7.大陸会議~カルノーサ王国~
「慌ただしいな……」
執務室にいながらも、城がいつもよりざわざわしているのがわかる。
窓から見える外の警護たちも数が多い。
ぺろりと上唇をなめると、カルノーサ王は大きな窓の覆い布をつかんだ。そうして、勢いをつけると窓から飛んだ。王の執務室は三階にあるのだが、近くに大木がはえている。大木に飛び移った王は、慣れた手つき足つきでするすると地上におりた。
さっそく物陰で高価な布を何枚も脱ぎ捨て、さっぱりとした白い服になる。頭に巻いていた布と、大きな緑石の国宝玉もとる。
この大陸ではめずらしい少し明るめの髪も、洗いざらしの布で包み込めば、王はもうただの村人にしか見えなかった。
「うん」
軽く跳ねて帯の具合を確かめる。腰には短剣を差しているが、使うことはまずなかった。柄の部分に王の証である国宝玉をはめ込む。
「あとは……っと」
脱ぎ捨てた服をくるくるっとまるめて岩影に隠し、歩きだそうとしてくるりときびすを返した。
「金!」
ひそかに貯めた小金を取りに、ラーウラ神を祭ってある祠へ向かった。
カルノーサ王国はこの大陸では珍しく神を祭っているのだ。前カルノーサ王が王国を作った時からの信仰で、家に神棚を作ることがカルノーサ王国民になるための絶対条件だ。
毎朝くみたての水を捧げ、各家庭の敷地内に少しの緑を絶やさないこと。
それで砂漠の内陸部にいながら水の恩恵を受けられるのだから、民は喜んでラーウラ神を信仰していた。
祠は、入り組んだ岩場の奥、泉の中心にある。知らない者なら迷ってしまいそうな岩場を、王は迷わず歩を進める。ほどなく現れた泉の飛び石の向こうに、蔦のからまる大きな岩があった。
たれさがる蔦をかきわけて、岩の真ん中よりやや下の方に手を入れる。抜き出した手には袋が握られていた。帯にくくりつけると、今度は町に向かって岩場を抜けた。
黄昏にもなっていないこの刻が、一日で最高に暑い。
まるで自分の分身のように濃い影が砂に落ちる。
砂は光も熱も反射して、かけ布を目深にしないと目も開けられない。
市場の準備を始めようか、と少しずつ人が増えてきている道を抜け、王は裏通りへ入った。
裏通りは建物と建物の間でずっと影だった分、気温がぐっと下がる。
目が慣れてくると、気の早い店から香が漂っているのが見えた。
古ぼかしい建物の前で一息つくと、王はゆっくりと扉に手をかけた。『マルギナータ』と書かれた看板が揺れる。カラン、と扉についている鐘がなった。
「まだ開店じゃないよ!」
部屋は明かりがついてなくて、路地よりも薄暗い。はっきりとは見えないが、王には声の主が誰かわかっていた。
「私だよ、ルー」
「カーサ? どうしたの? 今日はえらく早いじゃないの」
目の前に王の見知った姿が近づいてきた。
大きな瞳の下にある小さなホクロが色っぽい。大きな口、とんがった鼻。黒髪は気ままに波うち、その毛先に露になる胸元は大きく、あくまで白い。つくりは豪快だが決して不美人ではないマルギナータは、しっとりとした声で言った。
「ここで飲むの? 上に行く?」
「上に行く」
王はいつものように二階に上がると、マルギナータを抱きしめた。
「会いたかった」
「あたしもよ」
二人は軽く唇を合わすと、寝床に倒れ込んだ。そのまま深く口づける。
やがて王が起きあがると、マルギナータが前に座り込んだ。すっぽりと、後ろから包み込むように王は腕をまわした。大柄なマルギナータが小さく見える。
「……今日は大陸会議なんだ」
「……」
「カルノーサの踏ん張り時だ」
「……」
いつもと違う王にマルギナータは気づいていた。しかし何も言わず、ただ黙って王の独り言のような言葉を聞いていた。
やがて暑いだけだった空気に、少しずつ冷気が混ざってきた。
空はきっと鮮やかに色を変えているだろう。
「……じゃ、行くよ」
「がんばっておいで」
鼻がぶつかる距離で見つめ合うと、マルギナータは頬に祝福を約束してくれた。
王は立ち上がり、店を出た。
黄昏の刻、開き始めた店でリーヤを借りる。
城に向かう王は、いつになく真剣な顔だった。
「お帰りなさいませ。お急ぎください。皆、もうそろっております」
ルファーの声が珍しく少し焦っている。
早めに戻ったつもりだったが、どうやら好奇心旺盛な客はもっと早くに来てしまったらしい。
侍女に手伝ってもらいながら服を着替える王の側に、王国運営委員会の一人、一番若いピクタが膝をついた。
「水は?」
「お出ししております!」
「風は?」
「送っております!」
「そうだ、外に小さな灯りをいくつも置いてくれ」
