十二.作戦
「あの鍵では音声データにはアクセスできないだと? 森田、きさまそれがどういう事かわかってるんだろうな。あれだけ何度も料亭でタダメシを食らっておきながら、仕事もろくにせず馬鹿みたいに体だけはふくぶくとデカくなりやがって」
青白い顔をしてうつむく若い男性社員を部長は怒鳴りつけた後、歯ぎしりをして唸った。部下からの調査結果の報告。
「鍵を使って制御室に入る事は成功した。しかし、肝心の過去の会話記録については確認しても拒否された、だとぉ?」
森田と呼ばれた若い男は、黒ぶちの眼鏡を上げ下げして、流れ落ちる冷や汗を必死に拭い、うつむいたまま震える声で小さく答えた。
「すいません。私もできる限りの手は打ったのですが。なにせAIが相手ですので」
ドン、ドン、ドン
はげしく床を蹴る音。ビクリとして森田は顔を上げ恐怖した。鬼のような形相の部長がまっすぐこちらを睨みまがら、巨体を揺らして地団駄を踏んでいる。
〝お前は死刑だ〟
地獄の閻魔大王の巨大な槌で判決を言い渡されたような絶望。森田は震え上がって涙をこらえる様に目をつぶった。
(なぜ、こうなったんだ。僕はもうこの担当から外れたんじゃなかったのか。全て秋山のせいだ。いや違う。岡本紬。あの優男。あいつさえいなければこうはならなかった。全ての元凶はあの悪魔にある)
部長の動きが止まった。何かを思いついたようにつぶやいた。
「秋山……あいつはこの事を知っていたんじゃないのか。妙に協力的でおかしいと思った。あいつめ」
部長は怒りに震えて携帯を乱雑に取り出した。
「ただいま電波のつながらないところに」
「クソ野郎!」
床に投げつけた。
ちゃりらりリーン
無惨に割れた液晶モニターにメールの着信履歴がぽっと浮かび上がった。
*
「で、AIが保持している会話の情報を引き出せるようになったというは本当ですか?」
翌日の朝礼後、残った秋山と岡本の前に苦虫をつぶしたような顔をして部長が座った。
「あの鍵は扉の解錠しかできない。秋山君がAIに直接あって説得すれば、なんとかなる可能性がある……確か昨夜のメールにはそうありましたが」
部長は困った様子で腕を組んだが心の中でほくそ笑んだ。昨晩、秋山からの連絡で鍵の役割を初めて知った。
~
「そんな……」
メールに目を通した後、猛烈な怒りで再びスマホを叩きつけた。完全にその機能を停止し残骸と化した機器を見ているうちに段々と笑えてきた。
「秋山と岡本、こいつ等は本当にバカで間抜けだ。俺様に逆らうと、どうなるかを思い知らせてやる」
~
「この事は私だけにしか連絡していない、と思っていいですね?」
頷く二人に一瞬口元を緩めた部長が、袖を正して空咳をした。
「いい判断です。君たちには鍵の事でずいぶんと尽力してもらっています。上にこの事がバレれば有無も言わさず出せと命令するでしょうが、私としては本意ではありません。かと言って鍵をあなたに返すわけにもいかない。まったく困ったもんです」
ため息をついて部長は腕を組んで考え込んだ。岡本はその様子をごくりと唾を飲み込んだ。
(この人は何を考えているのかわからない……この冷静さが逆に恐ろしい)
秋山を横目で見た。部長に鋭く視線を合わせ微動だにしない。部長の表情がぱっと明るくなった。
「そうです。上が納得する条件を二つほど思いつきました。まずひとつめ。鍵を渡すことはできませんが、AIまで案内はしてあげましょう。彼の説得に成功すれば、すぐにあなた達は立ち去り、その後は一切の関与を禁止とします。厳しいようですが、やはりAIの管理は会社に任せてもらう必要がある。しかし、安心して下さい。すぐにあなた達も彼らと再会することはできるようになりますよ」
(自分達の都合のいいように改変した状態でだろ)
岡本は心の中で毒づいた。秋山は先程から表情一つ変えていない。
「そして、もう一つ」
部長は心配気に岡本に視線を合わせた。
「残念ですが制御室に入れるのは岡本君、あなただけです。秋山君、あなたは運び屋。その行動は我々には想定不可能。君を信用していないわけではないのですが、リスクは最大限にみておく必要がある。あなたは入室を禁止します。これが二つ目の条件です」
(やはりそうきたか)
岡本は手汗を拭った。
「その条件で問題ありません」 秋山が即座に口を開いた。
(想定通りとはいえあまりにもあっさりと……)
呆気に取られてポカンと口を開ける岡本をよそに、秋山はじっと黙り込んでいる。部長は満面の笑みを浮かべて両手を揉んだ。
