04 「エルフ、昼寝する」
「はい、どういたしまして」
私はカーペットの上でスヤスヤ眠りにつく、二匹の子狐を撫でながら、頬を綻ばせる。
窓から優しい日差しが二匹を照らし、金毛を燃え上がらせる。
手から二匹の鼓動と暖かさが伝わり、撫でる私の手を温める。
かの天狐族とて、幼子であればただの可愛らしい狐でしかない。それがどうにもおかしかった。
「あらあら」
女の子のミランは寝相が悪い。いつの間にか男の子のアレンの上に乗っかり、尻尾をブンブン振っている。いい夢を見ているのだろう。顔がとても楽し気だ。
それに引き換え、押しつぶされ、さらに尻尾で顔をべしべし叩かれているアレンは苦悶の表情で唸っている。こちらは確実に悪夢だろう。
私はそっとミランを抱き上げ、アレンの横へと戻す。二匹は寝たままもぞもぞと動き、再びぴったりくっついて丸まる。
本当に仲が良いなとほっこりする。
天狐族はアダストリアにおいて、最も尊崇される一族だ。神の下僕、歴史を紡ぎし神獣、滅びの隣人、そして、神柱の守護獣。
様々に語り継がれる偉大なる一族。気持ちよさそうに寝ているこの二匹も、いつかそんな大仰な呼び名で呼ばれる日がくるのだろうか。
……きっと来るのだろう。
天狐族は女しか生まれないと言われている。エリスに確認したところ、それは正しいそうだ。天狐族に男が生まれた記録はないと断言された。さらに双子というのも初めてだそうだ。
個体数を緩やかに減らし続ける天狐族にとってそれは朗報なのだろうか。ことの重大性の、その大きさは想像もつかない。
このような辺境の地に隠れるように移住したが、それでもいずれは気付かれよう。その時、この二匹、特にアレンはどうなってしまうのか。あまりよい未来は想像できない。
私は不安を払拭するようにアレンを優しく撫でる。気持ちいいとその感情が伝わってくる。
天狐族の持つ神の祝福に共鳴がある。
共鳴、それは互いに繋がり合うことができる能力。強力であるが故に使い方を誤れば、身を亡ぼしうる能力。
先ほど、二匹の子狐は無意識のうちに共鳴を使った。二匹から伝わってきた気持ちは、いつもありがとう、というあまりに純粋な感謝の気持ち。
その気持ちが私の心を満遍なく満たす。私の心はとても嬉しく、そして温かくなった。
この力は、共鳴の入口でしかない。共鳴とは文字通り、双方向で振動し合うものなのだから。今の一方通行の力ですら、ここまで私の心を歓喜させる。
なるほど、と私は微笑みながら納得する。この力ならあの両親をすら懐柔させるのだろうな、と。
千年前の龍神戦争の折、天狐族は共鳴の祝福を持って、相争う様々な種族をまとめ上げたそうだ。その中にはエルフ族、つまり私の両親も含まれていた。
当時、邪龍の姦計で、他種族間の恨みと混乱は極限まで高まっていた。殺し合いに発展するほどに。
そんな中、心に直接感情を叩き込み、互いの気持ちを一つにできるこの力は確かに効果的であっただろう。
ともに戦おう、世界を救おうと先頭に立った天狐族の二心無き高潔な心に、臆病で森から決して出ようとしなかった私の親たちも森を出、ともに戦った。あの親たちが外に出るほどなのだから、その凄さがわかる。
その後、邪龍を封印した他種族間で、一つの国を作ることになった時、その中心に天狐族がいたのは必然であっただろう。
この力はあまりに強く、そして危険だ。この可愛らしい二匹が成長し、力を正しく使えるようになるまで、しっかり見守らねばならない。
ゆっくりと時が流れる。鳥のさえずり。木々のざわめき。そして、子狐たちの気持ちよさそうな寝息。
「ふふ、これが、幸せというものなのでしょうね」
私はカーペットの床に腰を下ろし、優しく二匹を撫で続ける。
思い出すのは先ほどの食事風景。しっぽをブンブン振り、全身で美味しいと表現しながら私が用意した食事を食べるアレンと、一口食べた後、金の髭としっぽをピンと逆立てるミラン。