「はっ」
ピクタが去っていくと、ルファーが口を開いた。
「なぜ灯りを?」
「会議を開く『ラーウラの間』からは水が見えるだろう? 水面に揺れる灯りがあると、カラテアのように美しいかと思ったんだ」
「なるほど」
王の言葉を伝えたピクタを含む若者たちは、小さな灯りを手に、外へと出た。
薄暗い中灯りを置いていく途中で、若者たちは王の意図に気づいた。
美しく見えるよう、間を空けて灯りを置くと、ラーウラの間から歓声が聞こえた。
「おぉ!」
「なんと美しい!」
「しかし驚きましたな。本当にこんなに水があるとは」
つきることなく出される水を飲みながらカポック。
アレカヤも目を丸くしてつぶやいた。
「ほんに。誰も望まなかった土地が、ここまで変わるとは」
「大きな声では言えぬが、このままではアフェランドラ王国よりもカルノーサ王国の方が、先が明るいかもしれませんな」
「しぃっ。めったなことを申すでない、カポックの」
アレカヤの目の先に、アフェランドラ王がいた。
アフェランドラ王は放心したように、この光景を眺めていた。
(なんと、水や緑がこんなに。これが魔法なのか? ならば姫もきっと助かるはずじゃ!)
「カルノーサ様のおなりです!」
伝令の声に、皆、顔を向けた。
そこには緑色の豪華な正装をまとった、カルノーサ王が立っていた。
「お待たせいたしました」
カルノーサ王がアフェランドラ王の隣の席に向かうその後ろに、王国運営委員会の十人が続く。皆、不思議と声を出せず、カルノーサ王を目で追った。
ゆったりと座ると、カルノーサ王は略式の礼をした。
「我がカルノーサへようこそおいでくださいました。現実のカルノーサは、皆様のご要望にかないましたか? カルノーサに対して質問がありましたら、なんなりとお聞きください」
すぐには誰も口を開けなかった。
「カルノーサの」
カポックがたまらず声を出した。
「こんなにここに水があるのは、なぜだ? ここは私も昔通ったことがあるが、ただ岩場と砂しかなかったはず。それなのに、なぜこんなに変わったのだ? もしや、東の大陸にあるという魔法の力で?」
ざわめきが広がった。
皆、カルノーサ王の答えを待った。
「少し実験してみましょう」
楽しそうにカルノーサ王が言ったのは、答えではなかった。
「誰か、キーリアをここに!」
さらにざわめきが高まる。
「キーリアじゃと?」
「猛毒のキーリアか?」
「まさか」
一人の侍女が小さな杯を盆に乗せ、カルノーサ王の前に進み出た。
うやうやしく受け取ると、カルノーサ王はにっこり笑って言った。
「さぁカポック殿」
杯を差し出されたカポック。
「え?」
「私が魔法をかけます。………はい! これで毒は消え、ただの水になったはずです」
カポックは杯を受け取り中を見た。
(ただの水……にも見えるが、キーリアはもともと水に溶けて見えぬもの。これは本当にただの水になったのか? 魔法で?)
杯を手に固まったカポック。それを楽しげに見るカルノーサ王。
皆は黙って、カポックがどうするのか見つめている。
「…………す、すみません。私は、この杯を受けることができません!」
思い詰めた声で杯を返したカポック。
(魔法なんて本当にあるのかわからぬのに、こんなことで死にたくない!)
返された杯をカルノーサ王は一息に飲んだ。
カポックも皆も息を飲む中、カルノーサ王はけろりと言った。
「大丈夫ですよ。初めからこれは、キーリアなど入っていないただの水だったのです」
「ただの水?」
「そうです。でも、先程は誰もがここにキーリアが入っていると思ったでしょう? つまりそれこそが、魔法のようなものなのです。我が父カルノーサはここに泉を見つけました。それから泉を枯らさぬよう、ラーウラ神を祭り、民の心にいつでも泉に感謝するようにしたのです。その結果、ここでは水も緑も豊かになった」
「それはつまり……」
「ええ。カルノーサに水が豊富なのは、魔法の力ではなく、カルノーサの民の力です。皆様も納得していただけましたか?」
なごやかな空気が流れた。
「そうか。そう、そうだな。魔法なんて、この大陸にはありえない。邪神も噂に過ぎなかったんだ」
「そうじゃ。魔法などあるわけがない」
「なるほど、わしらは噂に踊らされておったのか」
「先のカルノーサ殿は運がいい。この大陸で泉は何よりも貴重なもの」
(ただの水? 魔法ではないのか)
落胆するアフェランドラ王の目に、盆を持っていた侍女の姿が入った。侍女は心配そうにカルノーサ王を見つめている。
(なんじゃ?)
