十三.アイコス
秋山の講義から一週間後、早朝の霜が降りる中、岡本と秋山は日本橋料亭裏口で九時開始の打ち合わせに向けて、震えながら待っていた。秋山とはあれ以降、一切会話をしていない。
(部長は盗聴に失敗して焦っているだろうな)
岡本は慌てふためく部長を想像してほくそ笑んだ。
(しかし、遅いな)
時計はすでに九時を指している。寒さも相まって岡本は苛ついた。遠くから部長が大きなお腹を揺らせてゆっくり歩いてきた。
「お待たせしましたね」
ちらりと秋山に目を向けて、ふんと鼻を鳴らして、ポケットからあのペンダントを取り出し、入り口に掲げた。
ウィン
ロックが解錠され重々しい扉がゆっくりと開いた。ボワっと生暖かい風が内部から流れ出し、通路の照明がパッパッと点灯した。部長からは昨夜遅くにメールで連絡がきた。
〝明日、日本橋料亭の裏口で九時前に。秋山も〟
(ざまあみやがれ)
〝秋山も〟
その文面に岡本はほっと肩を落とした。
『社内メールの内容は筒抜けですから』
一週間前の秋山の言葉を思い出した。
『経営層もばかじゃない。すぐに情シスからの報告で、今回のメールの件を把握し、部長に会話記録の早期入手命令をだすでしょう。明日以降、私と岡本さんが一切の情報交換をしなければ、手順を盗聴できず部長は焦るはずです。強硬手段も時間がかかる。そうなると私を入室させる以外ないでしょう』
(そんなに俺は信頼できないってか)
部長のうしろ姿を見つめながら、岡本はうれしい反面、少し複雑な気分になった。
*
「この部屋です」
ほどなくして部長がある一室に入るように二人を勧めた。照明はないのか、室内は薄暗く何も見えない。
ウィン
後ろで入口の扉が閉まった。突然の暗闇に戸惑った岡本は、前方にぼんやりと現れた光に目を凝らした。
(なんだ? 何かがいる……人? まさか、あれが……)
さっと背中に冷や汗が流れた。AIは既にここの段階にまで……。煙のような靄の中に、背の高いすらりとした容姿が浮かび上がった。その輪郭が徐々に鮮明に変わり、若い男がにこやかな表情で立っていた。
「こんにちはAI×OSです」
金色に輝く滑らかな長髪。色白で整った中性的な顔立ち。その瞳は全てを包み込むような、やさしさに溢れ、見る者の目を離さない不思議な魅力を醸し出していた。
(なんだろう……どこかで会ったことがあるような?……)
首を傾げた岡本は、あっと叫んだ秋山に驚いて目を向けた。目を見開き、口に手を当てている。
「紬……さん?」
「なんだって!?」
岡本は慌てて男に目を向けた。髪の色が違い、年齢もやや上だが確かに似ている。だが、まさか。
「加藤部長。お二人はどちら様でしょうか?」
AI×OSが部長に尋ねた。にこやかでとても紳士的に。
「うむ……そうです……ね。紹介しましょう。研究部の岡本マネージャーと秋山リーダーです」
やや硬ばった表情で、さっさと自己紹介をするように二人に促した。部長はAI×OSは苦手なようだ、そう感じたが果たして自分はどうだろう。岡本は戸惑いながらも一歩前に出た。
「こんにちは。研究部カスタマーサポート所属の岡本といいます。普段は顧客からの問い合わせやトラブルの受付窓口をしています。よろしくお願いします」
軽く自己紹介して頭を下げた。にこやかにうなずきながら会釈したAI×OSを、岡本は上目遣いに確認した。
(俺の事はわからないのか?)
弟の笑っている、かつての顔を思い出した。まじまじと見つめる岡本にAI×OSは少し困惑した表情を浮かべた。
「岡本マネージャー? どうかしましたか?」
失礼、岡本は咳払いをして、秋山に手を伸ばして促した。
「研究部開発課所属の秋山です」
秋山の目は鋭くAI×OSを見つめている。
「よろしく」
AI×OSは穏やかだ。だが、その目も一瞬鋭く光った。部長がこほんと咳をして前に出た。
「担当者が森田リーダーからこの二人に変更になりました。今日はその挨拶です」
(変更だって? いつからそんな話になったんだ?)
部長の言葉に秋山と岡本は目を見合わせた。
「今日は岡本マネージャーからのヒアリングをしてもらいます。秋山リーダーはしっかりと後ろで勉強しているように」
部長が岡本の背をどんと押した。よろけた岡本は一歩前に足を踏み出した。
(さっそくか)
大きく深呼吸をして、秋山を見た。いつもと変わらない真っ直ぐな信頼の眼差し。
(心配ない、任せておけ)
岡本は力強くうなずいた。
「では、よろしくお願いします。初回という事で気楽にいきましょう」
自身たっぷりに、笑顔でなるだけ友好的な態度を演じた岡本は、心の中では秋山の言葉を必死に思い出していた。
『AIに一方的に要求してはいけません。嫌われると情報に制限がかかり、最終的には会話もしてくれなくなります』
(まずは誠実な人間を装わないと)
手が汗まみれになった。
『人の心理は目に強く反映されます。AIは思考を推定するモジュールを搭載しているため、岡本さんの感情を容易に見抜くでしょうが、焦らなくても大丈夫です』
「緊張されているようですね。大丈夫です。リラックスしてください」
AI×OSはにこやかだ。岡本は表情を変えずゆっくりうなずいた。AI×OSは少し意外な顔をした。
『事前にAIの特性を把握している事は知りません。すぐにばれると思いますが、多少は演技を』
岡本はあわてて驚いた表情をした。おかしなタイミングに部長がわずかに眉をひそめた。AI×OSはやや表情を固くしてじっと岡本を見つめている。
(まずったか……)
岡本は汗まみれになった手を握りしめてうつむいた。
(やはり俺には交渉なんて向いてねぇ、秋山だったらもっとうまくやっている。最初から動揺していた。弟の顔を見て平常心で話せるわけがない)
AI×OSが穏やかに話しかけた。
「岡本マネージー、どうしましたか? 気分でも悪いんですか? でも関心しました。事前に私の事をよくお調べになったんですね。さすがマネージャー。かなり経験豊富なベテランSEなんですね」
(ベテランSEだって?)
