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明日、夜に踊れば。

作者: dora

 缶ビールのプルトップを起こす。乾いた枝を折る様な音と共に、炭酸の抜ける音が夜に鳴った。網戸越しに田んぼを抜けて来た風が部屋を通り抜けている。

 遠く見えていた花火の轟音も、先ほど纏めて上がったそれでおしまいとなったようだ。遠く観客の歓声は残り、まだ、耳に残る響きは強い。

 ざあ、と、稲の葉を、風が揺らしている。ひとかたまりの風が吹きつけるたびに、出穂寸前の稲が潮騒に似た音をたてる。薄明かりに透かすそこは、まるで海のそれだ。

 グラスには注がなかった。そのまま口を付けて、幾本目かのそれを呷る。ビールは良く冷えていて、爽やかな香りを伴う苦味が弾けながら喉に滑り落ちていく。

 既に酔いは幾らか回っていた。

 火照った顔に、ほんのりと浮いた汗。そこに吹き付ける夏の夜風がたまらなく心地よい。シャツの胸元を引いて、風を通した。

 風呂上がりで、一人なのをいいことに、ブラジャーは身に付けていない。普段はきちんと保持されたそこが肩に重さを伝えていた。

 ふと、子供たちの声が聞こえて来た。

 花火の帰り道だろうか。まだ、男女でそこまでの差がある訳ではない騒がしさ。夏の風物詩と言ってもいい、親に断ってか、はたまた無断でか。時刻は夜も更けかかる十時前、小学生の遊んでいて良い時間ではなかった。

(私だったらもう寝ていた時間だな)

 彼らはどこかで買い込んできた品物を、歓声と共に遊び始めた。唇に微かな笑いを載せると、ややとろりとした目を細め、網戸越しに、畔際(あぜぎわ)で始まった小さな花火を眺める。

 ほんのりと、ほんのりとだが、風に火薬の燃える匂いが乗っている。胸を締め付ける様な、どこか突き立つような鋭い懐かしさを感じさせる匂いだ。



  ※※※



 築四十年になる、平屋の団地が私の住処だ。

 大学までは原付で二十分、三方を田んぼで囲まれたここ。かつては二十件六十人以上が住まいとしていたそうだが今となっては数人の住人しかいない。ただし虫とカエルとヤモリはこれでもかと言うほどに居る。時折大物のアオダイショウが賑やかしに来る。

 半ば廃墟じみた暗がりの団地。

 六畳と四畳と四畳半、風呂、トイレ付。家賃は月に三万円。住んでくれるだけで有難いと大家は言っていた。

 大した問題ではない、と契約したものの、侘しいところといえばこの近隣ではここを指し示すと言う。何しろ若い人間はまず寄り付かない。

 学校の友人達――男性も含めて――はそこいらの少女より乙女と言うか、都会っ子と言うか。とにかく虫もカエルもダメだ苦手だと言う。うっかり蛇など出てきたら悲鳴を上げて逃げ出す始末。

 仕舞には、田んぼに住んでる田村だから、でんでんなんてあだ名までつけれらる次第だった。

 軟弱ものめ。

 よくそれで、地方の大学に行こうと思えたものだ。

 やや愚痴めいた頭に、遠くから空ぶかしの連続したエンジン音が聞こえてくる。これもまた、風物詩と言っても良いだろう。若さと情熱の行き場を見失った少年が、行き場のないそれを夜闇と仲間に発散している。

 すぐに頭から追い出そうとした。

 どちらにしろ彼等はこちらの方には来ない。ギャラリーが居なければ燃えない類いなのか、繁華街の方には行くが、此方に来る事はまれであった。


「あれ、でも来るな」


 なんでだろう、少し考えて思い当たる、今日は花火大会、警察もそれなりに数が出ているだろう。そうすると、普段彼等が遊び場にしている所には、公権力の張り込んで居る可能性がある。それで仕方がなく、とは言え集会の日も意地で変えられず、こちらの方に流れて来た、のかもしれない。

 なるほど、そう考えればおかしなものだ。むしろ、可愛い気すらあるではないか。

 一度ちらりと見かけた事もあるが、どの子も自分よりも年少と見えた。そう考えれば弟のようなものだろう。それこそ可愛い跳ねっ返りと言ったところだ。

 ビールを口に運んだ。

 悪くない、つまむものは用意しなかったが、酒の肴には不足しない。長い大学の夏休み、こんな夜なら大歓迎だった。



  ※※※



 雰囲気が変わった。窓枠に寄りかかったまま、少し寝てしまっていたらしい。時刻は零時まで僅かになっていた。少年達の花火の音も、派手なものは終わり、線香花火のか細い光に代わっている。微かに回る視界、酔いはしたたかに回っていた。

