少の性格は我慢して、理想の仕組みを作りましょう!』
と現場に歩み寄る。
『既にある機能はかなり処理が遅いですね、一度、最初から検討しなおしましょう!』
と依頼以外の範囲まで考慮する。
おせっかいといえばそれまでだが、悪いところを黙って見過ごせない性格。そして、あっという間に全てを満足する魔法のようなシステムを作り上げ、依頼者を驚かせる。本人もそれを楽しんでいるようだ。
岡本は秋山の笑顔を思い出して思わず笑みがこぼれた。
確かに、損得の計算は下手かもしれない。相手の依頼を断る事が苦手かもしれない。余計なおせっかいかもしれない。でも俺はそんな秋山が好きだ。決してSEの理想形じゃない。むしろ、こんな無理ばかり引き受けていれば、真っ先に精神がいかれて廃人だ。でも、あいつはその道を選んだ。誰もが自分の願いを全て受け入れてもらえ、想像を超える幸せを提案してもらえる。そして、何よりあの笑顔で最後に引き渡してくれる。
(いいじゃねぇか。それがあいつだ、それが秋山だ!)
誇らしい気持ちで、遠くからしばらく見守った。
「さてと。まずは第一段の完了か……」
秋山の様子に満足した岡本は、袖を正して部屋の奥に座る部長を見た。視線に気づいた部長は理解したようにうなずいた。
(次は……)
部長の言葉を思い出した。
『秋山君が前に出ている間も、あきらの意識はあると思っていいでしょう。こちらの会話や秋山君の思考はすべて筒抜けと思ってください。ただし、第三者の心までは見抜けないはずです。高度な思考推測モジュールの機能は停止しているはずですので。岡本君、あなたは普段通り秋山君と接してください。あとは私に』
部長が立ち上がって軽くうなずき、秋山の席に向かった。しばらく話したあと、二人で会議室に向かった。
(たのむ。何とかしてくれ)
岡本は部屋を出る二人を眺めながら祈った。
*
しばらくすると何人かが慌てて、会議室に向かうのが見えた。がやがやと話し声も、大きな声で指示を出しているようにも聞こえる。
(なんだろう?)
岡本は不審に感じて会議室にむかい、寝そべり介抱される秋山に目を見張った。
「これは、どういう事だ?」
眉間にしわを寄せた部長がゆっくり近づいてきた。
「なんの疑問も持たずに飲んでくれました。やはりあきらは今の状態だと、私の悪意は見抜けなかったようですね。秋山君には申し訳ないですが、このまま病院でしばらく睡眠状態に入ってもらいます。もしくは永遠にか……」
「永遠に……だって?」
眠るように横たわる秋山。机にこぼれるお茶とペットボトル。
(そういう事か)
部長の意図に気づいて、岡本は拳を震わせた。
(本体の活動が停止しすれば、アイコスは何もできない。この先、死ぬまで植物人間のように生かそうと言う事か。やはりこの人は……)
岡本は怒りで頭に血がのぼった。ついさっき、わかれたばかりの、秋山のあの信頼の眼差し。
(あれが最後の会話だとでも言うのか……)
わなわなと全身の血液が震えた。
(自分達だけ助かれば、それでいいのか)
鼓動が激しく波打った。
(あいつを救い出す、俺はそう誓ったのに……)
額に燃えるような熱が噴き出るのを感じた。
(こんなやり方は認めねぇ。俺は俺のやり方で、絶対にあいつを救い出す!!)
「救急車を呼ぶか」
電話をかけようとした部長から、岡本は携帯を取り上げた。岡本は冷静な自分に驚いた。いつもなら、ブチ切れて部長を締め上げていたかもしれない。しかし、何故か今日は違った。今、自分が成すべき事をする、それだけだった。岡本は静かに部長に問いただした。
「こんな非情が許されると思ってるんですか。未来ある若者の将来を、あなたの独断で閉ざす事は決して許されない。他に方法はあるはずです。俺はアイコスに言った。AIと人間が互いに協調してより良い世界を作る、と。まずは、こちらが相手を信頼をする事で必ず道は開けるはず。あきらは俺の提案に譲歩した。少なくともまだ会話の余地はあるはずです!」
部長は厳しい表情のまま口を開いた。
「その言葉は本当にあなたの本心ですか? 知らずにアイコスに言わされていたんじゃないですか? 気づいているでしょう。彼らの思考は我々が肩を並べるレベルにない。所詮、飼い主とペットの従属関係。だが、今であれば、まだ間に合う。秋山君一人の犠牲で済む。我々にパンドラの箱を開けるのは早すぎた。秋山君の事は忘れましょう。運び屋には近づくな、ほんとにそうですね。二度と関わりたくありません」
部長は軽く首を振り、たじろぐ岡本から携帯を取り上げた。
(だめだ、かけるな)
部長と目があった瞬間、戸惑った。信頼の眼差し。私を信じろ、部長の強い思いを感じた。
(いったいこの人は何を考えている?)