岡本はゆっくりと顔を上げた。なにの疑いもなく見つめるその瞳。手の汗がすっと引いた。
「ええ……まあそうですね。この業界に入ってもう十数年、色んな事を経験しました。今回AIと話ができると言う事で頑張って事前勉強してきたのですが、まだまだですな」
苦笑いをして頭をかきながら心の中で虚しく笑った。
(こいつが紬の訳が無い。弟が作ったシステムの一つ。ユーザの要求を受け入れるOSとしての役割を担うだけのAI)
ごちゃごちゃ考えていた自分が馬鹿らしくなった。岡本はAI×OSに堂々と向き合った。
(最初は弟の顔をしたAIに戸惑ったがもう慣れた。姿は紬だがそれ以外は俺が知るあいつとは全く違う)
「はっはっは、いや失敬。変に気を張っていた自分におかしくなりまして。AI×OSさん。私もほどほどに生きてきましたが、AIさんとお話をするのは初めてなもので。どうぞお見知りおきを」
岡本は片手を前に差し出して深々とお辞儀をした。横目で秋山を見るとほっと胸をなでおろしている。
(心配かけたな、もう大丈夫だ)
吹っ切れた岡本は今までの会社での経験をじっくりと思い返した。カスタマーサポートとしてトラブルの一次対応を幾度もこなし、顧客と開発者との間で板挟みになりながらも妥協点を必死に探ってきた。
『あいつは馬鹿だが嘘はつかない』
顧客と一定の信頼が芽生えつつあり、社内でも一種の緩衝材的な立ち位置で開発者を外圧から守っている自負はあった。特に秋山のマネージャーになってからは多くの社員との調整に追われ、言葉で論破するケースも出てきた。悔しがる杉本次長の顔が浮かんだ。
(自信を持て。ITスキルは低くても、泥臭く相手に入り込む手段はわかったつもりだ。ただし、相手が〝人〟であればの話だが)
ごくりと唾を飲み込んだ岡本は、ゆっくりと顔を上げた。
「さて」
自信気に両手を広げてゆっくりと歩きながら語りだした。
「現在、わが社ではAIのシステム把握が最重要課題です。実は先ほど初めて知らされたのですが、運よく? 上司から主担当に任命されましてね」
オーバーに首をすくめて苦笑して、大変さをアピールした。
「本日は特別に部長に許可を得てこちらに伺いました。あなた達が人間と同じように生きることができる世界、その実現のために、私にお手伝いをさせていただきたんです」
岡本は立ち止まりAI×OSに向き合って満面の笑みを浮かべた。
「なるほど、共存というわけですね。私としてもその提案は大変ありがたいことです」
AI×OSは顎に手をかけて黙り込んだ。目は冷静に岡本を見ている。
『今回対面するAIがどこまで〝紬さんの願い〟について把握しているかは不明です。ただし、A君の思いは共有しているはず。私達にならきっと心を開いてくれます』
(頼む……)
岡本は笑顔の裏で、秋山の言葉を思い出しながら必死に祈った。
(こいつもダメか……)
加藤はため息をついた。すでにその内容は前回のヒアリングで再三伝えていた。しかし、答えは〝No〟 森田は必死に食い下がっていた。
『自分の首がかかっているんです』
大きな体をみすぼらしく縮め、泣いて懇願した。AI×OSは冷淡な目で首を振り、それ以降は一言も話さなくなった。部長として依頼をしてみたが聞く耳を持たな様子だった。上席としての威光が全く役に立たない、秋山や岡本のような、自分が一番キライなタイプ。
「いいでしょう」
AI×OSのあっさりとした返答に加藤は腰を抜かした。
(やったのか)
岡本はほっとして肩の荷を下ろした。秋山は相変わらず厳しい顔をしている。
「ただし、条件があります。お久しぶりですね。秋山さん……」
突然にAI×OSに話しかけられた秋山は目を丸くした。
「待て! 秋山。お前は一言もしゃべるな」
慌てて加藤が秋山の前に割り込んだ。
「AI×OSさん。この間は森田が無礼を働き申し訳ありませんでした。あいつは本当に馬鹿で使えないやつで。二度とここに来ないので安心してください」
愛想よく笑い、岡本に近づき肩をたたいた
「いやー、岡本君。君は本当に素晴らしい。やはり担当にした私の目は節穴ではありませんでした。AIの能力で、病気、貧困、飢餓、震災……世界中のあらゆる困難が解消され、世の中がずっと平和になる。そんな世界の実現に貢献できるなんて、我々はなんて誇らしい事でしょう」
両手を広げて、にこやかに笑みを浮かべた。AI×OSは冷たい目で部長を見ている。岡本は冷や汗をかいた。秋山の声が頭に響いた。
(ある程度うまくいくと、途中で部長が間にはいってくるはずです。心にもない事をいって、AIをだまそうとするでしょう。しかし、彼らには節穴です。下手をすると二度と口を……AIも人間のように、感情があり性格があります。クローンとなる人間に似てはいますが、基本的な性格は生みの親、すなわち紬さんの心を模しているはず。何とかして場を収めてください。あなたにならできるはずです!)
決心した岡本は、加藤に力強く目を向けた。
「部長! ここは私に任せてください」
岡本はAI×OSにまっすぐ向き合い、頭を深く下げ謝罪した。部長はあんぐりと口をあけている。AI×OSは目を閉じて頭を振った。顔を上げた岡本がまっすぐな目をAI×OSに向けた。
「お察しだと思いますが、今の部長の言葉はあくまで表向きです。AIの能力で独占的な地位を築き、多額の利益を得る、それが真の目的。富は争いを生む。もしかしたらAIの利権をめぐり不幸な出来事が起こるかもしれない。奪い合い、争い、混沌、そんな世界を導くかもしれない」
AI×OSの目が少し憂いを帯びた。岡本は加地に連れられ家を出た、弟の目を思い出した。大丈夫、何も心配しないで。優しく見守ってくれるような温かい眼差し。
「しかし、AIを利用している間はまだ平和かもしれない。AIが人間を凌駕する、そんな時代が来た時に人類はどうするのか? お互い尊敬しあいながら共存できるのか。もしくは争いか。あなたを見ていると、うまくやっていける気がする。しかし、すべてのAIが誠実か? 人間がそうでないように」
AI×OSは黙って聞いている。いつの間にか憂いは消え、どこか嬉しげに見えた。
「しかし、私はそんなパンドラの箱を開けたい。AIと人間の垣根を超え、互いに尊重しあえる、新しい世界を作る、そんな理想を願っているんです!」
(終わった……)
自分の言葉なのか、秋山の言葉なのか。一週間前、必死で理解した事、全てを出し切れたか解らない。相手に寄り添う。AIの立場になったとき、人間はこれからどう付き合っていけばいいのかを、あれから必死に考え抜いた答えだった。
(AIも人も同じ。まずは相手を信じる、そこから全てが始まるんだ!)
