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僕と彼女

 冬休みも目前、クリスマスまであと3日という時に、僕が通う中学校のグラウンドに一頭の熊が迷い込んできた。

 野良犬とは訳が違い野生の熊が現れたとなれば、授業中であろうとクラスの誰もが立ち上がり窓際へと駆け寄って騒ぎ立てた。

 僕の席はもともと窓際だったから、そこから外の様子を見ることが出来たのだが、その熊は真っ黒で目を見張るほど大きく、皆がはしゃぐのも無理もない事だと思った。

 それはグラウンドの真ん中まで来ると立ち止まり、こちらへ向かって吠えだしたのだ。


 ひどく興奮している様子だった。

 それなのに校舎へ近付こうとはせず、ただそこで断末魔みたいな鳴き声を発するのみであった。

 遠吠えのように鼻を突きだす鳴き方は、何かしらのメッセージを届ける意図、または懸命さみたいなものを錯覚させる。いや、何かしらのメッセージがあったことは確かなのだ。我々ヒトにはそれを理解できないだけであって。

 

 教師たちはとにかく皆を落ち着かせ、校内放送では絶対に外へ出ないようにと注意喚起がされたが、そんな中、熊は突然に吠えることを辞め、ゆっくりと背を向け、歩き出した。

 さっきまであれほど興奮していたのが嘘のように、静かに遠ざかっていく熊の、奇妙とさえいえるその姿に教室の騒ぎも心なしか収まったようだった。

 僕は熊の意図を必死に読み取ろうとしていた。

 だがどれだけ考えても答えは出なかった。やはり熊の気持ちなんて、分かりっこないのだから。


 放課後は、部活動も自由下校も許可された。

 それはつまり、あの熊が何かしらの方法で処分されたことを意味するのだろう。

 ホームルームが終わり、クラスメートたちが各々の目的へ向かって散り散りになっていく中、僕は鞄を持って教室を出て図書館へ向かった。

 最近ではそうすることが日課となっている。所属している野球部へも、久しく顔を出していない。

 



 相変わらず人のいない図書館に着くと、そのまま『哲学・宗教』の棚まで歩く。

 僕はそこで壁に背を預け、窓から外を眺めるのであった。

 空は曇っているが、雪は降っていない。

 だがそれも今だけのことだろう。天気予報では、夕方から雪となっていた筈だ。

 「……」


 どうでも良いことだ。何もかも。

 天気のことも、グラウンドに現れた熊のことだって。

 全部ちいさな日常でしかない。




 「スズキさんのことを考えているのね」

 不意に聞こえてきた声に、僕は振り向いた。

 そこに立っていたのは同じクラスのアサツキさんという女の子だった。

 伸ばし放題の前髪から右目だけを覗かせて、不敵にという表現がぴったりな笑みで、こちらを見つめている。

 「スズキさんのことを考えているんでしょう」

 彼女はもう一度、僕に尋ねた。

 

 

 アサツキさんは僕にとって良く分からない子だった。

 授業中はいつも天井を見上げてぼうっとしているし、休み時間だって何もせずに自分の席でじっとしているのをよく見る。

 給食は牛乳しか飲まない日もあれば、ご飯をおかわりする日もあるし、それらは気分によるようであった。

 服装については気崩しているというよりはなんだか竜巻にでも巻き込まれたみたいに乱れきっていて、裸足で廊下を歩いているのを見たこともあった。

 でも教師たちは彼女へ服装に関する注意はしても、「ちゃんと勉強しろ」だとか「真面目にやれ」なんてことは一切言わなかったから、恐らく成績は良いらしく、不良という訳ではないようだった。

 


 そんなアサツキさんに声を掛けられ、僕は改めて彼女を見た。

 髪はボサボサ、服装はやっぱりメチャクチャで、ブレザーの中に着ているワイシャツは第二ボタンまで空いているし、学校指定のネクタイは胸元で固結びがされている。

 幸い上履きは履いていたが、僕はそこにマジックで『スズキ』と書かれていることに気が付いた。


 「それ、スズキさんのだろ。自分のを履けよ」

 急速に膨れ上がった怒りを抑えられぬまま、僕はアサツキさんに詰め寄った。

 けれど彼女は、それが聞こえなかったかのようにまた微笑んで、隣へ来て僕と同じように壁にもたれかかるのだった。


 「どうして?」

 そして無邪気に、そんなことを言った。

 「……スズキさんが来た時、困るだろ。それ以前に、非常識じゃないか」

 「大丈夫だよ。彼女はもう学校へ来ないから。誰も困らないわ」

 心臓が、跳ね上がった。


 「……そんなことない。スズキさんは体調不良で休んでいるだけだって、先生が言っただろ」

 「嘘だよね。だって、彼女はササキ君からあんなことを言われて、学校へ来るのが辛くなっちゃったんだから」

 「え……」

 「本棚の上でお昼寝するのが趣味なの、私」

 僕は咄嗟に本棚を見上げる。

 

 ――まさかあの時、この上に?

 馬鹿な。

 しかし僕の平凡な価値観では、アサツキさんが持つ独自の常識を否定することなど出来ない。

 彼女は本棚の上で眠るような人間なのだ。

 

 だが、本当に全てを聞いていたのか?

 ならば僕が毎日こうして図書館へ足を運び『哲学・宗教』の棚の前で外を眺める事の意味も――。


 本棚の上から視線を戻すと、そこには変わらぬアサツキさんの笑顔があった。

 そして彼女は言うのだった。

 「責任、感じちゃってるんだよね。だからそうやって、無駄だと分かっていても、気持ちだけでも償っているつもりになりたいんだよね」

 「……なにが言いたいの?」

 「可哀想。スズキさんも、ササキ君も」

 「僕はちっとも可哀想なんかじゃない。それに、いずれ彼女とはちゃんと話をするつもりでいるんだ。今はまだ何もしない方がいいと思っているだけだよ」

 「それは無理だよ」

 アサツキさんは表情を変えることなく、軽やかに否定してみせた。

 「どうして?」


 「スズキさんは熊になって、ハンターに殺されちゃったからだよ」

 突如として、アサツキさんの顔から表情が消え失せた。

お読み頂きありがとうございます。

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