彼の言動について
飲み会の当日、僕はバイトが終わってからトールと合流し、友人たちの待つお店へと向かいました。
トールに先に行ってもらってもよかったのですが、彼らが切り替わるのは飲み会開始時刻の八時で、切り替わる瞬間に誰かがいては大変です。一気にテンションの高さが変わってしまうのですから。そしてケイナにトールの真似ができるとは思えません。
かといって、理由もなく飲み会に遅れるわけにもいかないので、友人たちには“場所がわからないから”と嘘をつきました。
「大学まで来てくれれば、案内するよ?」
そう言ってくれる友人もいたのですが、
「トールはああ見えて人見知りだからね、竜馬がいないと不安なんだよ」
というケイナの説明で納得したようです。
もちろん、トールが人見知りということはないのですが、話を合わせるためでしょう。お店でもトールは僕の隣に座っていました。やはりこういうところはケイナと違い安心できます。
ケイナ目当てで飲み会を開いた友樹は僕達が行ったときにはすでにできあがっていて、トールの姿を見るなり、ふらふらと近づいてきました。
「……なぁ、ケイさんって彼氏とかいんのか?」
「いや、いない」
「好きな人は?」
「いるならもう少しおしとやかに行動しろって思うけど」
トールの頭がわずかに傾きました。しかし、友樹は気づかずに話を続けます。
「いやいや、ケイさんはあれがいいんだよ。自分を飾ったり媚び売ったりしないところがさぁ」
恋は盲目。あばたもえくぼ。
物事には限度があります――と思っていたら、トールがさりげなく右耳を押さえました。そんなことをしても頭の中で聞こえる声が小さくなるわけではないと思いますが、やらずにいられなかったのでしょう。きっとケイナが友樹の言葉で調子に乗っているのです。
「……そんなにケイがいいのか?」
ややうんざりしながらトールが訊くと、友樹は秘めるつもりもなさそうだった想いの丈を思いきりぶつけてきました。トールに。
「いや、もう、ケイさんは俺の理想そのものなんだよ。見た瞬間、びびっと来てさぁ。俺にとっては天使とか女神とか、そういう存在? そこにいるだけで幸せになれるんだよ」
お酒が入っているからでしょうか。はたで聞いているだけで恥ずかしくなるような台詞が次々に出てきました。おそらくは頭の中でどんどん調子に乗っていくケイナの声も聞いているであろうトールの顔は、先ほどよりもうんざり感が増しています。
「……理解はさっぱりできんが、伝えておくよ」
「え!? いやいや、本人には黙っててよ。明日からどんな顔して会えばいいのかわかんないじゃん」
酔っ払っている友樹にも一応、羞恥心は残っていたようです。時すでに遅し、なのですが。
「心配するな」
すでにケイナに筒抜けだからでしょうか。トールがそう言いました。
飲み会、と言ってもトールはずっとウーロン茶を飲んでいましたし、僕も付き合いで一杯飲んだだけであとはソフトドリンクを頼んでいました。アルコールにあまり魅力を感じない上に、炭酸というやつが苦手なのです。
でも、飲み会自体が嫌いなわけではありません。
アルコールの力を借りてかもしれませんが、皆さんが楽しく盛り上がっているのを見るのはとても好きです。その場に参加させていただいている自分はとても幸せだとも思います。
飲み放題の代金は泣きたくなるほど痛いのですが。
「あんたは飲まねぇの?」
友樹から開放されたトールがやってきました。
「トールだって飲んでないじゃないですか」
そう返すと、トールが声量を落としてこう言いました。
「仕事中だからな」
「……仕事?」
どういうことでしょう。
聞き返しましたが、トールは意味深な笑みを浮かべるだけで答えてくれそうにありません。
「んなことよりさ。あんた今、幸せか?」
「………………は?」
なにをいきなり突拍子もないことを。酔っ払っているならまだ理解できますが、素面です。飲んでいたのはすべてウーロン茶です。