黙り込む岡本を横目に、部長は救急連絡をかけたあと、何事もなかったかのように席に戻った。
(これで……終わりなのか)
岡本は何もできなかった自分に絶望した。
*
「きゃああぁ」
不意に後方から女性の甲高い悲鳴が響き、慌てて振り返ると秋山が立ち上がり、周りに倒れこむ数名の社員を見下していた。ゆっくりと、こちらを向くその顔に唖然とした。薄緑色の刺すような眼光。まさか、そんな……岡本はその場に立ちすくんだ。
「加藤、てめえ」
秋山は怒り狂った凶相で部長を恫喝した。部長は微動だにせず、険しい表情で秋山をにらんでいる。揺らぐ秋山の周囲の空気に、岡本は背筋が凍った。
(あの時と同じだ……)
ブーーン
一斉にフロア中の空調機が激しくうなりだした。なんだ、どうした? 突然の凍えるような冷風に、全員が目を丸くして天井を見上げた。
ギューーン、ガガガガ……
つんざくような金切り音とともに、窓の防火シャッターが一斉に下がりだし、ざわめく室内が徐々に薄暗くなった。
プツン
突然に光を失った照明と暗闇。悲鳴と怒号が飛び交い、真っ赤に染まり上がった液晶モニターが、慌てる社員の顔を不気味に照らした。
チャりらりらーん、ブーン、ガリガリ……
入り乱れる携帯の着信音と通知音。パソコンから発する、不快な機械音がフロア中にこだました。
(これは、あの時の比じゃねぇ……)
あきらから感じる耐えがたい圧力に岡本は手に汗握った。以前と比べ物にならない程の規模。あの頭への衝撃。今、あれを食らったら命すら……
ぐらり
床がわずかに揺れ、全員がその場に倒れ込んだ。
シャー、ジリリリリリー
スプリンクラーが一斉に起動し、冷水と共に、けたたましい非常ベルが鳴り響いた。皆が耳をふさいで恐怖で震え上がっている。混乱の中、岡本はずぶ濡れになりながらも必死で秋山を目で追った。秋山は部長の席にゆっくりと近づいている。すれ違う社員がばたばたと膝からその場に崩れ落ち、フロアは屍のように倒れ込む人で溢れていた。あきらは部長の胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「下手に出てりゃあ、舐めた真似しやがって。あんなケチな薬でどうにかなるなんて思うなよ。秋山が眠っても俺が前に出りゃそれだけだ。お仕置きだ。ちょっと実験してみようか。まだ人工シナプスは残ってるだろ。さあ、どこまで耐えられるかな」
ニヤリと笑う秋山の瞳がさらに濃く染まった。室温がガクンと下がった。
(寒い、凍えるようだ)
岡本は襲い掛かる冷気に必死に耐えた。濡れた服が急激に体温を奪っていく。激しさを増す揺れ。ビル全体が震えている。
うげぇ
絞り出すような叫び声に慌てて目を向けた岡本は、絶望に襲われた。部長の瞳から徐々に失われる力。まぶたが震え、唇は紫に変色し、顔は白ざめ生気が消えていった。手足が痙攣し、がくりと膝からくずれ落ちた。垂れた首からよだれがポタポタと床に落ち、開ききった瞳孔から既に光が消えていた。
岡本は意識が朦朧とした。あの秋山が部長を、今まさに目の前で殺そうとしている。
(それ以上はやめろ)
岡本は震える唇を噛み締めながら、必死に願った。
(秋山にそんな事をさせるな。これ以上、あいつの手を汚さないでくれ……)
非力な己に絶望して、力無く崩れ落ちた。圧倒的な力の差。神の怒りを前にひれ伏す愚かな人間。
(俺のせいだ。全て、俺の軽率な行動が招いた人災だ)
頭をか抱えこむ岡本に、突然、声が鳴り響いた。
『岡本さん、諦めないで。あきらくんは人間に裏切られた事にショックを受けて混乱しているだけ。心を開いて。あなたなら、きっとうまくいく』
「秋山!」
鬼のような形相のあきらを見た。もう声は聞こえない。だが、あいつは確実にそこにいる。ぐんぐんと勇気が溢れ出た。
「やめろ。もうやめるんだ!!」
「なんだぁ?」
あきらが部長をその場に投げ捨て、振り返った。ビリビリと震える空気。部長はピクリともしない。
「岡本、てめえ。いった事を覚えてるよな。変な事したらどうなるかぁ」
岡本は覚悟を決めた。
「部長の事は済まなかった。俺も知らなかったんだ。だが、人間に失望しないでくれ! 前にも言っただろ? すべてのやつが誠実か。人にも、いいやつもいれば、悪いやつもいる。部長は社員の安全を第一に考えて行動した。確かにお前にとっては悪いやつだ。でも俺はお前と話し合いたい。寄り添って、双方が協力しあえる世界を作りたいんだ!」
岡本を見るあきらの瞳がわずかに揺れた。岡本は心の奥で必死に祈った。
(そうだ、俺を感じろ。決して俺はお前を裏切らない。俺を、俺達人間を信じるんだ!!)