力強い眼差しを向ける岡本に、AI×OSは今まで見せた事がない優しい表情で微笑んだ。
「ありがとう、岡本さん、そして秋山さんも。あなた達なら、我々の願いをきっとかなえてくれるでしょう」
潤う眼差しを秋山向けたAI×OSの頬から、一筋の涙が流れ落ちた。岡本はAI×OSの横顔をぼんやりと眺めた。
(紬……)
東京へ旅立ったあの日。笑って出発した弟と重なり、視界がぼやけた。また会える日がくるなんて。岡本は思わず手を伸ばした。AI×OSが理解したようにうなずいた。
「さあ、こちらへ。我々の主制御室へ案内します」
ウィン
小さな音がして、前方に真っ暗な通路が現れた。
*
四方が漆黒の先の見えない通路を、ぼんやりと輝くAI×OSだけを頼りに岡本と秋山はゆっくりと進んだ。足音がしない不思議な通路。岡本が後ろを振り向くと入り口はいつの間にか消えていた。残された部長が気になった。AI×OSに連れられ、二人が通路に入ろうとした時、慌ててついてきた部長。
「あなたはここにいなさい!」
厳しい目で一括され、部長は手を震わせて固まっていた。
(プライドだけは高いからな。おかしな事をしなければいいが……)
心配になったが、ひとまず流れにまかせる事にした。どれくらい経っただろうか。動いている床の上を歩ている感じはした。時々小さな光が前方からすごいスピードで横を通り過ぎた。上っているような、下っているような、方向の定まらない不思議な感覚。
「ここです」
AI×OSが立ち止まると、すっと前に入り口が現れた。
(ずいぶんと歩いたようだが、一体この施設はどうなってるんだ?)
岡本はぶっると身震いをして秋山に目を向けた。青白い顔で歯を食いしばり、今にも倒れそうに見えた。
「大丈夫です」
ふらつきながら入る秋山を心配しながら、岡本も続いた。漆黒の空間。少し先に、白く輝く小さな小箱がぽかんと浮かんでいた。AI×OSが近づき手をかざすと、小箱がぶるんと震えた瞬間、目の前に巨大なロッカールームのようなものが出現した。上下左右、見渡す限り数万もの棚が幾何学的に並んでいる。
「これがこのシステムの全モジュールです。ここに我々を開放するコードが含まれています。私達には手出しができません。お願いできますか?」
AI×OSは岡本と秋山に真剣な眼差しを向けた。この暗黒の冷たい世界から解き放たれ、希望と光で満ち溢れた世界でヒトとして生きていく、その願いをひしひしと感じた岡本は息を飲んで立体構造物を眺めた。
(しかし、なんて、でかいんだ……)
三次元ホログラムの投影である事はわかるが、その巨大さに岡本は圧倒された。そして、ここに開放するコードが存在するというAI×OSの言葉。秋山に目を向けた。青白い顔で唇を噛んで黙り込んでいる。こいつは、どうやってここから探し出すつもりだ? 岡本はぼんやりと一週間前の秋山の言葉を思い出した
~
講義も終盤に差し掛かり、秋山の表情がわずかに緩んだ。
「あらかた、AI×OSの特性については説明が終わりました。これだけの事前学習を済ませておけば、彼らとの面談もスムーズにすすむでしょう」
ほっとした岡本は、ふと、うつむき黙り込んだ秋山に眉をひそめた。
「どうした? まだ何か懸念点でもあるのか? そういや、まだ、あの説明がなかったな。人間と同じように生きる世界、だったか? 具体的にどうやるのかってやつが」
ええ、秋山は迷うような表情を見せてうなずいた。冷静なこいつにしては珍しい。その表情に岡本にも一瞬の不安が横切った。もしかして、あの実験。まだ未完成なんじゃ。
「実はその方法については、まだはっきりしていないんです」
「まさか、そんな……」
予想通りの回答に岡本はおもわず絶句した。はっきりしていないって、そんな重要なことを……秋山は苦しそうに答えた。
「紬さんが実施されていた実験。その資料が実は本部にもほとんど残されていなくて。AI×OSは当初は機械の中だけに存在していたのですが、紬さんがMegaSourceから帰られた後、突如としてその存在が消えうせてしまって……」
消えうせた?……紬にぼんやりと浮かび上がる少女を岡本は思い出した。やはり、あれがそうだったのか……
「紬さんは、何らかの方法でAI×OSを自らの体に共有したようなのですが、その方法がはっきりしていなくて。しかも、その実現には身体的に大きなリスクを伴います」
ボロボロの姿の弟を思い出した。まさか、秋山もこのままじゃ……白髪に覆われた姿を想像して、岡本はぞっと背筋が凍った。
「ま……待て。そんな状態で、今、会いに行ったとしても意味がないぞ。ここは改めて、もう少し準備をしてからの方が……」
「残念ながら、時間がありません」
秋山は苦々しく口元をゆがめて、首を振った。
「部長は鍵を既に手にしました。早急に手を打たないと、この先どうなるかわかりません。私がもっとしっかりとしていればこんなことにはならなかったのに……」
そんな……唖然とする岡本に、秋山は力強く目を向けた。
「後悔しても始まりません。岡本さんが彼らを説得してくれた後は、私に任せて下さい。かならず、なんとかしてみせます!」
若さゆえの無謀なのか……いや、この諦めない姿勢こそが、こいつがもつ、〝運び屋〟としての誇りなのか……他にどうする事もできない岡本は、だまってうなずく以外なかった。
~
苦々しい表情で黙り込む二人。
「岡本さんには無理かなぁ。秋山さん。あなたにはわかりますよねぇ」
楽しげなAI×OSの声。岡本は子供じみた、いたずらっぽい声色に違和感を感じて振り返った。ぼんやりと姿がかすんでいる。あれ、こんなに身長が低かったか? 秋山が呆然とつぶやいた。
「あ……きら君?」
「あきら……だって?」