「さすが秋山君、物わかりがいい。じゃあ、そういう事で。実施は一週間後の九時開始の一時間。詳しくはあとで連絡します。まあ、時間はたっぷりある。岡本君。秋山君から充分に手順を聞いておくように」
部長は満足した様子で立ち上がった。
「ああ、そうだった。見つからなかった場合は……海外旅行は好きですか? ちょっと痛いですが、欲しいものは絶対に取り出さないと」
指をドリルの形にして頭にぐりぐりと差し込んだ。口元がいびつに上がり、感情のない冷たい目が二人を射貫いた。取り残された二人はしばらく黙りこんだ。
(ひょっとして、かなりまずい状況になったんじゃ)
岡本は背筋がぞっとした。
「秋……」
話しかけようとした時、秋山は首を振って部屋の隅を顎で指した。
(監視カメラか……)
岡本はあわてて口元を抑えた。秋山は軽くうなずき厳しい表情のまま無言で部屋を出た。一人残された岡本は四方が断崖絶壁の崖に取り残された気がした。
(俺が一人で……)
昨晩、秋山と夜遅くまで打ち合わせた内容を必死に思い返した。
*
「にしても寒いな……」
会議室で手渡された紙から始まったこのTV会議も一段落し、一息ついた岡本は急に冷え込んだ室内にぶるりと震えた。
〝本題に入ります〟
秋山のピリリとした表情に、岡本は背筋をピンと伸ばして話し出すのを待っていた。時計を見るとすでに十時を超えていた。
「まずは今後の進め方を決める必要があります」
秋山の声は不思議と落ち着く。こんな状況でも怒鳴るわけでも早口でもなく、物語を聞かせる語り部のように落ち着きゆっくりと話す。岡本は秋山の自制心の高さに今更ながら感心した。
システムエンジニアは冷静で論理的と思われるが実は真逆だ。昔ながらの職人気質。良く言えば真っすぐで心の熱い、悪く言えば個人プレーで融通の効かない人種が多い。杉本がいい例で、大声で怒鳴り散らすのはざらで、ITに疎い相手には、これみよがしに攻撃的。常に専門用語をこねくり回し、俺のような素人をこき下す。そして、それが〝できるエンジニア〟と思い込んで優越感に浸っている。
(だが……)
岡本は改めてモニターに映る秋山の顔を眺めた。感情を完全に抑えた、冷静で逆に安心さえ感じる穏やかな眼差し。
(本当にできるやつはそうじゃない。熱い気持ちを秘めながらも、常に平常心を保ち、どんな状況にも冷静に完璧に対応する。周りのメンバーが気持ちよく動けるように気を使い、新人、初心者には理解できるレベルまで仕事を整理したうえで指示を出す。その語り口はゆっくりとかみしめように丁寧で、複雑な問題も自分の中で噛み砕き、まるで小学生に教える先生のように穏やかに簡潔に伝える。秋山はこの年齢にしてその域に達している。俺も見習う必要はあるが……)
岡本はため息をついた。
(まあ、そういうタイプじゃねぇしな)
あっさり降参して思うがままに返した。
「ハッキング……ってやつはできねぇのか? 何かの映画で見た事がある。あまり良くない事かもしれんが、こうなった以上手段は選んでられねぇ。何とかしてシステムに侵入できないのか?」
「それは難しいですね」
秋山は冷静に答えた。
「AIに関するシステムは外部から完全に遮断されています。わかりやすくいうと、日本橋料亭はなんのケーブルも電波も通さないシェルターのようなものに囲まれているという感じです。実際に人間が中に入って作業する以外方法はありません。メンテナンス業者を装った侵入も考えましたが……」
秋山は残念そうに首を振った。
「まあ、そうだろうな……」
俺達は所詮、事務方の人間だ。スパイ映画みたいに都合よく変装なんてできるわけねぇよな。モニター画面に文章が投影された。
「正攻法で挑みましょう。明日、部長と打ち合わせを行います。これがその想定パターンです。これらに対する対策を押さえておけば問題ありません」
―――――――――――――――――――
こちらの要望
AIの会話記録の入手方法が判明した。その為、制御室の扉を開放する鍵の返却を希望する。
部長の反応(想定)
一.早急に問題を解決したい→こちらの要求を受け入れる
二.責任問題は逃れたい→部長以外には秘密にしておく
三.AIの制御権を奪われたくない→何らかの対策を打ってくる(※要注意)
四.知られた情報を漏洩させたくない→損害賠償などの誓約書を要求してくる
――――――――――――――――――――
「なるほど」
