1.
たとえば、嘘を色で表現するとしたら、何色で表すべきだろうか。
嘘をつくのは良いことかと問えば、おそらく誰もが否と答えるだろう。
ありもしない真っ赤な嘘を自分の利益を得るためだけに並べ立てるなんてもはや同じ人間とは思えない、と答える人もいるかもしれない。
一方で、相手を守るための嘘であれば──英語で言えば『白い嘘』──仕方ないと言う人もいるだろう。
暴力的な真実を伝えて傷つくことが分かっているのなら、優しい嘘を吐くのは人道的に正しく、思いやりにあふれた行動だ、と。
だがそのどちらにも分類出来ない嘘もこの世には存在する。相手にも自分にも得と非があるとき。自分は相手を思ってついた嘘が相手からみるとペンキで乱雑に塗られてしまったように感じたり、その逆も。
こういう嘘に色を付けるとしたら。
悪いとも良いとも言い切れず、たとえば赤と白とが混じり合って──ピンクにでもなるのだろうか。
どこかふんわりと柔らかくて現実味のない、過ぎれば時にけばけばしく感じる有彩色。
──そして、苺キャンディの色。
それと相反するような、雲一つなくどこまでも広がるスカイブルーの晴れ渡った空。青空ではなくていっそ水色空とでも呼んだほうがいい。
そんな水色の空に苺キャンディを溶かしたとしたら、どうなるだろう。ただ液体が垂れた跡だけが空に残って、ぼやけたコットンキャンディ・ピンクの輪郭が、哀しげに浮かんでいるだろうか。
それとも、空の水色とキャンディのピンク色が上手い具合に調和して、そこだけがいつまでも珍しい朝焼けのように綺麗な紫色に染まり続けるのだろうか。
その答えを、まだ真空は知らない。
* * *
午前8時3分。
森崎真空はきしむ教室のドアを開けて、壁掛けの時計を見上げた。
換気のために開け放された窓からは風が吹き込んで、後ろで結った髪を揺らす。机に置いた拍子に、重い教科書を入れた真空の鞄がとん、と鈍い音を立てた。
「真空~! 英語の復習プリント見せて~!」
世間では、自分の気持ちを、他人を傷つけない程度にまっすぐ伝えることがよいとされているが、真空はそんな技術を持ちあわせてはいない。今日もまた真空は善を演じ、その偽善に愁うのだ。
「あ! ごめんね、まだやってなかった! 急がなきゃ~!」
少しだけ眉を下げて、それから意図的に瞳を大きく開く。
「そっか~、じゃあ他の誰かに借りてこよー!」
そう言い残して去っていったクラスメイトの後ろ姿を見送ったあと、思わずほうっとため息がこぼれた。幸いなことに朝の教室は騒々しく、誰も真空のことなど気に留める者はいない。
「何だよ朝っぱらからため息なんかついて」
……ただ1人を除いては。
「いや、ちょっと疲れちゃっただけだし……放っといてよ」
席が隣というだけのクラスメイト、柏木向希に適当な返事だけをして、真空はリュックサックに顔をうずめた。どうせ今から準備をしたところで全校朝会までには終わらないのだから、あとでゆっくり片付けたって構わないだろう。
すると突然、ひらり、と何かが背中に降ってきた。
ずり落ちそうになったそれを慌てて左手で掴むと、──少しばかり紙が折り曲がってしまった。
「あっ、……ご、ごめん!」
おそらく向希の仕業だ。人の背にプリントを投げるのもどうかとは思うが、ひとまず謝っておく。
真空のけっして多くはない経験上ではあるが、まずは謝っておくのが最善だ。
「……ん?」
向希はその黒い目でじろりとこちらを睨むと、──否、目が細いのでそう見えるだけだと信じたい──またもとのようにシャーペンを弄ぶ。
反応が微妙だからよく分からない。
「あの……ごめんね?」
おずおずとプリントを差し出すと。
「いらない」
「え? ……あの、だって今日英語1時間目だよ? ……終わるの?」
はじめはてっきり終わってるから貸してやる、くらいのノリで渡されたのかと思ったが、そうではないらしい。
「これからお前、自分のプリントやるんだろ? 書く回数が1回くらい増えたところで、大して手間変わんないだろうよ」
真空が呆然としている間に、向希は自分を呼んだ友達の席へ話しに行ってしまった。人に自分の宿題を押しつけるだけ押しつけて。一体何様のつもりか。
だが真空はそんな内心とは裏腹に、顔に無理やり笑顔を貼り付ける。
向希とは隣の席になってから3日と経っていない。向希の筆跡の癖を覚えていないので、たまたま机に載っていた数学ワークの名前の筆癖と、一般的な男子中学生の英文の書き方を頭の中で組み合わせる。
向希の筆跡を真似た字は、真空の普段の字よりも濃くて太い。それを良いことに、心の檻に閉じ込めたモヤモヤを掻き消すべく書き続ける。
──今日もまた、嘘を付き続けている。
左手側にあった、淡い水色にクリーム色のリボンのデザインが描かれたファイルから、赤印ばかりの真空自身のプリントがはらりと落ちた。