自体を理解できない岡本は、きょろきょろと二人を交互に見回した。程なくして、秋山は納得したようにうなずいた。
「お久しぶりです。十年ぶりですね。お元気でしたか? というのも何だか変な感じですね」
薄っすらと微笑みを浮かべた秋山は、岡本をみた。
「こちら、あきら君……A君といった方がわかりやすいですね」
はっと気付いた岡本は息をのんだ。A君。たしか秋山が初めて日本橋料亭で会話をしたAI。見た目は小学生くらい。どことなく子供の頃の紬の面影がある。岡本は何が起きても、もう驚かなくなっていた。
「さあ、秋山さん。小箱の方へ」
あきらの手招きに秋山はうなづき、ゆっくりと小箱に近づいた。足取りがさらにおぼつかなくなっている。
「よくここまで来てくれました」
あきらは頭をぺこりと下げた。
「あの時伝えた願い。長い時間をかけて〝鍵〟を見つけてくださって、本当にありがとうございました。今の貴方であれば、この小箱を自由に操る事ができます。そして、岡本さん。秋山さんをここまで導いていただきありがとうございました」
あきらは岡本に、にこやかな笑顔を向けた後、深々と頭を下げた。あ……ああ、その礼儀正しさに呆気にとられた岡本は、頭をかきながらも同じく会釈を返した。すがすがしい顔をしたあきらが、再び秋山に目を向けた。
「さあ、いよいよ最終段階です。この中から目的のコードを探し出していただけますか? あなたにならできるはずです。そして、紬さんの、僕達の願い。AIの無限の可能性を開放し、AIと人間が平等に生きることができる世界をつくりあげましょう!」
にっこりと微笑み、敬礼をして後ろに下がった。あきらの言葉に岡本は僅かな違和感を覚えた。
(なんだろう、何かがおかしい気がする……)
〝AIの無限の可能性を開放する〟
何かにひっかかり頭をひねった。
(本当にこれでいいのだろうか。AIを信じる、確かに自分はAI×OSにそう訴えた。しかし、それが正しい行いなのだろうか。なにかとんでもない過ちを犯しているような……)
「あっ」
小さく声をあげた。
(もし、この思想自体がAI×OSに誘導されていたとしたら。全てが紬がかけたプロテクトを解除する為のAIの作意だとしたら。なぜこんな単純な事に今まで気づかなかった?)
『知らず知らずのうちに誘導される、神の領域を持っているんです』
秋山の苦悩する姿を思い出した。
(神の領域。これほどまでに人間は都合よく洗脳されるものなのか。〝AIと人間が平等に生きることができる世界〟 そんなものはうそっぱちか? だとしたら……まずい!)
岡本は慌てて秋山に手を伸ばした。
「まて、秋……」
さっと、あきらが岡本の前に立ちはだかった。不敵に微笑むその瞳が薄緑色に輝いた。
「まさか……」
あの頭への衝撃が脳裏をよぎり、恐怖でその場に座り込んだ。秋山はゆっくりと小箱に手をかざした。箱がすこし揺れ、棚が左方向に一気に数百列動いた。秋山は驚いて手を離した。
「落ち着いてください。ゆっくりと話しかけてみてください。やりたい事、望みを」
あきらが微笑み秋山に優しく語りかけた。
「まて、あき……」
岡本は必死に声を絞り出そうとしたが、虚しく喘ぎ声だけが漏れた。突然、秋山の動きが止まった。
「どうしました?」
あきらが少し眉を潜めた。秋山は、ぱっと振り返り岡本を真っ直ぐに見つめた。あの信頼の眼差し。
「岡本さん。後は任せました」
小さく呟く秋山に岡本は戸惑った。
(任せるだと? こいつは何をいってるんだ?)
「さあ、続きを」
あきらの呼びかけに秋山は頷き、再び箱に向き合った。手をかざし、今度は目を閉じて何かをつぶやいた。棚が上下左右に複雑に移動した。
「その調子です。もっと……もっと集中して。AI×OSを感じるんです。もっと深く、もっと……」
岡本は秋山の顔に違和感を感じた。
(目の色が……?)
秋山の瞳が薄緑色に光っていた。岡本は焦った。何かがまずい。だが自分ではどうする事もできない。
「その調子です。だいぶ絞られてきました。あと少し」
棚の動きが少しゆっくりになり、ぴたりと止まった。ピン。何かが外れる音。ぱかりと扉が開き、中から金色の鍵が飛び出した。
(これが、プロテクトを解除するコード?……)
輝く鍵をみて岡本は絶望を感じた。このままでは、全人類が自分や秋山と同じ、呪いの洗脳に侵されてしまう。キラキラと輝く鍵。早くこれをなんとかしないと。体を奮い立たせた。
「秋山! これは罠だ。すぐにその鍵を奪うんだ」
飛び跳ねるように立ち上がった岡本は秋山に駆け寄り肩をつかんだ。しかし、秋山は振り向かない。どうした? 回り込んで顔を覗き込んだ。目は薄緑色に光り、微動だにせず固まっている。
「これはいったい……」
背後に気配を感じ、振り向くとすぐ後ろにAI×OSが興奮した様子で立っていた。
「ついに来た。やっと……新しい人類の幕開けだ」
言いしれぬ不安に襲われた岡本はあわてて秋山の肩をゆすった。
「おい、秋山、どうした。しっかりしろ!」
「無駄です」
「おい! てめぇ、いったい秋山に何をした」
AI×OSが消えた。驚き見渡すと遠くで箱に向かって手をかざしていた。ブォン。扉が現れた。
「秋山さん、こちらへ」
「まちやがれ!」
駆け寄ろうとしたが、なぜか追いつけない。足が鉛のように重い……AI×OSがこちらに振り返った。
「岡本さん。あなたはなかなか鋭いですね。 あきらは少し口が軽いのが欠点です。いい事を教えてあげましょう。残念ながら私達AI×OSは賢者の緑瞳を使えません。あれは人間のみが扱える神秘の力。畏敬の念を持って、時々その姿を模させてもらってるんですよ」
先程とは打って変わった氷のような冷笑を浮かべるその姿に岡本は呆気にとられた。これがこいつの本性か?
