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Dancer  作者: K
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最初は痛みすら感じなかった。見下ろした先にあるはずの手はアスファルトに落ちていて、せき止める皮膚を失ったそこからはとめどなく鮮やかな赤が噴き出していた。

「あーあ!クソ、ひでえ匂いだな相変わらずよ」

目の前には巨大な影。全身の毛を逆立てて不快感を顕にするそれ(・・)は、この状況を作り出した張本人だった。ヘーゼル色の瞳は爛々とぎらつき、ナイフのような鉤爪からは血が滴っている。それ(・・)の足が地面に転がっていた手を蹴り飛ばした。

それ(・・)がこちらに向き直る。息が詰まった。走るどころか縫い付けられたように足が動かない。ほぼ喉を通る呼吸のような声で、(ゆい)は声を絞り出した。

「あの……お腹……」

「あ?」

凄まれてさらに足がすくむ。失血のためか頭も霞みがかっているようだ。それでも声帯を震わせ、言葉を吐き出す。

「お腹……空いてるんですかね……?」

返事はない。仏頂面でこちらを見つめているだけだ。

「あの……ごめんなさい、そんなにお金なくて、コンビニで唐揚げくらいしか買えないんですけど、あっちのコンビニ結構味の種類あるんで……」

お世辞にも機嫌がよさそうだとは思えないような視線を投げかけていたそれ――二足歩行の狼が、不意に口を開いた。

「命乞いか?」

「あっ……まあその、はい、そうです」

そう返した瞬間、狼の目付きが緩み、口角が三日月のように吊り上がった。肩を震わせる様子は間違いなく笑いだった。狼が笑っているのだ。

愉快がる様子を隠さないまま、狼は唯に問うた。

「で?それで助けてもらえると思ってんだ」

「い、いやあの、」

耳元の轟音。振り返って見るまでもない、狼の顔は目の前に迫り、ブロック塀は恐らく綺麗に陥没しているのだろう。

なすすべもなく眼前の狼の目を凝視する形になる。金よりも深い、琥珀色の瞳からは何の感情も読み取れない。

叫ぶこともできずどれほどの時間が経っただろう。狼がブロック塀から拳を離し、唯に声をかけた。

「行くか、そんなら」

「え?」

「買うっつってたろ、唐揚げ。行こうぜ。ああ……」

狼が唯の欠けた腕を荒々しく掴み、断面に手を当てる、隙間から光が弾け、バチバチと音が鳴る。痛い。思わず逃れようと体をひねる。

「ほーら逃げんな逃げんな、死にてえか?」

閃光と激痛が10秒ほど続き、やっと手が離された。恐る恐る切断面を見ると、白く変色して血は止まっていた。なんとなくフライパンでひっくり返した肉の表面を思い出す色だ。どうやら失血死は免れたらしい。

「よーし!そんじゃ行くか!……おい、もたもたしてんなよ」

狼の声で我に返り、その背中をついて行く。唐揚げ程度で満足してくれればいいのだが。


音もない雷が霞がかった夜空を照らし、気づけばそこに狼はいた。まばゆい光に閉じた目を開いた時には、既に左手は視界になかった。

明らかに生命の危機だったのは明らかだ。しかしその元凶は、隣で元気に唐揚げを貪っている。

唯と狼は、コンビニの近くの公園のベンチに2人並んで座っていた。コンビニの店員さんからは危うく救急車を呼ばれかけたが、なんとか誤魔化して買った唐揚げだ。まだホットスナックが売っている時間帯で本当に良かった。

唐揚げを食べ終わり手を払う狼を横目に、唯は立ち上がる。

「すみません、じゃあこれで……」

「あ?」

まだ指の残っている右手を掴まれる。抵抗を封じたまま狼は言った。

「俺さあ、今から野暮用あんのよ。1人じゃダルい用事なんだけどさあ」

「そ、それで……?」

その時点で大方予想はついていたが、ここで断ることに命の危険を感じそう返す。

「姉ちゃんさ、一緒に来ない?」

「……ちなみになんですけど、行かないって言ったらどう、」

言い終わる前に、狼が爪を剥き出してわきわきと動かした。

「あー、だいたい想像通り」

「……」

一旦狼に手を離してもらい、スマホを探してバッグをまさぐる。急に部活で用ができたとでも連絡すれば納得してくれるだろう。

「今親に連絡したんでしばらくは大丈夫です。それでその、野暮用って……?」

「あー、まあ、行きながら話すわ。どうせ人質だし」

今聞き逃してはならない単語が聞こえてきた気がしたが、もう後戻りはできない。狼が立ち上がり、しゃがみこんで背中を見せる。おぶされということだろうか。

狼の肩に右手をかけ、脚を腕に通す。唯が自分におぶさったのを確認するやいなや、狼は跳躍した。

跳躍だった。公園を軽々と跳び超えるほどの力で狼が移動するため、唯は残った右手で狼の毛皮を掴むので精一杯だった。通りを跳びながら駆け抜け、あっという間にビルの一棟に行き着いた。

疑問を挟む間もなく、狼が再び跳び上がり、ビルの窓に爪を立てた。そのまま側面をよじ登る。今振り返ったらさぞ綺麗な夜景が見られるだろうが、残念ながらその余裕はなかった。

「よーし、と」

ビルの屋上まで登り終えた狼が、振り返ってへりに立つ。背中にしがみついていた唯は、何をするつもりなのか検討もつかなかった。が、その疑問はすぐに明らかになる。

トンッ、と軽く跳ねて、まるでプールへ飛び込むような仕草で、狼がビルから飛び降りた(・・・・・)。嫌な浮遊感とともに、強風が顔を打つ。意味もないというのに、狼の毛皮をあらん限りの力で掴む。意思とは反して絶叫が喉から噴き出した。

地面にぶつかったかどうかはわからない。もうその時には意識はなかった。

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