 バイクの音が随分近くになっている。同時に、それに対する罵声も子供達から聞こえてくる。

 集団で気が大きくなっているのか、怖い思いをするのも社会勉強だと思いつつ、そのノリでごみをそのままにしていかない様、帰り際には注意しなければ、とも思う。

 おせっかいか、とも思うものの、帰宅を促すのも大人の役目だろう。

 大人、大人か。

 ぐるりと目を回して皮肉に笑った。飲酒こそしているものの、まだ誕生日は迎えていない。大学生の常だ、なんて言った所で違法性はちっとも変わらないだろう。

 十九のやや茹った頭を抑えると、キッチン兼洗面台の水場で軽く顔を洗う。給湯機がポンコツな着火音を立てるが、用は火の付く前に終わった。

 化粧っ気のない仕様なので、気にすることなくざっくりタオルで水気を拭った。

 少しだけ、酔いが引いた気もする。

 色々と責任は取れる年になっていた。

 もう少しで、全ての責任を背負える年になる。この国の仕組みは不思議なものだ、責任を負わせるのは十八からなのに、二十にならなければ許されない事が多くある。

 趣味の飲酒もその一つだ。

 小さくため息を吐いた。眉の強い二重が、鏡の向こうでこちらを見ている。癖のない髪をざっくりと後ろで束ねた。部屋着に使っているジーンズは、流行りのものではなく作業着のそれだ。やや固いが、足回りに余裕があるので風通しは悪くない。

 ばさばさと空気を通しながら、玄関へと足を向けた。



  ※※※



 表へ出ると、罵声はいっそう強くなっていた。

(おいおい、うるせーぞ、じゃないよ少年達。君たちも大差無いからね)

 人気があると見れば、近寄ってくるのが夏の暴走族だ。

 彼らは軽く見られるのを嫌う、ましてや年下と来ればなおのこと。

 トラブルに発展する前に解散させよう。

 そんな事を考えながら、爪先をぐるりと建物を回り込んだ団地の駐車場へと向ける。一棟を迂回しなければならないから、実を言えば窓から出た方が早い。

 ただ、それをすると、確実に今夜は蚊に悩まされるだろう。蚊取り線香も風情があるものの、出来れば何も焚かずに過ごしたいものだ。


「ブンブンうっせーぞ!」

「ちょっと、ねえ、やめなってば!」


 なるほど、やけに喧しく感じたのは、少女の声も混じっていたからだったか。

 夏の気配に気の大きくなった少年を、夜と花火でテンションの上がった少女達がいさめている。

(あ、いや、けしかけてるのもいるね)

 年頃はどれくらいか。態度を見れば同学年の集団だろう、一番大きな子は、既に自分と同じくらいの背丈をしていた。

 ただ、一様に声が幼く、まだ声変わりの終わっていない、高さと低さと掠れたそれが入り交じっている。

(八人。男女比は一対一。推定小学校高学年から中学校低学年、そろそろ反抗期に入る子もいるくらいかな)

 それこそ外見は様々だ。

 男子は身長にばらつきこそあるものの、Tシャツに動きやすいパンツの類なのに対し、女子はうかうかすると自分と背丈がさほどの差を見ない。むしろ自分よりも余程洒落ていると言っても良い。コンプレックスを感じるのは自分の方かも知れなかった。勝っているのは胸だけなのか。



  ※※※



 建物を回り込む頃には、暴走族の少年達も少年少女に気が付いていた。

 轟音に、団地の数少ない住人達が、恐る恐る外を窺っている気配を見せている。長引けば通報されるだろう、そうなれば警察と保護者を巻き込んだ騒動に発展しかねない。

 不思議と威圧する声はない。

 響くやや甲高い声は、先に花火をしていた子達の物だろう。

 声の端に怯えを乗せながら、精一杯の威勢を張っている。

 後に引けなくなるまでに、それ程の時間は無さそうだった。

 急がねば。

 腹をくくってため息を一つ、こういう時酔っ払いは強い。


「何してるのー」

「あ?」


 バイク集団の中心に居る少年に、まっすぐ歩み寄った。虚を突かれた形になったのか、誰も声を発さず行く手も塞がない。

 ハンドルに寄り掛る様にして顔を覗き込んだ。かろうじて此方が年長、いいところで十七か八、聞かん坊そうだが、まだ目は血走っていない。

 挑発されて引っ込みが付かず、さりとて子供相手にどうするか、そんな思案をしているところだろう。


「あんたには関係ないだろ」


 突き放した言い方だが、こちらの目配せには気が付いたらしい。

 どこかほっとする様子を見せて少年は言った。


「関係あるよ、此処は私の家の前」

「そうかい、そりゃ賑わわせて悪かったな」


 まったくだね。

 そう言うと、周囲を一瞥した彼は、子供無視する事でメンツを保つことに決めたらしい。

 一度大きくエンジンをふかすと、場の注目を集めた上で撤収の声をあげた。


「ネエサンいい度胸してんな、今度デートしてくれよ」

「いいけど集会と特攻服はカンベンね」

「はっ!」


 切り返しを笑い飛ばすと、彼らは再び走り出した。

 酔っているとは言え、流石に緊張をしていたのか、脇に粘ついた汗を感じている。

 長い溜息と共に振り返ると、少年少女達が神妙な顔をしてコチラを見詰めていた。怒られるとでも思っているのか、彼らの顔は一様に暗い。コチラとしては特に言うことも無いし、無事に済んだと言うだけで、自ら学んだことも多いだろう。