「幸せですが……」
わけがわからないながらに答えると、トールは微笑みを浮かべながら「そうか」と言いました。
「なら、いい」
質問の真意がわからず、また訊いていいのかもわからず、僕らの間に小さな沈黙が落ちました。カラリ、とトールがグラスの氷を踊らせる音が聞こえます。
静かな声で、トールはまた別の質問を僕に向けました。
「みんな、大学に入ってから出会ったのか?」
「はい。僕は大学に入る前は別の所にいたので」
まったく知り合いがいないときに、声をかけてくれたのが友樹でした。なにかの講義で隣に座った、ただそれだけの縁。
それを切ることなく続けてもらえていること。
友樹が見つけた他の縁とも繋げてもらえたこと。
実はとても感謝しています。
だから友樹がケイナを好きならうまくいって欲しい気もなくはないのですが――こればっかりはどうしようもありません。
ケイナの眼中に友樹がまったく入っていないこともありますが、それ以前に、ケイナはこの世界の人間ではないのです。いずれは自分たちの世界に帰るのです。
(そういえば……)
“そのうち教えてやるよ。そうだな……あと、一週間ってとこか”
トールがそう言ってから、そろそろ一週間が経ちます。
(もしかして――)
「なぁなぁ、なんで竜馬はトール相手だと敬語になるんだぁ?」
ふとよぎった予感は、友人たちの声によって形になる前にかき消されました。
「あ、覚えてねぇ? こいつ、はじめは俺たちにも敬語だったぜ?」
「そうそう。タメだっつーの」
「タメ口に直すのに一ヶ月くらいかかったよなぁ?」
「一ヶ月だったか? もっとかかってなかったか?」
「俺、敬語キャラがリアルでいるのかと思ったぜ」
「あ、俺も、俺も」
「でもさぁ、敬語キャラって言ったら、もっとこう、シュッとして眼鏡かけてお嬢様に仕えているような――」
「執事だろ、それ」
「そう、それ。しつじ」
テンションがマックスにまで上がった男が四人も集まると、女性三人並みの威力があるようです。執事をやっている方が皆さん眼鏡をかけているわけではありませんとツッコむ隙間すらありません。
「あ、じゃあ、ケイナさんって、お嬢様?」
「あーなるほど。だから敬語なんだ」
「お嬢様の兄妹ならお坊っちゃまだもんなぁ」
「でも、竜馬が仕えてるって無理なくね?」
いえ、その前段階のほうが無理だと誰か気づいてください。どこのお嬢様が購買のシュークリームに目を輝かせて、口の周りをクリームでベタベタにしながらほおばるんですか。
「…………なんか、手のつけられなさ加減がケイに似てんな」
隣でトールがぽつりと呟きました。もちろんすぐに顔が傾きましたが――なるほど。ケイナはデフォルトで酔っ払っているんですね。
「敬語は、やめたほうがいいですか?」
ふと思って訊くと、トールは「いや?」と首を振りました。
「あんたはそっちが基本だろ?」
当然のように言われ、すとんとなにかが落ちるのを感じました。
(あぁ、そうだ)
ケイナもトールも、僕の言葉についてなにも言いませんでした。当然のように受け止め、当然のように返してくれて、だから僕も、気にせずにいられたのです。
だからきっと、僕は迷惑に思いながらもこの人たちの滞在を許しているのでしょう。友人たちにも気を遣う部分に、気を遣わなくていいから。ほとんど素のままでいられるから。
「まぁ、あの人たちは敬語で話されると壁があるように思っちゃうんだよ。悪気があるわけじゃない」
友人たちのフォローなのか、僕への慰めなのか。隣からそんな言葉が聞こえてきました。
「ええ、わかってます」
「――って、ケイが言ってたぞ」
「え!? ケイさんにそんな気遣いができたんですか!?」
思わず返すと、やはりトールの顔が傾きました。
でも確かに、先ほどの口調はケイナのものに近かった気がします。だとすると、本当なのでしょう。
「ありがとうございます。――ケイさんも、トールも」
照れ隠しなのか、ふん、と横を向かれました。