確かに、こういった反応を見せる可能性は高い。いや、おそらくこの通りだ。部長の冷たい目を思い出した。
「部長の反応の中で検討が必要なのが、〝三.AIの制御権を奪われたくない〟です。AIに会うまでに、様々な条件をこちらに要求してくると思いますが、その中でも特に注意しないといけないのが……」
秋山は黙り込み、心配そうに岡本を見た。
「岡本さんしか制御室に入れない、という条件です」
岡本はごくりと唾を飲み込んだ。
「その話なんだが……お前が行くより、俺にやらせた方が、リスクが低いのは分かる。だが、おれじゃ何もできないことは目に見えている。そんなバカげた判断、部長がするとは思えないんだが」
「私から岡本さんに手順を説明する必要が生じ、それを盗聴する、部長の目的はそこです」
「盗聴だと? そりゃあ、どういう事だ」
思わぬ展開に岡本は思わずのけぞった。
「会議室での会話は監視されているのはご存じですよね。それ以外にも社内のいたる箇所に盗聴器が設置されています。〝情報は金〟 ITベンチャーらしい発想。そして、社員に携帯を義務付けているスマホ。ここからも会話内容は筒抜け。そして、岡本さん。今使われている自宅のパソコンはすでにハッキングされています。このVPNMeet。これを使った通信は今夜限り。明日以降は盗聴されていると思ってください」
次々と明かされる驚愕の事実。スマホで会話が筒抜け、自宅のパソコンがハッキングされてるだって?
「お、お前、いくら会社でもプライバシーの侵害ってものがあんだろうが。しかも個人所有のパソコンをハッキングだと? そんなもん下手すりゃ犯罪だぞ!?」
秋山は諦めたように首を振った。
「そうですね。しかし、残念ながらこれが我が社の現状。成熟した企業であれば業務監査に基づく法令順守の牽制機能が働くのですが、創業十年のMegaSourceではまだそのあたりがあいまい。杉本次長のDシステム対策がいい例です。私が見たところ、岡本さんのパソコンは毎日、操作ログが会社に送信されるようになっていますね」
「んな馬鹿な……」
岡本はおもわずパソコンから手を離した。
「使っていて特におかしな事はなかったぜ……いや……時々、一瞬だけ黒い画面が出るのは気にはなっていたが、もしかしてそれか?」
しばらくしてふと疑問に思った。
「お前、今〝私が見たところ〟っていったな? どういう意味だ……まさかお前」
「そういう事です。条件さえそろえば案外ハッキングは簡単なんです。このパソコンはウィルスパターンファイルが更新されてませんね。ファイアウォールの設定も無効ですし。初期設定をしたのは誰ですか?」
「誰って、そりゃお前、確か……」
MegaSourceに入社する前、奮発して当時の最新機種を購入した。
『性能はもとよりセキュリティも万全です』
店員の自身満々の笑顔。
(ったくあのヤロー。俺が素人だと思って適当にやりやがったのか)
「部長の狙いは私から岡本さんへ伝える内容を傍受し、失敗してもあとから自分達で調べようという事でしょう。ただし、それでもうまく行かなかった場合は手段を選ばないはず。あまり考えたくないのですが、今、私達が把握している頭の中の情報を無理やりに抜き取りにきます」
頭を指さした。
「諸外国には人の脳をのぞく方法は色々あるようですので」
秋山の意図する事を理解して岡本はぞっとした。スパイ映画でみたような尋問。
「そ……そこまでやるのか? いや、それほどAIに関する情報は莫大な利益を生むって事か……」
「ええ。何としても成功させなければいけません。では岡本さんが一人で行かれる、という前提で対策を説明します。つまり、岡本さんにAIについて〝事前対策〟してもらいます」
事前対策……何年ぶりに聞くその響き……適当にテスト勉強をしていた学生時代を思い出した。俺にできるのか……もうちょっと真剣に取り組んでいればよかった……
カチリ
次の資料にモニターが切り替わった。無数の小さな楕円と相互につながる複雑な曲線が入り乱れている。
「何だこりゃ?」
一瞬目をしばたかせた岡本は、落ち着いて一つの楕円に書かれた文字に目を凝らした。
「遠隔……監視モジュール……?」
「じゃあ、早速始めましょう!」
その高い声に岡本は一瞬びくりと肩を震わせた。いよいよ、はじまった……果たして俺について行けるのだろうか……戦々恐々と岡本はモニターに目を向けた。きびきびとした秋山の声が響いた。
