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冬の魔女のもとに春は訪れるか  作者: こおなご
5/5

5.

 珍しく、村に晴天が幾日も続いた朝のことだった。

 荒野の雪が薄くなったことをカインから知らされた夫人が街に帰ることに決めたため、リアはカインに使いを頼んで街から馬車を連れてくることになった。こういうことは年に何度かあるため、街に懇意にしている御者がいる。

 今度は夫人も馬車ごと逃げられることはないだろう。夫人は何度も頭を下げて、カインの連れてきた馬車に乗り込んだ。この滞在中にすっかりリアとルーカスに懐いていたエヴァは訳もわからぬまま泣いていた。

 遠ざかっていく馬車を見送った。カインには彼らに荒野の中ほどまで付いて行かせている。彼はリアとルーカスがしばらくふたりきりになることを心配していたが、「大丈夫だからさっさといってらっしゃい」と笑うリアをひとつつきしてから飛んでいった。

 ルーカスはというと、彼は村に残ることになった。もともと彼らとはここへの道中で知り合ったのだし、リアさえ良ければしばらく居たいと申し出てきたのだ。

 リアに否やはなかった。

 こんなに長く人と暮らしたのは久しぶりで、急に三人も居なくなってしまえば、この家はがらんと寂しく思えてしまうかもしれない。

 母娘を見送ったあと、少し村を歩いてくると言ってルーカスとは別れた。

 ここ数日の晴天で、村の雪は随分と少なくなっている。陽当たりのいい場所ではすっかり溶けたほどだ。どうせ雪が降ってまた白く埋め尽くされてしまうのだからもう少しよく見ておきたい。

 通りがかった家の前で立ち止まる。緑の屋根の家は、よく見知ったアルフレヒトのかつての育ての家である。その家の庭先、花壇から少し離れたところに可愛らしい三角屋根のついた餌台が建っている。雪の重みで根本から折れてしまっていたはずのそれは、たしかにカインの言ったとおり支柱が補強されて元の通りだ。

 彼が一体何を思ってこれを直したのか、リアには知る由もなかった。


「ルーカスはやっぱり何か知ってるのかしらね」


 それはただ、噂で聞いただけという話なのかもしれない。

 リアがこの村で歳も取らないまま暮らしていることは既に人々の知るところであり、どうして村に春が来なくなったのかを出て行った村人たちが一人も話していないとは思えない。


「使い魔の思い出の場所まで誰かが話していたなんてことも、あるのかしら」


 餌台の屋根を撫でながら呟く。

 しばらく考えたけれど、やはり真相ははっきりとしないまま。そもそも、リアが一人で考えてわかることでもない。帰りましょうかと一人ため息を吐きながら、家路についた。



 *



 家に戻ると、ルーカスがお茶を淹れているところだった。ハーブと蜂蜜の香りがふわりと漂う。


「おかえりなさい。ちょうどお茶が入ったところなんです」

「ありがとう」


 彼が来たばかりの頃、なんとなくそわそわした迎えの言葉も当たり前のように受け止めてしまっている。

 そのことに気づいて少しだけ気恥ずかしくなった。早口に礼を述べて入ってきたばかりの玄関を振り返る。


「ようやく街に春が来るのね。それに今日はとってもいい天気で、村に春が来ていた頃を思い出すようだわ。そういえば、あなたはいつ頃までここに居るつもりかしら? わたしは賑やかでいいけれど、あなたの家族は心配しているんじゃない? ああそれと、」

「ねえ」


 リアの言葉を遮ったルーカスの声は随分と気安かった。

 リアに対してルーカスはずっと丁寧に接していたから、親しげに呼びかけられてリアは戸惑った。振り返って眉をひそめながらも何も言わないリアに構わず、彼は片手で頬杖をついて続けた。


「ねえ。まだ気づいてくれないの?」


 冬に閉ざされたはずの村で、奇妙なことに暖かな風が吹き抜けた。

 寒くもないのにドアノブにかけた指先が震えている。

 静かに見つめてくる青灰色の瞳。そういえば、この瞳は初めからリアを落ち着かない気持ちにさせていた。彼がこの家の扉を開いたその日から。

 リアの胸の奥、魔女の呪いが小さなちいさな声で言った。「やっときてくれた」。

 けれどリアはそんなわけがないとも思っている。それは呪いよりも大きな声だった。自分の都合のいい妄想に、優しい人間の青年を付き合わせるわけにはいかないと。


「僕はきみに会いに来たんだ。この村に住む、魔女さまに」


 彼は言い募る。それは彼がここに来て言った言葉でもあった。


「魔女さま。たったひとりの、僕の大好きな女の子」


 嘘だ。もしくは都合のいい夢かもしれない。

 だってリアをそう呼ぶひとは、この世界でひとりしかいない。その彼だって今はもう。


「きみと、約束を残してアルフレヒトは死んだ。冬の川で、溺れた子供を助けたんだ。でもね……」


 なにも言えない。唇を動かすことさえできなかった。立ち上がった彼が、ゆっくりと歩み寄ってくるのをリアはただ、茫然と見つめることしかできない。


「会いにきたよ。帰ってきたよ。きみとの約束が、また僕をここに連れてきてくれたんだよ」


 ゆるゆると掌で顔を覆った。込み上げてくるものとともに、ようやく言葉を吐き出すことができた。


「気づいてくれないの、じゃないわよ。何年経ったと思ってるのよ。もう、忘れちゃったわよ」

「忘れちゃった?」

「……ええ」

「じゃあ思い出して。目じゃなくて、心でみて。いくら外側が変わったって、本当は何も変わってないんだ」


 気づいてなんて、思い出してなんて、帰らなかったくせに自分勝手もいいところだ。そう思う反面、リアはそんなことはもうどうでもいいとも思っていた。

 そっと彼の頰に手を伸ばした。言われた通りに目を瞑ったリアの手に大きな手が重なる。


「ごめんね、リア。『次の春』まで、随分と待たせてしまった」


 頰の滑らかさはこうだっただろうか。ああ、そうだ。耳朶の柔らかさ。覚えている。ふわりと柔らかい猫っ毛。別れたときと同じだ。本当は昨日のことのようにちゃんと覚えている。

 開いた視界に最初に映った薄曇りの瞳が何より愛おしい。


「ただいま、リア。ずっと待っていてくれて、ありがとう」


 涙に濡れた唇に、青年のそれが柔らかく触れた。彼の懐かしい青灰色の眼からも雫が溢れて混ざり合った。

 アルフレヒトは名を変え、器さえも変えて、それでも約束を守ってくれたのだ。


「おかえりなさい。わたしのアルフレヒト」


 冬に閉ざされていた村に、幾年月を経て春は芽吹き始めていた。

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