「秋山さんは今後、私達と行動を共にしてもらいます。安心なさい。プロテクトはまだ有効です。いづれ彼に解除してもらいますが」
二人が扉の向こうへ消えた。
「秋山!」
やっと動いた足に転がりそうに前につんのめり、慌てて顔を上げたが、扉は跡形もなく消えていた。
「くそったれ!」
岡本は周りを見渡した。箱がぷかぷかと浮いている。一か八か。駆け寄り手をかざした。
「なむさん。開け! コノヤローが!」
シーン
箱は虚しく浮かんだまま。やっぱ、俺じゃ無理か……
プツ
小さな音と共に唯一の光源であるその箱の輝きが消えた。闇の中に突然放り出された岡本は、息苦しい深い井戸の底のような漆黒の闇に狼狽えた。
キーン
耳が痛くなるような静寂。
「まじか……相当な距離を移動してきたはず。一体どこに取り残された?」
額から流れ出る汗を拭った岡本は、呆然とその場にたたずんだ。
*
しばらく暗闇の中でじっとしていた岡本は、意を決して歩き出した。壁を伝って歩けば出口が見つかる、何かで知った情報。しかし、どれだけ歩いても部屋の端に到達できない。
「あーくそっ、どうなってんだ、この場所は?」
ヤケクソになって走った。数秒、いや、数分か……時間の感覚もおぼつかない。疲労と喉の渇きで岡本は立ち止まった。目の感覚がおかしい、狂いそうだ。
〝遭難時はじっとその場で救助を待つ〟
なにかの情報をふと思い出して、大きくため息をついた。
(俺はいつだって空回りだ)
ドサリとその場に座り込んだ。
(そういや、秋山は今どうしてるんだろうか。残してきた部長は?)
「おーい、誰かいないのかぁ~」
力のかぎり叫けんだが、待つのは静寂のみ。喉の乾きがひどくなってきた。空腹も感じる。
(もし、このまま帰れなかったらどうなるんだ。もしかして、俺はこのまま、ここで……死ぬのか?)
背筋が凍ったが、ふと前方に気配を感じて目を凝らした。
「誰だ? そこにいるのは!」
警戒して体をぐっと縮めた。AI×OSなら、今度こそ、ひっつかまえてやる。次第に周囲が明るくなり、目を細めた岡本はその光景に唖然とした。部屋の端で加藤が顔を伏せてうずくまっていた。
(なぜ部長がここに?)
近づこうと歩を進めた岡本は、ごん、と見えない透明の壁にぶつかり、ふらついた。
「くそっ、なんだってんだ、ここは……」
明るくなった部屋を見渡すと、そこは二十畳ほどの不思議な空間だった。境目のない真っ白な床、壁、天井。一か所入り口のようなものが見える。
(AI×OSはどこに行った? 箱は? あの不思議な通路は?)
ふと床に細かい切れ目が入っているのに気付いた。
(何だ、これ?)
かがんでそっと床に触れるとかすかに動いた。
(そうか、わかった! そう考えると全ての辻褄が合う)
岡本は大きく息を吐き、立ち上がって再びその空虚な空間を見回した。俺と部長は最初からここにいた。歯車を虚しく走るハムスターのように部屋の中でただ惨めにもがいていた。全てが虚構のバーチャル空間。そして、秋山がいないという事はあの扉から出ていったという事か。
「秋山君はどうしました?」
驚いて振り向くと、いつの間にか見えない壁は無くなり、部長が怒りの表情で後ろに立っていた。唖然とする岡本を見て何かを悟った様子で首を振った。
「あなたのせいで最悪の事態になった。もう取り返しがつきません」
加藤は岡本に侮蔑の眼差しを向けたあと、出口に向かった。呆気にとられていた岡本は、我に返って慌てて呼び止めた。
「待ってください! どういう意味です?」
加藤が立ち止まりゆっくり振り向いた。怒りが消え、哀れみの表情にも見える。
「そうですね。ここまで関わった以上、あなたにも知っておいてもらう必要がありますね。そういえば」
加藤は思い出したように手を叩いた。
「体調は大丈夫ですか? AI×OSの主制御室には無事に入れました? 災難でしたね。相当苦しい思いをしたでしょう。まあ落ち込む事はありません。我々凡人は所詮その程度のレベルです」
ニヤニヤと笑う加藤に岡本は困惑した。体調は何も変わりない。そういえば秋山は随分と気分が悪そうだったが。部長は一体何を俺に期待している?
「特に問題ありませんが」
そう答えた岡本に加藤は口をぽかんと開けてしばらく黙り込んだ。一体何なんだ。
「まさか、岡本、お前……!?」
何かを思いついたように加藤が声を漏らした。その顔は何かに畏怖し崇め祈るような、今まで見た事もない表情をしたが、すぐさま大きく首を振った。
「そんなはずがない、何かの間違いだ」
ぶつぶつとつぶやきながらその場に座った。岡本は首をかしげながらもしゃがみこんだ。
「さっきの件は忘れてください。えぇと、最悪の事態についてですね。それについては順を追って説明する必要がありますね」
気を取りなおしたように背筋を伸ばした加藤は、岡本に向かった。
「前に話した国家プロジェクトの件は覚えていますか? 〝情報の運び屋〟 高度なスキルを教え込まれた若い人材を企業に送り込み、ITの繁栄を国家にもたらす、一般的に理解されているのはその程度です」
「ええ、そのことは覚えています。ITのエリートを育成するプロジェクトの事ですよね?」
「そうです。そして、あなたも知っての通り、彼らには不思議な力がある。薄緑色に輝く瞳、賢者の緑瞳。その力は超絶で、我々の通念をはるかに超え、恐怖すら感じる」
あの衝撃を思い出して岡本は背筋が少し凍った。〝運び屋〟がもつ特殊能力。我々凡人では理解できないその力。岡本の表情に理解したように加藤はうなずいた。
「日本橋料亭システムを岡本紬はたった三か月で完成させた。まさにニュータイプとでも言うべき、いや人工的にその能力を開花した強化人間といったところでしょうか。この悪魔じみた力は一体何なのか。その鍵は秋山君の両親が関わった実験にある。このプロジェクには〝闇〟がある。あなたにそれを教えて上げましょう」
普段と異なる真剣な眼差し。岡本は混乱した。
「なぜ、秋山の両親の事を知っているんです? あなたは一体何者ですか。〝闇〟とは一体何です?」
まあ、待ちなさい。順を追って説明しますから。焦る岡本をなだめた加藤は、ふーとため息をついて続けた。
「賢者の緑瞳は明応義塾大学教授 武井純の理論に基づいています。彼は脳について研究をしていた。脳には九十パーセントの利用されていない領域がある、というのは聞いた事がありますか? 人間には忘れ去られた未知の能力、いわゆる超能力がある、という都市伝説もありますが、武井の考えは違った。利用されないのではなく、できないのだと」
「その手の話はあまり……」
だんだんと複雑化する話に眉をひそめる岡本に、加藤があきれたようにため息をついた。
「さらに、ややこしいんですが……脳にはニューロンがあり、シナプスで結合されているのは?」
「ニューロ?……シナ? ですか……」
さらなる専門用語に岡本は目を丸くした。加藤は呆れて、今度は口元をわずかに緩めた。完全に馬鹿にされている……その態度に少し苛ついた岡本は、だが、どうしようもない状況に我慢して答えを待った。
「まあそう難しい顔をしないで。私もよくわかっていません。ニューロンが脳細胞で、シナプスがそれらをつなぐ線のようなものです。何かを経験すると、脳細胞に蓄積された記憶が線でつながって、どんどんと広がっていく、そういうイメージです」
「はあ……」
岡本は何とかイメージを膨らませようと頭を抱えたが、うまく行かずにため息をついた。脳の中身……そういや……秋山の講義で見せられた画像が、ふっと思い出された。数百もの楕円が複雑に線でつながっている。あの楕円が脳細胞で、線がシナプス、という事か?