先程の杯はまだ置いてあった。杯には飾りに金属がつけられている。その金属の一部が、あからさまに変色していた。
「!」
(本当にキーリアが入っておった? いや今ただの水だと。しかし王の命令に侍女が初めからただの水を持ってくるじゃろうか?)
混乱するアフェランドラ王に、カルノーサ王がにやりと笑った。
(そうか。本当は魔法なのじゃな)
「さて、他に質問がなければ会議を始めますが」
もう誰も何も言わなかった。
「では、皆様、お手元の希望価格表をご覧下さい。もう一つの表は、先にすべての価格を合わせてみたものです。今回、一から合わせるのではなくて、先に合わせたものから都合の悪いもののみを合わせていこうと思い、この表を作りました」
「このような面倒なことを先に?」
「これはカルノーサ殿がお作りに?」
「いいえ。我が王国運営委員会の皆に作ってもらいました」
後ろに控えていた王国運営委員会の面々が礼をする。
「私と委員会がそれぞれ補い合ってこの王国を支えているのです。委員会の一人が私や大臣の代理をすることもできるでしょう。それほど私は委員会を信頼しています」
カルノーサ王の言葉を一番嬉しく思ったのは年寄たちだった。
(ワシたちを軽んじていたわけではなかったのじゃな)
年寄たちは、若き王を心から支えることを決心した。
「では、委員会が皆さまの意見を受けます。出そろいましたら、合わせ直しを行いましょう」
委員会は皆の所へ行き、価格に対しての質問や、都合の有無を聞いてまわる。
カルノーサ王はそっとその場を離れた。
「カルノーサ様! 早く水を飲んでください!」
ルファーが大きな杯になみなみと水をついで渡した。
「わかっている…………っは―――。ちょっとキツかったかなぁ」
一息に飲んだカルノーサ王にまた水を注ぎながら、ルファーは怒っていた。
「当たり前です! いきなりこんなことするなんて……普通なら死にますよ? まったく。もしもカポック様が飲んでいたらどうしたんですか!」
「それこそおまえの魔法でちょちょいと」
「カルノーサ様!」
にらむルファーにカルノーサ王は笑った。
「カポックなら絶対大丈夫だと思ったんだよ。よし、そろそろ吐こう」
指を口につっこんで吐くカルノーサ王の姿に、ルファーはため息をついた。
優秀な王国運営委員会のおかげで、カルノーサ王が広間に戻る頃にはすっかり価格は決まっていた。
「では、長い夜を存分に楽しんでください!」
カルノーサ王の言葉に、侍女が食べ物と飲み物を運んできた。
緑や水があるせいか、他の土地ほど冷え込まない。それでもいくつかの火鉢が置かれ、広間は即席宴会場となった。
「こんなに早く会議が終わるとは」
「嬉しいものですなぁ」
広間にあふれんばかりに運ばれた食物や飲み物を手に、王たちは談笑に花を咲かせていた。
「アフェランドラ様」
委員会の皆に王たちの相手を任せて、カルノーサ王はアフェランドラ王に近づいた。
アフェランドラ王はにこにこ顔で迎えた。
「カルノーサの! すばらしい会議でしたな。……魔法にも驚きましたぞ」
「ありがとうございます。ところでアフェランドラ様、例のことでございますが、実は一つ必要な物が」
「なんじゃ?」
「大きな壺がいるのです」
「大きな壺?」
「そう。それはこちらから持ってまいります。真ん中にこの壺を置く、それが重要なのです」
「よし、わかった。絵の方の手直しをしておこう」
「お願いします。それさえあれば成功したも同然です。お任せ下さい! ……そして、約束、守ってくださいよ?」
「もちろん。成功すれば、王国と姫はそちのものじゃ!」
カルノーサ王は他に挨拶する風を装って、部屋を出た。どうせ夜明けまで宴会なので、いなくても誰も気づかない。
執務室にはルファーが待っていた。
「どうでした?」
「陣を描き直すって。しかしわざわざこっちから壺を持って行かなくても」
「そこが重要なのです。さ、復習しますよ?」
「はいはい。私は壺と姫の前で香炉を掲げ持つ」
「この時の注意点は?」
「絶対に陣の中に入ってはいけない」
「そう。呪文が始まれば、陣の中は特別な場所になります。あなたも精霊の力があるので、ヘタに入ると姫の力と混ざってしまいますからね」
「で、大げさに言うんだよな。『今こそ姿を現せ、精霊の血を引きし者よ……』」
カルノーサ王は東の大陸の言葉を唱えだした。