 怖い思いもしたであろうし、わざわざ言い募る事もない。


「さて君たち」ひくりと肩を竦めた彼らに私は言った「もう帰って寝な」



  ※※※



 中途半端に酔いが醒めた。とは言え、今から飲み直す気になるかと言えば、今ひとつ気が乗らない。

 明日も同じ程度飲むかと考えれば、冷蔵庫に残るビールは丁度良い量だ。

 そろそろ休むかと思いながら部屋に戻る。布団を敷こうと髪を掻きあげて、四角く切り取られた夜景の中に、まだ一人残っている事に気がついた。


「どしたの」

「うち、親がいないから」


 声帯の発達しきっていない、どっちつかずに掠れた声で少年は答えた。

 網戸越しの明かりが眩しいのか、駐車場にしゃがみ込んだ彼は、目の高さに網戸の桟の影を当てている。それがテレビのインタビューで、目線とボイスチェンジャーが掛った映像の様に見えておかしい。

 良く聞く放置子か。


「君、この後どうするの」


 帰らない理由は聞いた。そこから踏み込む事は、考えていない。少年の答えも似たような物だった。


「別に、考えてない」

「ふうん」


 考えようにも、きっちりと酔いは回っていた。頭はちっとも回っていない。


「寝るとこは」

「ないよ」

「そか。じゃあおいで。鍵は開いてるから」


 少年は息を飲んだ。



  ※※※



 今夜はどうするつもりだったのか、と問えば、友人達とオールするつもりだったと返った。

 それは悪い事をしてしまったか。

 少し考えるが、まあ、今の状況の方が言い訳できない。

 彼はちらちらとこっちを見ている、少女の様な外見の少年だった。

 そうは言っても、声変りが終わっていようがいなかろうが、男は男なのだろう。目のやり場に困っているようだった、目の前に素肌にシャツの女、落ち着くまい。

 一度天井を見た。

 自分が彼くらいの年頃にはどうだったか、ぼけっと暮らしていて、そんなところまで意識した事なんてなかった。と言うよりは、今だって意識していない。むしろ初めて考えた相手が声変り中の少年と言うのもどうなんだ。

 頭の中がおかしな所に転がり込みそうになって来た。いよいよ酔っ払い、考えれば考える程に頭が煮えて行く。


「お風呂」

「えっ」

「シャワー浴びておいで、汗かいただろうから」

「えっ」


 そう言って少年を風呂場に押し込んだ。

 その間にTシャツを一枚用意し、自分はタオル地のショートパンツに履き替える。表に一度出たせいか、先程の緊張故か、汗とも体臭とも付かない女の匂いが微かに鼻をくすぐった。

 やがて水音が聞こえ始めた時点で、脱衣所に入るとTシャツを洗濯機の上に置いた。



   ※※※



 程なくして、少年が風呂場から出てきた。

 此方の意図は察したのだろう、ロングのTシャツを寝巻代わりに纏っている。視線はひどく泳いでいた。

 少し考えて、そう言えば彼の来ていた物を、纏めて洗濯機に投げ込んでしまった事に気がついた。

 記憶があいまいで、ポケットの中身は出したものの、ズボンの中身をどうしたかが思い出せない。

 ドツボニハマル。

 そう思って私は考えるのをあきらめた。


「寝るよ」

「えっ」

「こっち」

「えっ」


 布団は一組しかない。

 躊躇する少年をシーツの中に包み込んで、敷布の上に寝転んだ。

 窓を閉めると建物の温度のせいで蒸し暑いが、この時間になると田んぼの上を抜けてきた風がやや肌寒い。

 程良い熱源であった。

 ひと肌が嬉しくて思わず抱きよせた。困惑と、混乱が伝わってくる。

 しばらくして大人しくなった。

 腹部に当たるのはこの歳でも男性である証拠。


「あっつ」

「んー」


 逃げようとする少年を、抱き寄せた。

 良い枕だ。

 恥女じみた行為に今更気がつく。アルコールとはげに恐ろしきかな。落ち着かなくもぞもぞと動いていた少年が、ある瞬間を境に大人しくなる。これ幸いと胸に抱きしめた。また動き出したものの、五分ほどで少年は動きを失った。

 意識も同じころに失った。

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