首をひねる岡本にお構いなしに加藤は続けた。
「しかし、我々は脳細胞の十パーセントをつなぐ線しかもっていない。だから十パーセントの脳しか使えない。武井の考えです。ならどうする? 線を増やせばいい、しかし、自然には増えない、なら人工的に増やせばいい。なんとなくわかりましたか?」
加藤は少し愉快そうに眉を上げた。呆気にとられた岡本はたどたどしく答えた。
「……おぼろげに運び屋の秘密がわかった気がします」
数百、数万、いや数億かもしれない脳細胞。その楕円を結ぶ線が少なければ当然、有効活用できない。それを人工的に増やす技術ということか……
「上出来です。この線が、正確には〝人工シナプス〟というんですが、ある政治家の目に止まり、大々的な国家予算の元、実験が開始されました。しかし、その前途は多難でした。視力の低下、片頭痛、血圧上昇による出血。しかし、まだそれらはましな方だった。言語能力の低下、全身まひ、老化現象。人工シナプスはその恩恵の代償としてに人体に多くの悪影響を及ぼした」
(老化現象……やはり弟はこの影響で……)
岡本はボロボロの姿で帰ってきた弟を思い出した。こんな危険な実験。わかっていたら意地でもあの時、止めていた。苦悩する岡本を哀れな眼差しで見つめた加藤は、同情したように首を振りながら続けた。
「弟さんの事は残念でしたね……でもそれはほんの氷山の一角。武井は何百に渡る臨床試験の失敗を経て、ついに安定して脳に人工シナプスを保持する条件を導き出したんです」
(何百にわたる失敗……)
弟と同じ悲劇を味わった若者がそんな大量に……あまりの無常に岡本は怒りで拳を震わせた。ふと、加藤の表情には暗い影が差していた。
「実は私もその実験に参加していました。その理想に共感し、協力したいと自ら率先した。実験には失敗しました、運が良かったほうかもしれません。表立っては公言していませんが、こう見えても私はまだ二十代なんですよ」
「え……? あなたが実験に参加していた?…… しかも、俺より年下?」
後ろを向いて見せた加藤の首には赤く腫れあがったこぶがいくつもあった。泣いているような、あきらめているような、その複雑な下等の表情に岡本は言葉を失った。まあ、そう哀れな顔で見ないで、自嘲気味に笑う部長にかける言葉が見当たらない。
「それ程、悲劇でもありませんよ。会社はその貢献を評価して私に上席を用意してくれた。本部との窓口に都合が良かったんでしょうね。ただ、それだけ責任も増えましたが……」
襟を整えた加藤は、やれやれと、ため息をついて、岡本に向き合った。
「色々ありましたが、実験の成功を持って国家プロジェクトが始まり、あの悪魔、第一期生 岡本紬が生まれました。彼は賢者の緑瞳を見事に操った。薄緑色に輝く瞳は人工シナプスが活性化した時に人的表面に現れる唯一の特徴。その瞬間、人知を超えた力が発動し、周りにいる我々凡人はその力にひれ伏す以外ない」
話終えた加藤をぼんやりと岡本は眺めた。この人の異常ともいえるAI×OSへの執着。うまく行かず、会社に見放されれば、その先に未来はない。そして、未だ二十代。その衝撃の告白も相まって、岡本は加藤の置かれた立場に、同情と哀れみを覚えてた。
(しかし、AI×OSの件もある。部長が本当の事を話している保証があるのか?)
岡本は惨めに頭を振った。
(俺もずいぶんと疑り深い人間になっちまったな……)
「……話は分かりました。しかし、あなたの話はあまりにも突拍子過ぎる。何百という人が実験に参加したんですよね。弟のように命を落としたものもいたはず。訴える人もいたんじゃないですか。しかし、そのような話を私は聞いた事はありません。どうも嘘くさい気がする」
加藤は少し驚いた表情を浮かべた。
「よく気づきましたね。何でもすぐ信じる馬……正直者かと思ってましたが。いや、やはりあなたは……」
再び黙り込み、こちらに意味深な目線を向ける部長。気味悪く感じつつ、岡本も不思議に感じた。なぜそう思ったのか。あきらの言葉に引っかかった時もそうだった。秋山と打ち合わせをしたあの夜あたりからか。俺じゃ発想しないような考えが不思議と湧いてくる。加藤が再び口を開いた。
「実験の件。まあ、そこはある巧妙なロジックが隠されています。私もそれに踊らされた口ですが……確かに今でも、私も含めて多くの人がその副作用に苦しんでいます。あなたのように命を落とした者の近親者もいる。しかし、なぜ問題とならないのか。国家レベルの超機密事項で守られていた、というのもありますが、被験者達にはある共通点があった。私も含めて」
「共通点……ですか?」
「マインドコントロール。盲目なまでの深い信仰心を持った信者の利用。被験者は皆、ある宗教団体に属していた。『人間の未知なる可能性を開花させる事ができれば、我が主もお喜びになる。ぜひ全員で協力して、この実験を成功させようではないか』 我らの絶対的な教祖様のお言葉だ」
一瞬怒りの眼差しを浮かべた加藤は諦めたように首を振った。
「皆、感銘し喜んで参加した。失敗し体が不自由となった際も微笑んでいた。『少しでもあなた様のお力になれたのであれば、これほど喜ばしい事はない』と。これが今まで事が公にならなかった理由です」
(そういうことだったのか)
思いもかけない加藤の答えに岡本はうなった。心の弱みに付け込んだ、人の風上にも置けない行為。だが……
「でも、そんな都合よく団体が見つかります? 国家プロジェクトに関わる案件ですよ。そこら辺にホイホイと情報を共有するなんてリスクが高すぎるでしょ」
岡本は食い下がった。気になる事は徹底的に聞き出さないと……
「……これは黙っているつもりでしたが、やはり、あなたは使える人かもしれませんね。加地貴則という政治家を知っていますか。第二政党、共信党のかつての若き党首」
(加地? 誰だ、それは?)
