4.カルノーサ王の日常茶飯事的な午後
「お帰りなさいませ」
城に戻った途端、氷のような声に迎えられ、カルノーサ王は苦笑した。
「えらくご機嫌ななめだな、ルファー」
「えぇ、えぇ、誰かさんがこう毎日いなくなってしまうようでは、私の大臣生命もあやしいですからねえ」
黒衣につつまれた男が、ため息をつく。
旅装束を脱ぎ始める王。手伝おうとする侍女を下がらせた。
「また年寄から文句を言われたのか?」
「そんなことは私が大臣になって以来ずっとです」
さすがの王も神妙な態度になった。
「いつも苦労をかけてすまない」
「ならせめて、行き先くらい知らせてくださいよ」
「違うだろ~、ルファー。『それは言わない約束でしょ』って言ってくれなきゃ~」
「カルノーサ様………」
(また騙された)
ため息をつくルファー。
室内着になった王はルファーを執務室へと引っ張っていく。
「そんなことより話したいことがあるんだ」
「なんですか? あ、また新しい噂を聞いたんでしょう? 『カルノーサ王には三人の隠し子が!』ですか?」
「それはまだだ」
視線を彷徨わせるカルノーサ王。
「……しかし三人か。微妙な数字だな………」
「その顔は……心当たりがあるんですね?」
「もしかすると……って何を言わせるんだよ!」
「まだ何も言っていませんよ」
王は執務室の自分の敷物に腰をおろした。ルファーも向かいに座る。
「だから、そうじゃなくて……おまえと初めて会ったときのこと、覚えているか?」
「もちろんです。あの時のことは忘れられませんよ」
「その後、小さな女の子に会っただろう?」
少し考えてルファー。
「……私たちを精霊と勘違いした?」
「そうそう。あの子が誰かやっとわかったぞ!」
「えええ! ついに見つけたんですか? さすが……国中の女性に聞いてまわるだけではあきたらず、他国まで遠征に出かけた実績を持つ、しつこさなら負けないカルノーサ様だけはありますね!」
「……今のは長かったな」
「ちょっと語呂も悪かったですね」
「あー……なんの話だったかな? あ、そうそう、その女の子なんだけど、アフェランドラ王国の王女、エクメアファッシアータ姫だったんだよ! どうりで見つからないはずだよなぁ」
「………」
「もう一回言おうか? エクメアファッシア……」
「一度聞けばわかりますよ! そうじゃなくて……アフェランドラの姫君と言えば、確か今年十四歳だったはず。出会ったのは八年前……。おかしくありませんか? 彼女が言っていたじゃないですか。母親は最近部屋に閉じこもっていて遊んでくれないって。母親をオブッシフォーリア様だと考えると、亡くなったのは九年前で、計算が合いませんよ」
「妙だな」
考え込むカルノーサ王。
(黙っていれば王らしいのにねぇ)
視線に気づきカルノーサ王が顔を上げた。
「なんだ?」
「いえ。あ、そうそう、私のほうこそ聞きたかったのですが、アフェランドラ王の望みはなんだったのですか?」
「そこだよ! あの女の子は精霊を呼ぶ声を聞いていただろう? 計算が合わないのはひとまずおいといて、来年、エクメアファッシアータ姫は十五歳なんだ」
「なるほど。では、アフェランドラ王の望みは」
「姫を守ることだろう」
「姫を守ることですね」
うーん、とカルノーサ王がうなる。
「ただ、わからないのは、姫が十歳の時に無事だった理由だ」
「カルノーサ様だって無事だったじゃないですか」
「十五歳の時はおまえがいたからな。でも十歳の時は、確かに私は無事だったけれど、代わりに……」
「なら、姫の代わりに誰か……そうか! 大臣ですよ! カシワバ大臣が、ちょうどその頃亡くなったと言われていました!」
「よし! つながってきたな! 姫を守るために魔法の力が欲しいアフェランドラ王、それをそそのかすドラセナ大臣……。しかしこいつの真意がわからない。助けたのが前の大臣だとすると、親子なのに」
「この大陸の人は魔法など頼らなくても、立派に暮らしています。それでも魔法をすすめるのは、やはり東の大陸がらみかと」
ルファーは黙った。表情は顔をも覆う黒衣のせいでわからない。
(まぁた暗い顔してるんだろうなぁ)
