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7.頼まなきゃよかった

「祐二、大丈夫? ま、とりあえず、残りを食べようか。お腹がいっぱいになったらさ、名案が浮かぶかもしれないじゃない?」

 恵美と祐二は無言で残ったポテトとピザをたいらげた。盆をかたづけにかかった恵美に、祐二がしんみりとした口調で話しかけた。

「なあ、恵美……」

「何?」

「明日はやっぱり俺が蛇役をやる」

「何で?」

 恵美は持ちかかった盆を下し、祐二の方を見た。

「恵美にあんな気色悪い思いはさせられない」

「祐二? 死ぬほど嫌だったんでしょう? あんな祐二は見たくないから、あたしがやる。あのおばさんがずっとつききりでいるってことではないし、明日からは最終日まであたしがやる。あのおばさんが変なことしてきたら、噛みついてやるわよ」

「いいって。蛇役はずっと俺がやる」

「あたしがやる」

「そんなにやりたいのか? グイッ、ギュウゥ、ペロペロ、ブチュウだぜ。いいのか?」

「うぅ……ブチュウって……それが付き物なら、あたしだってやりたくはないけど……だって、あの人、あたしが目を離した隙に、祐二を連れて行ってしまいそうだもん。これ以上祐二を見せるのは心配だよ」

「確かにあのおばさん、恐ろしく怪力で蛇の扱いに慣れている。毒蛇でもあれには歯がたたないだろうな」

「すごいナメおばさん。ナメ子だ。ああ、明日のこと、考えるのも嫌だね。それよりも祐二はお昼寝して。祐二の為にここを借りたんだから、ゆっくり休んでよ。その間に、明日からのことは、あたしが考えておくから」

「そうか……それなら少し眠らせてもらう。名案が浮かぶといいな」


 祐二が、畳の上でとぐろを巻いて目を閉じると、恵美はため息交じりに荷物の整理を始めた。伸びたパンツを含む汚い着替えはひとまとめにし、卵が入っていたポリ袋へ詰め込んだ。

 恵美は荷物整理が済むと、外の様子が気になり、休憩室のブラインドの隙間に指を挟んで覗いてみた。爆発物は見つかったのだろうか。それはここからではわからないが、警官の姿をした人が何人も出口へ向かって歩いているのが見えた。外は風が強まってきており、皆、寒そうに首をすくめている。

 黒っぽい雲が空に広がり、強い風が遊具の間を吹き抜けていた。三月末なので、風がきついのは当たり前だが、よく見ると細かい雨とも雪とも言えるような白い物が交じっている。今夜は春の雪になるかもしれないと思った。

 この部屋にいると外の寒さは感じないが、それだけでなく、この体になってから、温度感覚はあまりない。ここまで歩いてくる間も、手袋が欲しいとは思わなかった。

「みんな寒そうだ……」

 そこで眠る祐二に目をやる。雪が積もると困るから、早い目に祐二を起こそう。山の中の洞窟までの道のりは遠い。


 数時間後、祐二が昼寝から目覚めた夕方には、外の風は弱まってきたが、うっすらと雪が積もり始めていた。春の重い雪はシャーベットに変わりながら、窓の外の世界を白で覆っていく。

「祐二、そろそろ帰ろうよ。ザックへ入って。見て、外は雪。三月の終わりなのに雪なんて、あたしが人間やめてから地球温暖化って終わったのかな」

「雪か……恵美、こんなんで家まで歩いて帰れるのか? 今日は俺が蛇になっているから、おまえが背負う役だろう? 途中で俺と代わるにはまたどこかのトイレへ寄らないとだめだが、障害者用トイレが途中にあるかどうかわからない。もし、できるなら、雪を理由にここに泊めてほしいと頼め」

「ここに泊まるの? あのナメ子おばさん、まさか来ないよね?」

「普通のおばさんが夜中までいるわけないだろう。寝具はいらないから、泊めてくれって頼んだ方がいい。その方が明日楽だぞ」

「でもさ、それじゃあ祐二が明日も蛇役になっちゃうよ。泊まっている間に蛇が白くなって、蛇使いが男になっていたら不自然だよ」

「俺は蛇役でもいいって言っているだろう。とにかく事務所に頼んでこい。だめだったら、雪がこれ以上積もらないうちにすぐに歩いて帰らないといけない。これは普段よりも歩く時間がかかるぞ」


 恵美は、祐二を部屋に残して同じ建物内の事務所へ行った。手には先ほどのオレンジのトレー。

「あの、先ほどはありがとうございました。これ、ごちそうさまでした」

 事務所に顔を覗かせ、トレーを差し出し、まずは、ポテトとピザの礼を言った。事務所の中には、男女合わせて六人ほどの職員がいて、皆、机から顔をあげた。

「それからあのぅ……」

 恵美が要件を言いかかった時、あのナメ子おばさんがにこにこと寄って来た。

「あらぁ、ユウちゃんのお母さんね。ユウちゃんを譲る気になってくれたの?」


(うぁ……そうだった、あの人はここの事務員だった。ここにいてあたり前で……満面の笑みってああいうのをいうのかな? あたしは泣きたいよ……)


「そういうお話ではなくて、あの、ちょっと雪が激しいので、今夜、休憩室にそのまま泊めていただけないかと思いまして」

 それには男性の事務員が奥の机から立ち上がって答えた。

「うちの園は、夜間は無人にしておりまして、職員の宿直も置いていないものですから、申し訳ございませんが、ご希望には添えかねます」

「そうですか。それなら家へ帰りますのでいいです。無理な事をお願いしてすみませんでした」

 恵美は事務員たちに頭をさげて帰ろうとすると、あのおばさんが恵美を引きとめた。

「待って、こんな寒い中、ザックにつめこまれて運ばれるユウちゃんがかわいそう。ねえ、あなた、今夜は私の家へ泊めてあげましょう。私の家ね、すぐそこなのよ。その方がユウちゃんにもいいと思うの。ねえ、そうしてくださいな。ユウちゃんを見れば、夫も喜ぶから」


