表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の魔女のもとに春は訪れるか  作者: こおなご
2/5

2

「魔女様でしょう!? この子を助けてください!」


 北風とともに舞い込んできた青年は、そう言ってその腕に抱いた毛布をリアに押し付けた。そして茫然とする彼女をそのままにまた外へと飛び出してしまう。

 開け放たれた扉から見えるはいつもと変わらぬ銀世界。しかし今は、青馬がその背に何かを横たえて停まっている。

 リアは冷えた毛布を手にぽかんと青年が馬に駆け寄るのを見送ったが、我に返るのも早かった。


「まさか」

『リア、それ』


 リアもカインもその中身に言葉を失った。

 幾重に巻かれた毛布をめくると、そこに居たのはやはり赤子だった。だが、彼女たちから言葉を奪ったのは、その子の状態である。蒼白を通り越してもはや土気色で、一目で危ない状態であるとわかる。ここに来るまでの冷たい空気も長い旅も毒だっただろうに、よくここまで生きていられたものだ。その子の死神はすぐそこにまで歩み寄ってきていた。


「カイン、薬草を運んできてくれる? 私は今すぐこの子を温めなくては」


 返事をする時間も惜しいことを彼はちゃんとわかっていて、すぐさま天井に干された薬草に向かっていく。

 使い魔だけあって、薬草の準備はカインに任せておいて間違いない。作るのはリアだが、その間にやらなくてはならないことがある。

 土埃と雪に濡れた毛布は清潔な新しいものへ。外気で温度が下がった部屋を手っ取り早く魔法で暖め、布にぬるま湯を含ませてそっと赤子の唇に。

 そうこうしているうちに薬草の準備は整っている。リアはカインの小さな額をそっと撫ぜて、ブラウスの袖をぎゅっと捲り上げた。

 魔女も薬だけは魔法で作れない。


「さあ、頑張って。あなたはまだまだ生きなくてはなくてはいけないわ」


 指で触れた赤子の頬は冷たい。けれどリアは思った。きっと治せるわ、と。

 程なくして青年が今度は女性を連れて戻ってきた。支えられた彼女も立っているのがやっとという様子で、暖炉の近くへ案内して気付けのハーブで作った茶を、比較的元気そうな青年にカインが指示して作らせた。お客さまに作らせるのは忍びないが、そんなことを言っている場合ではなかったのだ。

 ハーブティーを口にした母親らしき女性は、寒さからか、不安ゆえか震えていたが、やがて気を失うように眠った。青年の灰掛かった青い瞳だけが、奮闘するリアの姿をじっとみつめていた。


 事が片付いたのは日もすっかり暮れた頃だった。


 誰もが疲れ切っている。リアの手伝いに飛び回ったカインも、いつもの止まり木の上で眠っている。珍しいこともあるものだ。普段なら、客が来たはじめの夜には彼は一睡もせずにリアの傍から離れずにいる。今日のように止まり木で羽を休めても、眠ることなどなかったのに。それほど疲れているのかしら。

 部屋を見渡す青年と暖炉の前で眠る女性、そして籠の中で毛布にくるまってあー、うー、と喃語を話す女の子をそれぞれ見やる。別に警戒することもない。彼らは赤子を治してほしいとあんなに必死の形相で駆け込んできたのだから。それに、仮に彼らが悪さをしようものなら、リアはなんの罪悪感もなくこの家から放り出すことだってできる。この子以外は。小さな手でリアの小指を握る女の子を愛おしく眺めながら考えた。

 時折訪れるのだ。彼らのようにこの村に住む『停滞の魔女』の噂を聞きつけた者たちが。

 魔女や魔法使いといった存在は、今では随分と少なくなっているらしい。

 いつのまにかリアの存在は近隣の街に知れて、歳をとらないさらに稀少な魔女となった彼女は『停滞の魔女』と呼ばれるようになった。

 人間の医者には手に負えない病気を持った者たちやその家族が無理を押してこの荒野を超えてくる。そしてそれらをリアは償いのように治していった。故郷を離れざるを得なかった村人たちに、軽率な約束のせいで空気に溶けた母に、魔女の呪いに巻き込んでしまったかもしれないアルフレヒトに。赦しを請いたい人たちはもう、すでに生きてはいないけれど。


