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あの子

 帰りのホームルームが終わった後、僕はスズキさんから言われた通り図書館へ向かった。

 廊下へ出た時に教室を確認したら彼女は既に居なかったので、少しだけ急いだのを覚えている。


 いつも通り人のいない図書館へ辿り着くと、特に人気のない『哲学・宗教』の棚の前へとそのまま歩いた。そこが、スズキさんが僕に指定した場所だったからだ。


 僕がスズキさんを見つけた時、彼女は壁にもたれかかり、窓から外の景色を眺めていた。

 グラウンドにはまだ運動部員たちの姿はまばらで、曇り空からは雪がちらついていたと思う。

 

 身動きもせずそれらをただ見つめる彼女は、それでも組んだ指だけはそわそわと動かして、感情の無い横顔でそこにいた。

 でも、きっと頭の中ではたくさんのことを考えていたのだろう。本当は僕が来たことにも、気が付いていない振りをしていただけなのかもしれない。

 だから、声を掛けたのは僕のほうからだった。


 「スズキさん」

 言うと、彼女は実にゆっくりと振り向いた。

 まるで時間の流れにはムラが存在していて、僕とスズキさんの間にその境目が位置しているようだった。


 「ササキ君」

 スズキさんは僕の名を答えて、それからまた黙ってしまった。

 

 自分から呼び出しておいて変なの、なんて場違いなことを考えた。

 場違いで、すっとぼけた感想だ。

 だってそうじゃないか。

 放課後に人気のない場所に呼び出されることの意味なんか恐らく誰だって分かるし、もし予想が外れていたとしても、普通でないことであるのは明らかなのだ。


 普通じゃない状況で、スズキさんは普通じゃないことを僕に伝えようとしている。

 大抵の人間は少なからず心の準備というものを必要とする筈だ。

 従って、彼女が黙ってしまうのもなんら可笑しなことではない。

 むしろ可笑しいのは僕のほうで、やはり『変なの』なんてのはとんでもなく場違いで、何も分かっていないやつが考える事だ。


 でも僕はちゃんと分かっていた。ただ、信じられなかったんだ。

 頭が良くて、見た目も可愛い、家庭科の授業で見たけどたぶん料理も得意なスズキさんが、僕を目の前にこんなにも言葉を詰まらせるなんて。

 それに彼女とは挨拶を交わす程度の仲で、互いの距離はそれ以上にも以下にもなりっこないものだと思っていたから。

 

 「ササキ君は、クリスマス何して過ごすの」

 そうしてやっとのことでスズキさんは口を開いたのだった。

 視線は少しだけ下を向き、僕の喉元を見つめていた。


 僕は答える。

 「やることもないし、家にいると思う」

 「……そうなんだ」

 「……うん」

 「私も、そうだよ」

 「うん」

 彼女の言葉は、まるで何かの台詞を読み上げているみたいに遠くて、非現実的で、僕はただそれに相槌を打つことしか出来なかった。


 「それなら、その、クリスマスは二人でどこかへ出掛けない? お買い物したり、映画とかも、観たり。もし良かったら……」

 スズキさんはさらに下を向いて、心なしか顔を赤く染めた。

 僕はそんな彼女を差し置いて、周囲に視線を巡らせる。

 こんなの、何かの間違いか悪戯としか思えなかった。

 それは実際、過去に似たような悪戯を経験していたからだった。



 ある日、僕は机の中に一枚のメモ用紙が入っているのを見つけた。

 そこには小さく丸みのある文字で『昼休み、下駄箱まで来て下さい』と書かれていた。

 クラスでも器用な男子が書いたその偽のラブレターを鵜呑みにし、僕は架空の女子を待ち続け、それはもう笑い者にされたのだった。「あん時のササキの浮かれ顔よ」と当時の様子は今でもたまにからかわれれるほどだ。



 この時、辺りには僕とスズキさん以外の生徒の姿は見当たらなかった。

 それでも僕は信じることが出来なかった。

 さらには到底有り得ない疑いさえ、彼女に対してかけてしまったのだ。

 今度はスズキさんもグルになって、盛大な悪戯を執り行うことになったのだろうと。

 

 できるならこれ以上は思い出したくはない。

 彼女に視線を戻した僕は、笑い混じりにこんなことを言ったのだ。

 「――冗談だろ?」

 瞬間、スズキさんは弾かれたように顔を上げ、目を見開いた。

 そこから次第に涙がこみ上げ、夕日が海へ沈んでいくように瞳の形を溶かしていく。

 しかしそれが零れ落ちる寸前で彼女は走り出し、僕の横をすり抜けて図書館から立ち去ってしまった。


 ああ、そんな演技まで出来るんだ。

 決して心の底からそんなことを思った訳じゃない。

 そう思わずにはいられない程、僕は自分がしたことの残酷さをまだ直視することが出来なかったのだ。

 とっくに気が付いていた。

 嘘なんか一つもなく、スズキさんの気持ちは本当で、純粋だったことなんて。

 でも僕は自らが傷つくことを恐れ、あろうことか過去の下らない悪戯と彼女を重ねてしまったのだ。

 

 窓の外では、さっきよりも大粒の雪が降り始めていた。

 僕がちゃんとスズキさんに答えていたなら――。

 こんな雪だって、彼女はきっと楽しそうに笑って、僕も同じように笑いながら、二人で幸せなクリスマスを過ごしたのだろう。

 

 しかし、もう何もかもが手遅れに思えた。

 なぜなら彼女は行ってしまった。

 幸せなクリスマスなんて、どこにもない。


 急に冷え込んだ図書館で、僕はしばらく外の景色を眺めていた。





 これが2週間前に起きたことのすべて。

 あれ以来、スズキさんは学校には来ていない。

お読み頂きありがとうございます。

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