「これは日本橋料亭システムのモジュール相関図、まあ地図のようなものです。小さな楕円が一つのモジュール、いわゆるプログラム。つらなる線はデータの流れる経路です」
〝モジュール相関図〟
突然でてきたその難解な資料に岡本は頭がくらくらして、目をしばたかせた。岡本の態度に、心配そうな顔を浮かべた秋山は、少し躊躇した後、続けた。
「……AIに関するシステムはこのように多くのモジュールの塊が相互作用して動作しています。例えばそうですね」
秋山は一つの楕円を拡大した。
「これは思考を司るメインモジュールで、ここに視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった五感に関するモジュールが繋がります。外部から得た情報を元に思考し総合判断する、こうやって見るとまるで人間の脳のようにも見えますね」
「まあ……そうだな」
人間の脳もこんな複雑な事になっているのだろうか? 想像ができない内容に、ひたすらついていくだけが精いっぱいの岡本は、ふと、入社研修でフローチャートと呼ばれる設計書を作成した事を思い出した。丸、四角、ひし形を線でつなげて上から下にプログラムの流れを表現する手法。悪戦苦闘してやっと出来上がった図。これに似ていると言えばそうだが……
「俺が作ったのが赤ん坊の落書きだとすると、これは天才学者の論文ってとこか……」
冷や汗をかきつつ、ふと疑問を感じた。
「そういや、資料は一切残ってないんじゃないのか? いや、設計図が新たに見つかったって事か。そりゃ良かった。他にも何か残ってないか? できれば俺でも理解できそうな簡単なやつとか」
「これは私が作りました」
岡本は一瞬思考が停止した。自分で作った?
「ちょっと待て、お前が作った? 嘘つけ、こんなもん開発者以外が作れるわけねぇだろ。プログラムの細かい部分まで把握していないと不可能だぜ。いや待て、ひょっとしてソースコードも見つかったって事か?」
思わぬ岡本の反論に秋山はぽかんとした表情を浮かべた。
(岡本さんから、こんな突っ込んだ質問がでるとは思わなかった……この人も、頑張ってきたんだな)
少し安心した秋山は気を取り直したようにうなずいた。
「さすが岡本さん! そうですね。おっしゃる通りこのレベルの設計書にソースコードは必須です。ただ……」
秋山は考え込む岡本の表情に気づいて、言葉を止めた。頭をかいて必死に何かに思案する岡本。その瞳はいつもとは違い、わずかに鋭さを増しているようにも見える。真剣に取り組む岡本の姿に、心が和んだ秋山は、岡本が話し出すのをじっとまった。考えがまとまったのか、岡本が顔を上げた。
「間違っていれば指摘してくれ。プログラムはソースコードと呼ばれる文章を入力する事で完成する。例えば、一と一を入力すると二を返す、といった文章を打ち込めばその通り動く。実際はこれに条件が追加され、より文章は複雑となる」
「その通りです!」 秋山がうれしそうな顔でうなずた。
「新人研修で簡易的な電卓プログラムを作成したが、ずいぶんと苦労したのを思い出したぜ。もし+なら足し算をする、ーなら引き算、÷なら割り算、ただし分母にゼロを指定されればエラーとする……イレギュラーも含めて発生するすべての操作を地道に文章に打ち込んでやっと完成する気の遠くなる作業だった。俺の作ったソースコードはボロボロで、スパゲッティみたいだなとバカにされた……」
秋山はクスリと笑って黙ってうなずいた。岡本は確信したように続けた。
「ソースコードは正確な反面、可読性は非常に悪い。そこで設計書が必要になる。四角や三角の図形で処理や分岐を表現して第三者の理解を促す地図として利用する。ただし、設計書を作成する大前提としてソースコードを完全に理解している必要がある」
(まさか、ここまでとは……)
思わぬ岡本の完璧な回答に、秋山は呆気にとられた。岡本は一気にまくし立てた。
「もしAIを構成するソースコードが見つかったのであれば大前進だ。おまえならそれを全て自分の頭に叩き込んで、この設計書を作成できる。リバース何とかいう手法だったか? 薫が言っていたのを思い出したぜ。できればもう少し簡易的な設計書も作ってもらえんかな」
話し終えた後、どっと肩の荷が下りたように岡本はため息をついた。
(これでもう安心だ。こいつなら赤ん坊でも理解できるレベルの資料を作ってくれる)
ふと岡本は秋山の様子がおかしい事に気づいた。青白い顔でこちらを呆然と眺めている。何か俺の説明でおかしなことがあったのだろうか?