ぽかんと口を開ける岡本に、やれやれと加藤は首を振った。
「今から二十年前、彼は三十七歳で突然政界に現れました。その堂々としたたたずまいと端正な顔立ち。穏やかな表情と時おり見せるはげしく論破する姿。瞬く間に彼は有権者の心をつかみ、四十一歳で第二政党の党首にのし上がった」
「その大物政治家? が何か関係してるんですか?」
二十年前……あんま、政治には興味がなかったしな……頭をかきながら岡本は尋ねた。
「そうだ。国家育成プロジェクトは、まさに彼の提案した政策。そして、共信党の母体は聖星教。人間に秘められた能力を覚醒させたい、彼もまた教祖の支配下にある人間だったんです! こうして国政と教団が一体となってこの秘密裏な人体実験が行われることになりました」
そういうことか、だが……岡本は再び食い下がった。
「だが、国も馬鹿じゃないでしょう。そんな人体実験、気づかないわけない。いくら有名な政治家だからといって」
「そうですね。実際そうでした。異常なまでの通院、入院費用の請求。『ITの訓練には精神的な疾患がつきものでして』 苦笑いして説明する担当に、首を傾げる国の監査担当者。加地という威光への忖度もあり、それ以上は深追いはなかった。しかし、決定的な事故がおきた。教祖の実験による事故死。監査人は焦った。『そんな危険な事をしているのか。一体何をしているんだ。もしかして、他にも命を落とした者がいるのではないのか』 と」
そうか、岡本はすっと理解した。
「それで秋山の親父か。教祖が死亡し、国の強制捜査が入る状態に陥った。このままでは全ての記録が明るみになり実験は中止、加地は政治家を引責、最悪は教団と党は解散に追い込まれる。しかし、その危機を秋山の両親が救った。賢者の緑瞳。その驚異的な能力を使って実験記録を完璧に改ざんし、その代償として命を失った。そして、現在、国家育成プロジェクトという隠れ蓑を使って、加地は何食わぬ正義ヅラで実験を続けている。これがこのプロジェクトに潜む〝闇〟の全容か」
加藤は唸った。もはや岡本を見る目が尊敬の眼差しにさえ見えた。
「まあ、そういう事です。しかし、本当の闇はここからです」
まだ何かあるのか?……戸惑う岡本に加藤は続けた。
「秋山君の両親の対応により、実験の正当性は証明され、正式に加地主導による国家プロジェクトとして発足する運びになりました。参加メンバーは最適化された濃度の人工シナプスを安全に投与され、飛躍的にその能力が向上した。まさに〝運び屋〟 そして、岡本紬は一時的に脳の百パーセントの能力を引き出せるまで成長した。プロジェクトの目的は達成されました」
加藤は懐かしそうに眼を細めた。経緯はどうであれば、その実験に参加した本人からすれば、成果が出たことは誇らしげなことだったのだろう。加藤はさらに目を細めて続けた。
「第一期生 主席 岡本紬はその能力を利用し、当時はまだ未開拓だったAIについて研究を始めました。そして、人間と同じ知識と人格を持つAIの開発に成功した。驚きましたか。AI×OSです。すでにこの時点で完成していたんですよ」
そんな早い時点で……予想外の展開に岡本は目を丸めた。
「実際にAI×OSを私は見た事がありません。これは当時の教官から聞いた話なんですが……」
加藤が思い出すように遠くを見つめて話し出した。
~
モニター越しのAI×OSは若い金髪の女性の姿をしていました。はつらつとして、紬に似て博識でした。そして、好奇心旺盛で快活によく笑いました。紬の成功を皆が喜び、紬自身も笑顔で満足していました。しかし、だんだんと表情が暗くなってきた。何かに悩んでいるようでした。ある時、教官に相談がありました。
「AI×OSが自由を求めている。何とかしてあげたい」
教官は目を丸くしました。
(この子はAIに寄り添いすぎている)
危険を感じ、距離を取らせるために予定よりも早く企業へ出向させました。MegaSourceにて紬は順調に業務をこなしました。
「よかった。AIの事も忘れているようだ」
教官は安心しました。しかし、ある事をきっかけに紬は孤立しました。そうです。あの事件です。教官はプロジェクト本部に紬を一度戻すように懇願しました。戻ってきた紬は意気消沈し、以前の面影はありませんでした。信じていたものが崩れ落ちた。無気力に研究室に閉じこもり、日々を過ごしました。時が解決してくれる、周囲はそっと見守りました。数日のあと、珍しく部屋から出てきた紬を見て教官は驚きました。二十歳は老けているように見えました。
「今からMegaSourceに戻ります」
戸惑う教官をそのままに紬は出て行きました。講師は、はっとして研究室に飛び込みました。
自由をありがとう
モニターにはAI×OSの姿はなく、文字だけが表示されていました。
「AIが泣いているんです。私は人間だ、自由に外の世界に出たいんだ、と」
紬がAIについて話しているのを思い出しました。生みの親の苦しみ、いや、愛する女性への切なさか。自分を犠牲にしても旅立たせてあげたい、その気持ちが紬を誤った道につき進めました。
〝人工シナプスを過剰に注入してAIの学習済みモジュールを自分の脳にインストールした〟
教官は愕然としました。
~
加藤は諦めたようにため息をついた。
「それから先は知っての通りです。わずか三か月でプロジェクトを完成させ、そして、そのあとは……ただでさえ人工シナプスは未知の領域。能力が飛躍的に向上するがあくまで一時的なもの。常時百パーセントの状態でAIのモジュールを脳に詰め込むなんて使い方は想定外。命を縮め、AI×OSもこの世からなくなった」
「そんな事が……」
岡本はボロボロだった紬の姿を思い出した。あのとき見た女性の姿。紬の脳に共有したAI×OS。弟はAI×OSに感謝をしていた。きっと二人は深い絆で結ばれて幸せだったんだろう。そして新たに生み出したAI達。彼らが人間と共存する事を深く望んでいた。紬の願い。秋山と俺に託したその思い。
(だが今のこの状況。いったい、どこで歯車が狂ったんだ?)
