3-キタン
あれがなんだったのか、あの男の子はなんなのか、俺にはさっぱり分からない。
それは大人たちもそうだったようで、真斗がどうしてあんなことをしたのかは説明されなかった。
教えてくれたのは、真斗が無事だったこと、いくつかの検査を受けてから退院するということくらい。
同じ部屋だった俺と幹也と雄大は一番最初にお見舞いに行くことになった。
真斗はあの時のことを覚えていなかった。
寝て起きたら病院にいて、そのことの方にひどく混乱したらしい。
ともあれ記憶がないからなのか俺たちよりもすっきりした表情をしていた。
あれから妙な奇行をすることもなく、退院したら遊びに行く約束もした。
きっと真斗があんなことをすることは、もうないだろう。
なぜなら、ここにいるから。
俺は歯を寝る前の歯磨きをしている最中に、背後から視線を感じた。
ちらりと鏡越しに背後を見る。
──いる。
俺の肩に顎を乗せるように、白い顔の男の子が、あの笑顔で俺を見ている。
これだけじゃない。
風呂に入っている時。
布団で寝ている時。
窓から。
天井から。
襖の隙間から。
電柱の影から、本棚の隙間から、タンスの横から、仏壇の横から、草むらの間から、木の洞から──
気が狂いそうだった。
気づかなければマシだったのだろう。
だけど俺は気づく。
気づいてしまう。
視線を感じるから。
アレが俺を見る度に、その度に俺は気づいて、見てしまう。
不気味に、楽しそうに、嬉しそうに笑う、その顔を。
──限界だった。
俺は両親に言って、近くの神社でお祓いをしてもらうことにした。
母さんは体調が微妙らしく、電話で相談した後に俺と父さんの二人で実際に神社まで行くことになった。
「……無理心中の犠牲になった子供が見えます。怒りや憎しみというよりは、寂しい、仲間が欲しいという感情を強く感じますね。目が合ったとのことなので、きっと仲間になってくれると思ってしまったのでしょう」
神主さんはそんなことを言って、お祓いをしてくれた。
家に帰ってから、父さんは「まあもっともらしいことを言ってたな」と言って、母さんに怒られていた。
俺が視線を感じることや、幽霊と言ったことに懐疑的な父さんらしかった。
けれどあの神主さんのお祓いが偽物であれ本物であれ、それからぱたりと視線を感じることはなくなった。
そんなことも忘れ始めていた、初夏の日。
俺たちは一学年上になり、卒業生の卒業作品制作の相談をしていた。
どうせだから大人がびっくりするクオリティのものを作りたい、などと真斗が言い出したためだ。
図画工作が得意な雄大にコツを教わりながら、さらに勝手なアレンジ案を語りだす真斗。
ありえないアレンジに乗っかって変形だの合体だのの話で盛り上がっていると、校内放送で俺が呼び出された。
父さんが乗ってきたタクシーに乗り込み、俺は病院にやってきた。
看護師さんに誘導されて廊下を歩いていく。
通された部屋に、母さんがいた。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
そういって小さな布の塊が父さんに渡される。
それを大事そうに受け取って、体を上下にゆする父さん。
弟だ。
家族が、増えた。
そのことをどう思えば良いのかよく分からなくて、俺は戸惑う。
父さんからは嫉妬しないように気をつけろと言われていたけど、俺だってそこまで子供じゃない。
けど確かに父さんが弟を可愛がる姿を見るのは、なんとも言えない気分になる。
「ほら、智。弟だぞ」
看護師さんに確認を取ってから、父さんが俺に赤ちゃんを見せてくれる。
猿みたいだ、というのが最初の感想だった。
とても父さんが喜ぶような可愛いものには見えないけれど、嫌な気分もしない。
さっきまで泣いていたのか、まだ表情を歪めている赤ちゃんが。
──嗤った。
一瞬でフラッシュバックする去年の記憶。
あの笑みは、楽しそうで、嬉しそうで、なのに不気味なあの嗤いは。
無理心中の犠牲になったという、白い男の子の──!
「おー、ちょっと笑ったか? お兄ちゃんだって分かったのかな?」
そんな、なんで。
まさかそんな、でも、そうだ。
母さんが妊娠したと分かったのは、お祓いしてもらって視線を感じなくなった、その少し後。
母さんはお祓いの場にいなかった。
体調が微妙だったから。
今思うとあれは妊娠した影響だったんじゃないだろうか?
だとしたら。
──母さんの中の胎児が、真斗のように取り憑かれていたっておかしくはない──!
「ふふ……頑張ってね、お兄ちゃん。これからは、お母さんもパートに行くようになるから、ちょっと迷惑をかけるけど」
パート?
母さんが仕事に出る?
待って。
ぞれじゃあ──
「大丈夫だよな? 智はお兄ちゃんだもんなー」
──俺と、この子が、二人きりになる──?
家で。
誰もいない家で。
「い……」
「ん?」
駄目だ。
これは言わなくちゃ、駄目だ!
「嫌だ! 母さんは家にいてよ! 俺、頑張るから! 手伝いとか色々頑張るし、お小遣いも少なくていいから!」
「おいおい……」
「あらあら」
呆れたような父さん。
意外そうなものの嬉しそうな母さん。
だけど。
「ごめんね、智。これはもう相談して決まったことなのよ」
「ああ。わがまま言って母さんを困らせるな」
わずかに苛立ちがこもった父さんの声。
知ってる。この声の時は、もう俺が何を言っても変わらない時の声だ。
じゃあ、俺は、もうどうすることも出来ない。
それにパートに出なくても、根本的には解決しないだろう。
どこかで必ず、この子は、弟は、誰かの二人きりになるだろう。
もし、その時に。
あの時の真斗のように、首を締めさせられたら?
不思議な力で腕が痺れて、抵抗できなかったら?
その時、母さんは、父さんは、いったいどんな──
と、その時、視線が増える。
俺を見ている母さん、父さん、看護師さん、お医者さん。
この四つの他に、もう一つの視線。
──父さんの腕の中の、弟からの視線。
誰からも見られない、俺にだけ見える角度で、嬉しそうに、楽しそうに、俺を見て笑って。
『……ぇん……ぃす……』
真斗が呟いていた謎の言葉。
その時と同じように、唇が動いた……気がした。