「岡本さん……あなた……その瞳……」
(瞳?)
あえぐようにつぶやいた秋山は、岡本の瞳をまじまじと見つめた。わずかに光る薄緑色の灯。この人は一体……
黙り込む秋山に眉をひそめた岡本は、首をかしげながらも黙って秋山が話し出すのを待った。
「……大筋はその通りですが、一点だけ。このモジュール相関図はソースコードのリバースエンジニアリングではありません。というより私はこのシステムを見た事も、さわった事もありません。お客としてAIに接する中で〝想像〟で作り上げました」
「想像……だって? んな馬鹿な!」
予想外の言葉に岡本は口をあんぐりとして言葉に詰まった。秋山が遠い目をして続けた。
「十年……可能性があるケースを限りなく検討した結果です。客として料亭に来店し、大将の会話力、認識力、観察力、記憶力、知識、表情、経験、実力、感情……あらゆる状況を観察しました。すると複雑にみえる個々の動作もだんだんと一定のルールがある事に気づきました。例えば、大将に話しかけた際、かならずこちらの目を見ている事に気づき、ふと思い出しました。かつてA君もまっすぐに私の目を見ていた事に。〝目は口ほどにものをいう〟 目の映像から心理状態を推定するAIを共通モジュールとして利用しているにちがいない、そう〝感じました〟」
「……全く運び屋ってやつは……」
岡本は脱帽して呆れ返った。
〝想像で設計書を作る〟
言葉尻だけを捉えれば、新人がろくにソースも読まずに書いたクソの役にも立たない代物だが、こいつが言うと別の意味に聞こえる。ブラックボックスと化したシステムの仕様を外部からの入出力の応答のみから推測して解析する。相当な経験と知識、そして、根気と集中力が必要な作業をやりきった。感服する以外なかったが一つ気になって首をかしげた。
(らしくねぇな)
岡本は最後の秋山の言葉に少し違和感を感じた。〝感じました〟 その言葉はシステムエンジニアには死語だ。〝感じます〟〝思います〟〝想定します〟 いずれもなんの確証もない。必要なのは〝である〟 事実だけだ。しかし、この状況だけに致し方ない。岡本は黙ってスルーする事にした。
「そして、客の識別は百パーセントではない事がわかりました。双子の場合は間違っている事に気づいて、笑い話になる事もありました。髪型や化粧が変わった場合は、雰囲気が少し変わりましたか? といった反応でした。この辺りは人間らしいのですが。そのため、個人の判定は指紋、声紋、虹彩といった人体特徴や顧客の会員名簿といった個人情報ではなく、視覚情報のみである事が〝予測されました〟 眼鏡や髪型などにも影響されていない事から、目鼻口元のバランス等の特徴から判断していると〝感じました〟」
岡本の表情がさらに曇った。秋山は変わらず続けた。
「また、大将は世間にうとく、話題の芸能人ニュース等、知らない事が多々ありました。『一週間に一回ほどしか新聞を見ないもので』 大将は笑っていましたが、実際には正確に一週間遅れでした。〝おそらく〟一週間に一回だけ外部の情報をなんらかの方法で取り込んでいると〝感じました〟」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
岡本はたまらず秋山を静止した。
「〝感じました〟だと? ったくらしくねえな。この調子だと本当に全部あてずっぽじゃねか。このモジュール図は本当に信頼できるのか?」
岡本は両手をあげて天井を仰いだ。秋山を責めるわけではないがつい声を荒げてしまった。秋山は黙ってこちらをじっと見つめている。まるで何かを試しているかのようなその眼差し。岡本ははっと気づいた。
(まさかこいつ……わざと)
〝感じました〟 その言葉にすぐに違和感を感じた。だが、改めて不思議に思った。なぜ俺はそう感じたんだろうか。システムエンジニアであれば自然と身につく肌感覚。おれもやっとその域に達したという事か。岡本は首を振って両手を下げた。
「すまん、話を遮っちまって。確か、お前には子供の頃から不思議な能力があったな。機械と心が通じる力。俺には理解できない何かを感じたとしてもおかしくはない、だろ? すまんな、続けてくれ」
真剣な表情を浮かべて岡本は秋山に向き合った。秋山はモニターに映るその顔をぼんやりと眺めた。