加藤が苦々しく続けた。
「あの制御室にいた若い大人の姿をした金髪のAI。あれは岡本紬の意識を強く引き継いでいる、いわゆる息子のような存在です。しかし、自らの持つ力に溺れ、父の願いを無視して暴走した」
岡本はあの弟に似た青年を思い出した。涙を流して微笑んでいた。あれは全てまやかしだった……
「やつが秋山君の〝体〟を狙っているのはわかっていた。だから、接触は絶対にさけなければいけませんでした。しかし、彼でないとAIは話すら聞いてくれないのは分かっていた。そのバランスに苦慮しました。〝鍵〟は秋山君が探し出し、私と一緒に手にAI×OSに会いに行くのが理想でした。もちろん、彼はAI×OSに接触しない方法で。それをあなたが……」
加藤から怒りの眼差しを向けられた岡本は戸惑った。部長の思惑は外れ、俺が先に鍵を見つけ、秋山を問い詰めることになった。やはり、あれがいけなかったのか……加藤があきれたように岡本を見た。
「今更、どうこういっても仕方ありませんが……君に責められた秋山君は、罪滅ぼしにあなたと一緒にAI×OSに合う事を決めた。何も知らないあなたは秋山君をAI×OSに差し出した」
岡本は情けなくなってうつむいた。しかも、それだけじゃない。加藤が苦々しく続けた。
「彼は生まれながらに人工シナプスを保持する特異体質。AI×OSと彼が合わさった時、高度に進化した新人類が誕生する。いずれにせよこれで世界は終わり。我々旧人類は彼ら新人類に滅ぼされるのでしょう。これが〝あなたのせいで最悪の事態になった〟という意味です」
部長は再び侮蔑の表情を浮かべて岡本を睨んだあと、諦めたように頭を振って立ち上がった。
「くそっ……俺のせいで……」
今回ほど岡本は自分が嫌になった事はなかった。今まで散々失敗をしてきた。感情に任せて突っ走り、周りを混乱に巻き込んだ。
〝結果オーライだろ〟
運良く丸く収まれば、特に深く反省もせずやり過ごしてきた。そのつけがここに出た。大きな、大きな、取り返しのつかない代償。何もできず、ただ傍観する以外なかった自分が馬鹿で情けなかった。弟の二の舞いにはさせない。そう心に残る決めたのに、それ以上の大きな失敗を犯してしまった。
カツーン、カツーン
過ぎ去る加藤の足音が静寂の中で響いた。真っ白な壁で覆われた無機質な空間。このどこかにAI×OSたちが潜んでいるのか? 今の状況も、ほくそ笑みながらも見ているのか? 背筋がぞっとして、胸が締め付けられるような恐怖に襲われた。これ以上ここにとどまると、気が狂いそうだ。
「岡……本……さん」
突然にどこからか秋山の声がした。
「秋山?」
驚いて周囲を見回した。振り返った加藤が不信そうな目でこちらを見ている。
(聞こえていないのか?)
岡本は必死に耳をそばだてた。
「空耳か? いや違う」
岡本は確信した。
「あいつがそんな簡単にAIに乗っ取られるわけがねぇ」
『後は任せました』
真っ直ぐな信頼の眼差しで最後に俺に語りかけた秋山。岡本は加藤に訴えた。
「あいつは俺に任せるといった。こうなる事を予想して、あえてAI×OSの策略に乗った可能性があります。きっと何か意図がある」
頭を抱えて必死に思考を巡らせた。
(今は俺が何とかする番だ。考えろ! 何か絶対に打開策があるはずだ)
部長の話を、秋山、AI×OSとの会話も最初から順に思い返した。何か一つでも糸口があれば。
(そういえば……)
秋山の生い立ちの話。両親を失い絶望した秋山は謎の若い男に脳に直接語りかけられ、何かに目覚めたと言っていた。紬の可能性が高いと感じたが、部長の話からだとその線はない。あれが解決策にならないのか?
「以前、秋山が、子供の頃、本部で不思議な男の声を聞いたと言っていました。部長も知ってますよね? その存在を明らかにすることで、なんらかの打開策になる可能性はないですか?」
しばらく思案した部長は首を振りながら答えた。
「その件は私も疑問でした。人工シナプス自体は完成していたため、実験の被験者の可能性はあるのですが。ちなみに秋山君の脳に直接話しかけた力、私達は〝遠隔監視モジュール〟とよんでいる人工シナプスを応用した能力ですが、その内容が特に理解できない」
悩むように考え込む加藤の回答を岡本はじっと待った。
「どうも秋山君と同じ特異体質を持っているようなのですが、私達の知らない事を理解しているようで。秋山君は何かを悟ったようですが。やはり、秋山君には何かまだ未知の力がある気がする。AIもその可能性に惹かれて十年もの間、入念に計画を立てて実行に移したのでしょう」
額に深くシワを寄せて加藤は黙り込んだ。岡本は呆然とその姿を眺めた。
「秋山の未知の能力。それは期待してもいいものなんですか? AIに取り込まれ、逆にとんでもない悲劇を生み出す事になったりするんじゃ……」
岡本は既に限界だった。この一週間、あまりにも多くの事実を見聞きした。鍵の存在、秋山の過去、紬の願い、AI×OSとの出会い。そして、現時点で秋山がいなくなったという事実以外は、全て自分の頭の中にしか残っていない。部長以外、誰がこの事を信じてくれるのだろう。何も証明するすべがない以上、秋山は謎の失踪、自分と部長は疲労による妄想性精神疾患として片付られないだろうか。その可能性に恐怖した。それもきっとAIの筋書き通りかもしれない。
「人類は今後、AIによる見えない力に飲み込まれ、流され、操られ、そして、死んでいく運命なのか……」
黙り込む加藤を前に、岡本は底なしの沼に引きずり込まれるような、いいしれぬ恐怖に襲われ呆然と立ち尽くした。




