08 「ヒヨコ、誕生する」
精霊はただあれかし。
自然の調和を見守ることが精霊の職務であり、生きる意味だ。自然とともに生き、そして死ぬ。
アタシは自然豊かなロードベルトの地に生まれ、そこで自然を見守ってきた。
精霊は一にして全。世界に存在する精霊すべては繋がり合い、情報を共有し合っている。
北方のアサンデは腐肉界の侵食に晒されている。南方のカルベルでは人間たちが自然を壊し、都市を作り続けている。西方のルーレでは魔物たちが跋扈しているおかげで皮肉にも特殊な生態系が生まれ、自然が守られている。
田舎のロードベルトは今日も異常なし。
アタシはアタシである。様々なアタシが始祖精霊より産まれ、死に、また産まれ、死ぬ。
連綿と続くアタシたち。
あれかし、あれかし、あれかし。
あぁ、あぁ、あぁ。
……いつからだろう。アタシはアタシの在り様に違和感を覚えるようになったのは。
そんなあたしの前に天狐族が現れた。
自然よりも優先される稀有な存在。最も重要な生物個体こそが天狐族だ。
アタシの観察対象に天狐族が加わった。
天狐族の娘が子供を産む。生まれた狐は二匹。
あり得ぬ事態。
天狐族の女は生涯で一匹しか子をなさぬ。そして天狐族には女しか生まれ得ぬ。
ゆえに、滅びゆく一族が天狐族だ。
それが、なぜ双子? 男の子が?
アタシの疑問に始祖精霊が答える。
滅びの終わりが始まったと。
どういう意味だと問うアタシにそれ以上始祖精霊は答えない。
ただ観察せよと言い残し、始祖精霊は沈黙する。
アタシは疑問を抱えながら注意深く二匹の子ぎつねを観察する。
生まれたばかりの子ぎつねは寝っぱなしだ。見ているだけでアタシも眠くなる。
ふわぁ~。
あくびを連発しながら、アタシは子ぎつねたちを見守る。
数か月もすると子ぎつねたちは元気に走り回るようになる。
女の子のミランと、本来ならあり得ぬ男の子のアレン。
鬼人族であるグラバリ領主の山深い別邸は毎日大運動会だ。
やんちゃなミランにのんびり屋のアレン。この二匹は遊びの天才だ。
追いかけっこ一つとっても色々なアレンジをして楽しんでしまう。
尻尾をブンブン、髭をピクピクさせて大暴れ。
もう心の底から楽しいと、祝福の共鳴がなくてもわかるほど幸せそうな二匹。
次は何をするのかともう目が離せない。
あぁ、これが生か。これが、生きるということか。
生命の輝きにアタシは目が眩む。そして思ってしまう。
アタシは生きているのだろうか、と。
※※※※
今は親たちが目を離した隙に、半開きの扉の上によじ登ろうと奮闘中の二匹。
アタシは危ないなぁと心配になる。
ミランが助走をつけて駆け上がるが、扉がその弾みで閉まってしまう。頂上まで来たミランは掴まるところがなくなり、そのまま真っ逆さま。
落ちてくるミランの下へ、慌てて飛び込むアレン。
ミランの下敷きになり、ぐへぇっ、と悶絶するアレンに、ミランは、お兄ちゃん大丈夫? と心配そうに上から問う。
うん、と答えるアレン。
大きな物音にエルフが慌ててくる。エルフが勢いよく扉を開けてしまう。扉の前には折り重なった状態の二匹。扉が二匹を吹き飛ばさんと迫る。
アレンがミランを抱き締め、扉を背に丸まる。次の瞬間、二匹が吹き飛ぶ……
アタシは叫ぶ。
「扉を開けるな!」
……ことはなく、ギリギリで扉が止まる。
アタシは、ほっと一息つく。
エルフがそっと扉を押し上げ、それから二匹を優しく抱き締める。
「怪我はない? 大丈夫?」
「へーきだよー!」
「うん」
そう、よかった、とホッと安堵するエルフ。
「精霊があなたたちを守ったの。聴こえたでしょう、精霊の声が?」
「うん!」
「うん」
「精霊にお礼しなくちゃね」
「せいれーさんありがとうー」
「うん」
二匹がアタシに向けてお礼を言う。
ミランは元気よく、アレンはテレパシーができないので、ペコリと頭を下げて。
心の内を感動が満たす。
あぁ、あぁ、あぁ。
嬉しい。
誰かに感謝されたのは初めてだ。
実体のないアタシは二匹を見つめる。
そして、気付く。
アタシはこれまで見守ることしかしてこなかったことに。
それでは居ても居なくても一緒ではないか。
それで生きていると言えるのか?
あぁ、あぁ、あぁ。
アタシはもうダメだ。
始祖精霊は観察せよと言った。でも、アタシは観察だけじゃもう満足できないのだ。
アタシは生きたいのだ。
もう後悔しない。
意識を広げ、上空より自然を見る。
親とはぐれ、死ぬ寸前のヒヨコを見つける。
アタシはヒヨコにすまぬと謝罪をし、そして、その肉体をもらい受ける。
これでアタシは精霊でなくなった。不死でなくなった。
さぁ、あの狐たちの所へ行こう。
最初はアレンをびっくりさせてやろう。それから、ミランをこの嘴で突いてやろう。
あの双子と一緒なら楽しい未来が待っているに違いない。
アタシは初めて生まれたのだ。