今日の食事には栄養豊富なピーマンとキャロットを密かに混ぜたのだが、その苦味にミランは気付き、拒否反応を示したのだ。
ちょっと量を多くし過ぎたか。私は内心で失敗を悔い、さて、どうやって食べさせるか、と考える。
が、その思考は杞憂に終わる。
アレンの、美味しいー、という感情が私とミランに伝わってきたから。
ミランは、本当に美味しそうに、そして楽しそうに食事をするアレンをじっと見つめる。そして、お皿を見て、ちょっと躊躇しつつも、恐る恐る口を付ける。
ペロッと一舐め、味を確認。それから、もう一舐め。
そして、気が付けば、二匹並んで一生懸命ご飯を食べる仲良し兄妹の姿が。
鈍感なお兄ちゃんとそのお兄ちゃんが大好きな妹。ふふ、本当にいい兄妹だわ。
アレンのくしゃみで私は物思いから覚める。
「あら、いけないいけない」
どうやら少し寒かったようだ。アレンが震えながら、くしゅっとくしゃみを繰り返し、鼻水を垂らしている。
ハンカチで鼻水を拭き、それから、私の祝福である癒しを発動しゆっくりとアレンのことを撫でる。
アレンの顔が綻ぶのを確認し、ほっと一息つく。
毛布を持ってこなくちゃ、と私は立ち上がり、そこで動きを止める。
毛布を咥えた狐がすぐ後ろにいた。
金色の美しい毛並み、大きな、それでいてスラリとした体躯。青い宝石のような瞳。その瞳はとても優し気に細められている。
「ありがとうございます。エリス様」
私は二匹の母であるエリスに礼を言い、毛布を受け取る。
「気にしないで」
エリスの回答が直接私の頭に響く。テレパシーでの会話。
武骨な、そして凛としたエリスの声。私は昔からそれが好きであった。お互いあまり口が達者ではなかったので、二言三言の短い会話ばかりであった。だけど、私はその時をいつも心待ちにしていたものだ。
虚栄と汚濁に塗れた甘言ばかりが飛び交う王宮において、エリスだけが私を叱り、諭し、導いてくれた。
エリスを追って戦場に向かい、そこで色々な経験をした。本当に苦しい戦いの連続。多くの仲間が死んでいった。
人間にしては見どころのある勇者と共に魔王と戦った。追い詰められた魔王の最後の自爆魔法。私は死を覚悟した。けれど、勇者が命を賭してその攻撃を防いだ。
いったい勇者のどこにそれほどの力が残っていたのか。私は彼に感謝しながら謝罪した。人間だと心のどこかで侮っていたことに。
勇者の死に、泣き崩れるエリス。勇者とエリスが想い合っていたことを私はその時初めて知った。しかも、エリスが勇者の子を身籠っていたなど、想像できるわけがない。
勇者はエリスとお腹の中の子を守る為に、持てる以上の力を出したのだろう。
私はそっと毛布を二匹の上にかける。エリスが二匹の横に座り、その体躯を丸める。
幸せそうに子供たちを見つめるエリス。それを見て私も嬉しくなる。
勇者よ。そなたは確かに勇敢で、強靭な精神の持ち主であった。私はそなたに敬意を払う。そなたの子は私が必ず守ってやる。だから、安心して神の御許で眠れ。
私は狐の家族を見つめ、心の中で決意を新たにする。そんな私に、エリスから声がかかる。
「サリーもいらっしゃい」
「は?」
「たまには皆でお昼寝も悪くないわよ」
「いえ、私は」
「いいから、ほら」
しばしの押し問答。とはいえ私はエリスのお願いを断れた試しはない。結局私はエリスの隣で横になることになった。もぞもぞとアレンがくっついてくる。アレンを追ってミランも。
三匹のふさふさの毛に包まれ、温かな鼓動を感じながら、私はいつの間にか眠りについていた。
「あなたたちはあなたたちの想うままに生きればいいのよ」
ただ幸せになってもらいたい。辛いことも、危険なこともなく過ごしてもらいたい。そう心の底から私は願う。
世界はこんなにも温かく幸せでいっぱいなのだから。