(へ? 夫が喜ぶ? この人の夫も蛇好き? ああいやだ、あたしは家まで歩いたほうがいい)


 恵美はひきつる唇を必死でおさえた。

「あの、山田さん、とおっしゃいましたか。せっかくですが、私は自分の家へ帰ろうと思いますので……」

「んまあ、遠慮なさることはないのよ。主人はね、大の蛇好きでねえ、スネークショーの企画をあなたたちが持ち込んだと聞いたら、大喜びだったの。今夜は楽しくなりそうね」

 山田は、恵美が断らないものと決めてかかっており、喜びに満ちあふれた顔をしていた。その丸顔には一点の曇りもなく、太陽の微笑みになっている。きっとこの人には悩みなど何もないのだろう、この人と一緒では楽しい夜にはならないよ、と恵美は心の中でつぶやきながら、やんわりと断わった。

「そんな、悪いですから、いいです」

 恵美が去ろうとすると、他の職員の女性が横から口を出した。それは、最初にあの部屋を覗いた若い女性だった。

「社長の奥様の申し出を断わるなんて、もったいないですよ。社長のお宅はすぐそこですし、豪邸ですから、こんなところの休憩室に泊るより何百倍もいいです。私もお邪魔したことがあります」

「社長の……奥様?」

 この変なおばさんが? と言いかかって喉に押し込んだ。恵美はあらためて、山田の全身を上から下まで眺めた。

 小柄な体にしっかりついた脂肪。はじけそうな制服の前ボタン。くるくるにかけたパーマ頭。口紅は塗り直したらしく、分厚い唇は赤くつややかに光っていた。身長は高くないが、すごい迫力を感じる。

「山田さんは、こちらの社長さんの奥様ですか。社長夫人が働いていらっしゃるのですか?」

 恵美は思わず失礼なことをきいてしまったが、山田はあいかわらず愛想よく微笑んでいる。

「んふふ、うちは人手が足りないから、春休みなんかは私も手伝いに出ているのよ。遠慮しないでうちにいらしてくださいな。こんなお天気じゃあ、ユウちゃんが凍えてしまうわ。あなた、ユウちゃんを愛しているなら、もっと大切にしてあげなきゃ。ユウちゃんは人間のあなたとは違って変温動物なのよ。こんな雪が降るようなお天気の日に外へ出るなんてかわいそう。ユウちゃんのことをもっと考えてあげてよ。私の家なら――」

 しばらくは、延々と山田の話が続き、恵美は黙ってうつむくばかりだった。山田の言葉は切れ目がなく、なかなか断わる隙がない。


(あたしも人間じゃないんだけどな。それにしても……この山田ナメ子、社長夫人だったのね。どおりで金まわりがいいわけだ。断わりたいけど、この状況じゃあちょっと……あぁ……祐二が泣くだろうね……)



 事務所を出た恵美は、祐二の待つ部屋までの廊下を、下を向いたまま歩いていた。顔の上半分ほどに黒い縦線が細かく入っているような気分だった。長く作り笑いをしていたので、頬肉がくたびれている。


(どうしよう……祐二になんて言おう。あのおばさんの家に泊めてもらうなんて言ったら……あぁ……)


 長い廊下に、恵美の靴音だけが響く。ゆっくり歩いたが、休憩室へ着いてしまった。


「お帰り恵美。どうだった? 泊まらせてもらっていいって?」

 おとなしく待っていてくれた祐二。恵美は思わず視線を合わすことをためらった。

「あのね……家まで歩く必要はなくなったの。だけど、泊まる場所がちょっと変わった」

「この部屋とは違う部屋か?」

「……そういうことになるね。すぐそこだけど車で送ってくれるって。その前に、祐二を運ぶケージも貸してもらえることになった。ザックじゃ、かわいそうだってさ」

「はぁ? 借りるって、誰に? そんな物を持っているやつって……」

 祐二が、まさか、と瞬きを繰り返した。

「そうよ! そのまさかよ! それで、泊まる場所ってのはねえ――」

 恵美は早口でその名を告げた。

「げぇー!」

 祐二の長い体が、端っこまで震えあがった。



「――そういうわけだから。ごめんね、祐二。今日は耐えて」

 説明を終えた恵美は、もう一度、ごめん、と祐二に頭を下げた。

「山田ナメ子って社長夫人? うそだろう?」

「この園を経営している会社の、社長の奥さんらしいよ。ナメ子って、あたしが勝手にそう名付けただけで、たぶんそういう名前じゃないと思うけどさ……あたし、ナメ子のあの笑顔にすっかり毒されて、どうしようもなかった。これで断わってナメ子の機嫌を損ねたら、スネークショーをここでやらせてもらえなくなるかもしれないと思った。ほら、足音がする。もうお迎えが来た」

「地獄へ行けってか……行ってやるよ。行くしかないんだろう? やっぱり今日はついていないな」

「あたしもそう思う。今日は最悪。無収入の上、雪にまで祟られて、しかもナメ子! 大凶の日だね。ここに泊めてほしいなんて、頼むんじゃなかった。何キロあっても雪の中をのんびりと歩いて帰る方が何倍もましだったね。今さら遅いけど」





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