01 「キツネ、産まれる」
僕はここしばらく微睡の中にいる。目の前はいつも真っ暗で、ここがどこだか分からない。
けれど怖さはなかった。
トクトクと鳴る優しい音。温かくとても安らぐ空間で、ただただ眠る日々を過ごす。
僕は誰だったろうか。名前が思い出せない。何か大切な約束があった気がするんだけれど。
うん、何も思い出せない。
ああ、それは本当に大切なことであったはずなのに!
記憶は僕の手のひらから、はらはらとこぼれ落ちていくばかりで、一匙すら残ってくれない。
記憶の忘却こそは人に与えられた唯一の救いだ、とは誰の言葉であったろうか。忘れゆく罪悪感すら忘れ、僕は安寧を手に入れてしまう。
ふわぁ~! ……うんまぁ、一眠りしてから思い出せばいいか。
とりあえず、おやすみなさい。
そう呟き僕は眠りにつく。
※※※※
世界が崩壊した。寒い。息が出来ない。眩しい。ここはどこだ。地獄か。いや、そんなことより息をすることだ。死んでしまう。
顔を温かい何かで何度も拭われる。そんなことより息だ。
衝撃。ゲホゲホと口から何かが出ていく。この異物が呼吸の邪魔をしていたのか。僕は涙目になりながら、助かったと叫ぶ。
「くぅーん」
動物の鳴き声がどこからか聞こえてきた。いや、今はそんなことどうでもいい。
助かった。おぼれ死ぬところだった。
ふぅ~。
いつの間にか何かモフモフするものに身体を包まれ、寒さもなくなっていた。
あぁ、なんだか、安心したら眠くなってきた。
眩しいだけで何も見えないけど、それはあとで考えよう。
おやすみなさい、と一言呟き目を瞑る。
※※※※
てーへんだ! てーへんだ!
僕は驚愕の事実に驚きの声を上げる。
「くぅ~ん」
どうやら僕は赤ちゃんになってしまったらしいのだ。それも動物、おそらく犬である。
これが驚かずにいられようか! いな!
「くぅ~ん」
うん、言葉が全部鳴き声になる。なんてこった。今までどこからか聞こえてくると思っていた動物の鳴き声。それは僕自身が鳴いていたものだったんだ。
あと、隣からも鳴き声が聞こえてくるので、兄弟がいるらしい。時々、めっちゃいいパンチが飛んできて痛い。止めてぇ、と言う抗議の声も、くぅ~ん、になってしまう。
……輪廻転生という奴だろうか。人間から畜生へ転生。ということは、前世の僕は悪人……あまりいい奴ではなかったのかもしれない。
ま、まぁ、前世のことはまったく思い出せないことだし、あんまり考えないことにしよう。うん、過去はリセットだ。今生を真面目に生きようではないか!
前向き前向き。
よし、不思議も解決したことだし、安心して乳を飲もう。僕は本能にしたがい、隣の兄弟と一緒にお母さんの乳を飲む。
うん、マズくない。
……うまくもないけどね。