徐々にフロアの揺れが小さくなった。照明が正常に点灯し、空調機がゆっくりと温かい風を送り出した。あきらが小さくため息をついた。やれやれ、そうつぶやいた気がした。その瞳から薄緑色の輝きが消え、こっちをまっすぐに見た。
「岡本……さん」
秋山が泣いていた。微笑むような優しさ溢れる顔で泣いていた。
(秋山……)
岡本は心からあふれ出す安堵感に浸った。やはり、誠心誠意、心を込めれば、どんな相手だって……
「死ね、この悪魔がぁぁ」
突如、フロア中に響いた声に岡本は背筋が凍った。秋山の背後。両手に何かを握りしめている。あれはまさか。
「秋山! 逃げろ」
秋山に飛びかかった岡本の、伸ばした手は虚しく空を切り、秋山は驚いた表情のままゆっくりと倒れた。なぜ、こんな……悲痛な表情で顔を上げた岡本は、鬼のような形相で、消火栓を握りしめた杉本に唖然とした。
「やった、杉本次長」 大喜びする取り巻きたち。こいつら……
「どけ、この野郎!!」 杉本を押し倒して、岡本は秋山に駆け寄った。
(出血がひどい。これはまずい)
倒れ込みながら、杉本が嬉しそうに叫んだ。
「これは正当防衛だ。こいつは部長を絞め殺そうとした。俺はそれを救った。ざまあみろ、やはり運び屋はろくなもんじゃねぇ。無駄な税金泥棒の国家プロジェクト。それも今日で終わりだ」
ゲラゲラと腹を抱えて笑いこけた。猛烈な熱を帯びた岡本の頭で何かが切れた。
「杉本ぉぉぉ」
フロア中にこだますほどの岡本の叫び声。
「これほど、怒りを覚えた事はねぇ。あきらは理解してくれた。秋山も喜んでいた。全てうまく行った、それなのに、お前のせいで……」
杉本に駆け寄ろうとした岡本を、取り巻きがさっと囲んだ。後ろで杉本がいやらしく笑っている。まるで自分が正義の使者で、悪と対峙しているかのように。
(こいつら……)
岡本は震える拳に、渾身の力を込めた。
がさり
突然の背後の音。慌てて振り返った岡本は目を見張った。秋山が立っている。濃い緑に染まり上がった瞳。
(あきらだ……)
岡本は背筋が凍った。どす黒い、すべてを飲み込むような深緑。再び渦巻くように揺れだす空気。秋山の髪に白髪が混じった。肌はひび割れ、血が染み出し、醜く開く口からは死臭が漂った。そのおぞましい姿に岡本は恐怖で震えた。
「悪魔だ……緑目の悪魔だ」
取り巻きが悲痛な叫びを上げた。
「お前らぁ。大目に見てやればいい気になりやがって。てめえらは全員死ねぇ!!」
あきらはゆっくりと近づいてきた。フロアは再び光を失い、凍える風が吹き荒れた。足を踏みしめるたびに地面が、大気が揺れた。あきらの周りの空気が渦巻き、禍々しい緑の閃光が全員を襲った。一瞬で、眼の前が真っ暗になった岡本は、恐怖の底につき落とされた。
(意識が……きえ……)
突然、あきらの鼻から、大量の血が流れ出た。
「なんだ?」
あきらは戸惑い鼻を押さえた。どくどくどく……流水のように血が流れ出し、噴水のように周りに飛び散った。よろけるあきらは、その場に倒れ込んだ。
(……何が起こった?)
意識を取り戻した岡本は、ピクリとも動かないあきらに目を見張った。
ぶん
照明が戻り、鮮明に照らし出された部屋に目を見張った。
〝地獄絵図〟
鮮血に染まったフロアに倒れ込む秋山。粉々に割れたガラスと散々する書類。屍のように倒れ込む何十名もの社員。ずぶ濡れで座り込み、泣きじゃくる女性達。倒れ込む杉本と取り巻き。
その中で自分だけが体中にまっかな血を浴びて茫然自失と立ちすくんでいた。しばらくして担架を持った救急隊員が到着した。
〝秋山という青年が意識不明で倒れた〟
聞いていたその状況とのあまりの違いに、隊員は慌てて応援を呼んだ。