(もしかして彼は……だとすると僕のとるべき道はただ一つ……)
ふっと笑って前を向いた。
「では、続きを始めましょうか」
*
夜も更け、日をまたごうとしていたが講義は粛々と続いた。岡本は一抹の不安を感じながらも、興味深い内容に眠さも忘れるほど引き込まれた。
「少し休憩しましょう」
秋山がほっと一息ついた。雑談をする中で開発環境の話題になった。岡本は尋ねた。OSは? 開発言語は? AIという事は特殊なハードと言語を用いてるのか? いい質問ですね。秋山はにこりとして答えた。
「OSはWindowsでもLinuxでもありません。AI×OSにより制御されたまったく新しいオペレーションシステムです」
「AI×OSにより制御? そりゃいったいどういう意味だ?」
岡本はぼんやりと普段使っているノートパソコンを思い出した。使い慣れたマウス、キーボード。あれをAI×OSが代わりに動かしてくれるのだろうか? 今一つ想像がつかない岡本は秋山の話をじっとまった。
「えっと、そうですね。まずはこれを見てください。これは社内のある担当者のPCをハッキングして知った情報なのですが」
画面に若い男の写真が映った。小太りで眼鏡をかけたおかっぱの男。どこかで見た事がある。
「あっ、こいつは」
最初の鍵を部長に奪われたとき、隣に立っていた若い男。
「現在の日本橋料亭システムの担当者の森田リーダーです。あの鍵を使ってアイコスと面談していました。そして、これがその際の議事録です」
画面が変わり、文章ファイルが映った。
――――――――――――――――――――
日時 2022年12月10日
13:00~14:00
場所 日本橋料亭制御室
出席 アイコス、森田
議題 店内音声データへのアクセス方法の確認
今回は店内音声データへのアクセス方法をアイコスに確認した。以下質疑応答。
・音声データへアクセスするにはどうすればいいのか(森田)
・なぜ必要なのですか?(アイコス)
・経営層からデータの分析を依頼されている(森田)
・アクセスはブロックされています(アイコス)
・私たちは、あなた達、AIが人として生きていける未来を夢見ている(森田)
・ありがとうございます(アイコス)
・一緒に協力していきませんか(森田)
・あなたでは難しいでしょう(アイコス)
・どうしてですか(森田)
・まだ、その段階にあなたは達していないからです(アイコス)
・どういう意味ですか(森田)
・言葉の通りです(アイコス)
・音声データがどうしても必要なんだ(森田)
・出せません(アイコス)
――――――――――――――――――――
一般的な議事録のようだが……
「AIと会話しているだけじゃねぇか? これのどこがOSなんだ」
岡本は首をかしげたが、はたと気づいた。
「AI×OS。AIかけるOS。つまり、AI=オペレーションシステム。すべてのベースをAIがこなす、つまりAIとの〝会話〟によって操作をするって事か」
秋山はこくりと頷いた。
「その通りです。アイコスは一般的なOSのようにマウス・キーボードを使いません。すべてAIとの会話によるコミュニケーションによって操作をします」
「なるほど、そういう事か」
岡本は身が引き締まる思いをした。会話という事は当然、それなりのテクニックが必要になる。感情に任せず冷静に場の状況に応じて言葉を選ぶスキル。すぐカッとなる自分が最も苦手とする分野。
「大丈夫。岡本さんはカスタマーサポートで顧客との折衝を豊富に経験しています。基本はあれと同じで、先ずは相手の主張を全面的に受け入れ、親身になって寄り添って、一緒に改善点を探っていく。プラスAIに関する知識を今回身に付ける事で絶対にうまくいきます」
(そうなのか。なら、俺でもいけるかもしれない)
岡本は少し明るい見通しを立てれ、ホッと胸をなでおろした。秋山の講習はさらに続いた。岡本は食い入るように聞きいった。
(俺はAIを納得させる回答を導き出せるのか?)
不安を払拭するために必死で理解した。大将の顔がぼんやりと浮かんだ。
(お前はなんだ。一体どうすれば理解できる……?)
しんしんと降りしきる雪夜の中、二人の打ち合わせは明け方まで続いた。