「みんな魔法を誤解しているよな。だいたい『魔法』って聞いて『なんでもできる』って思うのはおかしいよ!」
「カルノーサ様ですね」
ぐっと言葉につまるカルノーサ王。
「確かに初めはそう思っていたさ! でも、実際はどうだ? 全然使えないじゃないか!」
「おや、これは心外ですね。毎度まいど、どこに行ったかわからぬカルノーサ様を呼び戻すのに重宝しておりますよ?」
「それがしょぼいんだって。しかも一日一回限定って……」
「なに言ってるんですか! これぞ平和的活用法、『魔法の正しい使い方』ですよ」
大きすぎる力はためにならないと、ルファーは身をもって知っているのだ。
「ま、とりあえずドラセナのこともあるし、これからちょくちょくアフェランドラ王国に行くつもりだ」
「行く前には一声かけて下さいよ。……年寄が変な噂を流しているのも、本当はカルノーサ様から言葉が欲しいからですよ」
カルノーサ王はばつが悪そうな顔になった。
「……委員会は順調か?」
「はい。若者も年寄と変わらなくなってきました」
「それは嬉しいね。これが大陸会議の資料だ。委員会に渡してくれ」
分厚い資料をルファーは受け取った。
本来ならこれは王と大臣が読むものだ。
ルファーは今一度聞いてみた。
「カルノーサ様……考えは変わらないのですか?」
「もちろん! そのために長い間計画してきたのだからな!」
(八年前のあの日からずっと……)
と、カルノーサ王は立ち上がった。
「髪染めるの手伝ってくれ」
「いつもより早くないですか?」
と言いつつ立ち上がるルファー。
「アフェランドラ王国に何度も行くのだから、念には念を入れようというものさ。特に姫には一度会っているからなぁ」
「なるほどね。……しかしカルノーサ様、そろそろ一人で染められるでしょう」
城の敷地内にある小さな温泉にカルノーサ王とルファーは出かけた。
入り組んだ岩場にある、カルノーサ王の秘密の場所だ。
「おまえは入らないのか?」
「おそれおおくも陛下と一緒には入れませんよ」
「心にもないことを」
「わかります?」
どーせ、とお湯に深々と入るカルノーサ王。
その頭を引き上げ岩の上に載せると、ルファーは薬草を煮出した汁をかける。
「どのみち、温泉での私の役目は髪を染めることなんですから。いいですか? 充分に濡らした髪の毛にこの汁を……」
「聞ーこーえーなーいー」
両手で耳をふさぐカルノーサ王。
「覚える気ナシですか。はぁまったく……」
当然、とばかりにカルノーサ王は言った。
「ずっとおまえが染めてくれるだろ?」
「……どうですかね。私個人的には、染めない髪の方が好きですから」
「そりゃ私だってそうさ。誰が好き好んでこんなめんどくさいこと」
(染めているのは私ですけどね)
汁をかけながら心の中でつっこむルファー。
「仕方ない。この大陸での髪の色は黒。これは絶対なんだから。民に不安を与えたり、他国に隙を与えたりすることを考えれば、な」
「しかしめずらしいのではないですか? アフェランドラ王にしてもそうですが、精霊と結婚など」
「いや、昔はそうでもなかったらしい。精霊の話が多く残っているだけあって、もっと身近にたくさんいたとか。昔話には精霊と結婚した話がごろごろしているよ」
「私は一度も見ていませんけどねぇ」
ここここ、とカルノーサ王が自分を指す。
「ここにいるじゃないか!」
「……そうでしたね」
気のない返事にカルノーサ王は振り返った。
「あ、まだ……」
「ここでもかけ布をとらないのか?」
ルファーの顔を覆っている布に手を伸ばすカルノーサ王。
その手をかわすルファー。
「万が一を考えると、とてもね」
「ここには誰も来ない」
「言い切れませんよ。それこそ民の不安をかいます」
ルファーが顔を隠しているのは、寿命が違うため歳のとりかたが違う身体を隠すためだった。
白髪に若い顔ではすぐに東の大陸人とわかる。
残念そうなカルノーサ王。
「私はおまえの顔が気に入っているのに」
「どうでもいいですけど、身体も染めるつもりですか?」
カルノーサ王の髪からしたたり落ちる薬草の汁は、幾筋も身体に黒い縞を作っていた。
「~~~~」
慌ててお湯につかるカルノーサ王。
かけ布の向こうでルファーは微笑んでいた。