「お客さまにお茶を淹れさせたりなんかして、申し訳なかったわ。とても上手に淹れてくれたのね。ありがとう」

「いいえ。あなたの役に立てたのなら良かったです」


 全てを終えて倒れこむように椅子に座ったリアにも、青年はハーブティーを淹れてくれた。お気に入りのカップで飲むお茶は、リアが自分で淹れたものとほとんど同じ味がした。


「でも、私用の食器棚を漁ったのは感心しないわね」

「それは、……ごめんなさい。でもそれがあなたのカップでしょう?」

「……そうよ。よくわかったわね」


 自分は客用のカップに口をつけている青年にリアは軽く小言を言ったが、彼は少しだけ目を伏せて、謝りながらも開き直った。

 しばらくすると、眠っていた女性の瞼がゆっくりと開いた。


「目が醒めたのね。……ほら、お母さんが起きたわよ」

「まー」

「ああ、エヴァ……っ」


 籠から女の子を抱き上げて女性の腕にそっと預けた。伸ばされた小さな手に自分の額を当てて、女性は娘の名前を呼んだ。涙に濡れた瞳でリアを見て何度も礼を言った。

 そして、女性はぽつりぽつりとここまでの道のりのことを話してくれた。エヴァが高熱を出し重い後遺症を負ったこと、街の偉い医者に見せても反応が芳しくなく途方に暮れていたとき『停滞の魔女』の噂を思い出したこと。


「少し用を足している間に、御者が逃げてしまったんです。でも私、もうこうするしかなくて……。それで、」

「村の手前くらいのところで、僕が二人を見つけたんです。それから馬に乗せてここまで」


 俯いた女性の言葉を青年が引き継いだ。

 あの荒野を赤子を抱いて歩くのは容易ではなかっただろう。そのままに向かっていたら今頃二人がどうなっていたかは想像にたやすい。

 女子供を置いて逃げた御者の話に顔をしかめたのち、リアは二人の話に首を傾げた。


「あなたたち、知り合いではなかったのね」


 そういえば、彼は赤子の治療を終えた後、ほっとしたような表情を見せはしたものの、抱き上げたり名前を呼んだりすることはなかった。あの剣幕で飛び込んできたにしては淡白だと思ったが身内ではなかったのか。


「ええ。ルーカスさんがいなければあの子も私も今頃凍え死んでいたでしょうね」


 夫人は視線を落とす。腕の中にはすっかり顔色の良くなった赤子が安心しきった様子で寝息を立てている。

 ルーカスと呼ばれた青年に目を向けると微笑まれた。その様子に、疑問と、言葉にできぬ違和感を覚えた。彼は病気ではないだろうし、怪我をしているような様子もない。疲れは見えるが、この広い雪道を馬に揺られてきたにしては元気な方だろう。


「それで、あなたはどうしてここに? 家族に病気を抱えた人でも?」

「いや、僕はあなたに会いに来たんです。村に住む魔女様に」

「それでこんな時期にはるばる来たっていうの? 街の方はそろそろ暖かくなる時期でしょう? 春まで待てば、荒野も随分通りやすくなるのに」

「それは……」


 ふいに彼は言い淀んだ。


「思い立ったら居ても立っても居られなくて……」


 呆れたと言わんばかりのリアに青年は頰を掻いた。


「その好奇心には感服するわ。……でも、患者さまでないお客さまも、勇気ある母娘のお客さまも久しぶり。あなたたちを歓迎します。皆、しばらく泊まっていって。たいしたもてなしはできないけど、急ぎの用事がないのなら楽な道を行った方がいいでしょうから」


 言いながらリアは立ち上がった。


「軽い食事にしましょうか」


 彼らがここに来てから、ハーブティー以外は誰も口にしていない。茶請けも出してはいたが、手をつけられないままだ。もっと胃に優しいものを用意すべきだろう。



 *



「部屋に案内するわ」


 薄味のミルク粥の夕食を終えて、しばらく胃を休めたところでリアが切り出した。

 食事を用意している間に彼らには湯浴みを済ませてもらっている。気にする余裕もなかったが、長旅の疲れと雪やら土埃やらで彼らの様相は酷いものだった。治療のために身綺麗にしたエヴァはいいとして、他の二人は食事どころではなかったのだ。


「夫人は奥の客室で休んで。揺かごもあるからエヴァはそこに。ルーカス、あなたは……そうね。階段を上って左手にある部屋を使ってちょうだい」

『おいリア、』

「あら、カイン。大丈夫よ、ちゃんと掃除もしてるし、布団もこの前晴れたときに全部干したでしょ?」


 思わずといったようすでカインが言葉を挟んだのは、その掃除が、いつか帰ってくるはずだった人のためにしていたことだと知っているからだ。それを百年以上経った今もやめられずにいることも。でも彼はお客さんに部屋を貸したって怒ったりはしないはずだ。


「僕が使ってもいいんですか?」

「ええ。家主のわたしが言うんだから間違いないわ。……まあ、部屋の主はわたしじゃないけど。そうね、あんまりあちこち開けるのはよくないかもしれないわね」


 リアは気を取り直したふうに二人に向き直った。


「二人とも、足りないものがあったらできる限りで用意するから、遠慮なく言ってちょうだい」


 久方ぶりに人の気配のある夜は、リアをどことなく落ち着かない気分にさせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